■ 夜のリュブリャナ

 今回の旅行のために購入した『タビトモ クロアチア・スロヴェニア』において、スロベニアの紹介スポットは3つしかない。
 一つがブレッド湖、一つがポストイナ鍾乳洞、最後の一つがリュブリャナ市街。
 もう二度と来るかわからないスロベニア。どうしてもこの3ヶ所は回りたいと思っていた。
 ホテルが思ったよりも市街の中心部から遠くてがっかりしたが、この日は最終日で、外はまだ明るい。行くしかないだろう。
 市街地までは2kmから3km。歩いて行けなくもないが、体力も時間ももったいない。
 ホテルのすぐ前に大きなバス停があり、路線もたくさんあり、そのいずれもリュブリャナ市街に行くのは、位置的に間違いない。(※)
 Wi-Fiでインターネットに接続してバスの乗り方を調べる。どうやら、事前に切符を購入する方法と、直接運転手に行き先を告げて、お金を支払う方法があるらしい。
 お金はあるのだから、とにかく飛び乗ろう。
(※)改めて地図を見たら、市街地から北方向へ遠ざかる可能性も十分あった。

 ホテルを出てバス停に行くと、案の定バスはどんどんやってきた。
 1本見逃し、とりあえず地図などをチェックする。よくわからない。
 次にやってきたバスに乗り、運転手さんにタビトモの写真を見せながら、この辺に行きたい旨をアピール。
「How much?」と聞いてみたが、先頭の座席を指差して、とにかく座れアピールをされる。
 大人しく座り、正面から道を眺める。市街地の前でいきなり右(南)に曲がったため、慌てて「Next Station, Please」と運転手さんに声をかけると、わかっているとばかりに頷いた。
 結果的には、かなりいい場所で降ろしてもらえた。今Google Mapのストリートビューで確認したところ、この辺りらしい。


 2ユーロくらい用意して、改めて金額を尋ねたが、金はいいからさっさと降りろアピールをされたので、多大な感謝を伝えて外へ。
 無愛想な人だったが、右も左もわからない旅行者へのご配慮、ありがとうございました。
 というわけで、市街地へのワープに成功して散策。
 まず、バス停を降りてすぐの場所にあった教会っぽい建物。敢えて加工せずに掲載。大体、周囲はこのくらいの明るさ。


 少し歩いたところ、地図を確認するとZvezdaという広場と、その向こうのリュブリャナ城。
 リュブリャナ城は、中は21時まで、公園は23時までと本に書いてあるので、せめて公園には行きたいと思う。


 同じ広場の中にある、リュブリャナ大学。
 などと偉そうに書いているが、今Google Mapで調べながら書いている。もちろん現地では何か知らなかった。


 川沿いを三本橋の方へ歩く。
 川沿いはお店が立ち並んでいて、夜でも賑わっている。


 三本橋を渡ったところで、何やら演奏の準備をしていた。
 この時、忘れもしない20時55分。21時までの観光案内所がまだやっているので、中に入って地図だけもらう。
 まあ、大して役には立たなかったけれど。
 ケーブルカー乗り場に向かって歩く。  聖ニコラス大聖堂の裏側。
 ISO-3200、F3.5、1/40秒でぶれぶれのボケボケ。やはりシャッター速度は1/60、できれば1/80より速くしたい。


 ケーブルカー乗り場の左手にあった建物。今調べたら、パペットシアターらしい。
 右の方の光の点々がケーブルカーで、山の上まで続いている。


 さて、ケーブルカー。
 前に並んでいた外国人が、「for adult」と言っていたので、自分も「return ticket for adult」とか言ってみる。
 店員さんが驚いて、「お城もう閉まってるけどいいの?」というようなことを聞いてきたので、適当に「OK, OK!」などと言って、とにかく往復チケットを購入。
 ケーブルカーで上に行くと、入口に列が出来る。そして、係の人が入口で何やら説明して、中に入れさせない。
 ちょっと待って。城は閉まっていて、本当に中に入れなくて、ケーブルカーで往復して終わり? チケット売り場の店員さんはこれを言っていたのか?
 と焦ったが、別の出入り口から外に出られた。良かった。
 ということで、リュブリャナ城。この入口の中には入れたが、すぐに広場みたいになっていて、多くの人で賑わっていて、何かチケットのようなものが必要な気配だったで出てきた。


 ぐるっと周回すると、裏側(街から見えていた方)はちょっと崩れたりしていて胸熱。さらに、夜景が綺麗だった。
 カメラを地面に固定してガチ撮影。ISO-200、F13.0、30秒。


 街の方から、演奏が聴こえる。
 しばらく撮影を楽しんでいたら、ツアーの女性二人組が現れた。ホテルから市街地まで歩いて来た上、ケーブルカー乗り場もわからず、歩いて登って来たらしい。お疲れ様です。
 写真を数枚撮った後、ケーブルカーで街に戻る。
 三本橋で演奏をしていて、すごい人だかりになっていた。なぜかその人だかりを1枚も撮っていない。無念。なんでもいいから、とにかく1枚は撮っておきたいところ。
 三本橋をガチ撮影。ISO-100、F10.0、20秒。


 ホテルへの帰り道。街で撮った最後の写真。
 これ、道の先の方向は西のつもりだった。地図を見ていても、間違えようがなかった。
 西のはずだった。


 しばらく歩くと、人通りが少なくなってきたのでカメラをバッグにしまう。
 少し不安になってきたので、そこら辺にいたタクシーの運転手に地図を見せて、自分がいると思う場所を指差して、「Am I here?」と聞いてみる。
 こんな英語、初めて使った。
 今思えば、指など差さずに、「Where am I?」と聞くべきだった。
 運転手は地図の北の方を指差して、「Go straight and turn left」というようなことを言った。
 おかしい。自分の位置が西なら、突き当りを右になるはず。
 つまり、こう。


 地図の右下が三本橋。
 後でGoogle Mapのストリートビューでも確認したが、西に向かっていると思っていたら、実は北に向かっていたのだ。
 タクシーの運転手は、自分が指差した場所に行きたいのだと思って、「turn left」と言ったのだが、自分は上手く通じなかったのだと思い、自分を信じて突き当りを右に回った。
 結果、リュブリャナ駅前に出て、ようやく壮絶に道を間違えていたことを知る。
 駅には列車が停まっていて、それはそれで珍しい光景だったのだが、もう23時近くという時間とか疲れとか暗さとか色々あって、Uターンしてホテルへ急ぐ。
 ちょうど先程掲載した地図の、「至ホテル」と書いてある位置くらいでスマホで撮った写真があるので掲載。


 太い道なのだが、さすがに怖い。
 しかもホテルがここからさらにまだまだ歩く。遠い。行きにバスを使ったのは、本当に正解だった。
 しいて言えば、バス停と路線とメモって、帰りもバスを使うべきだった。
 M Hotelまでひたすら歩き、23:15頃、ようやく戻って来られた。
 最後はちょっと怖かったけれど、充実した夜だった。


■ 日本へ

 7月22日は、朝7:30出発で空港へ。
 7日間のツアーと言っても、6日目は朝出発で、7日目の朝日本に到着というツアーが多い。
 これが、6日目は半日フリータイムで、夕方出発、7日目の夕方日本に到着というツアーだと、同じ7日間でも全然印象が違う。
 つまりは、夏のドイツ旅行。6日間の短いツアーだったが、5日目はフランクフルト出発が16:00で、仁川での長い乗り継ぎもあって日本到着が19:00。
 これだと、1日得した気分になるというか、今回のようなケースだと1日損した気分になるというか。

 あっと言う間に空港。
 チェックインを済ませて、少しぶらっとする。
 外に置いてあったプロペラ機。


 小さな空港なので、とても退屈。
 それでもやがて飛行機の時間がやってきて空へ。
 さらば、リュブリャナ。さらば、スロベニア。


 で、このリュブリャナからヘルシンキへの飛行機は広かった。
 前も足を伸ばせて実に快適。
 ヘルシンキ到着。3時間ほど乗り継ぎの退屈をしのぐ。『僕たちは監視されている』読破。
 いよいよ最後のフライト。機体は行きと同じA330-300。これがやっぱりもう、本当に狭い。
 テーブルを倒して、そこに腕を乗せて寝るスタイル、いわゆる学生が授業中に寝るスタイルができない狭さ。夏にドイツへ行った時のA380が恋しい。
 色々ツラくなって来る。隣が同じツアー客だったのは救い。結構喋ったりもした。
 食事が来たので、白ワインと一緒に食す。
 食後、親からもらっていた睡眠薬を飲む。
 これが地獄の始まりだった。
 10分後くらいから体がガクガクし始め、額に汗が浮かび、20分もすると全身がブルブル震えて、とうとうトイレへ。
 胃の中身を全部吐き出してなお、治まらない眩暈と吐き気と震え。
「Water, Please」と頼んだら、「Self」と言われたので、ひたすら飲みまくる。
 眠れるわけもなく、さらに苦しみ続けて、2時間後くらいに再びトイレへ。胃液しか出なかったが、もう一度吐く。
 やがて朝食が運ばれてくるが、数口でリタイア。
 死ぬ思いで中部国際空港着。
 ふらふらしながら帰宅し、7月23日は一日中爆睡した。
 翌24日から仕事だったが、眠気は無いのに眩暈がする。薬の副作用というより、もはや後遺症クラスだったが、昼頃には治まった。

 ということで、最後の最後に教訓。
“睡眠薬とアルコールは一緒に飲んではダメ、絶対。しかも空の上では特にダメ、絶対!”
 体調不良で始まり、体調不良で終わった旅だったが、天気にも恵まれ、大きなトラブルもなく、実に楽しい旅だった。
 お父さんをはじめ、たくさんのツアー参加者と楽しい時間を過ごしたが、誰とも連絡先は交換していない。
 11年前の北京旅行では、最後に一人残された寂しさがあったが、今ではこういう、その場限りの出会いと語らいもいいなと思う。