■ フェイリンについて

 ここでは、本サイトのタイトルにも登場するフェイリン(Feilyn)について説明するが、実際のところは旅行には無関係であり、知らなくてもまったく問題なく読み進めていくことができる。
 しかし、今回の旅行では、小泉首相の言をパクって、「フェイリン、よくやった、感動した!」という言葉が頻出したので、暇な人は読んでもらえれば、この旅行記内におけるフェイリンについての疑問点を解消できるだろう。
 事の発端は4月25日、メルボルンの天気はどうなっているかと思って、ネットでメルボルンの週間予報を見たのが始まりだった。その時小生の目に入ってきたのは、旅行期間中のすべての日に書かれた「Showers」の文字。
 この時の絶望感は、どう表現していいかわからない。小生は旅行というのは、天気さえ良ければ、それで半ば成功であるとすら考えている。それが、25万もかけて行く、人生を賭けた初めての海外旅行がすべて雨。ああ、神は何故小生にこのような罰を与えるのか!
 元々無神論者のくせに神様が信じられなくなり、けれど自分の力では天気など変えられるはずもなかったので、小生は自分にとって都合のいい、信じる対象を勝手に創造することにした。それが「天使」であり、フェイリンはその天使の内の一人である。
 神というのは人に対して幸せを与えると同時に、不幸せをも与える。慈悲と無慈悲、幸不幸、この両方があることによって世界は均衡が保たれると考えている。すなわち、人々が平和のありがたみを享受し、平和であろうという努力をするのは戦争があるからであり、それ故神は、時に何千もの人が死ぬ戦争さえ引き起こす。
 この神に遣えるのが天使である。天使は神と同質の能力を持ち、理論的には神と同一の事象を引き起こすことができるが、実際にはその力は神の数万、数億分の一しか持っていない。天使は神の僕であるが、必ずしも従順ではない。というのは、天使は「世の中には幸せさえあれば良い」という立場を固持し、幸せだけの世界は幸せであると考えているのだ。
 そのため天使は、例えば初めての海外旅行の天気を全部雨にしてしまうといった神の無慈悲な行動に苦しむ人々を、神の目を盗んでこっそり助けたりする。もちろん、神に見付かればそれなりの罰を受けるが、「幸せ第一主義」の天使たちは、困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人を助けずにはいられないのだ。
 天使は、一つの事柄に対して一人しかつくことができない。今回、小生と同じ行程を辿る旅行者はたくさんあり、それらのすべてが小生と同じように雨を嘆いているだろうが、これらすべての人の悲しみを取り除く、すなわちこの天気を何とかしようとしてくれたのがフェイリンというわけだ。
 実際、フェイリンという存在を創造してから、週間予報は見る見る良くなっていった。

4/294/305/15/2
4/25の予報詳しくは覚えていないが、とにかくすべてにShowersの文字
4/26の予報Partly CloudyMostly CloudyScattered ShowersMostly Cloudy
4/27の予報Partly CloudyPartly CloudyPartly CloudyMostly Cloudy

 こうして、非常に良い予報のまま我々は成田空港から旅立つことができた。
 もっとも、今回の旅でフェイリンが我々を助けてくれたのは天気だけではなく、5/1のグランピアンズ紀行において、ものすごい奇跡を与えてくれた。これについては、また追々話していくとしよう。