『 小公女セーラ 』 感想





物語は、ミンチン女子学院に

ひとりの少女がやってきたことから幕を開けます。

少女の名はセーラ。セーラの優しさが、人々を絆で結びました。

セーラが裕福な資産家の娘だったことが、人々の心に波紋を呼びました。

そして、セーラの境遇が不幸に一変してしまった時、

人々は何をし、何を考えたのでしょうか?


DVD解説書より


2003/07/01第1話『ミンチン女子学院』
そういえばナウシカってこんな声だっけかなと懐かしんでみたり。初っぱなからセーラとミンチン先生が険悪な雰囲気。それどころか、セーラの味方になってくれそうな人がいない。ミンチン先生の妹のアメリアくらいか? しばらくギスギスした上辺だけの人間関係が楽しめそうだ。「……みんな嘘をついている。心から笑っている人なんて、ここには誰もいない」って感じ。
2003/07/01第2話『エミリー人形』
頑なにエミリーを探し続けるセーラには、ある種の病的なものすら感じたが、その独特の感性がまたお嬢様っぽくて良い。さしずめ、あたかも生きているかのように枕を抱き、枕と語らう俺も、公子然とした風格を備えているのだろう。ともかく、この話で少しだけセーラのこだわりや信念が見られた。いじめられる絶好の標的と言えよう。歪んだ嗜虐心がそそられる。
2003/07/02第3話『はじめての授業』
セーラは気が弱いんだか強いんだかよくわからない子だ。10歳にして妙にため息が多いのがお嬢様っぽくないが、世間ズレしたところは相変わらず凡人とは一線を画している。今回いよいよ本格的に登場したラビニアは、ミンチン先生以上に初めからセーラに対して敵意剥き出し。他の子たちは良さそうだが、一体誰が敵になって、誰が味方になるのか。先が楽しみだ。
2003/07/02第4話『親友アーメンガード』
この子、絶対にどっかおかしいて! アーメンガードを連れて部屋に戻ったときのシーンはかなり笑った。2chとアンネの日記をかけて、“親愛なるキティー”のことを思わずにはいられない。ラストでミンチン先生の前に飛び出したセーラがとても良い。本人にはそんなつもりはないのだろうが、あれはJokerのカードのようなものだ。意識の外で神経を逆撫でするお嬢様、(・∀・)イイ!!
2003/07/03第5話『泣き虫ロッティ』
ひたすら泣き続ける話だな。泣き続ける4歳の女の子が見たくてたまらない人には良さそうだが、温厚極まりない俺ですらちょっと苛立ってしまった。アメリアが手を挙げようとしたのは意外だったが、まあ温厚極まりない俺ですら耐えられなかったからしょうがないか。しかし、現実問題、4歳で一人で学院に、というのは無理だろう。ロッティに同情する。
2003/07/07第6話『灰かぶりベッキー』
なかなか味のあるキャラクターが登場した。どうやらベッキーは好きになれそうだ。それにしても相変わらず強気のセーラが良い。ところで、作中にシンデレラの話が出てきたが、シンデレラが「灰かぶり」という意味であることを、恥ずかしながら初めて知った。小公女セーラは、シンデレラの物語に多くの類似点を見ることができるようだ。
2003/07/08第7話『代表生徒』
思うに、ラビニアは悪役然とした感じだからあまり気にならないが、実際問題ラビニアはかなり悲惨だと思う。もしもあれで、ラビニアが心優しくてセーラとも親しい少女だったら、セーラは自分が代表生徒に選ばれたときに、何か違った反応をしたのではなかろうか。要するに、セーラもまた自分に敵対するラビニアを嫌っているのだと思われる。
2003/07/08第8話『親切なお嬢様』
セーラはダンスも得意で、ラビニアより上手に踊ることができる。やはり、中途半端に7や8から−10に落とすのではなく、10から−10へ叩き落としたいらしい。なるほど。陰でコソコソと踊っているベッキーに女の子の姿を見出した。可愛らしい。10と−10の語らいも良かったが、その差が0になるのもまた楽しみの一つである。
2003/07/10第9話『インドからの手紙』
やべぇ。ベッキー、可愛い。実はこれはベッキーの物語なのではないかという錯覚にさえ陥る存在感だ。得てして主人公というのは不幸の方が物語性に富むものだ。もっとも、ベッキーの存在感が強いのは、主人公のセーラとのギャップが大きいからだろう。やがてセーラが−10に落ちたら、ベッキーの存在はかすむかも知れないな。
2003/07/10第10話『二つのプレゼント』
ベッキーーーーーーッ!! もうダメだ。最後の10と−10の抱き合うシーンは感動ものだ。それにしても、以前セーラを10から−10に落とす話を書いたが、「周囲の期待」というスパイスを使って、15とも20とも知れない高さから−10へ突き落とす計画らしい。壮絶だ。今回のミンチン先生の喜び様は、すべて後々の憎しみへと転換する。
2003/07/11第11話『プリンセスの誕生日』
−10への序曲。とうとう父親が亡くなり、天涯孤独の無一文になってしまったセーラ。言ってみればこれまでの栄光は、一本の糸を引っ張るとすべてがなくなってしまうセーターみたいなものでしかなかったわけだ。「さあ、ゲームの始まりです」@酒鬼薔薇聖斗。
2003/07/12第12話『屋根裏の暗い部屋』
バロー強ぇ。あのミンチン先生すらたじたじになるほどだ。それにしても、長い物語だからこそできる、ゆったりと時間の流れる一話だった。10から−10に堕ちる、本作品でも特に重要なこのシーンを、こうしてじっくり放映してもらえたのは嬉しいことだ。それにしても、黒セーラ萌え。白セーラよりしっくり来る。
2003/07/12第13話『つらい仕事の日』
セーラが屋根裏部屋で皆からもらったプレゼントを眺めているとき、不覚にも泣きそうになってしまった。それにしても、作中ではセーラの心中は最後のナレーション以外わからないので、その点が残念。原作では黒セーラも公女然とした気持ちでいるが、このアニメでは心までヘナヘナな感じがする。それもまた萌えではあるが。
2003/07/13第14話『深夜のお客さま』
前半の朝食シーンの気まずさ爆発具合が何とも奥床しい。後はおおむね原作通りであるが、原作を読んでいるからこそセーラの胸中がわかるのであって、アニメだけからではこの回の奥深さはわかりにくいような気がする。常に100点の行動と考え方をしていたセーラが、初めて赤点を取った貴重な回だと、俺は考える。
2003/07/14第15話『街の子ピーター』
セーラの吹いていたオカリナの曲が良い。しかし、うちにあるオカリナでは、あの最高音は出ない気がする。倍音が出ない楽器の宿命というやつか。ピーターという少年は個人的には好きだが、この作品には恋愛要素はかけらも必要ないと思っているので、あまりそういう方向には行ってほしくないところだ。
2003/07/15第16話『ロッティの冒険』
ロッティという少女は、単にセーラの優しさを様々な角度から描くための、言わば「都合のよいキャラクター」でしかない気がする。それが証拠に、原作でもアーメンガードに比べて登場回数が異様に少ない。まあ、原作だとロッティは7歳なので、多少印象も違うかも知れないが、いずれにせよ子供嫌いな俺は好きになれない。
2003/07/15第17話『小さな友メルの家族』
実際にしたわけじゃないが、残飯漁って飢えを凌ぐセーラは萌えだな。しかし、セーラの「友達」が人形の次はネズミでは、アーメンガードもきっと内心では憐れみたっぷりだろう。それにしてもベッキーは良い。彼女の厚意を、セーラが当たり前に受け止めているのは、ひとえに立場の差というものだろうか。
2003/07/16第18話『悲しいメイポール祭』
やべぇ。この回はちょっと泣けた。メイポール祭というものは実際あまり本筋とは関係なく、恐らくいかにセーラがみすぼらしくなってしまったかを強調する道具の一つなのだろうが、それがあまりにも効果的に役割を果たした印象。泣きながら野菜を拾うセーラにどん底を見た。しかし、やはりもっとセーラの内面を見たいものだ。
2003/07/18第19話『インドからの呼び声』
痛い痛いよぅ。前半のインドから手紙が来たと喜んでいたセーラを見ていたら、胸が張り裂けそうになったよ。痛い痛い。セーラが階段を駆け下りていったとき、その場にはベッキーとロッティ、アーメンガードがいたけれど、最後にセーラと抱き合って泣いていたのはベッキーだというのが個人的に気に入っている。思ったよりベッキーの重要な出番が多くてGood!
2003/07/18第20話『謎の特別室生徒』
どん底だ。ひたすらどん底だが、これでラビニアとの確執がさらに深まり、なお深き底へ転げ落ちていくのかと思うと、涙なしには見れたもんじゃない。アーメンガードがうちひしがれるセーラに声をかけなかったのが印象的。前回、ベッキーは泣いているセーラに声をかけた。この差は俺的に重要。あと関係ないが、靴を替えさせられるセーラ、萌え著しい。
2003/07/21第21話『涙の中の悲しみ』
もう見てらんない。あの子を解き放て! 俺が養ってやるから(汗)。前回もどん底を感じたが、底は際限なく深いところにあるらしいな。始まった時からセーラが悲しそうにしていて、始終いたたまれない回だった。「つもり」になるのが好きなセーラが、「マッチ売りの少女」のごとき結末を迎える日も近いな、これじゃ(汗)。セーラ・クルー、屋根裏に消ゆ……。
2003/07/21第22話『屋根裏のパーティ』
1本ずつマッチを擦っていくセーラの姿が見え始めた。原作だとこの後すぐ、The Magicが始まるけれど、まだラムダスも出てきていない現状、セーラはひたすら飢えるしかないわけだ。やがてセーラは空腹のあまりメルを捕まえてかじり始め、ベッキーはそんなセーラのために自らの肉をそぎ落として彼女に差し出すんだな。アーメン。
2003/07/22第23話『親切なパン屋さん』
だんだんセーラの表情から喜怒哀楽が欠落し始めた感じがする。今回は、前回、前々回と比べるといじめレベルは低いが、前回からつながっていることを考えると、セーラの状況は前回、前々回より緊迫しているだろう。原作ではラストを飾るほどの重要人物アンヌがなかなか可愛く描かれていたが、果たして次の登場はあるのかどうか。楽しみなところだ。
2003/07/22第24話『エミリーの運命』
実はこの話を見る前に俺が思ったことであり、冒頭でラビニア自身の口からも出たことだが、実際問題、ラビニアがセーラをいじめる理由はもうないはずだ。だから原作では、ラビニアはほとんどセーラをいじめていない。憎さも憎しというやつか、嫌いなものはしょうがないというのはわかるが、俺にはどうしても演出の都合の気がしてならない。
2003/07/23第25話『一日だけのシンデレラ』
白セーラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!! なんかむっちゃ久々に教室で授業を受けるセーラを見たが、なんて違和感を覚えるんだ! それだけ黒い方が定着してしまったのだろう。久しぶりに平穏無事な回だったと思うが、あくまでセーラをこき使いたい院長先生とセーラの確執はいっそう深まったな。ラビニアにもより嫌われたろうし、刹那の光はより濃き闇を作り上げる。
2003/07/23第26話『年少組の小さな先生』
セーラが殴られたときに院長先生に言ったデュファルジュ先生の言葉は、原作では「Ram Dass」の章でセーラが直接言っているものである。アニメのセーラは決してああいうことは言わない。セーラの原作との性格の違いは、ひたすら耐える日本人向けのアレンジがなされたというより、視聴率を意識したものではなかろうか。あの方が視聴者のウケがいいはずだ。
2003/07/28第27話『デュファルジュ先生の帰国』
それはあかんだろ、ラビニア。むっちゃ自業自得じゃん! 武器を持った子供は怖い。セーラ、走る、走る、泣く泣く泣く。可愛い可愛い。また一人、セーラの貴重な理解者がいなくなってしまった。直接的にも間接的にも追いつめる追いつめる。ところで、アニメ版のセーラは、恐らくお金持ちに戻ってからデュファルジュ先生に会いに行ったのだろうな。
2003/07/29第28話『夏休みの大騒動』
ベッキー、かわえ〜( ̄▽ ̄) それにしても前半のラビニアの発言は辛辣だなぁ。セーラを悪く言うのはともかく、セーラの境遇をバカにするのは最低だろう。セーラも耐える耐える。ベッキーの前でだけ弱音を吐くのがまたいいな。個人的には、もっとベッキーには弱いところを見せて欲しいところだが。自分をさらけ出せる相手、というシチュエーションが良い(^-^)
2003/07/29第29話『ベッキーの里帰り』
平和な回だった。しかし今回ちょっと残念だったことに、どうも始終セーラが寂しそうにしていたのは、ベッキーがいなくなってしまうからではなく、自分に帰る場所がないからである模様。セーラにはベッキー依存症になって欲しい俺としては残念でならない。ベッキーがキャンディーを買っていたときに寂しそうにしていたセーラは萌えた。養いたい!
2003/07/30第30話『インドからきた紳士』
あー、養いたい養いたい! セーラを骨の髄から養いたい! しかし、セーラにせよベッキーにせよ、彼女たちには「娯楽」というものがまるでない。一体彼女たちは何のために生きているのか、などという哲学的なことを考えられるのは、「余裕」のある現代を生きているからであって、彼女たちは自らの「生」をあまり意識してないのかも知れないな。
2003/07/30第31話『屋根裏にきた怪物』
きゃーきゃー言ってるセーラもまたよし。初めて見るセーラだ。ネズミは平気でも、猿はダメらしい。同じ霊長類なのに、近親憎悪か? こりゃ俺、人間だからセーラには愛してもらえんな。ラムダスが思ったより軽い感じだった。まああんなものか。とりあえず平和だった。−20への序曲、そしてどん底から白セーラへ。終わりが見えてきたな。
2003/08/02第32話『壁の向こう側の秘密』
セーラを養いたい……。それにしても、ラルフの娘は一体どこにいるんだ?(笑) ドナルド少年再登場! この辺は結構原作に沿ってくれているので、ひょっとするとアンネもラストに再登場するかも。どうでもいいが、夏なんだなぁ。あと7話ほどで、季節が一気に冬になる。クリスフォード氏はそれまで無事でいられるのか?(汗)
2003/08/02第33話『新学期のいじわる』
ラビニアはどうあってもセーラをいじめたいらしい。24話でも書いたが、理由がまったくわからないから釈然としないなぁ。健気なセーラ、萌え。しかし、ラビニアを迎えに行ったときのセーラの笑顔はなんだったのか。あのラビニアにまさか何かを期待したのか、それともとうとうマゾヒスティックに目覚めたのか。「も、もっと叩いてください! 叱ってください!」
2003/08/03第34話『嵐の中のつぐない』
ダメ。今回はあまりにもセーラが可哀想で言葉もない。と言っても、いつもと同じ分量は書くか。今回も、やはりセーラはラビニアに何か期待していたように思える。原作と違って、セーラはラビニアが好きなのかも知れない。というか、アニメ版のセーラは、人を嫌いにはなれないのでは? あるいは、立場をわきまえているだけか。
2003/08/03第35話『消えそうないのち』
リリアを治すにはロダの実とセルセタの花が必要だ。さあ走れ、ベッキー! という感じだったな。薬を飲まされていたときのセーラのアップがかなり良かった。あのセル画欲しい。しかし、途中のセーラの台詞が、「お父様……今参ります」だったら、ギャグにしかならんか? ちなみに、ヤブ医者の言おうとしていた重い病気というのは、黒死病のことか?
2003/08/05第36話『魔法のはじまり』
ほんわかした話だった。前半のベッキーの泣き出しそうな「はい、ただいま」には、思わずこっちもじんときたよ。本当にセーラのことが好きなんだなぁ。今回はなんとも女の子チックな二人が見られた。環境が異なれば、きっと二人とももっと年相応の顔をするんだろうな。もう一度どん底の黒はあれど、少しずつ白へ。終わりは近い。
2003/08/09第37話『屋根裏は大混乱』
院長先生と一緒に階段を上がっていって、先生が部屋のドアを開ける瞬間の怯えたようなセーラに萌えた。あと、ピーターと再会したときに、ピーターのことがわからずに、なんだか変な身振りをしながら考えていたセーラにも萌えた。そこまでわからなかったか?(笑) なかなか、平穏にして可愛いセーラがたくさん見られた回だったな。
2003/08/09第38話『こわれた魔法』
セーラ大泣き。可哀想に。金がないというのは哀れなことだ。それでもセーラはここにいなければいけないのだろうか。これでもまだましなのだろうか。この子をもってしても、他には置いてもらえないのだろうか。とりあえず、クリスフォード氏が「魔法」という形で力は貸せても家には置いてやれないことが、その答えなのだろう。耐えるしかないらしい。
2003/08/10第39話『馬小屋の寒い夜』
重要な回だ。前回書いた、セーラが学院に固執する理由と、24話で書いた、ラビニアがセーラをいじめる理由が両方あきらかになった。が、前者は未来が見えない現状で、いつ「勝ち」になるのかという疑問があるし、後者はセーラはすでに何度も凹んでいる。特に前者は、どこまで耐えればいいのか。しかし今回、ピーターが良かったなぁ。「結婚しよう!」と聞こえた(笑)。
2003/08/10第40話『アメリア先生の涙』
ラスト間近に、セーラが笑いながら泣いた。あの笑顔の意味がくみ取れない。俺はアメリア先生の言葉で、「味方はいる」と勇気づけられた笑顔だと思ったのだが、最後のナレーションの「寝場所はここしかない」という言葉からは、「あきらめ」の笑顔にも思える。今回、姉妹の過去がちらと出た。あれで今の二人の性格は頷けるが、頷けるのと認められるのは別問題だな。
2003/08/12第41話『妖精たちのパーティ』
そうか。ベッキーを除くと、この子たち全員、今の日本で言うところの「小学生」なんだなと再認識した。あるいはラビニアも違うかも知れないが、それでも中学生以下なのは間違いない。なんだかものすごく郷愁に駆られたというか、とにかく実に微笑ましく、心温まるお話だった。次回は二十数分間、ひたすらセーラが焼死する場面か。気が重い(違)。
2003/08/12第42話『雪の日の追放』
序盤、あまりにもあっけなくセーラが助かって、なんじゃらほいって感じだ。今回、ミンチン先生と対峙するセーラがよかった。原作っぽかった。まあ、台詞も原作で実際に言っているものだし。あと、ピーターに泣きつくシーンが萌え。あずまんが的に言うと、re-readabilityに優れた回だ。椅子から起き上がる時と、その後ゆっくり振り返るセーラは何度見ても(・∀・)イイ
2003/08/13第43話『幸せの素敵な小包』
白セーラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!! って、前も書いた気がする。ミンチン先生が、赤いドレスを着たセーラを検分しているときのセーラがめちゃめちゃ可愛かった。というか、先生が羨ましかった。ええのぉ。俺もセーラをペタペタ触ってみたいところだ。あと、先生がナイフを取り出したときのセーラ萌え。あー、今回全体的にセーラ可愛かったなぁ。いい回だった。
2003/08/14第44話『おお、この子だ!』
"It is the child!" ようやく巡り会えた二人〜♪ 最後にぽかーんと口を開けて突っ立っているセーラいいなぁ。「一体このおっさん、何ゆうてんねん」って感じだった。しかし今回、微妙にセーラの絵が崩れていた気がする。気のせいかなぁ。前回の方が可愛かった。後は、前半のクリスフォードさんの、「ラルフの娘に会いたくない」心情がなかなか良かった。
2003/08/14第45話『ミンチン院長の後悔』
白セーラ、完全復活っ! クリスフォードさんの、「ご自分でお確かめになられたらよいでしょう」の後、セーラには原作の"Have you, Miss Minchin? I did not know that."を是非言って欲しかったが、まあそのシーンが上手く割愛されていたのが、ここでも度々書いてきた原作とアニメのセーラの差か。アニメ版では、一体CMの最中にどんなやりとりがなされたのか。
2003/08/15第46話『また逢う日まで』
色々なことが丸く収まった。大団円と呼ぶにふさわしいラストと言えよう。もっともそのために、最後のラビニアとか少々無理した部分も見受けられたが、まあそれくらいは目をつむろう。最後はつめこみ過ぎたせいか、ベッキーやピーターの出番が少なかったのがちょっと残念だった。まあベッキーに関しては原作より遥かに多いが。おおむね納得のいくラストだった。
2003/08/15■『小公女セーラ』の全体を通しての感想
まず自分のことだが、比較的前半で原作の訳書を読んだために、全体的に純粋にアニメとしてどうと言うより、原作と比較して見ていた部分が多かった。よってこの各話の感想も、原作の話が度々登場する。すべてを見終えた感想として、矛盾なくよくまとまっていると感じた。けれどそれは原作との記憶が混同し、実は原作から入れた知識が、アニメの穴を埋めている可能性もあるので、正確な印象とは言えないかも知れない。いずれにせよ、両者を足し合わせた上で、『小公女セーラ』という作品は非常によくまとまっていたと思える。

原作とアニメの大きな三つの違いについて言及する。まずその内の一番小さな問題として、ピーターの存在だが、アニメとしては物語を成立させるために必要なキャラだったと考える。というのは、この後挙げるセーラの性格的な問題で、原作のセーラは常に"I tried not to be anything else."(わたくしはほかのものにはなるまいと思っていました(訳:伊藤整氏))と強い心を持っていたから、いかなる状況でも自分一人で立ち向かえたが、アニメのセーラはよく泣いていたし、他人に頼ることが多かった。ピーターがいなければ恐らくセーラは途中でダメになっていただろう。また、そういう打算的なことを除いたとしても、子供向けのアニメの割に男の子がまったく出てこない作品なので、ピーターという少年を登場させたのはよかったと思う。15話の感想で「この作品に恋愛要素は必要ない」と書いたが、ピーターは私の一番望んでいた形──つまりセーラの良き友達であってくれた。実に満足である。

次に、各話の感想でも度々書いてきたが、セーラの性格の問題。上にも書いたが原作のセーラは常に公女然としており、26話の感想でも書いた通り、直接ミンチン院長に反抗的な態度を示している。原作とアニメのラストの違いは、このセーラの性格の違いによるものだと捉えることもできる。原作ではセーラは学院を出てから先、まったく学院を相手にしていない。はっきりとミンチン院長にも敵意を示しているし、ラビニアに対しても友好的に接したことがない。アニメでは33話の感想でも書いたが、セーラは全体的にラビニアに友好的だし、万人に対して常に心優しい完璧な少女だった。どちらがいいか悪いか、という話はともかく、私はアニメのセーラの方が好きだし、恐らく大半の視聴者がそうだろう。ただ、どちらが現実的かと言われたら、原作だ。その分、ラストの後味は原作の方が悪い。セーラの性格の違いが、アニメのあの爽やかなラストをもたらせたと言うことも可能だが、あのラストを作るためにセーラをああいう性格にしたのではないかと考えることもできる。

最後に、最大の違いとして、セーラの年齢である。承知の通り、原作はセーラが7歳のときから物語が始まる。アニメでいう5話と6話の間は、原作では2年空いており、ベッキーはセーラが9歳のときに学院にやってきた。その後ラルフ大尉が死に、セーラは2年間、学院でこき使われる。まあ、ベッキーのことはともかく、肝心なのはセーラの父親が鉱山に手を出してから死ぬまでと、死んでからクリスフォードがセーラと出会うまでの期間である。アニメでは全体で1年しかなく、これは明らかに不自然だ。大尉が全財産を失すのがあっという間過ぎるし、その後クリスフォードが病気から立ち直ってセーラを見つけるまでの期間も短い。そういう点から、原作の方が物語として自然であることは否めない。もちろん、アニメにはある程度テンポというのがあるから、原作のようにできなかったのはわかるが、テンポを守るために不自然になった印象はどうしても拭えない。

まあ取り留めもなくごたごた書いてきたが、要するにアニメ版は、いくつか不自然さを孕むことにはなったが、大衆向けの良いアレンジがなされており、完成度も高く、非常に楽しめたと結論付けることができる。

あと、他人には極めてどうでもいいことだが、セーラは俺に生まれて初めて「娘が欲しいっ!」と思わせたキャラだった。まったくスケベなことを考えずにここまではまった女の子はセーラが初めてだろう。実は俺にとっては、そういう意味で記憶に残った作品となった。なんていうかもう──養いたい! この一言に尽きよう。

ストーリー ( 内容やテンポ、感動したかなど )★★★★☆
キャラクター萌え度 ( 絵や声、性格、言動など )★★★★★


 ▲ Back