６

　天邨山。
　キャンプ二日目のメインは、なんといってもこの山を登ることだ。
　登ると言っても、実のところは登山道があって、それを真っ直ぐ歩いて行くだけだが、緑に囲まれ、川あり橋ありの登山道は、きっとオレたちの冒険心をそそることだろう。
　今山の麓に、約１００人の生徒全員が集まっている。
　その前に付き添いの教職員７人が立ち、オレたちに指示を与えた。
　その主な内容は、１００人ずらずらと行くのは先生たちの目も届かず、いらぬ危険が伴うので、出席番号順に班を７つに分け、少し時間をおいて順々に出発するということ。
　いくら登山道とはいえ、油断をすればかなりの危険を伴う場所らしい。
　そのせいで、残念ながらオレは雅史とあかりとは別の班になってしまったが、志保とは同じ班になった。
　これは喜ぶべきか悲しむべきか……悲しむべきだな。
「はぁ……」
「こらヒロ。行く前から何ため息ついてんの？」
　オレは恨みがましく振り返る。
「お前がいるからだよ」
「なっ！？」
　たちまち志保がふてくされた顔をする。「この志保ちゃんと一緒に行けることに、何の不満があるっていうの？　幸運に感謝して、心の底から光栄に思ってもまだ足りないくらいよ」
「よく言うぜ、まったく」
　オレはやれやれと息を吐いた。
　１班はすでに山を登り始めている。
　その５分後に、２班が動き始めた。２班には雅史がいる。
　雅史はオレと目が合うと軽く手を振ってきた。
　５分おきに一班ずつ出ていくということは、１班と７班では３０分以上も差がつくことになる。７班の奴らは可哀想にと思いながら、５班のオレたちは、１班が出発してから約２０分後に出発した。
　天邨登山道は、ひんやりとした空気に包まれ、人が何とか３人通れるくらいの幅でずっと続いていた。
　道はほぼ一定の斜度をとっており、時折ある急な坂には階段が設けられていた。
　道の方に出っ張っている木々の枝葉を潜り抜け、時々ある足元のぬかるみに注意しながら３０分ほど歩くと、不意に右手の木々が途切れて、眼下に郷谷川の駅が見えた。
「へえ。随分登ってきたものね」
　人の姿をなんとか確認できるくらいにまで小さくなった駅を見て、志保がそんな呟き声を洩らした。
　オレはそれに適当に相槌を打つと再び歩き始めた。
　しばらく行くと、今度は恐らく郷谷川の支流の一つと思われる細い川に出くわした。
　川はちょろちょろと流れているだけだったが、下流の方に結構な斜度があり、足を取られたらヤバイのは確かだった。
「おいみんな。気を付けろよ」
　付き添いの奥田先生がそう言って川をまたぐ。それに続いてオレたちもさっさと渡った。
　覆い被さるような木々の間から木漏れ日が射し、地面に枝葉の影をかたどっていた。空気は依然ひんやりとしていて気持ちいい。
　もう１時間ほど歩いている。
　そろそろ疲れた奴も出始めて、先生が歩く速度を緩めた。
「まったく情けないなぁ」
　元気なのはオレと志保と他数人。
　先生はそんなオレたちを見て呆れた顔をした。
「みんな、初めから飛ばしすぎなんだよ」
「ふぁ〜い……」
　疲れ切った仲間の声が、木々の緑に溶けていった。
　それから数分後、オレたちは道が二つに分かれた場所に出くわした。
　迷わず先生は右の道を選ぶ。
「先生」
　すぐさま呼びかけたのは志保。
「なんだ？」
　先生が足を止めて振り返る。
　志保はもう一方の道を指差して、
「こっちの道には何があるんですか？」
　と、尋ねた。
「ああ、そっちはこの山の裏側に出る。そこにも少し開けた場所があって、空やら山やらはこれから行くところより綺麗に見えるんだが、如何せん、狭くてな」
「ふ〜ん」
　志保は意味深な頷き方をすると、後は黙って先生の後に付いていった。
　それからさらに１時間半ほど、坂を越え橋を渡り階段を登って、ようやく目的地にたどり着いたときには、すでに時刻は正午を回っていた。
　木々の間から空が覗き、オレたちは力強く最後の一歩を踏み締めた。
　すでに先発隊はくつろいでおり、緑の床に座ってだべっている。
　オレたちの到着を見て、あかりと雅史が駆けてきた。
「お疲れさま、浩之ちゃん」
「お疲れ、志保」
「おう、あかりも無事だったか」
「もちろん」
　あかりがにっこりと微笑む。
　オレはその後で、「お前は運動神経が鈍いから、きっと途中で脱落したと思ったんだが」とからかってやる予定だったが、あかりのそんな笑顔を見てやめにした。
　その場所には、明らかに人工の木柵が張り巡らされてあったが、見晴らしは確かによく、眼前に青々と輝く山々が見えた。
　そしてその谷間には、郷谷川が白い飛沫を上げて流れていた。
「凄い眺めだ」
　木柵に前向きにもたれかかって、オレは感嘆の呟きを洩らした。
「綺麗だけど、私はちょっと怖いなぁ」
　オレの横に並んであかり。
　確かに高所恐怖症のあかりにはちと辛い眺めだった。
　背後から仲間たちの声が聞こえてくる。
　そして続々と到着する後続部隊。
　オレはみんなが揃うまで、そうしてその景色に見入っていた。