なんとなく不愉快な目覚めだったから、まさかとは思ったけど、案の定だった。
朝、6時くらいかな? カーテンの向こうが、ほんのちょこっと輝き出した時間に目が覚めた。
私は仰向けに眠っていて、妙に胸が苦しいと思ったら、お兄ちゃんの腕が私の身体を抱きしめるように乗っかっていた。まあ、苦しいほども胸、ないんだけどね……。
ちらっと横を見ると、すぐそこにお兄ちゃんの寝顔があって、こんなときくらいしか見られない無防備な兄の姿に、私はくすっと微笑みを洩らした。
──その時だった。
ゾクッするような悪寒。時間にすれば目が覚めてから5秒かそれくらいのことだったんだけど……。
確認なんて必要ない。股間にまとわりつく、溢れるくらいのねっとりとした液体の感触。
そういえば昨日、そろそろかなって思いながら布団に入ったじゃない!
生理だ……。
だくだくと汗が流れ落ちるのを感じた。
しばらく呆然と天井を見つめてから、はっと気が付いて目だけでお兄ちゃんを確認する。
先程と変わらない無防備な表情。
……大丈夫。ぐっすり寝てる。
すっと、音を立てないように右手でお尻を触ると、ズボンの上からわずかにしっとりとした感触があった。
本格的にやばいっ!
落ち着け……落ち着くんだ、乃絵美!
お兄ちゃんと一緒に暮らし始めてから5ヶ月。寝ているときに生理が始まっちゃうのは初めてだった。
冷静にこれからのことを考える。
まず、お兄ちゃんを起こさないように、この胸の上に乗っかっている腕をどける。
それから、お兄ちゃんを起こさないように布団から出る。なんとなく、シーツにも血が付いちゃってる気がするけど、それはとりあえず諦めよう。なんとかなりそうならなんとかする。
最後に、お兄ちゃんを起こさないように、替えの下着を持ってお風呂場に駆け込む。パジャマとショーツを洗濯機の中に叩き込む。
よしっ。計画は完璧。
一番の問題は……そう。
ベッドは壁に接していて、お兄ちゃんが部屋の中側に、私が壁側にいるという問題。
どうしよう……。
私は滝のように汗が吹き出るのを感じながら、ひたすら悩んだ。
そして。
「とにかくこの腕をどけよう」
私はそう決意して、そっとお兄ちゃんの腕を取った。
──事態はそこで、最悪の局面を迎えた。
「乃絵美……?」
「お兄ちゃんっ!?」
うっすらと目を開いた兄に、生まれて初めて殺意を覚えた。
な、なんで起きちゃうの!
どうすればいい? どうすればいい? どうすればいいの?
私の恐怖なんてまったく知りもせず、お兄ちゃんは私の身体をギュッと抱きしめると、頬に唇を当てた。
「おはよっ、乃絵美……」
「お、おはよぅ……」
「あれ?」
早くも私の様子がおかしいことに気が付いたのか、お兄ちゃんが訝しげな顔を向けた。
「乃絵美、どうしたんだ? すごい汗だぞ」
「…………」
答えられるはずがない。
私の今の願いはただ一つ……。
「いいからお兄ちゃんは寝てて! 私をお風呂場に行かせて!」
ああ、言葉尻が乱暴。
だって、だって!
「乃絵美?」
お兄ちゃんが身体を起こそうとしたから、私は慌てて言い繕った。
「あ、あのね、お兄ちゃん」
「おう」
「わ、私、その、トイレに行きたくて……」
「ああ、なるほど!」
私の咄嗟の嘘に、しかしお兄ちゃんは納得してくれたみたいに満面の笑みを浮かべた。
……っていうか、どうして私がトイレを我慢してると、お兄ちゃんが喜ぶの?
「ほら。お兄ちゃんが気持ち良さそうに寝てたから、なんだか起こしたくなくて」
「そっか。ありがとう乃絵美」
お兄ちゃんはそう言って、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もういいぞ。行っても」
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく無言で見つめ合う二人。
あの……どいて。
沈黙に耐えかねたのか、私に気を遣ってか、不意にお兄ちゃんが口を開いた。
「俺、もう少し寝てるから。乃絵美、どうせもう起きるんだろ? 跨いで行って構わないよ」
「!!」
跨ぐ!?
この状態でお兄ちゃんのおっきな身体を跨いだりしたら……。
私はぞっとなった。
きっとショーツの脇から血が溢れ出て、悲惨極まりない事態が訪れるに違いない。
私は、こんなところで兄妹揃って血塗れになる気はないよ!
「あの……」
「なんだ?」
俯きながら囁くように呟いた私に、お兄ちゃんが首を傾げた。
「その、が、我慢の限界っていうか……」
は、恥ずかしい……。
お兄ちゃんは合点いったように頷いた。
「ああ! 洩れそうなんだな?」
うっ……。
私は、こくりと頷いた。
もういい、もういいの……あははっ。さよなら、乃絵美……。
「じゃあ、どくよ」
そう言って、お兄ちゃんはベッドを降りた。
でも、その……。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「あうぅ……」
「??」
もう泣きたい。
でも、そうしてじっとしている間にも、時々自分のアソコから、トクッっと新しい血が外に流れ出るのがわかった。
これ以上このままでいたら、このままでいたら、私はもう……。
私はお兄ちゃんにお尻を向けないようにして、ベッドを降りた。とにかく、溢れないようにして……。
お兄ちゃんが首を斜めにして、不思議そうな顔をした。
「お前、そんなになるまで我慢しなくてもいいのに」
「あ、あはは……」
もう笑うしかない。
そのまま見つめ合う二人。
「…………」
「…………」
「……乃絵美?」
「あ、あの……」
いや、そこにそうやって立っていられると、後ろを向けないから、極めて不自然な歩き方をしないといけない。
…………。
……ちなみにさっきから、太股の内側から膝にまで液体っぽい熱さを感じてる。
なんていうのか……はっきり言わせて。乃絵美ちゃんファンが激減してもいいから言わせて!
「いいから、とっととベッドに戻ってよ! もう少し寝るんじゃなかったの!」
もうダメなの、私……。
あっ、涙出てきた。
どうして生理なんてあるんだろう。はぁ……。
私が硬直していると、不意にお兄ちゃんが真剣な眼差しを私に向けた。
「なあ、乃絵美」
「なに?」
思わずぞんざいな答え方をしてしまう。ダメな子、私って……。
でも、お兄ちゃんは私のそんな答え方は気にならなかったらしく、ただ私の瞳を見つめたまま続けた。
「俺、自分でデリカシーのないやつだと思う」
「そうだね」
の一言は、心の中で。
ちらっとお兄ちゃんの顔を見ると、お兄ちゃんはやっぱり真っ直ぐ私を見つめていた。
それから静かに口を開く。
「でもな、乃絵美……。それでも俺、どうしても言っちゃうんだよ」
「…………」
「だから、今回も言わせてくれ……」
私はよくわからずに、お兄ちゃんの顔を見つめていた。
お兄ちゃんは大きく息を吸ってから、それをゆっくりと吐き出した。
痛烈な言葉とともに……。
「お前が我慢してたのって、それ?」
「……えっ?」
お兄ちゃんが、私の顔を見つめたまま、私のズボンを指差した。
私は一度お兄ちゃんの目を見てから、視線を落として……。
…………。
…………。
「あ……あぁ……」
言葉にならない呻き。
ズボンが……股間のところが、真っ赤に……真っ赤に……。
血が……。
「あぅ……」
ガクッと膝をついた。
「乃絵美……」
ポンと、お兄ちゃんが私の肩を叩いた。
汗の雫が、顎から床に滴り落ちる。
「俺、気にしてないから……」
声ももう届かない。
……っていうか、気にしてよ。
私は、もう……。
「うっ……っ……」
「乃絵美!?」
「うぅ……。お兄ちゃんの……お兄ちゃんの……バカぁ……」
力なく、泣くしかなかった……。
二人暮らしの教訓。
『危険な夜は、ナプキンをしよう!』
とにかく、ひたすら恥ずかしい朝だった……。
─── 完 ───