『 To Heart Fantasy 』 第3巻

 第4話 血葉樹の森

  1

 どこまでも続く青い空高くに、一羽の鳥が鳴き声を上げながら飛んでいった。
 生憎オレには鳥に対する知識がないので、それが何という名前の鳥かはわからなかった。
 オレが人並みに持っている知識や、人に珍しがられるようなマニアックな知識といったら、昔葵ちゃんに講義を受けた格闘技の話と、先輩に語られた黒魔術、それから前に呼んだ『雫』という名の短いタイトルの小説に出てきた“毒電波”という電波くらいか……。
 だから、道端に生えている小さな白い花の名前も知らない。
 けれども、そんなことはどうだっていい気がした。
 前にテレビで、愛を医学的に説明していた人がいた。なんたらかんたらが分泌してどうのこうのという話だったが、聞いていてまったくつまらない奴だと思った。
 人間の感情は、あくまでそんなふうには決して説明の出来ない深いものだというのがオレの持論。
 だから、道端に生えているのが菊だろうが蓮華だろうがタンポポだろうが、そんなことはどうだっていい。問題なのは、花が咲いていることなのだ。
 などと、何の脈絡もないことを考えて、一人で「うんうん」と頷いていると、
「どうしたの? ヒロ。とうとう来るべき時が来た?」
 などと、志保のやつが不気味そうにオレを見上げた。
 あかりとマルチも同じように、心配そうな瞳でオレを見上げている。
 オレは少し恥ずかしくなって、
「いや……愛について考えてたんだ」
 と、誤魔化すように言うと、三人はますます不可解な顔をした。
「ヒロ……いくら今日が少し穏やかだからって、行っちゃダメよ。まだ若いんだから」
 まず志保がそう言ってから、
「浩之ちゃん、大丈夫?」
「藤田さん、大丈夫ですか?」
 と、あかりとマルチがマジで不安げに瞳を揺らした。
 オレはもはや相手にしていられるかと言わんばかりに前を向くと、
「アホ」
 と、短く言葉を切った。
 もちろんその後志保が当社比7倍くらいで言い返してきたが、面倒なので割愛しよう。

 そうして常にわいわいと話をしながら、オレたちは今、潮風街道という街道を歩いている。潮風街道とは、東はセイラスからハイデル、ゲレンク、レギーレンを通って、西は中央大湿原の北の街プロミシアまで続いている街道で、北ウェリスト海の海岸沿いに走っていることからその名がついたのだそうだ。
 確かにそう言われてみると、風がほのかに潮の香りを運んでくる気がする。
 目的地はゲレンク。オレたちにとっては当然のごとく生まれて初めて行く町だが、志保にとってはゲレンクに行くのはほんの数日ぶりのことだった。つい先日、ハイデルに来るために通過しているからだ。
「ねえ、志保。今度行くゲレンクって、どんな町なの?」
 一度心地よい風が吹き抜け、それになびく真紅の髪を片手で軽く押さえながらあかりが志保にそう聞くと、志保は、
「たいして特徴もない、ごく普通の町よ」
 と、欠伸が出るくらいつまらなさそうに言った。
 まあ、志保にとってはそうかもしれないが、生憎オレたちからするとそうではない。たとえどんな町であろうと村であろうと、この世界に来てまだ日の浅いオレたちには何もかもが新鮮なのだ。
「特徴もないって、名物がないとか、そういう意味で?」
 先程ややぶっきらぼうに答えた志保が、実はゲレンクの町に対してつまらなさそうに言っただけで、あかりが質問したこと自体に気を悪くしているのではないと知っていたので、あかりは再びそう尋ねた。
 案の定志保はあかりの問いかけに対して、笑顔で答える。
 いや、より正確にはいつもの『話したくてしょうがないモード』に入った。
「しょうがないわね。じゃあ志保ちゃんが教えてあげるわ」
 恩着せがましく志保。話はもはや、オレたちの立ち入る余地なく続く。
「名物の話は後にして、まずゲレンクの町そのものについて話すわ。ゲレンクがハイデルとレギーレンの中間に位置するのは当然知ってるわよね?」
「そりゃまあ、これから行くところだからな」
「はい、よろしい。ゲレンクはまだ最近出来たばかりの新しい町で、規模もそんなに大きくないわ。王様もいない自由都市。言ってみれば、小規模なティーアハイム……は、ちょっと違うかな。メルテ的な存在もいないし」
「一人で納得すんな」
 オレが突っ込むと、志保は眉を額から飛び出すほどつり上げて、
「うるさいわねぇ」
 と、怒鳴ってきた。「静かに聞きなさいよ」
「へいへい」
「まあ、とにかくそういう町なの。もちろんそれには訳があって、ゲレンクは初め、小さな宿場町だったの。ハイデルからレギーレンに旅する人たちが訪れる、小さなね。でも、ハイデルからレギーレンは、はっきり言って遠いわ。あたしたちはゲレンクから乗合馬車に乗って、レギーレンの手前からさざ波の街道に入って、直でビンゼに行くつもりでいるけど、それでもビンゼまで2週間はかかっちゃう。歩いていたら、もうへとへと。『ああ、ここら辺で一度休みたい』って旅人たちが思ったところ……そこがゲレンクの宿場町だったのよ」
「ふ〜ん」
 あかりとマルチが相槌を打つ。
 オレもまあ、とりあえず納得しておいた。
「さてさて、それから名物の話だったわね」
「あっ、うん」
 いきなり話を振られて、慌ててあかりが頷く。「何かあるの?」
「もちろん。でも、それはむしろゲレンクのっていうより、ただ単にゲレンクに近いだけなんだけど……」
 そこで一旦言葉を切って、志保はちらりとあかりの方を見た。「いつかの『納涼きもだめし大会』の比じゃない、本場もんの幽霊の話」
「えっ?」
 途端にあかりの顔に不安の色がにじみ出た。
 志保の言う『納涼きもだめし大会』というのは、学校できもだめしをしようというくだらない企画で、結局志保が自分で恥をかくに終わった。
 ちなみにそれにあかりは参加していない。あかりはこの手のものが苦手なのだ。
 志保もそれを知っているので、こうしてわざわざあかりの顔色をうかがっている。
 もっとも、怯えているのはあかり一人ではないのだが。
「ゆ、幽霊ですか……」
 震える声でそう言ったのはマルチだった。
「あれ? ひょっとして、マルチも苦手なの?」
「は、はい……」
「そう。でもまあ、話さないと話が進まないから、話しちゃうわよ」
 そう言って志保は、あかりとマルチの了解も取らずに語り出した。「ゲレンクの南に、“紅の森”っていう、大きな森があるの」
「森?」
「そう、森。で、どうしてそういう名前がついたかっていうと、そこに生えてる樹という樹が全部真っ赤なの」
「全部ってぇと?」
「言葉通り、全部よ。生えてる樹は血葉樹っていう樹、一種類なんだけど、その樹がなんとも不思議な樹で、根も葉も枝も幹も、すべてが血のように真っ赤なの」
「血のようになんて物々しい表現じゃなくて、もっと他に夕陽のようにとか綺麗なの使えよ」
 またまたオレがそう茶々を入れると、志保はいつもみたいに怒るのではなく、むしろより真剣な顔をして言った。
「ううん。血なの」
「…………」
 あまりに志保が真摯な目で言うものだから、オレたちは黙り込んだ。志保はそんなオレたちにお構いなしに続ける。
「乾いた血を見たことあるわよね? 血葉樹の表皮は、まさにそんな感じの色をしてるの。そして樹液は人間の血みたいにどす黒くて、傷付けると脈打つようにどくどくと溢れ出てくるの」
「ほ、ほう……」
 強がってオレ。あかりとマルチはぶるぶると震えている。
「その血葉樹は、その“紅の森”にしか生えてないの。どうしてだと思う?」
「さ、さあ……」
 突然の志保の問いに、オレたちは揃って首を傾げた。
「うん。実は昔、そこで戦争が起こったの……」
「戦争……?」
「そう、戦争よ。“無の戦争”っていって、本当に人類が無に帰してしまうんじゃないかってくらいたくさんの死者が出たそうよ……“紅の森”で」
「…………」
「『東に立つは光の勇者
  西に聳えし悪魔の盾に
  勇猛果敢に勝負を挑み
  見事その盾打ち壊したり』
 物語では綺麗な文で書かれてるけど、実際は東の国と西の国が醜く殺し合っただけの戦いで、結局一旦は西が勝ったんだけど、その国もその戦争で弱体化してすぐに滅んだわ。遥か南の蛮族の侵略を受けてね」
「詳しいな」
「そりゃ、一応詩人だからね」
 志保が得意げに笑った。「それで、その戦場となった場所が“紅の森”だってのはさっき言ったけど、そのときはそこはローアシュパッツ大平原の一部で、緑豊かな草原だったの。でもその戦争で草木は折れ、血に染まり、大地には無数の死体が葬られることなく山となった。
 死体は風雨に晒され、やがて腐敗して土に還った。その頃には草木も枯れ、そこは不毛の地になった」
「じゃあまさか、その血葉樹ってのは……」
 志保が大きく頷いた。
「実際にそんなことがありえるかどうかは知らないけど、たぶんその人間の血肉から生えてきたんだと思う。不毛の地となったそこから、やがて無数の樹が生えてきた。その樹はすべてが真紅に染まり、樹液は血のようにねっとりとた赤。樹々はいつしか森になり、風が樹々の間をぬっては人の呻き声のような音を立てる。近隣の人々はその樹を“血葉樹”と名付け、その森を“紅の森”と名付けて恐れた……」
「…………」
 オレたちは緊張した面持ちで聞いていた。
 そんなオレたちの顔を見て、最後に志保がいつもの小生意気な笑みを浮かべた。
「……っていうお話なんだけど、ホントかしらねぇ」
「?? なんだ? 志保は行ったことないのか?」
 少し拍子抜けしてオレが聞くと、志保は前を向いてオレたちを見ず、恐らく意図的に低い声で言った。
「ええ、行ってないわ。そして、その森に入って出てきた人もいない……」
「…………」
 穏やかな日だった。
 天気も良く、風も心地よかったが、それからしばらくオレたちは、一言も話さずに歩いていた。

  2

 ハイデルを出てから5日目の昼頃、オレたちの前に宿場町ゲレンクが見えてきた。
「おお、あれがゲレンクか」
 遥か先に見える町には、セイラスやハイデルと違って街壁はなく、のどかな農村を思い起こさせる木柵が巡らされていた。つまり、対人間用の備えはしてないということである。
 オレはそんなんじゃ、他国に乗っ取られやしないかと志保に聞いた。すると志保は、顔中から「まったく無知ねぇ」と訴えながら言った。
「そもそもこの辺には対人間用の備えなんていらないのよ。どの国も暗黙の同盟関係にあるから。ティーアハイムは例外よ」
「なるほど。けど、その例外が起きたらどうすんだ?」
「万が一にもないわ」
 きっぱりと志保が断言する。「ゲレンクを攻める可能性のあるのはハイデルとレギーレンのみ。でも、互いに攻めることに利益がない。ハイデルやレギーレンとデックヴォルトを一緒にしちゃダメよ」
「なるほど」
 そんなことを話しながらオレたちは町に入った。

「う〜ん、今日も賑わってるわねぇ」
 と、志保。
 街道を挟むようにして家々が建ち並び、町を形成しているのだが、そのほとんどが宿屋。まさに宿場町といった感じである。
 町を埋め尽くすような膨大な数の人々は、そのほとんどが旅人で、どうやら近々ここで祭が行われるので何日も滞在しているのだそうだ。
 道の端には、露店が立ち並んでいる。そんな祭の観光客目当てなのは言うまでもないが、そういうものを見ているだけで自分までも観光客のように思えてくるのがなんとも不思議だ。
「ねえ、志保。どんな祭が行われるの?」
 マルチと一緒に楽しげに露店を見て歩きながらあかりが聞くと、志保は話せることの喜びを顔中に滲み出して言った。
「呼春祭よ」
「こしゅんさい?」
「春を呼ぶお祭。あたしも実際に見たことがあるわけじゃないから詳しくは知らないけど、何でもこの町の人たちが着飾って、街道を歌い踊りながら歩くんだそうよ。祭娘っていう五人の歌姫は十代後半の女の子で、『木々は緑豊かに……』なんちゃらかんちゃらっていう『春の詩』を歌うの。もちろん、仕事はお休み。最後には旅人たちもみんな加わって、花見よろしく宴会騒ぎ。とにかく明るく楽しくすれば春が来るそうよ」
「ふ〜ん。おもしろそうだね」
 すっかり志保の話に乗せられてあかり。マルチもうっとりとしている。
「ねえ藤田さん。せっかくだから見ていきませんか?」
「そうしようよ、浩之ちゃん。私も見てみたい」
 二人は期待に瞳を輝かせてオレを見た。オレは仕方なく頷いた。
「ああ、わかったわかった」
 ところがその時、
「ダメよ!」
 少し怒気を孕んだ声で、志保がオレたちにぴしゃりと言った。
「えっ?」
 オレたちは驚いた。まさか一番乗ってきそうな志保に止められるとは思ってもみなかったから。
 オレたちが呆けた顔で志保を見ていると、志保は少し眉を歪めて、
「あかりやマルチはともかく、ヒロまで何を言い出すの? これを忘れたの? これ!」
 そう言って、オレに手紙を押しつけてきた。
 もちろん、ハイデルの騎士団長リゼックから葵ちゃん宛に書かれた手紙である。
 忘れてなどいない。
「覚えてるけど、何もそんなに慌てなくてもいいような……」
 言いかけたまま、オレは口を噤んだ。志保が鬼のような形相でオレを睨んでいたからだ。
「そ、そんなに重要なもんなのか? これ……」
 怖々にオレが尋ねると、志保は「知らないわよ」と視線を逸らさずに言った。
「だったら……」
「でも、仮にも一国の騎士団長からの手紙よ。急ぐに越したことはないわ」
「志保……」
 あかりが驚いた顔で呟いた。オレほどでないにしろ、こんな志保を見るのはあかりにとっても意外なことなのだろう。
 あの時、委員長と志保の間で何事もなく交渉が成立したのには、志保なりに今彼女たちを取り巻いている事情を考えてのことだったのだ。
「わかったよ。お前に任せる」
「わかればよろしい」
 早くもいつもの調子で志保が言った。
 志保を褒めるつもりはないが、細かいことにこだわらずにすぐにこうしていつも通り振る舞えるのが、こいつの数少ない良いところなのだろう。
 オレたちは先頭に立って歩き始めた志保についていった。

 それからしばらく歩いて、志保がある家の前で立ち止まった。
 普通の民家にしては大き過ぎる。よくよく観察してみると、裏に数台の乗合馬車が止めてあり、表に『コウズ馬車』と書かれた看板が掲げてあった。
「フルースベルク最大の乗合馬車協会コウズグループ。まあ、最大っていっても、そんなに大きくもないわ。少なくともハイデルほどの街に走ってないから」
 そんなことを言いながら、志保は店の中に入ろうとした。そんな志保をあかりが慌てて呼び止める。
「ね、ねえ志保。いくら急ぐっていっても、さっき着いたばっかだよ。もう出発するの?」
「ま、まさか」
 驚いたように志保。「いくらなんでも、そんなことしないわよ。今日は明日のビンゼ行きの時間とかを聞きに来ただけ」
「な、なんだ」
 ほっとあかりが胸を撫で下ろす。オレも内心安堵していた。
「すいませ〜ん」
 大きな声でそう言いながら、扉を開けて志保が中に入る。
 店の中は小さな喫茶店……どちらかというと酒場のようになっていた。恐らく、馬車の時間を待つ人たちが使うのだろう。今は誰もいない。
 しばらくして、店の奥から一人のおっさんが現れた。
 いかにもという感じの中年のおっさんだ。
 オレはもう少し工夫をこらして、ガキとか老婆とか出てきてもおもしろそうだと思ったが、実際にそういう類の人間が出てきたことを想像して、おっさんで良かったと一人で安心した。
「はいはい。お嬢さん、どちらまで?」
 どうにも愛想良くおっさんが志保にそう尋ねたが、はっきり言って、不気味だった。
 志保はそんなことはまったく気にせずに言う。
「明日の朝一番のビンゼ行きの時間を教えて」
「ははは。一番も何も、うちは一日に何本も出せるほど裕福じゃないよ。ビンゼ行きは午前10時、一本だけだ」
「そう。ありがとう……」
 志保はそう礼を言って、もはやここには用はないと言わんばかりに店を出ようとした。すると、
「けど……」
 そんな志保の背中に向かって、おっさんが言った。
「けど?」
 振り返って志保。
 おっさんは深く息を吐いた。
「残念だが、今ビンゼ行きは出していない」
「えっ?」
 オレたちの声が重なる。
 そんなオレたちを見て、おっさんは気の毒そうな顔をした。
「いや、あなたたちにも急ぎの理由があるとは思うのですが、実は今ビンゼにはデックヴォルトとの戦いの噂がありましてな」
「戦い? 今戦ってるのか?」
「いや、まだです。ただうちも商売柄、有力な情報網がありまして、近いうちにデックヴォルトがビンゼを攻めようとしているのはどうやら本当のようでしてね。プロミシアの本部から、ビンゼ行きはしばらく運行停止命令が下りまして」
「そ、そんな……」
 呆然とオレたち。
「誠に申し訳ない」
 おっさんは深く頭を下げた。
 オレはどうしたものかとちらりと志保を見た。すると志保はすでに次のことを考えているようで、いつもの表情でおっさんに言った。
「じゃあ一つだけ教えて」
「はい」
「デックヴォルトがビンゼを攻めるのはいつ?」
「……恐らく2週間後くらいかと……」
「2週間!?」
 オレたちは意外な数字に驚きを隠せなかった。2週間など、かなり差し迫っていると言ってよい。
 まあ、考えれてみれば、だからこそ馬車を出せないわけだが……。
「わ、わかったわ……ありがとう」
 最後にそう言った志保の顔は、幾分深刻みを帯びていた。
 事態は相当悪い方に進んでいる。
 オレはそれを肌で感じた。

  3

「困りましたね」
 コウズ馬車を出てすぐ、マルチが言った。
「そう、困ったわ」
 腕を組んで地面を凝視しながら志保。
「と、とにかく宿をとろっ。祭の前で空いてないかもしれないから、急がないと」
 ハイデルでの苦い経験を思い出してかあかりが言うと、志保はそれに賛成の意を示し、何やら考え込んだまま歩き始めた。
 すでに夕方近い。オレたちは腹も減ってきたので、宿を探しがてら飯屋を求めた。
 やがて、飯はそこら辺の適当な店で取ることが出来たが、案の定宿はなかった。どの店もすでに客でいっぱいで、四人部屋どころか、一人部屋一つとして空いていなかった。
「困りましたね」
 数軒の宿を回ったところでマルチが言った。
「うん、困ったね」
 後ろで手を組んで不安げにあかり。
 志保は先程からずっと考え込んでいて何も言わない。
 恐らく目先に宿のことよりも、もっとずっと先の何かを考えているのだろう。
 オレたちは、そっとしておくことにした。
 陽も沈み、空に星が出てなお町は活気づいている。
 宿という宿の一階から、旅人たちの騒ぐ声がして賑やかしい。
 街道も、道行く人が光を灯しているので明るい。
 オレは結構魔法を使える者の多さに驚いた。
 そのうちオレも志保に教えてもらおう。
 さらに数軒の宿を回るも部屋はない。
 いつしか町の灯りも消え出して、静かになっていく。
 そろそろオレが野宿を覚悟し始めた頃、ふと眼前に一人のガキが目に入った。
 そのガキは……ガキと言うと生意気そうに聞こえるが、見た目素直そうなので少年と呼ぼう。ガキ改めその少年は、オレとあかりの着ているものと同じくらい安そうな衣服を着て、暗い顔で歩いていた。
 歳は13、4歳だろうか。あちらこちらに汚れが目立つ。砂や土の類の汚れだ。
 わかりやすく言うと、ケンカして泣いて家に帰る子供といった感じである。
 少しずつ少年との距離が縮まってきて、その距離がほんの3メートルくらいになったとき、唐突にマルチが言った。
「どうしたんですか?」
 驚いて志保が顔を上げる。
 しかしマルチはまったくそれに気付くことなく、少年の方を見ていた。
 少年は初め、志保と同じくらい驚いた顔をしていたが、やがてマルチに向かって、
「お姉ちゃんたちこそどうしたの? こんな夜中に」
 と、逆に質問してきた。
「うん、ちょっとね……」
 これはあかり。やはりハイデルでのことを思い出しているのだろう。言葉の節々に不信感が漂っている。
 それはオレも同じだった。
「宿を探してるの」
 不意に短くそう言ったのは、先程まで黙りを決め込んでいた志保だった。
「宿?」
 少年が視線をマルチから志保に移す。
「そう。あなた、どこか知らない?」
「…………」
 志保の目を見て、少年はしばらく何やら考えた後、
「お姉ちゃんたち、祭見物に来たんじゃないみたいだね」
 と、言った。
「ど、どうしてわかったの?」
 驚いてあかりが聞く。
 少年は少し得意げに答えた。
「だって、祭見物に来たんだったら、ちょっと遅すぎるよ。大体祭の1週間くらい前から町はその準備をし始めて、それから当日を迎える。今日も凄かっただろ?」
「う、うん……」
「見たところ、そういうあなたはこの町の住人みたいね。あなたの家、四人泊まれるだけのスペースある?」
 ずうずうしく志保が聞く。すると少年は特に気を悪くするでもなく答えた。
「あるよ。十分すぎるくらい」
「そう。だったら一晩、泊めてくれないかしら。あなたの頼み事と引き替えに」
「……お姉ちゃん、なかなか鋭いね」
 そう言ってから、少年はまるで品定めをするかのように、オレたちをじろじろと見た。「お兄ちゃんの持ってるの、剣だね。しかもそんな布で隠さなきゃいけないほど立派な」
「あ、ああ」
「それから、お姉ちゃんの持ってる杖も、かなり強力な凝力石が埋まってる」
「まあね」
 自慢げに志保。聞くところによると、先輩にもらったものらしい。
「詳しい話は後にして、端的に僕の頼み事をいうと、一緒に“紅の森”に行ってほしいんだ」
 そう言った少年の目は、先程までの素直そうなものではなく、何かを企んでいる悪人のような輝きを帯びていた。
 こいつは危険だ。
 オレは直感的にそう感じた。
「どうする? お姉ちゃん」
 あかりとマルチは今の少年が一瞬見せた表情に気がついていない。
 志保は……。
「わかったわ」
 オレが制止するより先に、志保がそう言った。
「し、志保……」
 オレは志保を止めかけて、口を噤んだ。
 少年に答えた志保の目もまた、先程の少年と同じように何かを企んだ目だったからだ。
「そう、ありがとう。じゃあ、案内するよ」
 そう言って、少年はスタスタと歩き出した。そのすぐ後ろに志保が続く。
 オレはそんな二人の背中を眺めながら、これから何か凄まじいことが始まるのを予感した。
 少年も志保も、何かを企んでいる。
 今度ばかりはあかりもマルチも不安そうにしている。
 “紅の森”に行く。
 ここに来る前の志保の話から考えると、それはあまりにも危険に思えた。
 素直にここは野宿した方がいいような気がする。
 けれどももはや遅かった。時は運命とともに流れ行く。
 この時すでにオレたちは、取り返しのつかない選択をしてしまった後だったのだ。

  4

「おい。本当にここがお前の家なのか?」
 思わずオレは呟いた。
 テークと名乗った少年の後に続くこと十数分、辿り着いたところはやや大きめの館だった。特に豪邸と言うほどでもなかったが、テークの身なりを考えると少々信じがたい大きさであることは確かだった。
「う〜ん、ここに住んでることは確かなんだけど、僕の家っていうとちょっと語弊があるね」
 門を押し開きながらテークが言った。「正確に言うと、ここで住み込みで働いてるんだ。僕とスティ姉ちゃんの二人で……」
「スティ?」
 テークに続いて中に入りながらあかりが聞き返すと、テークは振り向かずに、
「それも後で話すよ」
 と、スタスタと中に入っていった。

 テークが扉の鍵を開け、中に入ると、まずオレたちは薄明るい廊下に違和感を覚えた。日本でならば別に何の不思議もないのだが、今廊下を包み込んでいる薄明かりはこの世界に相応しくない。
 怪訝に思って、目を凝らしてよく見ると、所々にオレンジ色に光る小さな光の球がいくつも規則正しく並んで浮いていた。
「す、凄いですね、藤田さん……」
「あ、ああ。本当に魔法ってやつは、凄ぇもんだな……」
 オレたちが入り口に突っ立って感心してそれに見入っていると、テークが笑顔で言った。
「ははは。そんなのヴェルクに行ったらごろごろしてるよ。あそこは魔法の王国だからね」
 テークの爽やかな笑顔にあかりとマルチも笑みを零したが、オレは素直に笑えなかった。
 さっきのテークの不敵な笑みを見てまったから……。
 ちらりと志保を見ると、こちらは呆然としていたオレたちの反応に対して不愉快そうにしている。志保にとっては、別に珍しいものではないのだろう。
「あれ? どうしたの? テーク、こんな時間に。後ろの方たちは?」
 不意に奥からそんな声がして、一人の若い女性が現れた。長い亜麻色の髪をした、23、4歳の女性だ。
「ああ、ユーディカさん。ごめんなさい、勝手なことをして。この人たち、宿がなくて困っててね。僕たちに協力してくれるって言うからつれてきたの」
「あらそう。それはどうもすいません」
 そう言って、女性はオレたちにぺこりと頭を下げた。
 何か不自然だなぁと、オレは思ったが、すぐにそんな思いを払拭した。
 オレは今、ちょっと人間不信に陥っているようだ。
「どうもこんにちは。浩之と不思議な仲間たちです」
「ちょ、ちょっとぉ。誰が不思議な仲間たちよ、誰が!?」
 すぐに志保が突っかかってくる。まったく恥ずかしい。
「お前ぇだよ、お前ぇ」
「何よ。それを言うなら志保ちゃんと従順な従者たちの方がしっくりくるわ」
「ど、どこが!?」
「あ、あかりちゃんと素直な下僕たちとか……」
「あかりぃぃ!!!」
「ご、ごめんなさいっ!」
 オレたちがそんな不毛な言い争いをしていると、ユーディカさんが愉快そうに笑った。
「うふふ。おもしろい方たち。テーク、早くこの人たちを部屋に案内しなさい」
「はい」
 ユーディカさんの言葉にテークが返事をする。どうやらテークはこのユーディカさんに仕えているようだ。
「こっちだよ。ついてきて」
 テークがオレたちを手招きする。
 オレたちは案内された部屋に入った。

 そこは四人部屋だった。
 志保は非常にオレと同じ部屋なのを嫌がっていたが、生憎テークの思っていたほど部屋が空いてなかったらしい。仕方なくオレたちは一つの部屋に荷物を下ろした。
「さてと。じゃあ、あなたの……ううん、あなたたちの頼み事を聞きましょうか」
 まず志保がテークとユーディカさんの顔を見てそう切り出した。
 今部屋には、オレたち四人とテーク、それにユーディカさんの六人が向かい合うようにして座っている。
 部屋に案内されてからテークが部屋を出て、しばらく間があったので、オレたちはその間に志保から一言だけ注意された。
『これからあたしとあのユーディカって女の人との間で起こるやり取りに、ヒロたちは一切口を挟まないこと』
 一体志保が何を考えているのか気になり、問いただしてみたが、志保は「今はまだ確信が持てないから言えない」と言って、教えてはくれなかった。
 だがそれは志保の嘘だった。いい加減付き合いも長いので、語調でオレはそう確信した。
 けれどもそれ以上、オレは何も聞かなかった。いつもの学校で持ちかけてくる『もったいぶった話し方』ではなく、『本当に言いたくない話し方』だったから。
 オレが志保が嘘をついていると知っていることを承知で何も言わないことを志保もわかっていたようで、志保はオレが「わかった」と言うと、「ありがとう」と珍しく素直に礼を言った。
 何だかんだいっても、結局あかり、志保、雅史、この三人はオレの無二の友人なのだ。
「……森の者たちをご存じですか?」
 しばらくの沈黙の後、ユーディカさんがそう聞いてきた。
 志保はそれに首を振った。
「初めて聞くわ」
「では、“紅の森”の話はどれくらい知っていますか?」
「それなら、血葉樹の生えるに至った経緯から、その森に入って出てきた者はつい最近までいなかったってくらいまでほとんど知ってるわ」
「つい最近まで……と言うと?」
 わずかに眉を歪め、怪訝そうにユーディカさんが志保に問う。
 志保はそれを平然と見返してから、ちらりとテークの方を見た。
「つまりそういうことよ」
 オレは一瞬、志保が一体何を言いたいのかわからなかったが、すぐにそれを理解して驚いた。
 志保は、テークが“紅の森”に入って出てきた唯一の人間だと言いたいのだ。
「……どうやら、私たちの思っていた以上にあなた方は頼りになるようですね」
 そう言ったユーディカさんの声は、安心していると言うよりはむしろ、焦っているように感じた。
 ユーディカさんは再び声の調子を戻して話を続けた。
「シホさんの言うとおり、この子は今日、あの森に入り、こうして戻ってきました」
「それで、森に行った理由は?」
 ユーディカさんが話しやすいように志保が聞く。
「“紅の森”に生えるワツメキ草という草を採りに行ったのです。ワツメキ草はご存じですか?」
「さあ」
「ワツメキ草はジラスという肺の病に効く薬草です。実は今日、それをこの子たちに森に採りに行かせたのです。この子たちというのは、この子とこの子の姉のスティの二人なのですが、ご覧の通り帰ってきたのはこの子一人」
「スティ姉ちゃんは、きっとあいつらに捕まったんだ……」
 こちらは本当に悔しそうにテーク。目にはうっすらと涙も見える。
「ふ〜ん。で、そのあいつらってのが、その森の者たちってわけね」
「そうです」
 ユーディカさんが深く頷く。「今まで出てきた人がいなかったのは、きっと彼らのためだと思います。だから……」
 そこでユーディカさんは瞳を伏せ、黙り込んだ。
 そしてしばらくの沈黙の後、俯いたままユーディカさんが言った。
「あなたたちには、スティの救助とともに、そのワツメキ草を採ってきてほしいのです。それがないと、私の母が……母が死んでしまうのです……」
 何となく重苦しい空気がのしかかった。
 オレはすぐにでもいい返事をしてやりたかったが、志保との約束を思い出したので、黙っていた。
 しばらくして、志保がはきはきした声で言った。
「わかったわ。その依頼、受けるわ」
「本当ですか!?」
 ぱっと顔を上げてユーディカさん。そんな彼女に志保が言う。
「その代わり、条件を出させて」
「え、ええ。どんな?」
「条件は一つだけ。この依頼、依頼料はいらない。その代わり、あたしたちも自分の命は大切だから、本当に危険なときは依頼を放棄して逃げる。どのみちもし無理をして死んじゃっても、ワツメキ草はあなたたちのところに来ないわけだから、いいわよね? それくらいは」
「……わかりました」
 少し考えてからユーディカさんが頷いた。「では、事は一刻を争います。明朝日の出前から行って欲しいのですがよろしいですか?」
「ええ」
「すいません。では、今夜はゆっくりとお休み下さい。行きましょう、テーク」
 そう言って、ユーディカさんはテークと一緒に部屋を出ていった。

「ふぅ」
 ユーディカさんたちが出ていってからしばらくして、志保が大きく息をついた。
「お疲れさま、志保」
 そんな志保にあかりが言った。
 志保はベッドの上に腰を下ろすと、ぽりぽりと頭を掻いた。
 オレはそんな志保を見ながら、どうにも納得のいかないことがあったので、それを聞いてみようとした。つまり、祭を見たいとオレたちが言ったときに「急ぐから」と言った志保が、どうしてこのような妙な依頼を受けたかである。
 もちろん、内心志保が受けてくれたことを喜んではいるが、それとこれとは話は別。矛盾はするが、志保の立場からすると、あの依頼は受けるべきではなかったように思える。
 ところがそんなオレの疑問は、オレが質問するより先に志保が呟いた驚くべき言葉によって消えてしまった。
「ユーディカとかいったっけ? あの人。何の仕事をしてるか知らないけど、演技は上手だったけど嘘は下手ね」
「えっ? 嘘?」
 呆けた表情でオレとあかりとマルチが聞き返した。
 そんなオレたちに、志保はいつもの自慢げな笑みを浮かべる。
「そう、嘘よ。さっきの話のほとんどすべてが」
「ど、どうして? だって……えっ?」
 困惑してあかり。さっきの二人を見て悲しそうにしていたところを見ると、志保の発言が到底信じられないのだろう。
「いいわ。ちゃんと説明して上げる」
 そう言ってから、志保は自分の意見を語り始めた。「まず、最初に言ったとおり、あの森には血葉樹しか生えてないの。血葉樹の他、どんな雑草一本としてね。これは森を外から見た人が証言してるから間違いないわ」
「あ、ああ」
「とすると、ワツメキ草は、森の奥にあることになる。でも、入って誰も出てきたことがない森の奥に生えてる草なんて、誰が知ってるって言うの? おかしいったらありゃしない。まして、肺病に効く? 馬鹿げてるにも程があるわ」
「そ、そう言われると……」
「それから、テークが森から戻ってきたって話と、スティとかいう姉が戻ってきてないっていう話はどうやら本当。特に、テークが戻ってきた話はね。でも、テークが森から戻ってきた最初の人間だってのは、たぶん嘘」
「えっ? だって、最初にそう言ったのは志保だよ」
「そうよ。さっきまであたしもそう思ってたの。でも違う。あの人たちは、何度か森から戻ってきている」
「じゃ、じゃあ、ワツメキ草も……」
「ううん、それはやっぱり嘘。肺病のこともあるし、何よりあの人たちは、戻ってきたのはテークが初めてだっていうのを肯定してたから。でも、森にワツメキ草でないにしろ、何かあるのは確かね。あたしたちはさしずめ、そのボディーガードっていったとこかしら?」
「おいおい。そこまでわかっていて、どうしてお前は依頼を受けたんだ? まさか本当にこのベッドのためか?」
 ポンポンとベッドを叩きながらオレが聞くと、志保はにんまりと笑った。
「まさか」
「じゃあ、一体……?」
「いいわ、ヒロ。答えてあげる。あたしはマルチがあの子に話しかけた時から、本当になんとなくだけど、あの子が森から出てきたんだってことを確信してた。っていうか、そうあってほしいって思ってた。そして、案の定そうだった。これで“紅の森”が、入って出てきた者がないっていう伝説は崩れたわ」
「ああ」
「これでとりあえず森には入れる。でも、もっと情報がほしい。となると、あの子に近付いた方がいいと思った。そのおかげで、森の者がどうのっていう話がわかった。これだけでも大きいけど、もっと大きいのは、あの子に奥まで道案内をしてもらえることね。後はあたしの持ってる棒磁石が道を教えてくれる」
「……志保、お前一体何を……?」
 少しずつ低くなっていく志保の声に、オレはごくりと息を飲んだ。
 そんなオレを見て、志保が言った。あの時と同じ瞳で……。
「あたしの目的はただ一つ。テークを利用して“紅の森”を南に抜け、そのままビンゼに行く。早ければ5日で着くわ」
 志保がにやりと笑みを浮かべた。
 外で風が吹いて、窓がカタカタと音を立てた。
 オレたちは三人、言葉もなく、呆然として、しばらく志保を見つめていた。