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◆このページの概要 (06/10/23)

 このページでは、One of the Starsの管理人水原が撮影した国道看板(青色の逆三角形の標識)の写真を掲載しています。
 事の起こりはこれを書いている今から6年前、2000年8月。まだ大学生だった自分は突然国道看板に覚醒し、友人を車に乗せて富士の方に走り出しました。
 夜、富士山の周りをぐるっと回って、周囲の国道の国道看板の写真を普通のカメラで撮影しました。当時はまだデジカメを持っていませんでした。
 そして数日後、現像された写真を見て……


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 フラッシュの光で看板という看板が真っ白になり、同時に頭の中も真っ白になってそのままこの企画は没になりました。
 それから6年。長い長い充電期間を経て、再びカメラを持って立ち上がったのです。

 もとよりすべての国道看板を集めるつもりはなく、今回は管理人のリアル兄と競い合う形でスタートしました。
 一身上の都合で頻繁に遠出をするリアル兄が国道1号から国道10号の看板を集めるのが先か、金と足はあるが時間のない水原が国道の看板を130個集めるのが先か(ただし国道130号を含む)。
 130というのは水原の妹の誕生日が1月30日のため130枚になりました。国道130号は全長500メートルしかない東京の港国道で、今日現在国道看板はなく、キロポストで代用する予定です。
 このような動機のため、一応130枚までは競争意識で集めようと思いますが、コンテンツとしては130枚は通過点に過ぎず、その後もちまちまと国道看板の写真を集めたいと思っています。


◆その他の色々なこと (07/05/03 更新)

 管理人水原は愛知県民のため、最初の内は(いえ恐らく最後まで)東海圏の国道看板が充実しています。これを書いている2006年10月現在、東海三県の国道看板はほとんどすべて収集済みです。
 水原はNISSANの黄色いTIIDAに乗っています。この車で旅行する限り、なるべく看板と一緒に車も入れようとしていますが、「必ず入れる」という枷をはめたわけではありません。ただし、写真に独自性を出すため、自分もしくはぬいぐるみなど、特徴あるサムシングを入れるようにしています。
【11/01/30追記】
 看板と一緒に車(TIIDAだけではなく、レンタカーを利用した場合はその車)を写真に入れることは、自分ルールとし、そのまま完走しました。従って、459枚すべての看板標識の写真に車が写っております。難易度の高い試みでしたが、結果としてオリジナリティの溢れる写真集が出来上がりました。

管理人とTシャツ

 管理人近影は安曇野の大王わさび農場で撮影したものです。愛知県民は前述しましたが、2006年秋現在、20代後半で170cm、55kg。国道看板の他にギター、執筆、ラーメン、名作劇場他、かなり多くの趣味を持ち、「暇だ」という言葉をほとんど言ったことがない毎日を送っています。非モテで彼女なし、女友達もなし。仕事はIT系のアウトソーシング。着ているTシャツはヤフオクで落札したもので、或る個人がTシャツメーカーに発注して作ったものです。要するに市販されていない貴重なTシャツということ♪

愛車TIIDA

 水原家として購入した車ですが、税金他、後からかかる金はすべて管理人が払っており、ほとんど水原しか乗らない車です。この前はY10系のウイングロードに乗っていたのですが、8年ほど乗って2005年にこのTIIDAに買い換えました。前述のとおり、国道看板の写真はなるべくこの車を入れようとしていますが、後々レンタカーという選択肢も出てくるかもしれないので、必須にはしていません。なお写真は長野県道324号、秋のヤナバスキー場より。後ろに見えるのは青木湖です。

「星になる看板」
 このサイトには時々「星になる」という表現が出てきますが、「星になる看板」とは、「とてもではないが車を入れて撮影するのは困難な看板」のことです。水原が考えた造語のため、恐らく(というかまず間違いなく)他の誰も使っていないと思います。
 語源は、バイパスなどのとても車を停めることができない場所に立っている看板を撮影しようとしたら、後ろから来る車に撥ねられて星になる(つまり死ぬ)というものですが、最近は広義に、例えば車通りの多い片側一車線の国道のように、別に停めても轢かれはしないが周囲に大迷惑を及ぼす場所に立っている看板も含めています。
 車を走らせながらようやく看板が見つかったにも関わらず、とても車を停められそうにない場合に、「あの看板は星になる」という表現し、涙を飲んでスルーするのです。

「メロス」
 本国道看板旅行は、基本的には太陽が出ている明るい内に撮影することを前提としています。そのため、夕方になるにつれて時間との勝負になってきます。太宰治の『走れメロス』で、「ああ、メロス様。もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい」と言うフィロストラトスに対し、メロスが「いや、まだ陽は沈まぬ」と言ったのが語源で、「気に入らない看板だが、メロスのために妥協しよう」とか、前述の「星になる」と合わせて、「畜生、メロスだがこの看板は星になる」などという使い方をします。

フー

  なぞの旅人です。中部国際空港のマスコットで、水原の部屋に置いてあったぬいぐるみを、国道看板の写真を集め始めたのを機にTIIDAに常駐させました。半ば自分の代理のように国道看板と一緒に写しています。
 少々小さいのは否めませんが、自然界にあまり存在しない赤色を基調としているため、とても映えます。
 風の強い日などは、写真を撮っている最中によく車の上から転がり落ちます。すぐ近くに崖があったり、後続に踏み潰される危険のある場所では置かないようにしていますが、それでも度重なる落下のために、随分汚れてきました。
 まあ、彼も旅人なので、部屋でぽつんと置いてあるよりは、たとえ汚れても各地を旅して回った方が幸せでしょう。


◆途中経過 (06/10/31)

 足がないはずのリアル兄が、身近で一緒に旅する車所持者を得て、一気に国道2号、8号、9号の看板写真を取得し、残り4枚とする。残るは九州を走る3号と10号、北海道の5号と東北の7号。ただし東北には毎月のように行っているため、実質残り3枚と見ていい。3号と10号は恐らく同時に取得するため、長距離旅行を2回という換算。
 対して水原は、一緒に行くことができる仲間がいないはずだったが、友人如月弥生が思いの外企画に乗ってくれたため、日帰り奈良520kmの旅と、日帰り富山620kmの旅を含む、60枚を取得。それでも枚数的には不足しており、リアル兄に割合的に追いつくためには後18枚必要。
 日帰りで行ける場所としては、福井旅行、伊勢旅行、神戸旅行、松本旅行などが挙げられるが、いずれにせよ130枚取得するためには、今後1泊以上する旅行は避けられない。楽勝と思われたが、気が付くと劣勢。


◆勝負結果 (07/05/07)

 2007年4月21日の時点で撮影枚数106枚。そしてゴールデンウィークに中国国道看板旅行を企画しており、水原の勝利は間違いなかった。フェリーを使う行程になったため、予定より一日遅れの4月30日に目標枚数である130枚に到達する。対するリアル兄は5月1日、2日に仕事が入っており、前半は無計画。勝負あった。
 はずだったのだが、何がそこまで彼を突き動かしたのか、4月28日の夜から、突然夜行バスと特急列車でリアル兄が単身函館を目差し、水原が如月弥生とともに和歌山と大阪の県境をふらふらしている間に、残る一枚(5号の看板)を撮影してしまう。正直、ここまでやられたらしょうがない。素直に負けを認めよう。
 なお、水原は翌日4月30日、16時53分に広島市内で261号を撮影したのが130枚目で、時間差約24時間のデッドヒートとなった。もしも4月28日の習い事を蹴り、一日早くフェリーに乗っていたら、本当に数時間差の戦いになっていただろう。
 いずれにせよ、互いに数年計画ののんびりした戦いを想定していたが、半年ちょっとで集めきってしまった。リアル兄は足を、水原は同行者を得たことが最大の要因ではなかろうか。一応、このページを起こす発端となった勝負はこれで終了したが、国道看板旅行としては一区切りでしかない。看板への意欲は少しも衰えていない。


◆最終結果 (11/01/30)

 2011年1月24日、沖縄県那覇市で332号の看板を撮影した瞬間、ついに日本の全459国道の看板写真がすべて集まった。
 総走行距離は26,691kmにもおよび、フェリーを1回(鹿児島も含めると2回)、新幹線を2回、飛行機は4回も使用し、文字通り日本中を飛び回り、駆け回った。
 旅の最中、大小合わせて一度の事故もなく、怪我もせず、無事にこの旅を終わることができて、まずは何よりそれが良かった。
 綺麗な写真がたくさん集まった。車を入れる・夜には撮らないという2つの縛りのおかげで、苦労はしたが、その分充実した写真集ができたと思う。国道看板の写真を掲載しているサイトは多々あるが、一番クオリティが高いと自負している。
 今これを読んでいる皆様に、旅行の面白さ、ドライブの面白さ、そして日本の広さ、美しさが少しでも伝われば、このページを作って良かったと心から思います。
 ごゆっくりお楽しみください。

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