「旅人さん、キノさんって言うんだ。よかった。こんな状況だから、みんなとても不安がってたの。大人の人がいてくれると、それだけで安心できるの。ううん、もちろんキノさんに助けてほしいって言ってるわけじゃないの。キノさんだって遭難しちゃったからこの山小屋に来たんでしょ? いてくれるだけでいいの。あたしたちは子供ばかりですごく不安だったの」 お世辞にも立派とは言えないが、辛うじて風と雪だけは防いでくれる山小屋の中で、キノは壁にもたれて座っていた。薄目を開いて囲炉裏を見ると、子供たちが輪になって何やら深刻そうに話をしている。 キノが雪山で遭難して、この小屋に辿り付いてから5日。その時すでに子供たちはここにいた。聞くと、もう一週間以上ここに閉じ込められていると言う。 薪だけは十分あったので暖を取ることには困らなかったが、それ以上に深刻な問題が彼らを襲っていた。食糧がないのである。 キノはわずかな携帯食を持っていたが、昨日の朝、最後の一片がなくなった。子供たちにあげたわけではない。これまでの旅と、山小屋に着いてからの数日で食べ尽くしてしまったのだ。 なるべく無駄な体力を使わないように、キノは昨日からほとんど何も喋らず、動こうともしなかった。子供たちの何人かはすでに空腹のために倒れ、部屋の隅で痩せこけた身体を横たえている。 やがて比較的血色の良い、リーダー格の少年がキノのところにやってきた。 「聞いてほしい。僕たちは決めたんだ。このまま全員が飢えて死ぬよりも、誰か一人の犠牲によって残りの全員が生き残ろうって。だから僕たちは公平にジャンケンをして、負けた一人が死ぬことになった。キノさんはジャンケンには参加しなくていい。だって、キノさんはしようと思えば今すぐにでも僕たち全員を殺して鍋を作ることだってできるんだから。だから、キノさんはジャンケンには参加しなくていい。ただ、選ばれた一人を殺して調理をしてほしいんだ。もちろん、キノさんにはそれを食べる権利がある。どうだろう」 キノは小さく頷いた。少年は切ない微笑みを浮かべて囲炉裏に戻っていき、ジャンケンのかけ声が聞こえてきた。 キノは天井を仰ぎ見た。そして思った。 (これは戦争と同じだ。自分たちの利益のために他人を殺す。旅も同じだ。自分を守るために他人を殺す。強い者が勝ち、弱い者が負ける。ボクたちは動物を殺して食べる。時々動物に殺される。自然の摂理だ。生き物の掟だ) ジャンケンが終わった。早くもすすり泣く声が聞こえた。キノが視線を下ろすと、一人の女の子が悲しそうに微笑みながらキノを見ていた。山小屋に避難したキノに、初めて話しかけて来た女の子だった。 「あたしを、殺してください」 キノはゆっくりとした動作でパースエイダーを抜き、囲炉裏の方に狙いをつけた。そして怯えたような、困惑したような表情でキノを眺める子供たちに言った。 「もしもボクが、この中で一番気に入らないヤツを殺して鍋にしたら、どうする? ボクは君たちのルールに従う義理はないし、誰でも殺すことができる。その権利はないけど、能力はある」 「キノさんは僕たちの提案に頷いた。それを大人たちは、『契約』って言うんじゃないの?」 「そんな約束をほごにすることを躊躇するような生き方はしてないよ。ボクは善人じゃない。今までたくさんの人を殺してきたし、たくさんの人を見捨ててきた。現にボクは、持っていた食べ物をただの一片だって君たちにあげなかった。元々、君たちのことなんかどうでもいいんだ」 子供たちは青ざめ、震えながらキノを見つめた。先ほどまで泣きじゃくっていた子も、いつの間にか泣きやんでいた。新たに泣く子はなかった。薪の爆ぜる音しか聞こえなくなった。 静かに女の子が言った。 「どうでもいいなら、あたしを殺して。あたしたちはルールを作って、一切恨みっこなしにしようって決めたの。あたしが死ねばみんな納得する。あたし以外じゃダメなの。キノさんは、雪がやめばもうさよならだけど、みんなは国に戻ってこれからも一緒に生きていかなくちゃいけないの。あたしたちの結束を壊さないで。あたしを殺して。これは命令じゃなくて、契約でもなくて、お願いです」 キノはしばらく女の子を見つめていた。 いつどんな状況でも、生きることを優先して行動してきた。今の生命は、他人の犠牲の上に存在するのである。 だがこの女の子は、心の底から仲間たちのために死のうとしている。一点の曇りもない、純粋な瞳だった。 キノはその眩しさに思わず目を伏せた。そして無言で立ち上がると、少し乱暴に女の子の手を引いて外に出た。雪は相変わらず降り続けている。 「その女の子をどうするんだい?」 白く染まった相棒が明るく声をかけてきた。燃料さえあれば、どれだけ寒くても元気なようである。キノは少し羨ましく思いながら答えた。 「殺すんだってさ。そう頼まれた」 キノは女の子を見た。そしてその身体を雪の上に横たわらせ、こめかみに銃口を当てる。 「何か、あるかい?」 キノが聞くと、女の子は少し身体を震わせ、涙を流しながら言った。 「みんなを、助けてください」 「……わかった」 キノは嘘をついた。見捨てるつもりはないが、積極的に助けるつもりもない。だが、これから死に行く少女を安心させてやるために、胸の底にしまったきり出していなかった優しさを取り出した。 パンッ! 鋭い炸裂音と同時に、女の子の身体がビクンと痙攣した。こめかみにぽっかりと空いた黒い穴から真っ赤な血が溢れ、女の子の顔を染める。弾は貫通したらしく、反対側から流れる血が雪を染めた。 キノが目を細めてその血を見つめていると、エルメスが淡々と言った。 「間引きだね? 知ってるよ。食べるものが少ない国の人が、食べる人を減らすために子供を殺すんだ。だけど、食糧はもうないんだろ? 今さら殺したって無意味だ」 キノはゆっくりと首を振った。 「違うね、エルメス。マイナスされる量を減らすんじゃない。プラスにするのさ」 「食べるの!?」 エルメスが驚いたように声を出した。それから興味深そうに続ける。 「キノも、食べるの?」 キノはパースエイダーをホルスターに戻し、ポケットからナイフを取り出した。そしてそれを女の子の左手首に突き立て、深く切り裂く。ナイフの先端から骨を削る感触が伝わってきた。 周囲の肉を切り、関節を外す。冷たくなった手を握って数回ひねると、筋がぶちぶちと音を立て、やがて手首が取れた。それを傍らに置きながら、キノは独り言のように言った。 「ボクももう限界だよ。ボクはエルメスと違って、動かなくてもお腹が空くんだ。エルメスは大事な友達だけど、もしもエルメスがパンでできていたら、もうとっくに食べていたかもしれない。だからボクは、子供たちの気持ちもわかるんだ」 同じように肘も外すと、今やただの肉と化した腕を縦に切り裂き、骨を取り除いた。ふと女の子の声が聞こえたような気がして顔を上げると、もう息のない女の子と目が合った。吐く物もないのに胃の奥から吐き気が込み上げてきた。 キノは思わず口元を押さえて、そっと女の子の目を閉じさせた。唾液を飲み込み、肉塊を雪の上に置くと、弱々しく笑った。 「もしも今誰かがボクを見たら、きっと鬼か悪魔だと思うだろうね。まだ『人殺し』って呼ばれた方がましさ。人である分だけ、ずっと。でも、幸いにも見ているのはエルメスだけだ。元々他人の批評なんて気にしないけど、今はエルメスのことだけ考えればいい」 エルメスは決して自分の方を見ようとしない少女に答えた。 「ぼくは何も気にしないよ。きっと、キノが死んだって大してなんとも思わない。新しい乗り手の方が気になるかもね」 「エルメスはモトラドだもんね。ボクはよく冷血だって言われるけど、エルメスを見てるとまだましだって思うよ。モトラドと比べてもしょうがないんだろうけど……涙が止まらない……」 キノは泣きながら女の子の腹を裂いた。中から真っ赤な腸を取り出すと、すでにいくつか置かれた肉片の隣に並べた。内臓など食えたものではないかもしれないが、食べなければ女の子に申し訳が立たない気がした。 キノは泣き続けた。エルメスが静かに聞いた。 「キノは、それでも生きたいんだね」 キノは大きく頷いた。自分の身代わりになって死んだ旅人の背中を思い出しながら、はっきりと言った。 「ああ、生きたい」 エルメスはそれ以上何も言わなかった。キノも唇を引き結んで女の子を解体した。 その二日後、ようやく長く続いた吹雪が去った。 |