■ 明の十三陵−ひんやり地下宮殿

 八達嶺を後にした我々は、工芸品の店に寄った。実際に作っているところも見物できたし、いた時間もそれほど長くなかったから、これはまあなかなか良かった。
 これは、と書いたのは、実は明の十三陵の後になるのだが、国営の瑪瑙の販売店に立ち寄った。で、ここが長かったんだ。押し売りパート2。
 でも、瑪瑙になど興味のない人ばかりだったので、ほとんどすべての人がうんざりしていたのだが、4人家族の奥さんはここで何かを買っていたので、やはり需要はあるということだろう。
 小生のところにも店員が来たが、男一人でこんなツアーに参加している時点で、瑪瑙のピアスやネックレスが必要がどうかなど、察してくれとしか言いようがない。
 まあそれは後の話。工芸品の店を出た後、いよいよバスは明の十三陵へ。

 小生が覚えている限りのRyan氏の話によると、首都を南京から北京に移した3代目の永楽帝から、14人の皇帝の内、戦争で捕虜になって帰ってこなかった一人を除いた13人の墓があるらしい。
 で、その内の一人、最後の皇帝の墓が、地下宮殿の入り口が見つかって公開されているとか。他の墓にも絶対に同じような地下宮殿は存在するらしいから、まだまだロマンの残された場所だ。
 現在は、見つからないというよりは、中にあるものを保存する技術がないために、敢えて掘っていないとのこと。空気に触れてしまうと、保管してあるものがダメになってしまうんだとさ。


 定陵博物館の入り口。


 地面から出てきた石碑らしい。これの出土が、地下宮殿発見への第一歩になったとか。


 写真。先に書いた通り、空気に触れると中のものがダメになってしまうので、掘る人たちは真っ先に、復元できるように出てきたものの写真を撮るらしい。これはその一枚。


 こういうものが地下宮殿から出てきた。これは実物だったかな? 展示品の中には、復元されたものも多数あった。
 では、いよいよ地下宮殿へ。


 これは道の途中にあったもの。元々は周りの地面と同じ高さで、写真に写っているものは地面の中にあったらしい。それがある日、大雨によって、この辺りの地面が陥没し、地下宮殿の入り口の場所を知る手がかりになったとか。

 入り口でボディーチェックを受けて、いよいよ地下宮殿の中へ。
 で、ここで写真を掲げたいのだが、実はここに関しては、他の参加者の写っていない写真がほとんどない。別にここだけではないのだが、少し考えてみればこれは当たり前なのである。
 我々は目的地に向かって歩いており、小生はなるべく先頭にいた。写真を撮るために立ち止まるが、他の人たちは歩いて行く。そのまま目的地の写真を撮ると、当然彼らは写る。
 ずっとこれを繰り返していたので、だだっ広い場所や後方を撮ったものはともかく、地下宮殿のように狭い一方通行の通路のばかりのところではどうにもならない。
 まあ、それでも数枚。


 まずこれが地下宮殿の図。上の左配殿から入ってくる。


 皇帝様の椅子。あの世に行ってからも偉くあるために、立派な椅子を設けたそうだ。


 これは出口から後方を撮ったもの。ちょっとわかりにくいかも知れないが、ギザギザのところは、上の方で掲げた写真の画像と同じである。
 という感じで、明の十三陵は終了。下は外から撮った写真。


 かなり小さくなってしまったが、遠くの方にぽつんぽつんと見える黄色い屋根が、他の陵らしい。行くことはできるが、行っても何もないとか。