『 子供たちの夢 』



 9

 明日の予定は朝からフリータイムで、川に行くもよし、山に行くもよし、土産物を見るもよしということになっている。
 だからオレの中では、それはほとんどキャンプの一貫には入れていない。
 あくまでキャンプは、最終日のキャンプファイアーの火が消えるまで。
 オレは山との別れを名残惜しみながら眠りについた。
 ところがその夜中、オレはふと自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。
「ヒロ……ヒロってばぁ」
 聞き慣れた志保の声。
 目を開けると、暗がりの中に志保とあかりと雅史の三人が立っていた。
「ん……? どうしたんだ?」
 半身を起こしてオレが聞く。
 しかし志保はそれには答えず、
「とにかく早く着替えてついてきて」
 と、あかりと一緒に先に部屋を出ていった。
 時計を見ると、夜中の1時15分。多少起きている奴もいるが、ほとんどの奴が眠っている。
「おい。一体どこに行くんだ?」
 着替えながら雅史に聞くが、雅史は「僕も聞かされていない」と首を傾げた。
 二人揃って部屋を出ると、志保が自分の口の前で人先指を立て、手でオレたちについてこいと促した。
 暗い階段を音を立てないように1階まで降りると、玄関ではなく、廊下の突き当たりの窓から外に出る。
 外は真っ暗で、少し肌寒かった。静寂の中で虫の鳴き声がする。
「なあ志保。こんな真夜中にどこに行くんだ?」
 オレが聞くと、志保は、
「山よ」
 と、短く言って、肩からぶら下げた懐中電灯をつけて歩き始めた。
 向かう先は今日の朝登った天邨山。
「ねえ志保。山に何があるの?」
 訝しげに尋ねたのはあかり。どうやら、あかりでさえ何も聞かされてないらしい。
 志保はあかりの方を振り返り、
「それは行ってからのお楽しみ」
 と、楽しそうに笑うと、山道に差し掛かった。
 真っ暗な道。頼りない足元。
 時々風に黒々とした木々が泣いて、その度に怖がりなあかりが身を震わせた。
 志保は極力何かを話しながら先を急ぐ。
 確かに喋ってないと不安になる不気味さだった。
 これが夜の山か……。
 30分ほどすると、右手に郷谷川駅の見える地点に到達した。
 しかし志保は足を止めるどころか、むしろスピードを上げて先を急ぐ。
 その時、
「あっ!」
 突然あかりがそう短く言葉を切って足を止めた。
 オレはビクッとして、内心冷や冷やしながらあかりに聞く。
「どうしたんだ?」
 あかりはおどおどしながら空の一点を指差した。
「う、うん。今、流れ星が落ちた気がして……」
「流れ星?」
 そりゃまた珍しい。
 オレはあかりの指差す空を見上げて、少しロマンチックな気分に浸った。
 すると、
「何ぼやぼやしてるのよ! 早く来て」
 と、一人だけこういうことに無理解な人間が不満げに口を尖らせた。
 まったく、残念な限りだ。
「はいはい。んでは、先に進みますか」
 嫌みったらしくオレがそう言ってやると、不思議と志保はいつもみたいに乗ってこず、変わりに大きく頷いて再び早足に歩き始めた。
 オレは何だか拍子抜けしたが、それ以上悪態をついてもおもしろくないので、仕方なく志保の後を追った。


 それからさらに1時間ちょっと、オレたちは道の分岐点にやってきた。
 時計の針はすでに3時を回っている。
 左右に分かれる道は、どちらもすぐそこが闇になっていて、もし今志保の懐中電灯が切れたらと思うとぞっとした。
「こっち!」
 息を切らしながら、志保は左の道に入った。
 確か朝は右の道を行ったと思ったが……。
「志保、この先は?」
 オレが聞くと、志保は振り返らずに答えた。
「この先には、昼に行ったところと同じような場所があるの。規模はうんと小さいんだけどね。宿のおじさんとおばさんに聞いて確認したわ。もうすぐそこ」
 そんなことを話している内に、確かにゴールが見えてきた。
 道の先端、両側の木々がなくなって、その先に空が見えた。
「行こう!」
 志保がスピードを上げる。
 オレたちは一気にそこへ駆け抜けた。
 途端に、ビュッと風が吹いた。
 確かに狭い。しかもそこには木柵がなく、下は崖になっていた。
 あかりが震えながら、ギュッとオレの手を握る。
 オレは同じようにその手を握り返してやった。
 眼前には真っ黒な山。山肌の木々のシルエットがはっきりと見える。
「どうにか間に合ったようね」
 志保の声を聞いて、オレたちは志保の方を見た。
 すると志保は、満足そうな笑みを浮かべて空を見上げていた。
 なんだろうと、オレたちも真上に首を傾ける。
 漆黒の夜空。
 雲はなく、月が煌々と輝く空に、無数の星が瞬いていた。
 そして……。
「あっ!」
 ほとんど同時に三人が驚きの声をあげた。
 星が落ちたのだ。
「流れ星?」
「そうよ」
 あかりの声に志保が頷いた。
 その間にもまた一つ、星が一筋の流線型を描いて落ちる。
「なんとか流星群。1週間くらい前の新聞に載っててね。どうしてもみんなで見たくてつれてきたの」
「そうだったのか……」
 それは実に神秘的な光景だった。
 小さな小さな光の粒が、キラリと光っては落ち、すぐに消え、また別の星が光を放って夜空を駆ける。
 オレたちは呆然と空を見上げたまま、しばらく何も言わずにそんな光景に目を奪われていた。
 やがて、小さな声であかりが言った。
「流れ星……せっかくだから、みんなでお願い事していこっ」
 流れ星に願う夢。
 いいかも知れない。
「そうだな……」
 空を仰いだままオレは頷いた。
 すると、あかりが嬉しそうに言った。
「じゃあ、浩之ちゃんがもっと優しくなってくれますように……」
「おいっ!」
 明らかに冗談めかして言っていたので、オレは軽くあかりの頭をはたいてやった。
「痛った〜い」
 頭を抑えてあかり。
 知るか!
「あたしは、とにかくみんなと同じ高校に入れますようにぃぃぃっと」
 妙に語尾を伸ばして志保。
「それはいくら神様でもちょっと大変な作業だな」
「う、うるさいわねぇ」
「僕は……何がいいかなぁ」
 雅史が呟く。「やっぱり僕も高校受験かな……」
 星はまだ流れ続けている。
 オレたちは一度互いに笑い合うと、それから急に真面目な顔で空を見上げた。
「……短かったな」
 まずオレが言う。
「うん……」
 あかりが頷く。
「アッという間だったね」
「そうだな……」
 何のことを言っているかは知らない。
 今回のキャンプのことか、それとも中学3年間のことか。
 ただオレは、みんなと出会ってから今日までのことを考えていた。
 物心ついたときからいつも、あかりと雅史と3人でいて、中学校で志保と出会った。
 オレはいつもこの3人に囲まれて、毎日を本当に楽しく過ごしてきた。
 何も今回のキャンプに限ったことじゃない。
 小学校の時の修学旅行もそうだった。去年の夏の海水浴もそうだった。
 それこそ、日々の単調な学校生活でさえ、4人でいればそれなりにおもしろいと感じることができた。
 半年後に、高校受験が控えている。
 オレたちがみんなでまたこうしていられるかどうかはわからない。
 いや、例え4人揃って入学できたとしても、みんな違う友達を作って、バラバラになってしまうかもしれない。
 オレは空を見上げたまま目を閉じた。そして身体の前で軽く手を組んで、心の底から強く強く願いを捧げた。
(これからも、ずっとみんなで仲良くやっていけますように……)
 オレはゆっくりと目を開けた。
 見ると3人ともが同じように願いを捧げ、そしてオレの方を見る。
「何を願ったの? 浩之」
 笑顔で雅史が聞いてきた。
 オレは苦笑して答えた。
「こういうもんは、人に言わないからいいんだよ」
 雅史と、そしてあかりと志保が、みんな揃って笑顔を見せた。
 言葉にしなくてもわかっている。
 オレたちの願いは一つだ。


「すばらーしいーときはー やがてーさりーゆーきー」


 不意に、小さな声で志保が口ずさんだ。
 オレたちのよく知っている歌。
 題は覚えていない。


「いまはーわかれをー おしみーながらー」


 志保の綺麗な声が夜空に溶けて消える。
 オレたちは崖っぷちに並んで彼方の山に目を遣った。
 志保は瞳を輝かせて歌い続ける。


「ともにーうたったー よーろーこびをー」


 そしてオレたちも一緒に口ずさむ。


「いつまーでもーいつまーでもー わすれーずにー」


 光ノ原キャンプ。
 郷谷川キャンプ場でのこの2泊3日を、オレは決して忘れない。
 いつか歳をとって昔を懐かしむ時、オレは真っ先にこの思い出を語りたい。
 その傍らに、雅史と志保とあかりがいれば、オレはきっと幸せだろう。
 オレたちは幸せだったと、歳をとっても笑い合えるだろう。


「たーのーしいーときはー やがてーさりーゆーきー
 いまはーなごりをー おしみーながらー
 ともにーすごしたー よーろーこびをー
 いつまーでもーいつまーでもー わすれーずにー」


 また一つ、輝く星が想いを乗せて、夜空に白い軌跡を描いた。
 オレたちはそんな空の白み始めるまで、そうして歌い続けていた。
完