『 子供たちの夢 』



 2

 親切な夫婦に迎えられて入ったその宿泊施設は、オレたちの想像通りのものだった。男子が3階で女子が2階。オレは雅史と他8人で、自分たちに割り当てられた階段に一番近い部屋に入った。
「ふい〜。とりあえず一段落ついたな」
「うん。でも、すぐに川だよ。今日は暑いから、きっと気持ちいいだろうね」
「ああ」
 昼食はすでに列車の中で済ましており、各自適当に着替えて川原に集合ということになっている。
 この辺りは結構いい加減。
 裏情報では、実はこのキャンプに参加している先生たちは、仕事として来ているのではないらしい。若い先生が多いのもそこにある。
 すべてが自由。けれども、皆がきちんと自主規制をして行動する。これが暗黙の了解。
 一人が和を乱せば、そこからすべてが崩れていくことを、皆しっかりと承知している。だから規則を破る者はない。
 すべての者が暗黙の内に、良識を持って行動すること。それがオレたち光ノ原の誇りなのだ。
「よし、雅史。さっさと着替えて一番乗りで川原に行くぞ!」
「うん!」
 オレたちは、ごろごろと寝っ転がったり、ぐったりとへたばっている他8名を放っておいて、てきぱきと海水パンツを穿くと、その上からバスタオルを羽織って外に出た。
 一段と暑い日だった。
 高くから照りつける太陽に灼かれて、立っているだけでも汗が吹き出してくる。
 木々の間を走る道を、雅史が先に、オレがその後ろを駆け抜ける。
 運動神経バリバリの雅史は、当然のごとく足も速い。
 オレは必死についていって、ようやく視界に郷谷川が見えてきたときには、全身汗だくになっていた。
「浩之。生徒では一番乗りみたいだよ」
 速度を緩めて雅史が言うと、オレは雅史の横に並んで川原を見た。
 そこには見覚えのある先生が一人立っていた。
「おっ。崎原先生じゃん」
 崎原忠夫、27歳。ウチの学校の国語の先生だが、よく体育の先生と間違えられる立派な体格の持ち主。
 典型的なスポーツマン系で、その爽やかさに定評のあるいい先生だ。
「おお、藤田、佐藤。早いな。一番だぞ」
「もちろん!!」
 準備運動もそこそこ、オレたちは川に飛び込んだ。
 澄み切った水は底が透けて見えるほど綺麗で、たまに小さな魚が下流の方へ泳いでいく。
 水温は低めで気持ちよく、水深は川原に近いところは浅く、中央付近が一番深くなっている。大体オレの身長の1.5倍くらいの深さだ。
「気持ちいいね、浩之」
 一度頭まで潜ってから、雅史が笑顔を見せる。
「ああ。とりあえず対岸まで泳いでみようぜ」
「うん」
 対岸までは、実はそこそこ距離がある。
 先程渡ってきた吊り橋の長さより少し短め。大体150メートルくらい。
 もちろん、オレたち二人の敵ではない。
「おう、二人とも。溺れ死ぬなよ。オレが困るからな」
 オレたちの運動神経を知っていてそう軽口を叩く崎原先生に軽く手を振って、オレたちは泳ぎ出した。
 遅い流れだが、真っ直ぐ泳げば結構下流に流されてしまう。それはいただけないと、オレたちはやや斜め上流を向いて泳いだ。
 そして、それなりに必死に泳いで対岸にたどり着き、元いた川原を振り返ると、同級生たちが続々と集まってきていた。
 その中にあかりと志保の姿を見つけて、オレと雅史が手を振る。
 二人もオレたちに気が付いたようで、手を振り返してきた。
「ねえ浩之、二人とも、ここに来るかなぁ」
 足先だけ水に浸からせて雅史が聞くと、オレは力一杯首を振った。
「あかりがいるから、絶対に来ない」
 実は……と言いながら、オレたちの中では結構有名な話だが、あかりは泳ぎが下手。小学生のときには、川に落ちて溺れたという逸話まである。
 その事件以来、オレがあかりに泳ぎを教えてやったが、元々運動神経の鈍いあかりは、ようやく50メートルくらい泳げるようになったレベル。とてもではないが、浮き輪なしでここまで来るのは不可能だった。
 対して志保は、これがまたなかなか泳ぎが上手い。中2のときに、あかりと雅史の親プラスオレたち4人で海に行ったときにそれが判明した。はっきり言って、オレたちより上手い。志保一人でなら、こちらまで来る可能性は大いにある。
 案の定志保は、オレたちの方に向かって何やら言うと、川に飛び込んだ。
 そこから先は速い速い。
 こちらを目指して泳いでくる数人の男子生徒を呆気なく抜かすと、本当にアッという間にこっちに来やがった。
「どう、ヒロ? 言った通りでしょ?」
 水から上がって、オレたちの横に座りながら志保。
 だが幸いにもオレたちには、志保が泳ぎ始める前に言った言葉が届いていない。
「ん? 何がだ?」
 オレが言うと、志保は、
「あんたねぇ。だから三番手でそっちに行くわよってやつ」
 と、露骨に眉をしかめた。
「いや、そんなこと言われてもなぁ」
「うん。残念だけど志保、声、届いてないよ」
 雅史に言われてようやく志保も諦めたようで、一度オレたちの方に恨みがましい目を向けたが何も言わなかった。
「さてと。あかりの奴が寂しがってると思うから、そろそろ戻ってやるか」
 そう言って、オレは二人の返事を待たずに川に飛び込んだ。
「こら、ちょっと。あたしは今来たばかりよ!」
 知らん。
 背後から雅史のついてくる音を聞いて、オレは勝利を確信した。
「くうぅ! ヒロめ」
 仕方なさそうに志保がついてくる。
 勝った!
 途中で雅史に抜かれながら元いた川原に戻ったオレに、あかりが笑顔で「おかえり」と言った。
「おう」
 オレは答えて陸に上がった。
「おけぇり、ヒロ」
 そんなオレにもう一つの声。
 見上げるとそこに志保が立っていた。
「遅いお帰りね」
 ぐっ。この女は……。
「いやいや、お早いお帰りですね、長岡さん。さすがは背中に背鰭がついているだけはある」
「背鰭ぇ?」
 くだらないギャグはそれ以上続けず、オレはあかりをいじめることにした。
「それよりあかり。おめぇも向こうに行かねぇか?」
「ひ、浩之ちゃん……」
 あかりは少しだけ拗ねた顔を見せる。「浩之ちゃん、私が泳げないこと知ってて言ってるんでしょ」
「50メートル泳げれば、泳げないうちには入らないぞ」
「……そうだね」
 おや?
 意外にも素直に頷くあかり。だが、
「じゃあ浩之ちゃん。もし私が途中で溺れたら助けてね」
 と、珍しく意地悪な目でオレを見てそう言った。
「う〜ん。それは約束しかねるなぁ」
「じゃあ浩之ちゃん。私が溺れ死んだら、線香の一本くらい立てに来てね」
「ああ、わかったわかった。もういいよ」
 う〜む。実はあかりの奴、橋での一件を怒ってたりして。
 気が向いたら謝っておこう。
「ねえ浩之。それよりせっかくだからみんなで遊ぼ」
 と、建設的な意見を言ってきたのは雅史。
 オレたちはそれに従って、その日は日の暮れるまでどっぷりと川で遊んだ。