『 レ・ミゼラブル 少女コゼット 』 感想





※適当な文章を考案中。



2007/01/08管理人と『レ・ミゼラブル』
管理人の私的な話だが、この感想を読み物として読むならば、知っておいた方がより楽しめるかもしれない。管理人は『レ・ミゼラブル』という作品は、去年まで名前しか知らなかった。どうやら日本アニメーションがこの作品をアニメ化しているという情報は随分前からキャッチしていたが、具体的な放映の情報がなかったので放置していた。それが去年の秋頃、2007年からスタートという情報を聞きつけたので、原作を読んでみることに。ところが、この原作が膨大な上に濃い。新潮の第一巻を、ミリエル氏の話で何度も挫折しかけたがどうにか読み切り、第二巻のワーテルローでまた停滞。ここもなんとか乗り越えたが、2007年1月8日現在、まだジャン・ヴァルジャンはコゼットと出会っていない。元々電車やバスによる通勤ではなく(つまり通勤で本を読める環境になく)、とてもではないが1年で全部読めるとは思えないので、すぐにアニメに抜かされる予感。『涼宮ハルヒの××』など読んでいる場合ではないのだが、ワーテルローの戦いで負った傷は深く、なかなか『レ・ミゼラブル』を手に取ることができない。そんな1月8日の22時……。

(注)この『少女コゼットの感想』では、原作のネタバレは注意せずに書きます。名作のため、読者は原作のストーリーを知っているものとします。アニメの先は当然知らないので、ネタバレはありません。原作の先はいともあっさり書いているので、『レ・ミゼラブル』を知らず、先をわくわくして見たい人は、この感想は読まない方がいいです。この感想は、「コゼットはいつかカトリみたいに、お母さんと再会できるのね♪」みたいな幻想を一切与えません。基本的に管理人は、世界名作劇場を「原作との比較」という観点で見ており、どの作品も大まかなストーリーは把握した上で視聴しています。(2007/01/29追記)

新潮版、改訂履歴があり、ページ数などにズレがあるため、管理人の所持している版を正確に記載しておきます。
 ・第一巻 昭和62年10月30日 39刷
 ・第二巻 昭和63年06月30日 32刷
 ・第三巻 昭和63年06月30日 28刷
 ・第四巻 昭和63年06月30日 26刷
 ・第五巻 平成11年01月30日 36刷(33刷で改訂)
他との統一のため、第五巻は改訂前の版を見つけたら買い直す予定です。(2007/02/26追記)
2007/01/08第1話『ファンティーヌとコゼット』
本サイト初の、リアルタイムでの感想。いよいよ始まった『少女コゼット』だが、やはり絵が名作劇場っぽくない。『世界名作劇場大全』(同文書院)の最後で、著者が「今後日本アニメが名作物をシリーズとして製作するとしても、(中略)それはもう日曜夜7時半の名作アニメではない。すべては終わったのだ」と書いているが、少なくとも絵柄だけ見るとそう言わざるを得ない。さて感想だが、コゼットがファンティーヌと別れるシーンがカトリを彷彿させた。しかしカトリと違い、コゼットはいきなり過酷に働かされていて悲惨この上ない。『セーラ』を越える“悲惨世界”(←『レ・ミゼラブル』の中国語)になるかもしれないな。ファンティーヌは絶望的に悲壮感を漂わせている。ペリーヌの母親は20話くらい保ったが、ファンティーヌはどうも一桁の内に逝きそうだ。原作(以下、新潮文庫のこと)第一巻を読む限り、この作品の主要登場キャラで最も不幸な人と思われるため、俺としては強く応援したい。
2007/01/15第2話『ジャン・ヴァルジャンの秘密』
オープニング、いい曲だなぁ。DVDと違って一時停止したり巻き戻ししたりできないから、正確な台詞や人名が確認できないので、間違っていたらすんません。まずコゼットサイド。最初の子守歌がとても可愛かった。萌えた。いきなり萌えた。しかしまあ対象年齢が低すぎるから、はぎゅっとしたくなるようなことはなかったが。一気に3年経過し、絵柄も微かに成長した感じ。姉妹の方は微妙だが。先週思ったほど悲惨世界にはならず、ガヴローシュという味方を付けた。現段階で知識はないが、Wikipediaを見るに、原作に実在する長子のもよう。やはり小説を読まないとなぁ。ファンティーヌサイドに動きは無し。マドレーヌ氏サイドとして、シスター・サンプリス登場。「私は絶対に嘘はつきません!」という辺り、強力な伏線になっている。その辺までは辛うじて原作を読んでいるので楽しい。ミリエル氏が亡くなった。原作の第一部第一章を何度も挫折しながらも読み切った自分としては、そのあまりにも呆気ない登場の仕方に嘆息を禁じ得ない。まあ、コゼットとの直接的な繋がりがまったくない(と思う)キャラなので仕方ない。
2007/01/22第3話『新しい友だちシュシュ』
始まった。世界名作劇場の悪しき伝統。原作には存在しない動物を出す。ただ出すだけじゃない。本来どう考えても飼うのが無理だろうという状況で登場する不自然な動物たち。例えば『ルーシー』のモッシュや『ポリアンナ』のチップマックはいいが、雇われの身である『カトリ』のアベルや、煙突掃除夫の『ロミオ』のピッコロは不自然。今にも行き倒れになりそうな『ペリーヌ』のバロンも微妙。今回のシュシュは名作劇場史上、もっとも不自然と言って過言ではない。コゼットがあの状況で動物を飼うのは有り得ないし、どんな形であれあの夫婦がそれを認めるのも信じられない。「子供向け」を勘違いしているとしか思えない。本当に子供向けにしたければ、コゼットが箒で叩かれるシーンを描くのはどうかと思う。しかし本来そっちが原作に忠実なので、そもそも『レ・ミゼラブル』が子供向けアニメの題材としてどうなのか、という問題になる。個人的には『セーラ』に代表されるように、そういう痛い部分も原作に忠実でこその世界名作劇場だと思うので、余計なところで意味不明な動物を出すのはやめてほしい。別に原作をアレンジするなと言っているわけではなく(『ペリーヌ』や『ルーシー』のアレンジは傑作)、有り得ないことはして欲しくないということ。だらだら書いたからちょっと文章が変かも。まあいいや。何かリアルタイムの感想ということで、今までになく読者の目を気にしてしまう。そんなわけで今回は総じてどうでもよく、せいぜいコゼットが叩かれるシーンに嗜虐的な萌えを感じたくらいである。ああ、ジャヴェールが出てきた。こちらも、あの生真面目な男がいきなり市長に向かってあんなことを言うとは考えられないが、それくらいは目をつぶろう。#原作は2巻P114まで読んだ。まだヴァルジャンとコゼットは出会っていない。

※新潮の2巻を読んでいたら、195ページに「彼女は犬を愛したが、その犬も死んでしまった」という極めて短い一文があった。まさかこれ!? えー。悪しき慣習ではなく、本当にこの一文で登場させたのなら、この1.5KBの文章はごめんなさいとしか言いようがない。(2007/01/29追記)
2007/01/29第4話『お母さんの手紙』
テラヨス! くおぉぉっ! 面白かった! とりあえず今回見ていて、このアニメの何がこうも笑えるのかわかった。コゼットの話し方がなんか変だ。可笑しい。ものすごく淡々としていながら可愛らしく、どこかお姉さんぶりつつ、怯えながらも反抗的で、独特の味わいの中にまろやかで深みのある焼酎だ。黒のいざないだ。トロンと一緒にいたエポニーヌが可愛かった。この子、本質的には「善」に属していて、コゼットと接するときだけ「悪」になるのではないのか? 本はまだそこまで読んでいないが、後にマリユスをかばって死ぬことを知っている。どんな感じかは知らないが、マリユスはコゼットのことが好きなわけで。今のエポニーヌはきっと将来を予見して、無意識にコゼットに冷たくしているのだろう。いや、そんなことはないだろうが。草を千切って渡したコゼット萌え。今までのエポニーヌの言動からしたら、あんなことされたらあの場でコゼットを引っ叩いてやっても不思議ではないのだが。あの時のコゼットもものすごく淡々としている。その後だったかどこかでため息をついていた時も同じ印象。後は学校からの帰り道で、ちょっとテンション高めのコゼットも大萌え。俺が神父さんなら、後ろ向きにぶつかってきたそのまま抱き上げて拉致して育てるね。ラストの手紙の中に自分の名前を見つけて喜んでいるコゼットも萌え。ぷに。ファンティーヌサイドでは、ファンティーヌを誘った女の子(女性?)が素朴な感じで可愛かった。俺と飲みに行こう。君の金で(ぉぃ)。最後にフォーシュルヴァンが死んだ。いや、死んでないが。悪人面のいかにも悪人という感じの人物だが、きっとこの事件で改心するのだろう。いつかコゼットを助けてやってくれ。#原作は2巻P195まで読んだ。やっとコゼットを引き取った。
2007/02/05第5話『ジャヴェールの疑惑』
全般的にコゼットサイドに暗雲が立ち込める回だな。ジャヴェールはもう完全にマドレーヌ市長を疑っている様子。というか、確信しているので、後は証拠を集めるという段階か。ファンティーヌはいよいよ雲行きが怪しくなってきた。なんていうか、最初からもう少し上手に下々の者と交わっていれば良かったのではないかと思うが。金を使わない範囲でも、上手に出来ただろうに。まあでも、関われば過去を知られる可能性も高いか。どっちにしろバレる運命かな。コゼットは相変わらず。ため息のつき方が、「やれやれしょうがないなぁ、この大人の人たちは」みたいな感じで可笑しい。シュシュはなんだかいつの間にか公認になっているな。エポニーヌは嫉妬心から他愛もない嘘をつく。まあ、エポニーヌは子供だからしょうがないとして、それをまったく何の証拠もなく信じる母親が大問題だ。それでもアニメのコゼットは、原作のコゼットと比べると随分平気そう。きっとちらほらと味方がいるからだろう。あまり怯えた様子もないし、「やれやれしょうがない人たちだなぁ」みたいな感じだし。まあ、原作みたいにほとんど何も喋らない子ではアニメにならないが。テナルディエが客にちらっと昔の話をしていた。かなり誇張されてはいたが、ここは重要な部分だな。そういえば、フォーシュルヴァンの庭師の話も物語的には大切。再会を楽しみにしよう。#原作は2巻P237まで読んだ。ちょうどその二人の再会シーン。
2007/02/13第6話『コゼットの誕生日』
昨日は更新できなくてすんまそん。三連休を利用してカンボジアの方に旅行に行ってました。嘘つきました。ごめんなさいなの。懺悔します、シスター・サンプリス。さて、ファンティーヌがいよいよ働けなくなって落ちぶれてしまった。あの嫉妬深い女もむかつくが、工場長だっけ? あのおばさん、とてもマドレーヌ氏の下で働いている人間とは思えない。俺、融通の利かない、頭の固い人間って嫌いなんだよね。ジャヴェールとかもその類だが。可哀想なファンティーヌ。前にも書いたか書かなかったが、俺はこの物語の主要キャラの中で、ファンティーヌが最も不幸だと思っているから。人妻にはまったく興味ないのだが、ファンティーヌに限ってはコゼットとまとめて俺が養おうじゃないか。ちょ、ちょっと給料は厳しいが……。ところでなんでファンティーヌに子供がいるのか、あるいはどうして父親がいないのか、原作を知らない人には不思議だろうが、1巻の3章にその辺りのことが詳しく書かれている。感情的にはむかつく話なのだが、物語的にはなかなか興味深い。4対4のピクニックの話とか、番外編として映像化してくれないだろうか。閑話休題。ファンティーヌが俺と再婚する話に戻すが(そんな話はしていない)、俺は結婚に関しては処女にしか興味がないのだが(←爆弾発言)、まあファンティーヌはトロミエス(精子の出元)に騙されたようなものなので、そこは特別に目をつむろう。トロミエスは読めば読むほど外見がひどいのだが、コゼットは100%ファンティーヌの純血のようで、とても美しい。これはいい情報だ。きっと俺との子供であっても、ファンティーヌはコゼットのような愛くるしい子供を産んでくれるに違いない。そうしたら俺は、テナルディエのおかみさんがエポニーヌを愛するように溺愛しよう。男が産まれたら? その時はガヴローシュのように放置プレ……_| ̄|○ 書いてて俺はダメな人間のような気がしてきた。#原作は2巻P284まで読んだ。修道院の話は斜め読み。
2007/02/20第7話『迷子のエポニーヌ』
昨日は更新できなくてすんまそん。娘が熱を出して病院に連れて行ってました。嘘つきました。ごめんなさいなの。土日の疲れが出るのか、どうも月曜の夜は体調が悪くて。さて、今回の感想だが、とにかくエポニーヌ萌え。村を出たことがないエポニーヌが旅人の話でパリに憧れる。俺の好きなシチュエーションの一つだな。前にも書いたが、やっぱりこの子はコゼットが絡まなければ結構可愛いんじゃないかと思う。迷子になっていたエポニーヌもなかなか良い。ところでガヴローシュがさらっと言っていたが、あの暗くて不気味な森が水を汲む道のりなのだ。コゼットはいつもあの道を一人で水を汲みに行っている。原作通り行けば、これはヴァルジャンとの出会いの伏線になっているはずなので、みんなしっかり覚えておくように。いや、なってないかもしれないが。コゼットは相変わらず淡々としていて笑える。原作にはないが、実際にああして旅人から優しくしてもらったことはあるかもしれない。もっとも、コゼットが善意を受けると、おかみさんたちはそれを快く思わないので、後から余計に辛い思いをする可能性が高いのだが。でも俺が旅人で、金にゆとりがあれば、やっぱりコゼットを何でもいいから喜ばせてあげたくなるだろうな。ファンティーヌはいよいよアパートを追い出された。予告で「助けてやってくれ」と言っていたが、できるならそうしてあげたいさ。悲惨だな。本当に可哀想だ。ちまちま救いがあるコゼットに比べて、絶望的なファンティーヌは見ていてとても辛い。#原作は2巻P378まで読んだ。ヴァルジャンとコゼットが修道院に忍び込み、そこから出る一連の流れはとてもハラハラする。棺の話とかちょっと不気味かもしれないが、是非そのままアニメ化してほしい。
2007/02/26第8話『お母さんのスカート』
うわもう、見てらんない。文章で読んでいたときは、自分の貧相な想像力のおかげで、もしくは意図的に情景を想像することをしないようにできたが、映像は悲惨な現実をリアルに突き付けてくる。これ、ショックだろう。前にコゼットが箒で叩かれるシーンを割愛していたが、そんなものの比じゃないだろ。さすがに売春婦云々は原作に沿わなかったが、それでも十分痛い。咳をしていたが、その咳が本当にやばそうで、なんかもうじき出番を失う声優さんの迫真の演技という感じだった。予告を見る限り次回でマドレーヌ氏の庇護下に置かれるようだが、どう考えてももう遅い。ちなみに全体として一番どうかと思うのは、わざわざマドレーヌ氏に救いを求めに来たファンティーヌを追い出したアランだと思うのだがどうか。やはり原作にない人物を出すと無理が生じる。例えその日に都合が悪くても、用件を聞くなり住所を尋ねるなり、方法はあったはず。今回のパンを配っていたシーンも、「追いかけろよ、お前」と思った。所詮盗人のガキは、偉くなっても本質的にはダメ人間なのだという子供たちへのメッセージ? だから子供の内からちゃんとしなさいということか、それともダメなヤツはダメだと、格差社会の現実を突き付けているのか。まあ、他にもどうにもならん連中はいるがね。ただ原作通りだとしょうがないかという気にもなるが、マドレーヌ氏サイドに融通の利かないオリジナルキャラを増やしてどうするんだよ。工場長だけで十分じゃん。くそぅ。ファンティーヌがあまりにも哀れでたまらん。ちなみにコゼットだが、今回極めて珍しく感情を剥き出しにして怒鳴っていた。萌えた。日頃の淡々としたコゼットとのギャップが激しい。そのギャップが良い。きっと仕送りがなくなって追い出されて嫌な咳をし始めてマッチを売ったりするんだろうな。可哀想に。#原作は3巻P86まで読んだ。会社で昼飯を食いながら毎日読むと、順調に進む。もっとも、相変わらずT夫人のサロンの話とかは流し読みだが。
2007/03/05第9話『テナルディエの悪だくみ』
とりあえず、ファンティーヌは救われた。とても一時的かもしれないが、苦しみから解放されたのだ。良かった良かった。テナルディエはさすがは生粋の悪人。上手に切り抜けた上、さらに金を要求するとは。しかし、工場長もあんなことを言われたら200フラン置いてくる必要はなかったのに。コゼットはバラ色の頬で丸々していてとても健康そうだったし、敢えて手放そうとしなかったのだから、疑われてなお支払う必要があったとは思えない。ジャヴェールはいい味出ていたなぁ。俺は原作を知っているからいいが、アニメだけの人はいまいちジャン・ヴァルジャンの影が薄いから、何がなんだかよくわからなかったのではないかな? そうでもないかな? コゼットは相変わらず可哀想な扱いを受けていたが、病気にはなっていないようだ。すごいなぁ。ただ、次回予告でバタッと倒れていたのが気になるところ。あれか。場所は違えど死ぬときは同じ、母子仲良く昇天? それはそれで美しい物語だな。一面の空をバックに、透けるファンティーヌとコゼット。「やっと会えたね、お母さん!」「コゼット……わたしのコゼット!」みたいな。全13話。ちょうど1クールだな。#原作は3巻P174まで読んだ。正直フランスの歴史とか詳しくないので、俺には難しい。心情や主義には踏み込まず、マリユスの行動だけ追いかけている。
2007/03/12第10話『迷いのマドレーヌ』
うむ。子供向けのアニメで、あの『レ・ミゼラブル』の難しいマドレーヌの悩みをどう表現するか、期待より不安が大きかったが、実に見事に描けていたと思う。もっとも、子供には難しかったと思うが、子供の頃にはわからなくても、大人になってからわかればそれでいい。年齢によって見える世界は異なる。アニメもそれでいいんじゃないかな? ちなみにミリエル氏の回想はやっぱり唐突な印象。まあこればかりはしょうがないな。今回のコゼットフェーズは完全におまけだと見ていいだろう。ただ、味方として存在した神父さんを追い出した。とりあえず、コゼットの力になってくれてありがとう。もうじき強い味方が行くので、何も心配せずに次の街へ行ってください。ファンティーヌはいよいよ次回が最期のようだな。1話の感想で一桁の内に逝きそうだと書いたが、辛うじて二桁保った。よく頑張った。可愛いコゼットは俺が面倒を見るので、何も心配せずに次の世界へ行ってください。#原作は3巻P204まで読んだ。この一週間で進んだのは第六章だけだが、マリユスとコゼットが出会う第六章は読み応えがある。コゼットを嫁にし、しかもヴァルジャンを遠ざけるマリユスをあまり好きではなかったが、この章のマリユスは本当に純情で、ストーカーっぽくて実に良かった。わかるよ、君の気持ち。
2007/03/21第11話『サンプリスの嘘』
ちょいと仕事が忙しくて遅くなってしまった。とうとうファンティーヌが逝った。何かこう、とても呆気なかった。ああ、そうか。ペリーヌの時とは違い、コゼットがそこにいなかったから。ずっと言っているが、作中の主要キャラで最も不幸な人だと思っている。原作ではトロミエスといて、騙されるまでは幸福だったかもしれない。だがアニメはすでにコゼットのいる場面から始まっており、彼女が幸福だったことがわずかでもあったろうかと思う。無念だ。シスター・サンプリス萌え。一体いくつなんだろう。若いのだろうか。ちなみに原作では、「サンプリスの年齢は誰にもわからなかった。彼女はこれまでに若かったことがなく、決して年を取ることもないらしいように見えた」とある。少なくとも若くはなさそうだが、アニメでは20歳ちょっとに見える。ただ、やはりあのジャヴェールが敬意を表するほどの人なのだから、あまり若くはなかろう。「萌え!」とかの対象ではないかも。次回の冒頭はともかく、もう二度と見ることはないかもしれないな。シュシュがまだ生きているが、まさかずっとついてくる気か? さすがに無理だと思うから、そろそろ悲しい別れを。あるいは、ガヴローシュに預けるか。ガヴローシュはどうするのかな。今のところコゼットにべったりだが。後2回以内にヴァルジャンとコゼットが出会う気がする。シュシュとガヴローシュの動向には注意だ。ちなみに原作2巻の内容は、アニメにするとあっという間の悪寒。頑張って原作を読み進めているが、3巻でコゼットが(主役としては)登場しないことも考えると、じきに抜かれそうな気がする。その原作は現在4巻の数ページ。どの巻も最初の章は読むのが大変だったが、この巻も例外ではない。つらい。
2007/03/28第12話『ひとりぼっちのコゼット』
あ……コゼット……可愛い♪ ちょっと、森での怯えから、おっさん登場による安堵の流れが大萌えじゃん? それにしてもこのおじさん誰なんだろう。いきなりこんな真っ暗な森の中に現れて、怪しいことこの上ない。コゼット、こんな危ない人について行っちゃダメだ。俺が養ってやるから! さあ、おにーさん(俺のことだ!)の膝の上においで。さあ……ぐぶぶぶぶ(ゴルゴナ)。コゼット可愛いなぁ。いいなぁ。なんか、『セーラ』見てた時に猛烈に感じた「養いたい」という欲求が込み上げてきたよ。あー、嫁は要らないから娘が欲しい。サンプリスとアルアラン(それは馬)はもう出てこないかな。ヴァルジャンを助けた村人Aナイスだ。最初は悪者かと思った。顔つき悪すぎ。ガヴローシュとシュシュは上手に切り離したな。しかし流れからすればコゼットは「連れて行きたい」と言うはず。どうする、ヴァルジャン。そういえば今回、最後の方のコゼットの顔がちょっと崩れていた気がする。気のせいかな? いつもより可愛かった気がするのと崩れていた気がするのと、二つの相反する感覚が入り交じっていた。#原作はこの一週間、まったく読んでいない。4巻の最初の方、正直つらい……。
2007/04/02第13話『ジャン・ヴァルジャンとコゼット』
昨日体調を崩し、一日中寝ていた関係で、珍しく体調が「普通」の月曜日。月曜日にコゼットを見るのは久しぶりだ。今回はほとんど原作通りの物語。ただ、結局テナルディエに1フランも渡さなかったが。まあ、あれだけコゼットに冷たくしてきた夫婦が1,500フランもの大金を受け取るのは、子供に悪人が得をするような印象を与えて良くないとの配慮だろう。違うかもしれないが。ただ『レ・ミゼラブル』は勧善懲悪の話ではないから、そこがまた微妙。今は「敵」に見えるテナルディエも最後の最後にヴァルジャンとコゼットを引き合わせるのに一役買うし、エポニーヌは一説にはコゼットよりもファンが多いらしく、今後そう思わせるような登場をする。エポニーヌはどう変わっていくのだろう。一通り流れは知っているが、原作をそこまで読み進めていないので詳細は知らない。楽しみだ。ところで今回コゼットがヴァルジャンの傘下に下ったが(表現が変)、恐らくこれをもってコゼットの不幸は終わりだろう。ヴァルジャンの不幸は物語の最後の最後まで続くが、俺の知りうる限りではコゼットはこれで終わりのはず。『少女コゼット』は『小公女セーラ』や『フランダースの犬』、『ロミオの青い空』や『ペリーヌ物語』に分類される「主人公苦労型」ではない。何に近いのだろう。『トラップ一家物語』や『ポリアンナ物語』、『若草物語』のような「家族愛ホーム型」でもないし。新しいジャンルかな。そういえばガヴローシュとシュシュは上手に切り離したね。やはりコゼットは一緒に連れて行くと言ったし、ヴァルジャンが一緒に行こうと言うのも自然。彼らの自発的な拒否に期待したが、文句のない別れ方だった。
2007/04/09第14話『二人きりの旅』
はぅ〜ん。コゼット萌え。いいなぁ。俺の「娘が欲しい」という欲求をとても満たしてくれる話だった。ヴァルジャン、ウラヤマシス。やはり時代は娘だ。嫁はいいから、俺もこんな娘が欲しいなぁ。俺なら添い寝するね。添い寝。一緒にお風呂も入るね。身体洗っちゃうね。洗ってもらっちゃうね。嗅いで、舐めるね。幸せだ。幸せはあるよ、ここにあるよ。そういえばついにコゼットは母親が死んでしまったことを知ってしまった。意外に冷静だった。勘付いていたようには見えなかったが。だから黒い服だったんだね。ピンクのドレスのコゼットも見てみたかったが、しょうがないな。#原作はまったく読んでいない。正直、4巻の第一章で挫折しそうな気すらしてきた。
2007/04/17第15話『二人の絆』
おおっ。萌える話だった。途中でヴァルジャンがコゼットの幸せについて考えていたが、俺も激しく同意である。実際に勘のいいコゼットはヴァルジャンが警察が嫌いと言うことを察知していて、すでに人目をはばかるようになっているし、どう考えても今の逃避行は教育的ではない。ヴァルジャンは「信用のおける誰か」を探していた。そこで俺だ。俺がコゼットを引き取るから、ヴァルジャンは安心してジャヴェールから逃げ続けてくれ。なに、テナルディエのように養育費を払えと言ったりはしないから。大丈夫。コゼット一人なら俺の収入でもなんとかやっていける。それにしても今回のコゼットは萌えだった。みんないなくなっていく辺りがとても良い。みんないなくなっていく。そのシチュエーションが素敵だ。カトリーヌは川に落ち、おじさんはコゼットの目の前で捕縛され、見知らぬ街で完全に一人ぼっちでどこかの小公女状態になってしまったコゼット。そこで街の住民として俺の登場だな。なに? 一人ぼっちなのかい? お父さんもお母さんもいないのかい? 可愛いねぇ、名前は? もう大丈夫だ、おじさんがついてるからね。げっへっへっ。漁夫の利だな。#原作は4巻P87まで読んだ。ほとんど流し読みで第一章を読み終え、第二章エポニーヌも読破。ただ、登場人物が多くて整理ができていない。コゼットとヴァルジャン、ジャヴェール、エポニーヌとテナルディエら、2巻までのメンバー+マリユスだけ追いかけてもいいが、せっかくなのでABCの友のメンバーの動きなども把握したいところ。
2007/04/24第16話『パリのゴルボー屋敷』
久々に萌え汁が色々なところから滲み出た。「お父さん」だよ。原作では確かコゼットは自然にそう呼んでいたはずだが、アニメではヴァルジャンがそう呼ぶよう頼んだぞ? すげぇな、俺も言ってみたい。「コゼット、これからは俺をお父さんと呼ぶんだ」「はい、お父さん」「も、もっとだコゼット」「お父さん?」「もっとだ! ハァハァ」「…………」なんかコゼットの絵柄が開始当初より可愛くなった気がする。年齢が上がってきて、顔立ちが整ってきたのかな? いいなぁ。早く12、3歳になったコゼットを見てみたいものだ。その頃にはもう色々な勉強は完了して、「お父さん、私は今日は××しなくていいんですか?」「ああ、今日はいいよ」「じゃあ、△△しましょうか?」みたいな……ハァハァ。「△△してくれ」「はい、お父さん」リュクサンブール公園。コゼットとマリユスが出会う公園。因縁の公園だな。コゼットを取られるのはシャクだが、しかし自分の方が先に死に、その後コゼットが一人きりというのも可哀想な気がする。しょうがない。せいぜいマリユスに取られる前に、たくさん△△してもらおう。
2007/05/04第17話『迫り来るジャヴェール』
ちょっと旅行したり、体調を崩していて更新が遅れました。つか、今も鼻水が止まらない状況であります、大佐。コゼットの「お父さん」もすっかり定着したなぁ。連呼が心地よい。なんて可愛いんだ。ものすごく従順で、礼儀正しくて萌える。希有な存在だ。俺にくれ。ジャヴェールに追いつかれる直前、本を読んでいたコゼットがまた一段と可愛かった。青い魔女と白い魔女の話だったと思うが、一体どんな話だったのだろう。ちなみにあの不安げに本を読み続けていたコゼットが萌えた。義父がドアに張り付いて外を窺っている状況で、続けて読めと言われてもねぇ。そして逃げる逃げる。コゼットの不安そうなこと。やっぱり今の生活はコゼットの教育上良くないと思う。コゼットは俺がもらいうけた方がいいのではなかろうか。なに、養育費とかは要らないから。俺がなんとかする。次回はとうとうヴァルジャンが捕まってしまうな。コゼットは何も罪を犯してないから釈放されるだろう。その後どうなるのか。身よりもなく、大都会パリに放り出された幼い娘。萌えだな。助けてくれそうな登場人物がいないから、新キャラとして俺が作中に登場しようじゃないか。
2007/05/07第18話『忘れていた再会』
あまり意識して見たことはないが、今回も原画マンが何人かいるのかな? 今回のコゼットはあまり可愛くなかった。絵柄の話。中身はいつも通り萌え萌えだが。「一人にしないで」だか「一人はイヤ」だか忘れたが、あれは萌えたなぁ。ヴァルジャンはひどいやつだ。まあ、そんなヴァルジャンも、次回で棺桶ごと地面に埋められて死んでしまうから、いよいよコゼットは一人ぼっちだな。ただ、前回は大都会パリに放り出されるシチュエーションだったが、今回は修道院の中にいるので、一応野垂れ死ぬことはないだろう。その前に俺が引き取りたかったが、ジャヴェールですら手を出せない修道院。俺ごときでは手も足も出ないぜ。それにしてもラストのコゼットはよかった。大人二人が棺桶がどうのとか話していれば、それはそれは怖いだろう。いいのか悪いのか、幼少の頃から怖い目にたくさん遭ってきたコゼットだから割と平気でいられるのではなかろうか。ところでちょっと気になったのだが、今回フォーシュルヴァンがヴァルジャンのことをコゼットの前でも「マドレーヌさん」と呼んでいたが、これをコゼットはどう捉えたのか興味深い。今のところコゼットはヴァルジャンの名前は知らないはず。これはアニメだけではなく、読み返してみたら小説でもフォーシュルヴァンはコゼットの前で「マドレーヌさん」と呼んでいた。小説はまだ最後まで読んでいないが、断片的な情報では、ラストでマリユスがヴァルジャンがマドレーヌ市長と同一人物だと知って驚くことになっている。この時、コゼットはそれを知っていた? あるいは一致しなかったか、ヴァルジャンがここで庭師の老人に「マドレーヌ」と呼ばれていたことはすぐに忘れてしまうのか。
2007/05/15第19話『預けられたコゼット』
とうとうヴァルジャンは墓に埋められ、コゼットは果物屋に預けられた。みなさん、こんにちわ。果物屋の水原です。今日コゼットという可愛い小さな女の子がうちの店にやってきました。親を亡くし、養父も埋められ、身寄りを失くした可哀想な女の子です。私が大切に育てようと思います。ほら、ここを触ってごらん。墓場のシーンは原作通りなかなかハラハラさせてもらった。いい感じだ。次回予告でも言っていたが、次に二人はどうやってあの外側を厳重に見張られている修道院に戻るのだろう。まあ、予告を見る限り捕まることなく入れたようだが、楽しみだ。コゼットは今回は怯えまくっていたな。可愛い可愛い。そんなに震えないで。ほら、ここをギュッと握ればもう怖いの怖いの飛んでいくよ。ほら、ここをギュッと。
2007/05/22第20話『修道院の日々』
おおぅ。なんていうかこう、『エコール』みたいだった。塀の中、少女たちだけの生活、外への憧れ。フルートの話は思ったより長く引っ張ったが、まあ塀の中の生活を伝えるのにいいエピソードだったと思う。ちなみにこのフルートの話は原作にもあるもので、2巻でコゼットが修道院に入るより前の箇所で語られている。タイトルと前回の次回予告からして、少しの間話が遅々として進まないかと思ったら、全然そんなことはなかった。そんなのんびりする余裕があるほど短い原作ではない。まずはパトロン・ミネットというキーワードが登場した。パトロン・ミネットの話は3巻の第七章で語られ、その後ちょくちょく登場するのだが、どうもこの辺り記憶にない。モンパルナスという人名は4巻でもちらほら出て来るが、読んでいて今の今までパトロン・ミネットの一味だということすら忘れていた。名劇を原作との違いという観点で見ている俺としては、この辺り復習しておく必要がありそうだ。そして、5年が過ぎた。飛んだ。マリユス登場。話が一気に進展した。3巻の後半と4巻の前半は視点が違うだけでほとんど同時期の話であるため、もはや追いつかれるのも時間の問題だ。コゼットは成長し、母親を彷彿させる容姿になったが、あまり可愛くない。なんていうか、原画があまり上手ではない気がする。今風にしたのなら、今時のクオリティで世に出して欲しかったし、あまり可愛くないのであれば、昔ながらの絵柄でやってほしかったかも。#原作は4巻P214まで読んだ。なんていうか、全然記憶に残らない。一度3巻の後半辺りから登場人物をまとめた方がいいかもしれない。
2007/05/28第21話『マリウス・ポンメルシー』
■コゼット。やっぱりあまり可愛くない。なんだろう。あの頭巾みたいなのを取れば可愛いのだろうか。前回も思ったが、修道院の他の女の子たちは外見がほとんど変化していないのに、コゼットだけ妙に大人になった感じ。しかも声はまったく変わっていない違和感。なんだか微妙だ。この先は萌え無しで見なくてはいけないかも。■フォーシュルヴァン。なんだか生き続けそう。原作ではヴァルジャンはフォーシュルヴァンの死をきっかけにして外に出るがどうなるか。ただ、今読み返してみたら、決心が先なので、やっぱり行くかも。登場時とは打って変わっていいキャラになったので惜しい。■マドレーヌ氏。老けたなぁ。原作に「二人のうち、より不幸なのはジャン・ヴァルジャンだった」とあり、その理由は要するにコゼットは若いからだが、老人というのはそれだけでどこか哀愁が漂う。この先さらにいくつかの苦しみに遭うことになるが、老人を苦しませるのは人間として本能的に辛い。■マリウス。原作のマリユスという呼び方に慣れているので、ちょっと違和感があるが、まあマリウス。時々間違えるかもしれないが許され。いきなり登場していきなり父親が死亡。祖父と父親はいさかい合い、挙げ句マリウスは追い出される。俺は事情を知っているので別にいいが、これは何も知らない視聴者にはさっぱりなのではなかろうか。もっとも、さっぱりでも問題ないのだろうが。熱血漢だが厳格。苦手なタイプだ。■ジルノルマン氏。嫌いなキャラの内の一人。こういう老人は別にどうなろうと何とも思わない。興味もない。■クールフェラック。ABCの友という集まりの一員でマリウスの友人になる人物だが(アニメではあのシーンで友人になった)、3巻のこの辺りはもはや朦朧とした意識の中で読んでいたので、すでにABCの会がどういうものだったかも朧気。前回のパトロン・ミネット同様、この辺の登場人物は記憶に薄い。■マブーフ。何度か原作の中で名前を見かけたが、マリウスとの関係はさっぱり覚えていない。4巻をピラピラめくっていたら、エポニーヌの章で名前が出てきた。とにかくマリウスの数少ない友人の一人のようだ。■テナルディエ一家。すっかり落ちぶれてしまった。エポニーヌとアゼルマの姿を見られなかったのが残念。次回に期待したい。特にエポニーヌ。幼い頃のコゼットも痩せてはいたが可愛く描かれていたように、エポニーヌも貧乏でも綺麗に描かれているいいが。
2007/06/04第22話『それぞれの旅立ち』
「街で暮らそう」が「マジで暮らそう」に聞こえた。俺もコゼットに言ってみたいものだ。「マジで暮らそう」さて、ガヴローシュが再登場したが、外見がほとんど何も変わっていない。いや、実はまったく何も変わっていないように見えた。修道院の仲間たちも出会ったときとほとんど何も変わっていない話をしたが、みんなコゼットと違う時の流れを生きているようだ。エポニーヌの登場が待ち遠しい。マリウスは貧乏への道を辿り始めた。いいことだ。さんざん苦労してきたコゼットの旦那になるには、やはりそれなりの苦労を知らないと。ずっと恵まれてきた人間が、そのままコゼットまでゲットするなんて許されていいはずがない。俺? 俺はだいぶ前からロリコン病を煩って苦労しているから、今のままでも十分コゼットを嫁にする資格があるぞ? 女子中高生を見ると反応せずにはいられないのは結構大変。すでに客先でも「水原は女子中高生好き」というのが広まってしまった。人生もうダメぽ。フォーシュルヴァンは死去し、いよいよコゼットたちは外の世界に。庭師がいなくなった修道院は木々が伸び放題に伸び、ますますエコールの世界へようこそ。
2007/06/11第23話『パリの空の下で』
エポニーヌキタ――――――――(゚∀゚)――――――――ッ!! なるほど、もうすでにコゼットより人気が出るのがわかる気がする。世界名作劇場って、不幸な子供が主人公の作品だろ?w 確かに幼少期はコゼットが主役だったかもしれないが、ここから先はエポニーヌの時代だ。マリユスなんてやめておけよ。あいつは金髪の女の子が好きなんだ。俺にはちょっとだけ未来を予見する能力があるからわかる。間違いない。しかし絵的に可愛いのはアゼルマかな。まあアゼルマは最後まで生き延びるからどうでもいいや。エポニーヌは今の内から救いの手を差し伸ばさないと不幸なことになる。ああ、未来がわかる。俺がなんとかしてあげないと。さあほら、早くこれにつかまって。これに! 強く握って! コゼットは幸せそうだ。もう特にこの子に関しては何もない。原作は4巻途中で止まっているが、ここから先はヴァルジャンとマリユス、そしてテナルディエとエポニーヌの物語という印象。コゼットが自発的に何かすることはあるのだろうか。
2007/06/19第24話『リュクサンブールの出会い』
ういうい。ちょっとATOKが不審な挙動をしていて、使い慣れないIMEで書いているので、短めで。挙動不審と言うと、マリウスの動きがかなり不審。俺なら通報するね。まあ、ヴァルジャンは警察に近寄れない身なのであれだが。コゼットはすっかり恋する娘。今「コゼット」が変換できなくてしょんぼり。ATOKが覚えたものをIMEも同時に覚えてくれたらいいのに。記憶の中で小さいコゼットが再登場したが(花の方)、すごく可愛かった。子供はいつか成長してしまう。悲しいことだ。春が来て、ずっと春ならいいのに。ヒロインはやっぱりほんのわずかの登場。報われない恋をしている。わかるよ、その気持ち。片想い。俺は片想い王子だからな。今「王子」が流行りなのでちょっと使ってみた。元は監禁王子からだと思うが、ハンカチ王子だのハニカミ王子だの色々出てきている。共感できるエポニーヌを応援したい。#原作は4巻P400まで読んだ。将軍の死、葬式から反乱だか暴動が起こる流れは、正直不勉強な俺にはよくわからない。ともあれ、もうじきエポニーヌが逝く。
2007/06/25第25話『届かぬ思い』
率直なところ、あんまり面白くなくなってきた。いや、やはりどうしても「世界名作劇場である」という目で見てしまうわけで、そうなった時にこの作品は登場人物の年齢があまりにも高い。もちろん『トラップ一家物語』も主人公の年齢は高かったが、登場人物の大半が子供だった。まあ、実際コゼットはそれほど年齢は高くないのだが、絵柄はもう立派な女性だし。あと、恋愛一辺倒なところも微妙。正直テナルディエとエポニーヌを見ている方が、コゼットとマリウスを見ているより100倍くらい面白い。今回のマリウスは男として共感できる部分もあるが、はっきり言ってストーカー。気味が悪いと思う。元々あまり好きなキャラではないし、コゼットがあの男のものになるのも嫌だし、エポニーヌがあの男になびいているのもいただけない。エポニーヌは相変わらず素敵だった。途中の泣いていたシーンや、ラストの警笛に怯えていた姿が萌える。まだ間に合う。俺にくれ。ちょっと年齢は高いが俺が養う。そういえばそろそろオープニングの絵を変えて欲しいところ。確か名作劇場って最後までずっと同じだった気がするが、この作品に関しては特に大人ヴァージョンに変えた方がいいと思う。次で半分。27話のオープニングに期待したい。
2007/07/02第26話『パリのすれちがい』
なんていうか、一目惚れの女性に勝手にユルシュールとか根拠もなく名前をつけて、その名前を大声で呼びながら駆けるマリウスには正直ドン引き。中二病ここに極まった予感。あの姿を見れば、コゼットも百年の恋も冷めるだろうよ。いや、恋に疎いコゼットのことだから、むしろ感動したり。もう勝手にやってくれという感じだ。コゼットもマリウスのことしか頭にないご様子。ちょっとヴァルジャンが哀れだ。エポニーヌも含めてテナルディエ一家の動向が楽しみだったのだが、今回は出番はほとんど皆無に等しかった。残念。ガヴローシュは正直興味がないのでどうでもよし。なんか外見的にも全然成長していないし。
2007/07/10第27話『飛び出した女の子』
なんだこりゃ。まあいいが。ちょうど半分のここで本編と関係ない話を持ってきたのは、これから物語を大きく動かすってことかな? 「母さんは、あたしを捨てたんだ!」「え……ひどい母親だなぁ!」がテラワロッシュ。なんだそれ。マリウス、単純すぎるぜ。今回はテナルディエとガヴローシュのやりとりが一番面白かった。やっぱりこういう自分の意思で動いている連中を見ている方が面白い。コゼットはもうダメだ。元々原作も、全編通してほとんど自発的に行動していないし、この子はヒロインであっても主人公では決してない。#原作はとうとうエポニーヌが死んだ。「ああ、わたしは仕合わせだ! みんな死んでゆくわ!」と「それから、ねえ、マリユスさん、わたし、あなたをいくらか恋してたんだわ」が印象的。みんな死んでゆくこの物語、アニメは一体どう持って行くつもりなのか。殺せば子供向けのアニメとしてどうかということになり、変えれば『レ・ミゼラブル』としてどうかということになる。つまりは、世界名作劇場としてこの作品を取り上げたのがミスだったのではないかと、最後まで見て思ったら書こうと思うので、ここにメモを残しておく。
2007/07/16第28話『拾われた手紙』
うむ! やはり一気に話を進めてきた。今回はめちゃめちゃ面白かった。エポニーヌの出番が多くてとても良い。文字が書ける話で、「警察官が来る」とか書くところがまた萌える。たぶんもう、ずっとこういう生活をしていて、知性も随分減退してしまったのだろうな。今回ちょっと昔のなつかしい絵が出てきたが、もうすっかり過去のことだ。身売りとかしていない分、まだファンチーヌよりはましなのだろう。いや、身売りを始めたら俺がエポニーヌを買い上げるよ、うん。ところでコゼットの方は相変わらず影が薄い。自我というものが欠落した印象。原作を読んでいても、男(マリユス)のことしか考えていないし、正直萎える。明らかにヒロインはエポニーヌ。俺のこのアニメへの熱意も、エポニーヌが死んでしまったら完全になくなりそうだ。今回腹が立ったのが次回予告のナレーション。テナルディエはともかく、その娘たちがあんな状況だっていうのに、どうしてああもジャンとコゼット寄りの発言ができるんだ? 「ジャンとコゼットが危ないぞ! 誰か助けて!」って、どうかと思った。エポニーヌの悲惨な状況に対する言及が一切無いが、昔コゼットをいじめた報いだから、ひもじい思いをして野垂れ死んでもいいということだろうか。原作をねじ曲げても自分を虐げてきた院長先生に大金を渡したセーラという少女を思い出して欲しい。
2007/07/24第29話『テナルディエの罠』
面白かった。大体原作通り。この辺り、物語として原作がとても秀逸。「物語として」というのは、『レ・ミゼラブル』という作品は、文学的な側面と、いかにも小説らしい物語的な側面があると思い、この辺はあまり難しいことを考えずにすらすら読める箇所。原作と違う点と言ったら、コゼットがテナルディエに気が付いたことか。もっとも、気が付いたからと言って、どうなるわけでもないが。気が付かなかった原作との大筋を変えるわけにはいかないから、やはりコゼットにできることは何もない。ここでの……いや、この先のコゼットの役割は、彼女に想いを寄せるマリウスと、彼女を養っているジャン・ヴァルジャンの原動力、ただそれだけだ。そろそろOP変えようぜ。前にも書いたと思うが、この先もうコゼットが不幸になることはない。あのOPはこれからの『レ・ミゼラブル 少女コゼット』の物語に合わない。
2007/07/31第30話『残されたコイン』
面白かった。大体原作通り。エポニーヌは捕まらなかったようだが。なんていうか、最後に連行されていくテナルディエ一家に哀愁を感じた。テナルディエがジャン・ヴァルジャンに演説していた内容は、悪人の戯言と一笑に付すにはやや重い。貧乏人の末路。悪人になるか売春婦になるか。他人に迷惑をかけるかかけないかの差は大きいが、いずれにせよ悲惨な末路。ファンティーヌを思い出す。捕まらなかったエポニーヌは、どちらかというとファンティーヌの道しか残されていないように思えるが。俺が買うよ、うん。#原作は5巻262ページまで読んだ。5巻は新版を読んでいる。場所としては怪我をして寝ているマリユスとコゼットが再会するシーン。結婚を許されて喜ぶ二人。あとはもう、ジャン・ヴァルジャンの告白とマリユスの誤解、テナルディエから語られる真実、そしてジャン・ヴァルジャンの死で終わりだな。
2007/08/06第31話『穏やかなプリュメ通り 』
ふむ。コゼットが可愛い。ああして俺も娘に優しくしてもらいたいものだ。などと書くと、まるで娘がいるみたいだが、まだその3段階くらい前。結婚していないし、する予定もないし、そもそも相手すらいないし。妄想。今回はとにかくコゼットがいいなぁと思った。しかし我が心中の龍はエポニーヌとともにあり。今回ちらっと出てきたけど、本当にもうダメな感じだ。すっかり落ちぶれて、今にもゴミとかあさって、誰かが捨てた骨にしゃぶりつきそうな感じ。いや、それはそれで萌えるが。俺が養うって、そうなる前に。そうなってしまってからだとさすがにちょっと微妙かも。そう考えると、幼いコゼットはなんだかんだと屋根があっただけまし?
2007/08/16第32話『あの日の面影 』
おおっ! ようやくヒロインがヒロインらしい頻度で登場した。そう来なくては。今回はエポニーヌを前面に押し出した話。原作と異なる2点が気になるが、まあそれはそれとして、ボロボロのエポニーヌが萌えた。帰る場所も知り合いも友達もないエポニーヌ、マジでカワイソス。俺とお友達になろう。「右は公園、左はセーヌか……」という台詞、ただの状況説明ではなかろう。「右はマリウス、左は死(自殺)」と聞こえた。結局彼女は右を選んだ。結果としてマリウスに出会えたが、彼は愛するコゼットのことばかり。なんだかなぁ。ちなみに原作と異なる2点だが、一つはエポニーヌがコゼットをコゼットとして認識したこと。まあこっちはいいや。もう一つが、エポニーヌがマリウスに自分で自分の名前を言ったこと。原作ではマリユスが唐突にエポニーヌの名前を呼んで、エポニーヌがそれを喜ぶシーンがある。それを見たかったのだが。とにかくエポニーヌが可哀想でしょうがない。
2007/08/20第33話『あきらめかけた再会』
不法侵入者とコゼットの物語。「なんてこった。僕はてっきり君のだと思って、毎日欠かさず匂いを嗅いで、頬ずりをして、君の手を思いながら、これでその、包みこんでしたりしていたのに……」完全に変態だ。コゼット、本当にこいつでいいのか? まあ幸せな人たちは放っておいて、今回はどんどん悲惨になっていくエポニーヌの回。特に一番最後の、何もない部屋で膝を抱えて座っていたエポニーヌが憐れでしょうがない。俺が養うから、おいで。今日はちょっと頭痛がひどいのでこのくらいで。
2007/08/27第34話『象の中の子供たち』
父親に内緒で若い男と夜に会っているコゼットと、エポニーヌの気持ちや状況にまったく気付きもしない無神経なマリウス。正直なところ、見ていてイライラする。お前ら少しは自重しろ。そんなわけで、喜び組の連中は放っておいて、今はテナルディエ系列の人間が旬。ガヴローシュは原作ではあまり好きなキャラではなかったが、アニメではなかなかいいキャラだ。いや、原作でもいいキャラなんだが、言葉遣いとか態度が汚くて、そこが微妙。エポニーヌはもう本格的に見ていられない。もうダメだ。いっそファンティーヌくらいまで堕ちると嗜虐心がそそられるのだが、今は中途半端だな。金はどうしているのだろう。まあ、ファンティーヌも自分が食っていくだけなら生活できたはずなので、エポニーヌは働いているようには見えないが、自分が辛うじて生きていくくらいはなんとかなっているのだろう。
2007/09/08第35話『パトロン・ミネットの脱獄』
グフ。平日5日間で残業23時間。『コゼット』見るどころか、私生活のありとあらゆることができなかった。もしも更新期待してくれていた人がいたらスマヌ。さて、物語もいよいよ佳境。佳境と言っても、まだ後15話以上ある。15話と言ったら、この物語が始まってから、ファンティーヌが死んで、コゼットがヴァルジャンに引き取られるまでと同じ分量。しかし時間軸的にはもうあまり動くまい。短い期間が濃密に描かれるはず。マリウスはいよいよ革命を決意。男の心理だね〜。愛するコゼットはきっとそんなことは望んでいないのだが、戦わなくてはいけない本能的な義務感? 俺はそんなものは持ち合わせていないがね。時代だな。テナルディエ脱出乙。一貫して悪人を通し、最後の最後でマリユス、コゼット、ヴァルジャンの橋渡しをしてくれ。俺は結構あんたが好きだ。好きというとエポニーヌ。ヒロインのくせにちょっぴりしか出てこなかった。次回以降に期待。
2007/09/10第36話『病める都・パリ』
ヒロインが健気な活躍をする回。エポニーヌ自身が自問している通り、なぜコゼットを助けたのか。マリウスのためとはいえ、コゼットへの憎しみを天秤にかけると動機が弱い気がする。つまり、原作とは違いコゼットをコゼットだと認識しているから奇妙な感じになるのだ。アゼルマは意外な展開になってきた。原作ではテナルディエと一緒に海を渡るのだが、ここで決別しそうな雰囲気。おかみも生きそうだ。ひょっとしてまさか、ちょっとはそういう可能性も考えないでもなかったが、ガヴローシュもエポニーヌもABCの友の会のメンバーも、みんな生かすつもりなんじゃなかろうか。みんな仲良く生き延びるだけがハッピーエンドじゃないぜ? 変なアレンジにならないよう願いたい。
2007/09/20第37話『マリウスの誤算』
恐らくもう、子供にはまったく理解できない話に。コゼットのためにイギリスへ渡ろうと言うジャン・ヴァルジャンと、マリウスと離れたくはないが父親には逆らえないコゼット、革命とコゼットと祖父のことでごちゃごちゃしているマリウス、それを慕うエポニーヌは昔コゼットを虐げた少女であり今なおジャン・ヴァルジャンを憎むテナルディエの娘、その弟は懸命に生きる最中にマブーフと出会い、そのマブーフはマリウスと知り合いである。テナルディエがつるんでいた連中は常に追われる身で、追ってるジャヴェールはジャン・ヴァルジャンを宿敵と見なしている。ジャン・ヴァルジャンはそれに気が付いているがそれをコゼットに言うわけにはいかない。コゼットも父親にマリウスのことは言えない。この複雑な絡み方は原作の見事さだが、理解できるのは大人以上だろうな。まあ今回はそういう「繋がり」を感じた以上にはない。次回のタイトルが『コゼットとエポニーヌ』らしい。こっちが気になる。原作にはないが、アニメでは二人を再会させるのか? エポニーヌが(マリウスのためであっても)コゼットを助け、コゼットがエポニーヌの恨みを捨ててから、エポニーヌが死ぬという流れにしてくる、に一票。
2007/09/24第38話『コゼットとエポニーヌ』
革命! 将軍が亡くなり、いよいよ革命というムードになってきた。この辺、原作を読んでもいまいち理解できなかったが、アニメでだいぶ理解が深まった。読みが足りなかったのか、何故将軍が死んでそれが革命に繋がったのかさっぱりだったのだよ。前回の予想通り、コゼットとエポニーヌが再会した。いや、制作者という「意思」が再会させた、という表現の方がいいだろう。原作にはないシーン。だからか、深みがない。結局エポニーヌがあそこに姿を現して何がしたかったのか不明。手紙を盗むだけなら、別にあの場に出る必要はなかった。まあいい。コゼットが珍しくジャン・ヴァルジャンに反抗していた。つか、今までが大人しすぎただけだろう。女子校育ちのお嬢様が、大学に入った瞬間、突然男と遊びまくるような反動? ガヴローシュとマリウスがちらっと顔合わせ。そういえば今まで会ったことはなかったっけ? 果たしてこの少年は死ぬのか、それとも生かすのか。アンジョルナスとジャヴェールの対比が面白かった。ジャヴェールはジャヴェールなりに祖国を想って行動している。
2007/10/02第39話『1832年6月5日』
壮絶に盛り上がってきた。さあ、みんな死ぬぞ、みんな死ぬぞ。死ぬよね? もうコゼットはどうでもいいよ。アンジョルナス一派とマブーフ、ガヴローシュ、エポニーヌ、マリウス、ジャン・ヴァルジャン、そしてジャヴェール。壮絶におっ始めようぜ。細部はともかく、おおまかな流れは原作通り。このまま原作通り突っ走ってくれよ。#原作はようやく読破。ラストは本当に感動的だ。ただ、コゼットがどんどんジャン・ヴァルジャンを忘れていく様子が寂しくてしょうがない。
2007/10/09第40話『革命の夜』
面白かったなぁ。BGMがかっこよくて、かなり盛り上がった。まず最初にマブーフさんが逝った。英雄だ。見惚れたぜ。ガヴローシュもいい感じだ。マリウスもよかったぞ。革命! みんな輝いている! そういえばどうでもいいが、かなり序盤の弾丸を作っているシーンで、シーツを運んでいた黒髪のショートカットの女の子が可愛かった。まあ、どうでもいいが。ジャン・ヴァルジャンはまだバリケードに参加しておらず、ジャヴェールもスパイのまま。ゆっくりと、ゆっくりと。一話に一人ずつくらいのペースで死んでいくのかも。次回はいよいよエポニーヌ? つらいなぁ。
2007/10/17第41話『エポニーヌの恋』
うおーーーーぉぉぉぉん! エポニーヌ! エポニーヌ! エポニーヌ! 可哀想に、可哀想に、可哀想に。俺が養ってあげたのに。養ってあげたのに。綺麗な服を買ってあげたのに。靴も買ってあげたのに。エポニーヌが死んで、すぐ次の瞬間にはコゼットのことを考えているような男を……。というわけで、マブーフに続き、主役格のエポニーヌが逝った。わかっていた未来とは言え、やっぱりショックがでかいなぁ。最後の台詞は原作のまま。とてもいい台詞。エポニーヌ最期の名言。ジャヴェールはとうとう警察だとバレ、ジャン・ヴァルジャンもコゼットとマリウスのことを知った。次回家から出て来るだろう。ということは、ひょっとしたら次回の最中にガヴローシュも逝くかもしれないな。なんていうか、重たいアニメだ。絵柄うんぬんより、やっぱり内容的に世界名作劇場としてどうなのかという気がする。まあ、それは最終話の後にまとめで書くかな。
2007/10/25第42話『マリウスからの手紙』
えー、なんと言いますか、その、すげぇ面白かった! 熱い! 女の子はほとんどまったく出て来なかった。だがそれがいい。まあ、ヒロインが逝ってしまったので、もう女の子など出て来ようもないが。コゼットって誰? 主要キャラは誰も死ななかったな。次回ガヴローシュが逝くとして、これから2回でえらいことになりそうだ。ジャン・ヴァルジャンとジャヴェールの再会。なんかこう、歳月とそれまでの互いの意識、それからニアミスなんかを考えると、ものすごく感動的だ。ただただいい話だった。名作。名作劇場。
2007/10/30第43話『ガヴローシュの願い』
くっ……!(千早風) 緊迫した光景が一瞬でコメディになった。ギャグだろ? なあ、ギャグだって言ってくれ。あの状況で犬が子供を助けて、コゼットが近付けるくらい安全な場所まで撤退できるなんて有り得ないよな? うわーん! 一瞬にしてマブーフの死からは始まった緊迫したバリケードの戦いが壊れてしまった。最近の子供は本気で「人は生き返る」とか思ってるらしいから、ちゃんと「銃で撃たれたら死ぬ」って教えようよ。
2007/11/05第44話『未来へのともしび』
うわ……。これは来た。泣ける。ラストのシーン、2回見た。2回見た。2回言った。恐らく世界名作劇場以来、名前のついている人間がこんなに一度に死んだのは初めてではなかろうか。血は描かなかったのが如何にも名作劇場だが、まあもしこれをリアルに描いていたら、多くの子供がトラウマになるから。いや、これだけでも十分やばい気もするが。子供の視点はともかく、大人としてはこの凄惨なシーンはとても感動した。最後の回想から青空への流れは反則。革命は終わった。さあ、話は再び個人に戻そう。ジャン・ヴァルジャンとマリウス、そしてジャヴェール。ああ、なぜか一匹生きているヤツがいるが……。やっぱりどう考えてもガヴローシュを生かしたのは失敗。これからジャン・ヴァルジャンがものすごい苦労して逃亡するが、そこからも、コゼットがあそこまで近付けたことも、ガヴローシュとシュシュがあの場から逃げられたことも滑稽。緊迫したバリケード戦にたった一つの汚点を残した。前回「人は生き返る」という話を書いたが、「子供だけは助かる」というのも間違った認識。今回の汚点はこのアニメそのものの汚点に繋がりそう。
2007/11/12第45話『パリの下水道』
大抵、どんなものでも最後の方が印象に残るわけだが、このナレーションなんとかならんのか? 何故悪は悪、善は善と完全に切り分けてしまうのか。ジャン・ヴァルジャンとて善人ではない。テナルディエもここではジャン・ヴァルジャンを助けているわけだし、ジャン・ヴァルジャン側に立つなら素直に感謝してもいいのではないか? ガヴローシュとコゼットの話はどうでもいいや。下水道は原作では真っ暗闇でもっと切羽詰まっていたが、まあ真っ暗だとアニメにならんのでこんなものかな。悪くはなかった。沼からいきなり出られたのはジャン・ヴァルジャンの独白的なものでもいいので説明があったほうがわかりやすかったと思う。あれは、地震か何かで泥が流れたのか床が上がったのかしたのだよな? まさかいきなりバイキルト的な力を発揮したわけじゃないよな? ちょっと悪い感じの感想を書いているが、テナルディエの登場前後はとても面白かった。服だが何かの端を破いていたのは、原作を知らない読者各位には是非覚えておいて欲しい。
2007/11/19第46話『ジャヴェールの正義』
んー。すごくいいなぁと思ったのは、この物語が始まったときに全部すっ飛ばした原作の最初の部分を、ここで持ってきたこと。この構成は素晴らしいと思った。一番初めに今回の話をしても、何がなんだかわからなかったと思うが、ここでなら原作を知らない視聴者にもわかりやすい。ジャヴェールとジャン・ヴァルジャンのやりとりや、ジャヴェールの苦悩もなかなかよかった。もっとも、原作ではもっと複雑な悩みを抱いているが、まあこんなものでいいだろう。気になったのはただ一点。ジャヴェールは生きているのか? 原作でも報告書の後に自殺しているので、俺はてっきりこの後死ぬのかと思ったが、次回予告のナレーションがどことなく「彼はそうして心を入れ替えて生きていきました」と言っているように聞こえた。死なないと最後のマリウスとテナルディエのやりとりがゆがむ。『ロミオの青い空』でアンジェレッタを生かしたことによって様々な矛盾点が生じたのが思い起こされる。今回はそういうことがないよう願いたい。
2007/11/26第47話『心の絆』
萌え、しかも小さな女の子への萌え、という観点で感想を書き殴っているこのサイトで取り扱うには内容がアダルトすぎてどうしたものか。物語としては普通に良かった。後半に原作にはないオリジナルな部分を入れたが、珍しく生きたアレンジだと思う。珍しく。ガヴローシュとか犬とか子供とかがジャン・ヴァルジャンやコゼットと一緒に生活している違和感は途方もない。ジャヴェールとの一件は本質的にジャン・ヴァルジャンがマリウスとコゼットに対して抱えている問題とは関係なく、つまり今なお持っているわけで、その悲壮感が今ここに表れてこないのが気持ち悪い。ところで次回予告のナレーションに激しい嫌悪を感じるようになってきた。軽すぎる。本当に深刻な多くの問題が、こいつらが言うとものすごく軽く聞こえる。人の命や革命の重さ、ジャン・ヴァルジャンの罪も何もかも。作品全体に漂うこのアンバランスさはなんだ? つまりは、子供向けではない作品を子供向けにしようとして失敗した、ということではなかろうか。
2007/12/04第48話『コゼットとマリウス』
マリウスのプロポーズのシーンはよかった。すごくよかった。世界名作劇場には数々の名シーンがあるが、それらの一つに数えてもいいのではないだろうか。がしかし、『レ・ミゼラブル』という小説をアニメ化した作品として、これはどうなんだろう。生きているジャヴェールとガヴローシュ、エポニーヌのこと、大きなことを考えている主役たち、子供のいる温かな食卓。別の作品としてみれば良い作品、というのは世界名作劇場にふさわしくない感想だろう。拭えない違和感。この作品はどこに行き着くのだろうか。作品として丸く収まっても、ユゴーが「これは『レ・ミゼラブル』ではない。原作を知らない日本人がこれを『レ・ミゼラブル』だと勘違いするのは堪えられない」と思うような内容では、世界名作劇場としては失敗だと思う。
2007/12/12第49話『私のお母さん』
ありとあらゆるシーンが原作に無いものだったが、物語としてはとても良かった。こう、過去の色々な物語が、今クルッと一周して繋がって輪になった感じ。ワーテルロー亭に寄ったりとか、そういうシーンも良かったな。後、ラストのエンディングテーマの入り方が綺麗だった。ああいうの好きだな。総じて面白かった。ただし、原作には無いものばかりだったが。いや、「無い」という表現は正しくない。原作とは「違う」シーンと書くべきかもしれない。例えば『ペリーヌ物語』の道中の話なんかは、原作に「無い」シーンだが、今回のは原作とは「違う」シーンである。原作ではマドレーヌ氏の町はすでに存在しないし、ガヴローシュは死んでるし、コゼットは母親のことをほとんどまったく覚えていないし、従ってこんなふうに母親の軌跡を辿るような旅に出ることもない。ただ今回の話は出来が良かったので、これはどちらがいいか悪いかというより、テーマの問題だろう。『レ・ミゼラブル』はコゼットとその母親の問題よりも、ジャン・ヴァルジャンの罪と罰の問題に重きを置いている。それが作品全体のテーマと言ってもよい。残りの話数は少なく、次回が結婚式で、ジャヴェールも生きていることから、原作のようなラストにはならなさそうだ。
2007/12/18第50話『永遠のリング』
ういうい。結婚式。ギター弾きながら見ていたからあまり細部までは頭に入っていないが、まあとにかく二人は幸せそうで何より。アゼルマとおかみさんも新たに再出発。この辺も原作とは異なるがまあいいや。原作ではたしかおかみさんは死亡し、アゼルマはテナルディエについていく。原作と違うと言うとジャン・ヴァルジャンの金の使い道とかも異なるが、まあ大筋に影響はない。本当はすべてコゼットのために使う方がジャン・ヴァルジャンらしくていいのだが。原作ではこの時点ではジャン・ヴァルジャンの頭の中にはコゼットしかなく、人々のために学校とか、そういうことは考えていない。いなかったはず。とまあ、細部はともかく、一番大切な部分が原作とは違う路線に進み始めたのをここ数回危惧していたが、ようやく原作のラインに乗った。ジャン・ヴァルジャンからマリウスへの告白。さて、どうなる? ジャヴェールが生きていることとか、色々と気になる点はあるが、なんとか破綻なくラストを迎えてほしい。俺としては『ロミオの青い空』で、アンジェレッタを生かした上、子供の状態でロミオを故郷に帰したことで、最後に色々な矛盾が出てしまったのが残念で仕方ない。今回は上手くまとめてくれよ?
2007/12/24第51話『明かされた真実』
なんだかこう、うーんと、まあ、こんなものかな。ジャヴェールが生きていた時点でこれしかないと思ったが。あるいは、マリウスは自分でジャヴェールの生死を確認しに行くかと思ったが。いや、もう少し時間があったらそうしていただろう。昨日の今日ではしょうがない。どんな形であれテナルディエがマリウスの父親を助けたのは事実なんだから、最後にマリウスが金を渡してテナルディエが外国に渡るという原作の流れは悪くないと思うのだが、アニメとしては悪人は必ず罰を受けなければならないという展開が必要だったのだろう。記憶が確かなら彼は人を殺していないし、ずる賢いやつがずる賢く生きるのも、俺はありだと思う。最終回の前だというのに、主人公は完全に脇役化。『レ・ミゼラブル』はコゼットが主人公の作品ではないのでしょうがないが、このアニメは『少女コゼット』なのだから、ちょっと寂しいね。
2007/12/31第52話『銀の燭台』
最終話! よくぞ一年、欠かさずに見続けた、俺! ジャン・ヴァルジャンが死ぬという事実と、その際にマリウスとコゼットがいるということ以外、ほとんど原作とは異なっていたが、回想から最期のシーンの流れはなかなか感動的で、その後、曲を入れながら現在と過去を振り返る流れも良かった。物語性はあまりなかったが、ドタバタする最終回よりはこういうものの方が好きかな。ラストでコゼットの子供が出てきて、なんだかコゼットとマリウスと三人で歩いている風景も良かった。原作との違いという観点ではこれより前の時点で色々思うところはあるが、一つのアニメとして見たとき、この最終回は結構秀逸だと思う。
2007/12/31■『レ・ミゼラブル 少女コゼット』の全体を通しての感想
いつも通り、最終回を見終えてすぐ、そのままの勢いで書く全体の感想。と言っても、すでに原作の小説は手元になく(年末の大掃除で処分してしまった)、忙しくて時間もないため、さらっと。

『レ・ミゼラブル』という作品は、名前はよく聞くが小説を読んだことがある人は少ないのではないだろうか。分厚い上に内容も重厚で、そこそこ文章を読み慣れた人ではないと読破できない。俺も何度も挫折しかけては、このアニメのためと思い、時々飛ばしながらなんとか読み切った。まあ、俺が「人並み以上」とは言わないが、最近の読書離れを考えるとあながち外れでもないだろう。

それを踏まえた上で、原作とアニメの相違は、そのまま視聴者の『レ・ミゼラブル』の誤解に繋がる。前に誰かと『ピーターパン』の話をしたとき、自分は原作を知っており、その人はディズニーの『ピーターパン』しか知らなかった。だから、話が食い違った。あの物語のラストのなんとも言えない切ない感情が無いのだ。それに等しい。

要するに、原作がある作品は、その原作を知るのが難しいものであればあるほど、なるべく原作に忠実にするべきであると、自分は考えている。原作がマンガで、それのアニメ化とかならまだいいと思うが、例えば次の『ポルフィの長い旅』や『南の虹のルーシー』など、原作を読むのが困難なため、なるべく視聴者に誤解がないよう、原作者のためにも配慮をするべきだと思う。(このサイトで原作のあらすじを載せているのは、その差異を吸収するため。元々原作との相違という観点がこのサイトの骨格)

とは言え、アレンジをすべて否定するわけではない。原作が薄い『フランダースの犬』や『牧場の少女カトリ』はいいアレンジだと思うし、『ペリーヌ物語』のパリに着くまでの物語の追加も悪くなかった。しかし中には、『家なき子レミ』のように何故だか主人公の性別を変えてしまったとか、『ロミオの青い空』のようにアンジェレッタを生かしたことで最後に無理が生じてしまったとか、いただけないアレンジもある。

前置きが長くなった。本作品でも多数のアレンジが行われている。ガヴローシュが生きている、コゼットがファンティーヌを知っている、テナルディエが捕まってしまう、ジャヴェールが生きている、ジャン・ヴァルジャンがコゼット以外のことにかなり気を遣っている、大人になったコゼットとエポニーヌが互いを知って意識しているなどなど。

これらのアレンジは、物語を良くも悪くもわかりやすくした。テナルディエのように、悪いことをした人間は最後に報いを受ける。ガヴローシュも、なんだか無茶をしても子供は生き延びる。みたいな。あまり気に入っているアレンジではない。テナルディエはとにかくマリウスの父親を助けているわけだから、マリウスの資金援助で最後までずる賢く生きてもいいと思うし、子供でも無茶をすれば死ぬのだから、ガヴローシュは原作通りあそこで殺すべきだった。彼は命より大切なもののために戦っていた。あの緊迫した戦場でシュシュが飛び出してきて助けるのは滑稽。

では原作通り、ガヴローシュもジャヴェールも死ぬべきだったか? 俺は『レ・ミゼラブル』という作品的にはそれでいいと思う。しかし、子供向けのアニメとしてどうかと言われると、首をひねる。

ここで、主人公の相違という点に目を向けたい。原作は色々な人間の生き様を描いているが、基本的にはジャン・ヴァルジャンが主人公である。コゼットは脇役であり、後半はマリウス絡みの話以外、ほとんど登場しない。特にバリケード近辺。ところがアニメの主人公はコゼットで、おかげで後半は主人公のくせに印象が薄くてしょうがない。無理矢理出すためにエポニーヌやテナルディエを絡ませたようにも思える。

子供向けなので、子供のコゼットが主人公なのは頷けるが、大人になって結婚して、ああなるともはや子供の共感は得られないと思う。むしろガヴローシュを主人公にした方が良いのではないかと思えるほどだ。

先程の原作との相違という点と、この主人公の問題。総じて、当初の不安通り、『レ・ミゼラブル』は世界名作劇場というアニメシリーズの題材として不適当だったと思われる。

が、今回は少し「原作との相違」にこだわりすぎた感がある。今までの感想において、ここまでいちいち原作を意識していたものはない。一つのアニメとして見たとき、長期スパンのアニメらしく、成長もあり、今回は人がたくさん死ぬ戦いもあり、大人が見るにはほどよいテーマがあり、とても楽しかった。よくわからないことをだらだら書いて、総括がわかりにくいが、まあ「楽しかったけど、世界名作劇場としてはどうかなぁ」というところで、『少女コゼット』の感想を締めたいと思う。

ストーリー ( 内容やテンポ、感動したかなど )★★★☆☆
キャラクター萌え度 ( 絵や声、性格、言動など )★★★☆☆


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