『 子供たちの夢 』
5
キャンプの朝は早い。
それは先生に起こされるからだ。
「さあ朝だ。みんな起きろ〜」
崎原先生がそう言って入ってきたのが午前6時半。
オレたちが昨夜、先生に許してもらって部屋に戻ったのが1時で、その後さらにだべりにだべって、確か寝たのが3時くらいだったから、実質寝たのは3時間くらいか。
「ふあぁ〜あぁ……」
眠い。
「おはよ、浩之」
「ああ」
「さあ、早く着替えて外に出ろ。体操それから散歩。山の朝は気持ちいいぞ」
一人元気な崎原先生。
先生は言うだけ言うと、次の教室へ行くために部屋を出ていった。
「うぅ……。眠いよ、浩之」
「オレだって眠いわ」
のそのそと起き上がり、オレはバッグの中から服を引っぱり出して着替えた。
窓から陽が射し込んでいる。部屋の中はほのかに暖かい。
重たい足を引き吊りながら廊下に出て、階下へ向かと、2階の廊下で丁度志保が眠たい目をこすりながら出てきて、オレたちの方にやってきた。
「おはよう、志保」
「おはぁぁぁああぁぁ……んん……」
「何て言ったんだ? 志保」
「う、うっさいわねぇ」
みんな同じということだ。
「あかりちゃんは?」
「あかりなら、とっくに外よ。朝の強さではあたしたちの中ではピカ一ね」
う〜ん。さすがは毎朝起こしに来るだけのことはある。
「でもあいつ、逆に夜は弱いからな」
「ふ〜ん」
靴を履きながら、雅史が相槌を打つ。「あかりちゃん、夜弱いんだ」
「おう」
「詳しいね、浩之。よくあかりちゃんと夜をともにするの?」
「…………」
「…………」
オレと志保の動きがピタリと止まる。
「どうしたの?」
そんなオレたちを不思議そうに雅史が覗き込む。
何度も言うが、こいつは凄いことを意識せずに言うから怖い。
「別に何でもねぇよ」
オレは靴を履いて外に出た。
そして玄関口で肩を叩かれて振り返る。
にやにやと志保。
「それで、よく夜をともにするの?」
とりあえず張っ倒した。
外には60人くらいの生徒が集まっていた。
とにかく自主性を大切にするこのキャンプでは、別に朝の体操も出たくない奴は出なくていいというのが先生たちの言い分。
普通ならばそれでもみんな参加するのだが、さすがに朝だけはどうしてもダメだという奴がいるようで、残りの40人くらいは部屋でへたばっている模様。
ああ、情けない。
「おはよっ、浩之ちゃん」
元気にそう言ってきたのはもちろんあかり。この世の中で、オレのことを「浩之ちゃん」と呼ぶ奴はこいつしかいない。親戚でさえ、「ひろちゃん」とか「ひろくん」と呼ぶ。
何様のつもりなんだ、あかり。いや、別にいいんだけど……。
「おう、あかり。今朝もちゃんとあかりしてるな」
「ひ、浩之ちゃん……?」
山の朝は涼しい。この日は少し肌寒いくらいだった。
体操はもちろんラジオ体操。
スピーカーから流れる声と音に合わせて10分ほどの体操を済ませると、オレたちは先生に引き続いて散歩に出かけた。
「気持ちいいね、浩之ちゃん」
ぽてぽてと歩きながらあかりがオレに笑顔を向けるが、残念ながらオレはまだ眠い。
木々が光りながら風に揺れて、山の深いところから鳥の鳴き声が聞こえてきた。
この辺まで来ると道も舗装されていない。剥き出しの地肌を踏みつける規則的な足音をぼんやりと聞きながら、オレは無言で歩いていた。
それがまずかった。オレは何かを話していなければならなかったのだ。
「ねえあかりちゃん」
と、雅史の声を聞いて、オレは顔を上げた。
「何? 雅史ちゃん」
「あのね。あかりちゃん、よく浩之と夜をともにするの?」
「えっ?」
オレとあかりと志保が、その場で同時に凍り付いた。
オレはこの時、心の底から無意識の恐ろしさを知った。
雅史は本当に自分の言っている台詞の、通常の人が受け取る意味をわかっていないのだ。
あかりでさえわかるのに!!
まさか雅史が、この話をまだ引っ張るとは思っていなかったオレのミスだった。
「な、なんで? えっ……と、そ、そんなにも、ともにしたことないよ」
真っ赤になってあかりが言うと、今度は志保が目を丸くした。
「と、ともにしたことあるの!?」
「えっ? う、うん」
「ちょ、ちょっと待てぇ! 落ち着け、落ち着くんだ!!」
あかりまで何か突拍子もないことを言い始めたので、慌ててオレは会話を遮った。
「どうしたの? 浩之。一番落ち着いてないのは浩之だよ」
何もわかっていない雅史が、気楽にそう言ってよこした。
「いいから、ちょっと黙れ」
オレは三人を黙らせて、とりあえずあかりに質問した。「おい、あかり。一つ聞くが、オレがお前といつ夜をともにした?」
「えっ? うん。例えば中2のとき、海に行ったときとか……」
「それって、みんな一緒にいたときだよな?」
「うん。そうだけど……」
「ということだぞ、志保。誤解するなよ」
「なんだ……。もう、あかりったら、驚かさないでよ」
「??」
あかりは不思議そうに首を傾げたが、その後でさらにいらぬ一言を入れた。「でも浩之ちゃん。去年の台風の夜は二人っきりじゃなかったっけ」
「……という意見が神岸さんから出ましたが、それについて藤田さんはどう説明しますか?」
おもしろそうにマイクを持つように手を丸めて、オレの方につきつけてくる志保。
そういえばあの時は二人で寝て、結構やばいとこまでいきかけたが、結局は何もなかったわけだから、志保にはそう言えばいいな。
「言っとくが志保。今のところあかりとは、そういうことにはなってないからな」
「そういうこと?」
これは雅史。
その言葉を聞いて、ようやくあかりもオレと志保がさっきから言っていることを理解したようで、顔を真っ赤にして俯いた。
それにしても雅史の奴、中3にもなって、本当に知らないとは……。
オレは雅史の手を引っ張って、二人に聞こえない位置に立つと、小さく耳打ちをした。
「雅史。それについてはその内オレが、映像も交えてゆっくりと説明してやるから、今は黙っていろ。いいな?」
「う、うん。わかった」
そうして、ようやくくだらない話が幕を閉じ、すっかり眠気も冷めたオレたちは、みんなとの遅れを取り戻すべく先を急いだ。
その間、あかりはずっと赤くなったまま俯いていた。
あかりにとって今の話は、やはり相当衝撃的なものだったのだろうとオレは思ったが、そんなオレを見て志保がにやにやと耳打ちしてきた。
「ねえヒロ。あかりがなんでさっきから黙ってるかわかる?」
「ん? そりゃ、あかりがまだそういう話に耐性がないからだろ?」
「まさか。あかりも女の子よ。そういう話は自分からは絶対にしないけど、少なくともヒロよりはよく知ってると思うわよ」
それは意外だ。
「じゃあどうしてだ?」
志保はにんまりといやらしい笑みを浮かべてオレを見た。
「な、なんだよ」
「あかり、別に雅史の『そういうこと』って言葉に反応したわけじゃないわよ。どちらかというと、その前のあんたの台詞」
「オレの台詞?」
確か、「今のところあかりとはそういう関係に……」ってやつだな……って、おい!
「あ、あかりぃぃっ!!」
突然のオレの声に、あかりはビクリと肩をすくめて、真っ赤な顔でオレを見上げた。
「な、何? 浩之ちゃん」
「お前、何か誤解してるだろ。別に『今のところ』ってのはそういう意味じゃなくてだなぁ」
「えっ? 違うの?」
いきなり残念そうにするあかり。
おいおい。
それを見て志保が大声で笑う。
「とにかくゆっくり話し合おう」
もう半ばやけくそ気味にオレは言った。
……こうしてキャンプ二日目の朝は、妙に疲れた朝になった。