『 To Heart Fantasy 』 第1巻 |
第1話 セイラスでの再会 1 おばさんと別れてから数時間歩くと、眼前に街壁らしきものがそびえ立つのが見えた。 「あれかなぁ、セイラス」 わかり切ったことを聞くあかり。オレは答えるのもくだらないと思い、何も言わずに黙々と歩いた。 「ねぇ、浩之ちゃんってば」 「…………」 「浩之ちゃん?」 どうしたんだろうという顔であかりがオレを見上げた。結構しつこい。 「ああ、そうだそうだ。あれがセイラスに決まってんだろ?」 オレがぶっきらぼうにそう言うと、あかりは、 「そっか……」 何やら感慨深げにそう呟いて、遠い目でそれを見遣った。 歩くにつれ少しずつそれが大きくなって、やがてそれが街であることを確認できるところまでやってきた。 それはやはり街壁で、真下まで来るとその大きさにあかりが感嘆の声を洩らした。 オレも結構感動したが、あかりの前でしみじみと眺めるのも何となく嫌だったので、さっさと街門を探すために壁伝いに歩き始めた。 「あっ、待ってよ浩之ちゃん」 慌ててあかりのヤツが追ってくる。オレは少しペースを落としてやった。 街門まではやや距離があった。おばさんの言葉は正しく、ここより北は本当に訪れる者はないようで、街門は南側にしかなかったからだ。 門扉は開かれていて、門兵らしき者がその傍らに立っていた。もちろん中世ヨーロッパの騎士物語を思わせる完全武装。 ところがいざ行ってみると、その人は二言三言話しただけで、物騒に剣なんか携えたオレをすんなりと通してくれた。余計なことと思いながらも尋ねてみると、この時勢、剣も持たずに歩いている方が物騒だということだった。 門をくぐると、オレたちは眼前に開けたセイラスの街並みに呆然と立ち尽くした。 別に大して変わったものがあったわけではないのだが、一面雪化粧した背丈の低い街は、それだけでオレたちの常識を遥かに越えていたのだ。 背丈の低い街。当たり前だが、高層ビルなどがないということ。高い建物で、門から真っ直ぐ伸びるこの道の突き当たりにある建物が見た目高く、それでもせいぜいうちの高校より少し高い程度だった。 その建物は明らかに他の建物、つまり民家や商店とは一線を画し、遠くてよく見えないが、どうやら門を有し、やはり門兵らしき者が立っている。造りも荘厳で、横にもでかい。 「あれ、ここの領主様の家かなぁ」 再びあかりの感嘆の声。今度ばかりはオレも呆けたように「ああ」と答えた。 やがて、門をくぐって早々、突っ立って口をあんぐりと開いているオレたちを、住民がまじまじと物珍しげに見ているのに気が付いて、オレははっとなった。いつの間にか、どうやらオレたちは本当に心を奪われていたようだった。 10人から20人ほどの人間が、見物人よろしくオレたちの周りに立っている。 「お、おい、あかり」 オレは慌ててあかりに呼びかけた。 数回呼ぶと、あかりも自分の立たされている状況に気が付いたようで、顔を真っ赤にしてオレを見上げた。 「と、とにかく行こう。な、何気なく、な」 「う、うん」 オレたちは何気なくその場を離れた。 もちろん、端から見ればぎこちない動きであったろうが……。 2 さて、まず何をしようか。 そう考えたオレは、ある重要なことに気が付いた。 「あかり……」 立ち止まって、真摯な顔であかりに呼びかける。 「う、うん」 あかりは、オレが真剣なのを察してか、やや緊張した面持ちでオレを見た。 オレは一度咳払いをして、それから両手であかりの肩を持った。 「いいか、あかり。よく聞け」 「うん……」 「その、なんだ。オレたち……金がない」 「……えっ?」 「だから、金がないんだよ!」 オレはあかりの肩から手を放すと、くるりと背中を向けた。そして一度がっくりと肩を落とすと、再びあかりの方を見て言った。 「つまりオレたち、腹が減っても何も食えねぇんだよ。いんや、そんなことはどうでもいい。それよりも今夜だ。泊まるところもなく、オレたちは二人、街の片隅で冷たい風に吹かれながらマッチを売るんだ」 「そ、そんな、オーバーだよ浩之ちゃん」 あかりが元気に笑顔を見せるが、どことなくそれが引きつっているのがわかった。 「短い人生だったな、あかり……」 オレはがっくりと項垂れた。 まあ、冗談なのだが、あながち嘘でもない。どのみちこのままでは餓死してしまう。 「おばさんも、金くれよな……。せっかくの剣、いきなり質に入れることになっちまうぜ……」 オレがぼやくと、あかりは不安げに瞳を潤ませたが、何も言わなかった。 案外オレよりも深刻に今の状況を受け止めているのかもしれない。 「まあ、とにかく歩こう。歩けばきっといいこともあるさ」 オレは空元気に顔を上げた。 「そうだね。悲観的になっちゃ、それまでだもんね」 あかりも笑顔を見せる。 「とにかく歩こう」 もう一度言って、オレたちは歩き始めた。 雪と氷の街は平穏静かな街だった。活気というものとは縁遠く、それこそ縁側でお茶を飲みながら囲碁を打つおじいちゃんたちが、この街のイメージに相応しい。 商店街と思しきものもあるが、覇気というものは感じられず、人々は必要なものだけを買い、店は必要なものだけを売る。同じものを扱っている店同士も和やかなもので、競争社会で育ったオレたちからすると、信じられない光景だった。 しばらく先程見た建物の方に歩いていくと、東西に伸びる大きな道とぶつかり、オレたちはそこを左に折れた。 街並みが、民家に変わる。途中に広場のようなものがあって、オレたちはそこに立ち寄った。子供たちがわいわいとはしゃぎ回っている。この光景だけはどこの世界でも同じだ。 オレは少しだけ心が落ち着くのを隠せなかった。 その時ふとオレは、子供たちに混じって笑っている女の子を見た。 14、5歳だろうか。緑の髪を短めに刈り込んで、手にはほうきを持っている。ベンチに座って笑っているその顔は無垢純粋で、他人に新鮮かつ爽やかな印象を与える。 と、ここまでならば、この世界ではそんなに珍しくない。問題は耳についた白い物体だ。 あからさまに「私は機械です。よろしくね」と言った感じに金属の輝きを帯びたそれは、あまりにもこの世界とマッチしていなかった。 さらに特筆すべき点として、オレはそれに見覚えがあった。 「マルチ……?」 オレは呆然と呟いた。 「えっ?」 あかりが不思議そうにオレを見上げる。どうやら彼女の存在に気付いてないようだった。 「ほら、あそこ」 オレは彼女のいる方を指差した。「あれ、マルチだよな? 絶対」 というか、マルチだった。ここが日本だったら、そんなことは考えるのも馬鹿馬鹿しいほど彼女はマルチなのだ。 ……って、何を言ってるんだろう、オレ。 「うん、そう……だと思う」 状況が状況だけに、オレたちは当然のことを当然のことと思えなかったのだ。いや、彼女がマルチであるという当然と、マルチがこの世界にいるはずがないという当然のどちらを選ぼうか、無意識のうちに迷っていたのだ。 オレたちは、結局前者を選んだ。 「おい、マルチ」 オレが大きな声でそう呼んで、手をぶんぶん振ると、彼女もオレに気が付いたようで、 「あっ、藤田さん!」 そう大きな声で答えると、子供たちに何やら言ってからこっちに駆けてきた。 「よお、マルチ。お前もこの世界に来てたのか!?」 「はい」 マルチは平然と頷いた。 オレはそんなマルチの対応に、何か違和感を覚えた。つまり、それがあまりにも当たり前に行われたからだ。 「神岸さんも、どうもこんにちわ」 「こんにちわ。やっぱりマルチちゃんだったんだ」 二人が和やかにそんな会話をしている。あかりは気になってないようだった。 「なあ、マルチ」 やっぱりおかしい。そう思ってオレは聞いた。「会った早々何だけど、ひょっとしてマルチ、オレたちがここに来るのを知ってたんじゃないのか?」 そうなのだ。先程のマルチの対応は、明らかにオレたちがこの世界にいることを『当然のこと』としていたように思えたのだ。 「はい、そうです」 あっさりと、マルチが言った。 「えっ?」 あまりにも呆気なく言ってくれるもんだから、オレは思わず間抜けな声を出してしまった。 そんなオレにマルチはにこりと微笑んで、 「藤田さんがここに来ることは芹香さんに聞いて知っていました……っていうか、わたしはここで、藤田さんが来てくれるのを待っていたんです」 そう、事もなげに言った。 3 驚くことばかりだった。 葵ちゃん、マルチに続いて、あの来栖川先輩もこの世界に来ている。 一体オレと、オレの周囲に何が起こり、今この世界で何が起こっているというのだ。 オレはそれを取り乱すことなく、一つずつ確実に知ろうとした。 オレたちはマルチを伴って、広場の一角のベンチに三人並んで腰掛けた。 こうしていると、さながら冬の公園のようで、思わずここが異世界であることを忘れてしまいそうだった。 しかし空気が綺麗だ。肺はさぞかし喜んでいるだろう。 目の前に広がるだだっ広い雪の原。広場の突き当たりには、背の高い先の尖った樹木が乱立して、道と広場を隔てている。 日本の公園のような造られた自然ではなく、ありのままの自然。 やはりここは日本ではない。 「なあ、マルチ」 「はい」 「お前はいつこの世界に来たんだ?」 オレは尋ねた。おばさんと話をしてからずっと気になっていることに、葵ちゃんが1年も前にここに来ていることがあった。 もしこの世界が、地球と時間軸は異ならない単なる別世界であったとしたら、もしかしたら5年くらい……いや、それこそ30年くらい前に来たヤツがいて、会ったら老人になっていたということもあり得る。 それは御免こうむりたい。 しかしそんなオレの愁いも、とりあえずマルチについては避けられた。 「わたしはまだここに来てから1か月くらいです」 にっこりとマルチが言った。「でも、芹香さんは1年以上前からここにいるそうですよ」 「そうか……」 「ねえ、ところでマルチちゃん」 あかりが言った。「マルチちゃん、どうして私たちがここに来ることを知っていたの?」 そういえばそうだ。確かさっき、マルチはオレたちを待っていたと言っていた。 「そうだよ。ひょっとしてマルチ、他にも色々知ってるんじゃないのか?」 藁にもすがる気持ちで聞いたが、マルチは申し訳なさそうな顔をして、 「すいません」 と、謝った。「わたしは芹香さんから、直に藤田さんたちがここに来るから、それまでここにいるよう言われただけで、その他のことは何も知らないんです」 「……ということは、先輩から何か伝言とかは?」 「いえ、特に何も言ってませんでした」 「…………」 一つの疑問が解消すると同時に生まれる二つの疑問。何となくこのままでは次から次へと疑問が増えていきそうだったが、オレはそれを覚悟してマルチに尋ねた。 「じゃあ、どうして先輩はオレたちがここに来ることを知っていたのかとかは聞いてないか?」 ほぼ究極的な質問だ。今回の一件、先輩が関与しているとなると、先輩自らが事を起こした張本人である可能性が極めて高い。あの先輩だからこそ、それは疑いようもないことだろう。 「そういえば……」 マルチが思案げに呟いた。 「そういえば?」 オレとあかりはごくりと一度息を呑む。 「そういえば……そうですね。どうしてでしょう」 マルチは顔を上げて微笑んだ。 見事なボケだ。オレたちは思い切り大袈裟にがっかりした。 しかしまあ、可愛い笑顔に免じて許してやろう。 「じゃあ当然、先輩が今どこで何をしているかとか、何故先輩自身がオレたちに会いに来れないかとかも……」 「はい。知りません」 「そうか」 オレはがっくりと項垂れた。 「まあまあ、浩之ちゃん」 あかりのヤツが妙にお姉さん風を吹かせて言ってくる。「マルチちゃんに会えただけでもよかったと思うよ。とりあえず二人よりは」 「そうか……。あかりはオレと二人きりは嫌だったのか」 ちょっと意地悪くそう言ってやると、あかりはオレが考えていたよりもずっと衝撃的な反応をして、顔を真っ赤にして俯いた。 「そ、それは、その……それで、私は……」 「とりあえずマルチ」 すでに話は次の展開を見せているのだよ、あかり。 「はい」 マルチは今のオレたちの会話を聞いていたのかいないのか、特に侘びることなく頷いた。 「お前は一月の間、どこで生活してたんだ? ロボットだから広場で寝て過ごしても大丈夫とか」 「いえ」 マルチはほうきを軽く上げて言った。「ベアルさんという親切なおじさんの家に厄介になってます。お金もなくて、掃除くらいしかできませんがって言ったら、それで十分だと言ってくださって」 「そうか……」 ちらりとあかりの方を見ると、何やらふてくされた顔をしている。どうかしたのだろうか。 オレはとりあえずあかりはそっとして置いてやって、一人で話を進めることにした。 「じゃあマルチ。その、オレたちも金のない人々で、何も出来ずに困ってるから、よかったらそのベアルって人にオレたちのことを紹介してくれ」 「はい、もちろんです」 お役に立てて嬉しいですと、マルチは爽やかに微笑んだ。 4 ベアルさんの家は木造平屋建て、広大な面積に庭付き、王の屋敷からほど近い一等地にででんと建っていた。 と、大袈裟に言うほど、他の家と大して変わりはないのだが、もしこれが日本でそうなら、建築技術のなさを除けば、よほどの大富豪ではないととても持てないような家であることは確かだった。 マルチが扉を開けて大きな声で「ただいま帰りました〜」と言うと、奥から人の良さそうな白髪のおじさんがやってきた。歳は35歳から45歳くらいで、がっしりとした体つきをしている。手の平は、オレの頭なんか一撃で粉砕できそうなほど大きい。 「おお、マルチ」 おじさんは微笑みを浮かべて、それからオレたちの方を見て言った。「おや? お客さんかね?」 「はい」 マルチがオレたちの方を見て、軽く手でオレたちを差して答えた。「向こうでわたしによくしてくださってた人たちです」 「どうもこんにちわ。あかりです」 「浩之っス」 「これはこれは。よく来てくださった。私はベアルと申します」 オレたちが名字省略で挨拶すると、おじさんは軽く頭を下げた。「立ち話も何です。とりあえず上がってください。マルチ、お茶を出してくれ」 「はい」 オレたちは奥の部屋に案内された。 奥には座敷のようなものがあって、そこは日本の茶室さながらの部屋だった。 オレたちとベアルさんの間にある長方形のテーブルに、ポットでも置いてあれば、もうここは日本といっても過言ではない。 ……いや、やはり過言か。 窓から覗く景色は、何の障害物もなく広がる真っ青な空と真っ白な雲。遥か遠くには広大な雪山がその巨体を見せつけ、下の方には街壁のてっぺんが見える。 外を見ると電柱と電線、高層ビルと黒い煙、飛行機雲、それくらいしか見えない日本の都会とはやはり違う。 自然かつのどかな風景だったが、ここでもオレはどこか心落ち着かぬものを感じた。 「ほお、ではあなた方は北からいらしたと?」 「はい」 あかりとおじさんが話している。ちなみにマルチはおじさんの横にいて、にこにことオレの方を見ている。 「それは、自然ならざる力によって生じたこととはいえ、大変でしたでしょうな」 「いえ……まあ、はい」 よくわからない返事をするあかり。きっとおばさんのことを言うべきか言わぬべきか迷ったのだろう。 言わなくて正解だ。 あんな人里離れたところに住んでいたことを考えると、きっと何か人に知られたくない秘密でもあるのか、或いは俗世間が嫌にでもなったのだろう。敢えて他人に話すこともない。 「ところであなた方は、これからどうなさるおつもりですか?」 不意におじさんがオレの方を見てそう聞いてきた。「何でしたら時期が来るまでマルチと一緒にここにいてくださっても構いませんが」 つくづく親切な人だ。何の悪意も隠し事もなさそうな穏和な笑み。この歳にして世間を知らず、か。 いや、この人の場合はもはや悟りの領域に達したのかもしれない。 ともあれ、おじさんの親切をそのままいただくわけにもいかない。 「いや……」 オレは答えた。「オレたちには残念ながらしなくちゃいけないことがあるんだ。けど、おじさんの親切な気持ちだけはもらっておくよ」 「そうですか……」 少し残念そうにおじさん。 ひょっとすると、おじさん、一人暮らしとか……。 いや、深く追求するのはよそう。オレの決心が鈍る。 「ところでおじさん」 気を取り直してオレは尋ねた。「よかったらこの世界のことを少し聞かせてくれないか? さっきの話からすると、マルチから大体のことは聞てるみたいだけど、オレたちこの世界のことをまったく知らないんだ」 「そうですね。私もここを出たことがないので大したことはお教えできませんが、大体の地理だけでもお教えしましょう」 おじさんはそう言うと、何やら薄汚れた紙を棚から取り出してきて、羽ペンのようなものにインクを付けた。それからそれに地図を書き出す。 「まずここから南西に6日ほど行ったところに、ハイデルという街があります。そうですね……規模はセイラスの10倍ほどでしょうか。ディクラックという名の王が治めています」 それからおじさんは、そのハイデルという街の位置につけた丸印から、右下と左の方に二本、線を引いた。そしてその先端に、ハイデルと同じような丸印をつける。 「ハイデルから西に行くとゲレンク、南東に行くとティーアハイムという街に着きます。ティーアハイムへの道の途中には“無の大穴”という巨大な穴があって、その深さ、行き着く先を知る者はありません」 おじさんはその穴の位置を黒く塗り潰す。 「ティーアハイムは現在南の大国デックヴォルトの領地になっています。ティーアハイムは西のビンゼ王国と東の大都市ヴェルク、そして南のデックヴォルトの首都フラギールとハイデルをそれぞれ結ぶ街道が十字に交わる商業都市」 「へぇ」 マルチが感心したように呟く。今まで1ヶ月間、そういうことはまったく気にしていなかったようだ。 「とりあえず、次はハイデルだな」 オレは地図上のハイデルの点を指差してあかりを見た。 あかりは大きく頷いた。さすがにオレの性格をよくわかっている。 オレは進めるだけ進む。 「次はハイデルだ……」 オレはもう一度言った。言って、自分の決意を確かめた。 オレは行く。 「やはり旅立たれますか……」 そんなオレを見て、おじさんが心配そうな声を出した。それから首を一度左右に振ると、低い声で言った。「あなた方は特殊な来られ方をなさいました。ですのできっと、何か為すべきことがあるのでしょう。もうお止めしません。どうぞ、あなた方が与えられた使命をまっとうしてください」 どこかおばさんの言ったことに似た台詞だった。確かにオレはこの世界に特殊な来方をした。しかしそれだけだ。 オレの使命……。 そんなものが本当にあるのだろうか。 「マルチ……」 おじさんの声がして、オレは顔を上げた。 おじさんがマルチの方に、先程の穏和な笑みを向けている。 「はい」 マルチもまた、いつもの笑顔だ。 おじさんはそれを見て、寂しそうに言った。 「マルチ、お前はどうする? ここに残るか? それとも、彼らについていくか?」 おじさんは、きっとマルチの答えを初めからわかっていた。わかっていながら敢えてそう尋ねたのだと、オレは思う。 そうすることによって、マルチにそれが自分のしっかりとした選択であると自信を持たせたかったのかもしれない。 「わたしは……」 マルチが言った。「わたしは藤田さん……いえ、浩之さんとあかりさんと一緒に行きます。おじさんの言うように、もし特殊な来方をした浩之さんに何か使命があるのなら、それはわたしにもあるかもしれません。それにわたしは……ごめんなさい、ベアルさん。わたしはもっと多くの人を助けてあげたい……。メイドロボだから」 最後の一言は、おじさんにはわからなかっただろう。しかし、マルチの決意は、心情は、そして優しさは、きっと伝わった。 マルチと同じようなおじさんだから。 「そうか……」 寂しそうな、しかし嬉しそうなおじさんの微笑み。 それでいいんだ。 そう、顔が語っていた。 「せっかくですから、今日一晩はここに泊まっていってください。そして、あなた方の世界のお話でも……私にとっては不思議な夢のような物語を、せめて老後の語り種にお聞かせください」 もちろんそれに異存はなかった。 オレたちはその夜、おじさんの温かいもてなしを受けて、翌日、わずかばかりの金と食糧をもらって旅立った。 ここに来て6日目のその朝も、空は快晴だった。 |
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