『 フランダースの犬 』 あらすじ



■書名 : フランダースの犬
■著者 : ウィーダ
■訳者 : 村岡花子
■定価 : 362円
■出版社 : 新潮社
■ISBN : 4-10-205401-4
■初版発行日 : S29.04.15
■購入版発行 : H14.12.25 ( 六十九刷 )
 
■購入日 : 2003/09/22






−裏表紙より−


フランダースの貧しい少年ネロは、

村人たちから迫害を受けながらもルーベンスの絵に憧れ、

老犬パトラシエを友として一心に絵を描きつづける。

しかし、クリスマスの朝アントワープの大伽藍に見いだされたものは、

この不幸な天才少年と愛犬との相いだいた亡骸だった。

虐げられた者への同情を率直素朴な表現でつづった少年文学の傑作。




少年ネロと、老犬パトラシエは、フランダース地方にあるアントワープから、3マイルほど離れた小さな村に住んでいました。二人はネロの祖父であるジェハン・ダースという老人とともに、小さな小屋で暮らしていました。ネロは2歳のときに両親を亡くし、ジェハンがこの少年を引き取ったのです。

ジェハンと言えばそのときすでにひどく年老いており、しかもかつての戦争で足を痛めて満足に歩けない有様でした。一方のネロはあまりにも幼く、二人はパトラシエを養うと同時に、パトラシエに養われていました。パトラシエは彼らの大切な友であり、頭脳であり、手足であり、そして生命そのものだったのです。

彼らはとても貧しい生活を送っていました。それでも決して不平を漏らさず、一日にパンのかけらとキャベツの葉を少しという生活に満足しました。少年と老人のたった一つの望みは、ずっとパトラシエと一緒に暮らせること、ただそれだけでした。

パトラシエはフランダースの犬でした。フランダースの犬と言えば、大型でとても筋肉が発達しており、飼い主に奴隷のように使役されて、やがて死ぬまで働かされる一族でした。ネロと老人に出会う前のパトラシエも例に違えず、やはり主人にひどくこき使われる可哀想な犬でした。

生まれて13ヶ月にもならない内に、ある金物屋に安く買い取られ、重たい金物を積んだ荷台を引かされました。この金物屋はひどく残酷な男で、パトラシエにろくに食事を与えず、絶えず彼を鞭で打ちました。それでも、パトラシエはとても頑丈な犬だったので、なんとか死ぬことなくこの生活に耐えていました。

ところが、買い取られてから2年経ったある日、とうとうパトラシエは倒れてしまいます。その日パトラシエは丸一日食べ物も飲み物の与えられていませんでした。パトラシエが道ばたで倒れたその日は、奇しくもルーバンの町の祭りの最後の日で、金物屋は早く村に着きたくてしょうがありませんでした。だから、どうしてもパトラシエが動かないことがわかると、彼を死にゆくまま放っておいて、自分で荷車を押しながら行ってしまったのです。

その時、一人の老人が小さな孫を連れて通りかかりました。彼らは足を止め、他に誰一人として気にかけることのなかったこの可哀想な犬を見て調べました。小さな子供は草の中を走り回り、時々パトラシエを見ました。それが、ネロとパトラシエの出会いでした。

パトラシエは死にかけていましたが、老人の看護の甲斐あって、何週間も経ったのち、ようやく元の丈夫な身体を取り戻しました。彼が元気に吠えたとき、少年は喜び、彼にひな菊の首輪をかけてやりました。パトラシエは立ち上がった後も殴られたりすることはありませんでした。今度の飼い主は前の金物屋とは違うのだとわかったとき、彼は二人に感謝し、愛し、そして生命ある限り彼らに尽くそうと思いました。

ジェハンはアントワープに牛乳を売りに行き、その金で生計を立てていました。パトラシエが元気になったとき、老人はすでに83歳で、家からアントワープまでの4マイルという距離があまりにも長く感じられるようになっていました。それでもジェハンは、決してパトラシエを働かせようとはしませんでした。彼は犬に労働させるのは恥ずべき行為だと考えていたからです。

ところがある日、パトラシエが自ら飼い主を遮り、荷車を引く素振りを見せました。町に牛乳を売りに行く老人の姿を見ていて、彼を助けようと思ったからです。飼い主は長い間それを承知しませんでしたが、ついにはパトラシエの固い意志と感謝の気持ちに負けて、彼に荷車を引かせることにしました。

牛乳を積んだ小さな荷車を引くことなど、パトラシエには娯楽のようなものでした。それに、老人が常に優しく接してくれたので、パトラシエはとても幸せでした。

ある冬、とうとうジェハンが年と古傷のために歩けなくなると、6歳のネロが祖父の代わりに牛乳を売りに行くようになりました。ネロは凛々しく、愛らしい少年で、ネロとパトラシエが荷車を引いて牛乳を売る姿を、多くの画家が写生しました。それほどにそれは美しい光景だったのです。

ネロは日々をパトラシエとともに暮らし、月日は流れて、丈夫に成長していました。仕事は、特に冬はとてもつらく、食べるものは依然として満足にありませんでしたが、それでもネロは幸せでした。

パトラシエも、時には冬の寒さに苦しんだり、空腹に苛まれたりしました。それでも、昔に比べて今がどれほど幸せであるか心得ていたし、ネロがにっこり笑ってくれる、それだけで満足でした。

パトラシエはとても満たされていたけれど、ただ一つだけ生活に不安がありました。それは、仕事のたびにネロが教会堂へ寄っては、時には顔を紅潮させ、時にはひどく蒼ざめて出てくることです。そんな日は決まってネロは夢想にふけり、悲しげな面持ちで夕焼けを眺めているのでした。

ネロは特に、村からでも見える大伽藍によく足を運びました。そして中から出てくると、決まってこう言うのです。「あれが見られたらねえ、パトラシエ」あれとは何か、パトラシエにはわからなかったし、人ならぬ身である彼は、飼い主とともに中に入ることを許されませんでした。

ところが、ある時とうとう、パトラシエはそれが何であるかを知ります。それは、聖歌隊席の両側にある、二枚の大きな絵でした。それはルーベンスの描いた「十字架にかけられるキリスト」と、「十字架からおろされるキリスト」でした。この二枚の傑作は、お金を払わなければ見ることができなかったのです。もちろんその額は、日々の暮らしさえままならないネロに出せるものではありませんでした。

ネロは美術に強い関心を持っており、そして絵を描くことが好きでした。彼はとても才能ある少年でしたが、そのことは本人すら知りませんでした。祖父はネロに、わずかな土地を得、この村で近隣の人から「旦那」と呼ばれるようになって欲しいと考えていました。けれど、ネロは画家になりたいと思っていたのです。少年はその夢を、祖父は理解してくれないだろうと思っていたので、パトラシエともう一人の他に、誰にも言いませんでした。

ネロが夢を語るもう一人の相手は、アロアという少女でした。アロアは赤い風車のある家に住んでいて、父親は粉屋で、この村一番の裕福な百姓でした。アロアはばら色の顔に黒い瞳をした美しい少女で、まだ12歳であるにも関わらず、この子を嫁にしたらどんなに息子は幸せだろうかと噂されていました。当のアロアは、自分の財産のことなど考えもせず、ただ無邪気にネロとその犬と遊んでいるのでした。

ある時、ネロが松の板にアロアの肖像画を描いていると、アロアの父親がやってきて、怒ったようにネロからその松の板を取り上げました。粉屋は娘がネロと遊ぶのが嫌だったのです。粉屋はその肖像画がうまく描けていたので、ネロから買い取ると言いましたが、ネロはそれを断りました。アロアの絵でお金を取りたくなかったからです。粉屋は金を引っ込め、松の板を持ったまま娘を連れて帰りました。

粉屋はアロアからネロを遠ざけようとしました。ネロはもう15で、アロアと何かあるといけないと思ったからです。彼も彼の妻もネロの容姿や気だては気に入っていましたが、粉屋は乞食のように貧乏である少年が、アロアに近付くことを良しとしなかったのです。

心優しいネロはひどく傷付き、アロアと会わなくなってしまいました。アロアがネロに駆け寄っても、ネロは彼女をなだめてさっさと家に帰ってしまいます。アロアもネロと同じように悲しみました。アロアはネロを愛していたのです。

アロアの聖徒祭の前の日、今年はネロは呼ばないと父親が言い出して、とうとうアロアは耐えられなくなりました。そして小麦畑に一人で佇んでいたネロに駆け寄り、抱きしめてキスをしました。ネロはそれに応えて言いました。いつかきっと偉くなって、今とは違うようになるから、それまで自分を愛していて欲しいと。

ネロは大きな夢を持っていました。いつか偉大な画家になり、大きな家を持つ。その傍らにはアロアがいて、毛皮を着た祖父と、金の首輪をしたパトラシエがいる。それはあまりにも現実性のない夢でしたが、ネロはやがてそうなることを固く信じていました。だから、聖徒祭の日、遠くから村中の子供だちの楽しそうな声が聞こえてきても、彼はパトラシエに「やがて今とはかわるのだからね」と言い、未来を信じてじっとただずんでいました。

アントワープでは、年に一度、200フランが与えられる絵のコンクールがありました。それは、18歳未満の画才のある子供を探し出すためのもので、応募の資格は年齢の他には特にありませんでした。作品の搬入は12月の1日で、決定は、入選者がクリスマスに家族と喜びを分かち合えるよう、24日に発表されました。

ネロはこのコンクールのために絵を描いていました。それは倒れた木に腰をおろしている一人の老人の絵です。その絵は未熟で、多くの欠点を持っていましたが、老人の疲れと悲哀が見事に描かれ、詩情すら漂う素晴らしい出来でした。ネロは春からずっとこの絵を描いていましたが、それを知っていたのはパトラシエだけでした。祖父にはとてもわかると思えないので言ってなかったし、アロアはもはや失われたに等しかったからです。

いよいよ冬も本格化し、寒さの厳しいその日、ネロは絵を携えて町へ行き、それを公会堂の入り口に置いてきました。作品を出してしまうと、自分のような絵のなんたるかを知らない子供の描いたものが、偉い画家たちに認められることなどあるだろうかと不安になりました。それでもネロは、勇気を奮い起こして家に帰りました。

冬は白い雪に覆われ、道は凍り、また牛乳配達の大変な季節がやってきました。ネロはますます力のある若者になっていましたが、パトラシエはすっかり老いて、仕事がいよいよつらく耐え難いものになっていました。それでもパトラシエは決して弱音を吐かず、生命ある限り働こうと決意していました。

ある時、そんなパトラシエにジェハンが手を差し伸べて言いました。「わしらはもうじき、いっしょに墓場で休むことになるだろうよ」老人と老犬は、もしも自分たちがいなくなった後、誰があの少年の面倒を見るのか、ただそれだけが気がかりでした。

ある雪の帰り道、ネロは道で小さなタンバリン弾きの人形を拾いました。それはどこも傷んでいない、とても美しい玩具でした。ネロは落とし主がわからなかったので、それをアロアにあげることにしました。アロアはきっとこれが好きに違いないと思ったからです。ネロは少女の家に行き、窓から人形を渡すと、アロアの礼も聞かずに帰っていきました。

その晩、不幸にも粉屋の風車小屋が火事になり、納屋と多量の小麦が焼失しました。粉屋は保険に入っていたのでまったく損はしませんでしたが、ひどく腹を立て、その火事は何者かが故意に起こしたものだと言い出しました。しかもそれはネロだと言うのです。

確かにネロはその晩アロアの家に行きましたが、もちろん少年はそんなことをしたりしません。けれど粉屋は、彼はアロアとの交際を止められたので、それを恨んでやったのだと村中に言い触らしました。村人たちはそれを信用しませんでしたが、粉屋を敵に回す者はおらず、また自分の息子をアロアの婿にしたいと思っていたので、ネロは彼らから冷たい目で見られるようになりました。

ネロは孤立し、傷付きました。牛乳を買ってくれる者も減り、生活は苦しくなる一方。ネロはもはや誰とも関わりを持とうとせず、苦しみの中、ただ思うのでした。もしも入選したら、と。

キリスト降誕祭の1週間前、ずっと寝たきりだったネロの祖父がとうとう息を引き取りました。ネロとパトリシアはその悲しみと、取り残された心細さに涙しました。

ネロは祖父のための葬式を行いましたが、参列者は少年と老犬だけでした。そのあまりにも寂しい葬列を見て、粉屋の妻は、今度こそ主人もネロをここに来させるだろうと思いました。けれど、粉屋はいっそう心を頑なにし、「あれは乞食だ。あんな子供をうちのアロアのそばに近寄らせるものか」と独り言を言いました。

ネロは葬式のために持ちうるすべてのお金を使ってしまったので、家賃を払えなくなってしまいました。ネロの家主は靴屋の主人でしたが、彼は金好きの冷酷な男で、文無しになったネロに小屋を立ち退くよう命令します。そしてクリスマスの前日、ネロはとうとうパトラシエを伴って小屋を出ました。

パトラシエは荷車のそばを通ったとき、切なそうにうなだれました。そして、いっそ長年引いてきたこの荷車のそばで死んでしまいたいと思いました。けれど、彼は少年が生きて、自分を必要とする間は決して倒れるわけにはいかないのだと、心を奮い立たせました。

アントワープへの道の途中、ネロは知り合いの家でパンを乞いましたが、冷たくあしらわれてしまいました。それっきり少年はもう二度と人に乞わず、ただ真っ直ぐアントワープの公会堂へ向かいました。そこでコンクールの入選者の発表があるのです。

ようやくの思いで辿り着いた少年を待っていたのは、高く掲げられた入選者の絵でした。そしてそれは、彼の描いたものではなかったのです。少年はパトラシエをかき抱き、言いました。「いっさい終わってしまったんだ、パトラシエ。いっさいが終わったのだ」そして少年は、老犬を伴い、飢えと悲しさで心許ない足取りで村への帰路についたのでした。

雪の降る道を住み慣れた村を目指して歩いていると、不意にパトラシエが吠え出して、雪の中から小さな袋をくわえ出しました。その袋にはアロアの父親の名前が書かれていて、二千フランもの大金が入っていました。どうやら粉屋が落としたものらしく、ネロはすぐにそれをアロアの家に届けました。

粉屋の妻は泣いており、アロアは母親にしがみついていました。旦那が財布を落とし、財産をすっかりなくしてしまったからです。ネロは「パトラシエが今夜この大金をみつけたんです」と言い、二人に袋を手渡しました。そしてパトラシエを預け、二人に彼を養ってくれるよう頼むと、急いで扉を閉めて再び夜の闇の中へと消えていきました。

金を探して外に出ていた粉屋は、失意の内に家に戻りました。そして妻と娘の話を聞いて、とうとう改心しました。そしてネロに償うことを約束し、彼に何でも与え、息子にさえしても良いと言いました。明日の朝一番で少年を小屋まで迎えに行くと言うと、アロアは喜んではしゃぎ回りました。彼らは、まだネロが小屋を追い出されたことを知らなかったのです。

三人が明るくネロのことを話している間、パトラシエはずっと外に出る機会を窺っていました。彼はネロが一人で餓死に赴いたことを知っていたのです。パトラシエは、粉屋やその娘がどれだけ御馳走を持ってきても、暖かいところへ招いても頑としてそこを動かず、一心にその扉が開かれるのを待っていました。そして、粉屋の元を訪れた人が扉を開けた途端、ついにパトラシエは外に飛び出したのです。

雪道でネロの足跡を見つけ出すのは大変でした。寒さと飢えに耐え、震えながら、とうとうパトラシエはネロの小さな足跡が、あの大伽藍の階段へ続いているのを見つけました。「大好きなもののところへ行ったのだ」と、パトラシエは理解しました。

大伽藍の扉は開け放たれていました。少年は石畳の上に倒れており、パトラシエが駆け寄ると低い叫び声とともに彼を抱きしめ、こう言ったのです。「ふたりでよこになっていっしょに死のう。人はぼくたちには用がないんだ。ふたりっきりなんだ」パトラシエの目に涙が浮かびました。それは、少年のために流した涙でした。パトラシエ自身は、少年の腕の中でとても幸せだったのです。

いよいよ二人が死の眠りに落ちかけたその時でした。突然雲間から月が顔を覗かせ、闇を照らし出したのです。その光は暁のように明るく、今ネロの前にくっきりと、ルーベンスの二枚の絵が浮かび上がりました。絵のおおいはすでにはね除けてありました。「とうとう、見たんだ!」ネロは大声で叫びました。それはほんの一瞬のことでしたが、ついにネロは崇高な絵に描かれた神々しいイエスの姿を見ることができたのです。

明くる朝、ネロは石畳に横になり、愛犬とともに死んでいました。粉屋と娘は泣き叫び、また少年の出展した絵に心を動かされた一人の画家がその死を嘆きました。少年と老犬は生涯をともに過ごし、そして死んだ後も離れませんでした。ネロがあまりにも強くパトラシエをその胸に抱いていたので、村人たちが二人を同じ墓に入れたからです。二人はこれからもずっと一緒なのです。



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