-
■ 日本人慰霊碑
-
最終日は当初、丸一日ある割に空港に行って終わりの予定だった。
なので、昨日渋滞で遅くなり、日本人慰霊碑観光がこの日になったのは良かった。天気も良い。
8時出発で、空港とは反対の北に向かう。相変わらず車窓の写真をパシャパシャ撮っていたらすぐに到着した。
| |
朝食。ちょっと食べ過ぎた。 | 車窓。郊外。いい天気。 |
人懐っこい犬に出迎えられ、丘の上にあるモニュメントへ。ちなみに、景色がとても綺麗だった。丘もモンゴルの風を感じる。
ちなみに835柱の遺骨はすでに日本に送られており、ここには記念碑が建っているだけである。
そういえば、ピースポールがあった。海外で見たのは初めてだ。
| |
モニュメントの上にドンと乗る人懐っこい犬。 | 慰霊碑。 |
| |
ピースポール。 | 最後に素晴らしい眺め。 |
-
■ 空港へ
-
日本人慰霊碑から空港まで約60キロ。フラワーホテルからでも50キロ。
比較的最近作られたばかりの空港で、しかもモンゴルは土地がたくさんあるのに、どうしてこんな遠くに作ったのだろう。謎だ。
| |
車窓。消防署? | 車窓。教会? |
| |
車窓。火力発電所。 | 車窓。すごくモンゴルっぽい風景。 |
飛行機は13:55だが、11時くらいには到着して、出国手続きの後、さらに2時間以上時間があった。
壮絶に退屈すると思ったが、窓際の横になれる椅子を確保できたのと、飛行機を撮っていたらあっという間に搭乗時間になった。
| |
日本では撮れない飛行機。 | 日本でも撮れる飛行機。 |
飛行機は隣がいない席を希望した結果、非常口のある席になった。
それはまあ良かったのだが、蓋を開けてみたら隣にものすごく太い外国のカップルがいて、腕が普通にこっちにはみ出している。手すりももちろん向こうのものだ。
これは敵わないと、CAに座席の変更をお願いしたのだが、全然対応してもらえずに諦めた。まあ、前は広いし、足元にカメラを置けないのは残念だが、そんなに悪くもない。
機内ではひたすら『とある科学の超電磁砲』と『推しの子』を読んでいたら、あっと言う間に日本に着いた。
厳密には一度トイレに立ち、客数の割にトイレが2つしか空いていなくて大変な思いをしたが、吐き続けたクロアチアの帰りや、肛門が死亡したハワイの帰りと比べたら全然平気だ。
| |
機内より、スマホにて。 | 機内食。 |
-
■ 名古屋へ
-
定刻通り関空着陸。
ラーメンが食べたかったが、関空にあるラーメン屋には心が動かされなかったので、はるかに飛び乗って新大阪へ。
新大阪にあるラーメン屋にも惹かれなかったので、光の速さで名古屋に帰ってきた。
遅い時間だったが「大名古屋一番軒」でラーメンを食べ、満足を得る。22時でもやっている店となると、他には「力丸」でも良かったが、キャスターの壊れたスーツケースで行く元気はなかった。
23時前に帰宅。お疲れ様でした。
| |
行きは使わなかったはるか。 | 帰宅後、モンゴルの小額紙幣。200円くらい? |
総括としては、とりあえず値段的にも内容的にもトラピックスのプランの方が良かったので、関空便なのに関西出発のプランを調べなかったのはやや後悔。
どうしてこれを後悔しているかというと、特に乗馬体験がしたかった。旅の最中、馬に乗っている観光客を見るたびにいいなぁと思った。モンゴルで乗馬とか素敵だし。
星空が見られなかったのも残念だったが、こちらはこの季節だと難しいようだし、かと言って別の季節だと極寒なので仕方ない。
それ以外は上々。満足と言ってよい程度には楽しめた。
近いが安いというわけではないので、若干のやり残しはあるが、モンゴルに行くなら他の国かな。
今回の教訓。
『昼のアルコールはやめておこう』
過去に昼にアルコールを飲んだせいで体調が悪くなったと思われる事例はないが(ポストイナ鍾乳洞の手前でトイレを我慢できなくなったことくらい)、今回はそもそもあまり体調が良くなかったので、無理は禁物である。関空食堂で焼き魚とか食べていたし。