『 誰かの描く幸せのために 』

  終幕

「真雪さん! あなたは一体いくつまでそういう格好でウロウロすれば気が済むんですか!」
 那美と話をしていた薫だったが、リビングに顔を出した真雪の姿を見て怒鳴り声を上げた。真雪は相変わらず、ショーツ一枚の上に上着を羽織っただけという、ラフな格好をしていた。
「あー、うるせー」
 真雪が朝からビールの缶を片手に、さも鬱陶しそうに顔をしかめた。
「まったく神咲・姉は、久しぶりに帰ってきたかと思えば、早速説教か?」
 言いながら、那美と向かい合う形でソファーに腰掛ける。
「う、うちかて、別に怒鳴りたくて怒鳴ってるわけじゃないです。真雪さんが……」
「あー、わかった。後で着替える」
 真雪がパタパタと手を振って、薫はやむを得ず押し黙った。
 それから真雪はまっすぐ那美を見た。那美は外出着で座っており、テーブルの上には小さなカバンが置かれている。これから出かけるところなのだろう。
 真雪は時間を取らせては悪いと思い、単刀直入に切り出した。
「それで、結局刀は捨てなかったんだな?」
「はい。その節はありがとうございました」
 那美が嬉しそうに笑って言った。薫はそんな那美と真雪を見て、穏やかに微笑んでいる。思えば、真雪が那美を心配して電話してこなかったら、今頃どうなっていただろう。薫は同寮生の心遣いに感謝した。
 真雪は晴れやかな那美の表情に、一度にやりと笑ってビールを呑むと、これで最後だというように尋ねた。
「後悔はしないな?」
「はい!」
 もう一度元気良く答えてから、那美は以前真雪に言われた台詞を真似て返した。
「後悔はしません。わたしは薫ちゃんみたいに、自分のしたことにも、してることにも、胸を張って生きます」
「那美……」
 妹の言葉に感動したらしく、薫が涙を浮かべた。
 真雪が楽しそうに笑ってビールを呑み干した。
「そかそか。まあ、どんな道にだって苦労はあるからな。あたしにだってあるし、知佳にだってある。こいつにもあれば、あの愛にだってある」
「あのは余計です」
 偶然通りかかったのか、ふてくされた様子で愛が顔を出した。
「ま、強く生きてくれ」
「はい」
 那美は答えて立ち上がった。
「わたし、これから美由希さんとデートなんです。夜には帰りますから」
「ああ」
「真雪さん、それから、薫ちゃんも、本当にありがとうございました」
 那美はぺこりと頭を下げると、元気良くリビングを飛び出していった。
 そんな那美の背中を見送ってから、先程那美の座っていた場所に薫が腰を降ろした。
「自分にしか助けられない人がいるのなら、自分の手で助けてやりたいって、那美はそう言ってました」
「そか……」
 真雪は腕を組んで目を閉じた。
「あたしもな、初めはマンガが好きだから描いていた。もちろん今もそれは変わってないけど、でも、誰かがあたしのマンガ読んで元気になってくれたりすると嬉しい。そういう人がいる限りは、マンガ家を続けたいって思う」
「わたしもですよ」
 愛が嬉しそうに笑って言った。
「わたしが獣医として頑張っていられるのも、こんなわたしにでも助けられる人がいるから、動物たちがいるから。誰かの役に立てるってことが、すごく生き甲斐に思えます」
「そうですね……」
 薫が静かに頷いて、窓の外に目を遣った。
 ガラスの向こうで、木々が光を受けて輝いていた。抜けるような青空と、その下に広がる緑。
 差し込む陽光がフロアを照らして、穏やかな陽気が室内を包み込んでいた。
「あー、くっそー!」
 突然、真雪が叫んだ。
 びっくりして二人が目を丸くする。
「なんか、すげーいい気分だぞ、おい。愛、酒持ってこい、酒。今日は呑むぞ!」
「の、呑むって真雪さん。まだ朝ですよ?」
「うるせー、お前も呑めよ。おい、愛。早くしろ! ついでに耕介も呼んでこい!」
「はいはい」
 愛が困ったように笑って、しかし嬉しそうに立ち上がった。
「真雪さーん……」
 なだめるような薫と、早くも出来上がったようにはしゃいでいる真雪。
 それぞれが、それぞれの想いを抱いて、さざなみ女子寮は、今日も平和と喧噪に包まれていた。