『 心通い合う空 』 〜From "魔法遣いに大切なこと"



 エピローグ

 いつも通りの朝が訪れる。
 俺はまだ節々の傷む身体を無理矢理布団から出して、窓から外を見た。
 静かな田園風景が広がっている。空は晴れ渡り、遠くの山々がくっきりと見える。
 あれだけの大事件の後でも、村は何も変わっていない。鶏が鳴き、小鳥がさえずり、朝の早い農夫たちが畑仕事に出ている。
 のどかな朝。
「今日は、学校に行きたくねぇな……」
 俺は昨夜のユメの泣き顔を思い出して、溜め息をついた。
 ユメに嫌われてしまった。
 大して面白くない人生を、それでもそれなりに楽しく過ごしてこられたのは、全部ユメのおかげだった。ユメへの想いが俺を支えていた。
 その支えをなくして、初めてそのことに気が付いた。
「あいつ、無事に逃げられたのか? これで捕まってたら、俺は恨むぞ?」
 俺はそんな独り言を呟きながら、服を着替えた。
 学校には行かなくてはいけない。
 たぶん、ユメには無視されるだろう。純子にも怒られるかも知れない。
 それでも、俺は自分の行動に自信と誇りを持っているから。
 大切な二人ともう友達でいられないのはどうしようもなく悲しいけれど、やっぱり俺は、胸を張って登校しよう。
 そう決意して家を出た俺だったが、一歩足を踏み出した瞬間、思わず声を上げて立ち尽くした。
「ユメ……?」
 俺の家の前で、制服姿のユメが立っていたのだ。そわそわした様子で、まるで一目を恐れるようにキョロキョロと辺りを見回していた。
 ユメは俺に気が付くと、顔を上げてぎこちない笑顔を見せた。
「おはよう、悠太。一緒に学校行こ?」
「あ、ああ……」
 隣に並んでちらりとユメを見下ろすと、彼女の瞳は充血しており、全体的に疲れた顔をしていた。
 昨日仕事に失敗したから、悔しくて眠れなかったのだろう。ましてそれを友達に邪魔されたのなら、なおさら。
 一体何を言いに来たのだろう。内心で身構えていた俺だったが、次のユメの一言に俺は思わず立ち止まった。
「昨日は、ひどいこと言ってごめんなさい」
 足を止めた俺を振り返って、ユメは深く頭を下げた。
「ど、どうして? だって、お前、俺のこと嫌いだって……」
 ユメは姿勢を戻して、真摯な瞳で俺を見上げた。うっすらと溜まった涙が朝陽に煌いている。
「昨日、どうして私が行ったんだと思う?」
「どうしてって……」
 言われてみれば、あの二人の魔法遣いは「菊池さん」に依頼をした。
 ユメの両親はユメよりも遥かに力のある魔法遣いであるにも関わらず、何故ユメが来たのか。どうしてユメの両親は、娘にそんな危険なことをさせたのか。
「みんな、依頼を断ったの」
 ぽつりとユメが呟いた。
「断った?」
 俺が聞き返すと、ユメは小さく頷いた。
「うん。きっと魔法を遣いたくないからだって。私、そんな悪人が来てるのに何もしない両親が、なんだかすごく情けなくて。だから、私が個人的に依頼を受けたの。でも、みんなに止められた……」
「ああ、それでか……」
 俺は思わずいつもの軽い口調で呟いた。
「どうして悠太まで私の味方をしてくれないの!?」
 昨夜ユメがそう言った意味。あの時ユメは、すでに両親に止められた後だった。その上俺にまで止められて、ユメの悲しみは生半可なものではなかっただろう。
「私、意地になってた。だから、悠太があの人を逃がしたのが許せなくて。どうしてそんなことしたのかなんて、全然考えずにに、ひどいこと言っちゃった」
「あ、いや、それはもう、いいから」
 本当に申し訳なさそうに俯くユメに、俺は慌てて手を振ってやめさせた。悲しそうなユメの顔なんて見たくない。
 ユメはやや安心したように大きく息を吐いてから、自虐的に笑って俺を見た。
「家に帰ってからね、私、みんなにあったことを全部話したの。泣きながら、悠太に邪魔されたって。そうしたらみんな、慰めてくれると思ったのに、逆に怒られた」
「怒られた?」
「うん。どうしてユメは友達を信じないのかって。どうして友達が命を懸けて守ろうとしたした人を、信じようとしないのかって」
 ああ、そういえば俺は昨夜、ユメに殺されていたかも知れないのだ。
 そうでなくても、犯罪者を逃がすことはそれだけで罪になる。必死だったから気付かなかったけれど、俺はとんでもないことをしていたんじゃ……。
 ふと昨夜のことを思い出して蒼ざめた俺に、ユメは小さく笑って言った。
「私、誰にも味方してもらえなくて、悲しくてすごく泣いて。でも、泣いててもやっぱり誰も慰めてくれないから、一生懸命考えたの。悠太が、どうしてあの人といて、あの人を逃がしたのか」
 それからユメはもう一度俺に頭を下げてから、不安げな眼差しで俺を見上げた。
「私、悠太のこと信じようって思った。悠太は私のこと、怒って……ない? ひどいこと、いっぱい言っちゃって……。本当にごめんなさい……」
 じわりとユメの瞳に涙が浮かんだ。
 俺は思わずユメの髪に触れ、そっと頭を撫でてやった。本当は思い切り抱きしめたかったけれど、さすがにそんなことできるはずがない。
「俺は、いつだってお前の味方だ。信じて、もらえないかも知れないけど……」
「ううん!」
 ユメは大きく首を振った。
「私のすることに賛成ばかりしてくれるのが味方じゃないと思う。間違ったことをしていたら、ちゃんとそれを止めてくれるのが本当の友達なんだ。だから私、昨日はひどいこと言っちゃったけど、今は、ああして止めてくれたこと、すごく嬉しく思ってる。本当に、ありがとう」
 ユメの瞳から涙が零れ落ちて、俺はそっと指先で拭いてやった。
「俺も、もっとちゃんと説明すればよかった。傷付けて、ごめんな」
「ううん、いいの。私、もう、悠太に嫌われちゃったかなって、すごく悲しくて……。悠太には、嫌われたくなくて……」
 声を詰まらせ、嗚咽を漏らすユメを見て、俺は胸が締め付けられるように苦しくなった。
 相手に嫌われたと思って悲しんでいたのは俺だけじゃなかったんだと思ったら、俺は思わずユメを抱きしめていた。
「悠太……」
「大丈夫だよ、ユメ。俺が、お前を嫌いになるわけないだろ?」
 その理由を尋ねられたら、俺は真っ赤になって誤魔化すしかなかったけれど、ユメは俺の胸の中で小さく頷いただけだった。
「うん。良かった……。私も……私も、悠太のこと、嫌いになったりしないよ?」
 一度グッと俺の胸に顔を押し付け、しがみ付くように俺の身体を抱きしめた。
 それからしばらく俺の胸で泣いて、ユメはそっと身体を離して俺を見上げた。もう涙はなかった。
「昨日のこと、教えて……くれる?」
 俺は大きく頷いて、できるだけ素直に笑って見せた。
「ああ。俺もユメに聞いて欲しいし、教えて欲しいこともたくさんあるから」
「うん!」
 ようやくいつもの元気な笑顔に戻ったユメと、俺は並んで歩き始めた。
 ユメに追いつけたかはわからないけど、もう釣り合わないなんて思わない。
 魔法遣いでなくても人は人だし、魔法遣いであってもユメは俺を頼ってくれる。
「あ、そういえばユメ。昨日言ってたこと。ここでも東京でも変わらないこと、わかったかも知れない」
「えっ?」
 ふと思い出したようにそう言うと、ユメ嬉しそうに顔を上げた。
「ほんと? じゃあ、何?」
 期待に満ちた眼差しを上手に逸らせて、俺は意地悪く笑って見せた。
「間違ってると恥ずかしいから、言わねぇ」
「えーっ!」
 ユメが大きな声を上げて、拗ねたように俺を睨んだ。
「本当はわかんないんでしょ! 悠太の見栄っ張り」
「違うって。わかったけど言いたくねぇの」
「ふんっだ。悠太の言うことなんて信じられない!」
 俺に背を向け、ユメが小走りに駆けていく。
「おい! 俺のこと信じるんじゃなかったんかよ!」
 小さな背中に声をかけると、ユメが足を止めてクルッと振り返った。
「やっぱり信じないことにするー」
 どこまでも澄んだ瞳で、ユメがにっこり笑った。
 雨降って地固まるというか。
 少しだけユメと仲良くなれた、綺麗に澄み渡った朝だった。
完