『 To Heart Fantasy 』 第3巻

 第5話 森の者の娘

  1

 春が近いと言えど、夜の風は未だその衰えを知らず、身を切るような冷たさで吹き抜けていく。
 空には星が瞬き、柔らかな光が大地に降り注ぐ。
 もはや遥か遠くになったゲレンクの町は、まだひっそりと静まり返っている。テークの話だと、今日から祭当日を含めた4日間は、ゲレンクでは夜がなくなるという。
 オレたちの眼前には、まだ何もない。草原が広がっているだけだ。けれども直に見えてくるだろう。
 “無の戦争”の悲劇の結晶“紅の森”が。
 オレたちは無言で歩いた。

 一日の内で、最も冷え込むのは明け方だとオレは体感する。実際どうかは知らない。
 空は日の出を前にして薄暗く、月が煌々と輝いている。
 振り返るとそこにはオレたちの歩んだ緑がある。町はもう見えない。
 眼前には鬱蒼と茂る黒い森が、遥か遠くに点になって見える。しかし、それも時間の問題だ。やがてオレたちはあそこに辿り着く。
 予定では朝の訪れるより早く着くとのこと。
 夜明けは近い。
 オレたちは無言で歩いた。

 やがて、空が白み始める。東の空に、太陽の姿はまだ見えない。
 朝の早い鳥たちが、森の上空を飛んでいる。
 森は鳥たちは受け入れているようだ。森が拒むのは、心の汚れた存在だけなのかも知れない。
 例えばそう、人間とか。
 オレたちは森の前に立ち、ふと足を止めた。
 空は明るい。すでに『色』を識別できるほど。
 森の色は赤。それも血のようにやや黒ずんだ赤。伝承は本当だった。
「ここが“紅の森”だよ」
 わかり切ったことを説明口調で確認するのはゲレンクの少年テーク。ユーディカの下働きの子供だ。
 顔には焦りと緊張の色がうかがえる。いつか見せた瞳と昨夜の志保の話から、こいつが何かを企んでいるのは確かだが、顔に刻まれた表情から察するに、それさえ容易ではないらしい。
 そんなテークの言葉を聞いているのかいないのか、不安げに森を見ている二人の少女はあかりとマルチ。ただ、その顔には不安の他に罪悪感が色濃く見える。
 すべては昨夜の志保の話を聞いてしまったからだ。
 テークを利用して……。
 その一言が、二人の心を締めつけていた。
 昨夜あの後、志保がオレに声を潜めてこう言った。
「あの話、あかりとマルチの前でしたのは失敗だったわ」
 オレも同感だった。特に初めに声をかけたマルチには辛いだろう。
 かくいうオレも、多少の罪悪感に苛まれていた。
「さてと、それじゃあテーク、森の状況とか、詳しく教えて頂戴ね」
 一人だけ軽い口調でそう言った志保の顔には、オレたちのような色はない。不安の色さえない。
 傷だらけで出てきたテークを見てなお、志保は森の伝説を迷信と信じているようだ。
 何事もなく終わってくれることを祈らずにはいられない。
「うん、いいよ。でも、ただその森の者に襲われるまでは何にもなかった。そこまでは案内できる」
 テークが先頭に立ち、一歩森に足を踏み入れる。
 そして、オレたちが続こうと思った瞬間足を止め、振り返らずに低い声でこう言った。
「あいつらは残酷な奴らだ。それから幾つもの罪を犯してきた。出てきたらなるべく捕まえて下さい」
 オレたちはその言葉に何か引っかかりを感じたが、素直に頷いた。
 テークは再び歩き始めた。

 “紅の森”は志保の言う通り、血葉樹と呼ばれる樹の他には一切植物が生えていなかった。下生えすらなく、そのおかげで歩きやすくはあったが、樹と樹の間隔は狭く、薄暗かった。
 オレたちは枝葉をかき分けて進んだ。
 二時間くらい歩いたろうか、ふと立ち止まってテークが言った。
「ここだよ、昨日僕たちが襲われたところは」
「ここ?」
「そう。だからこの先は僕も知らない」
「そう……」
 オレたちは再び歩き始めた。
 けれども結局この日は何とも遭遇せずに終わった。

 ところが翌日朝早く、それは起こった。
 軽い朝食を取り、南に向かって歩き始めてすぐ、先頭を行く志保が足を止めた。
「誰かいる……」
 そしてぼそりとそう呟いた刹那、何か、ナイフのような鋭利な刃物がテーク目がけて一筋の線を描いた。
「テーク!」
 オレたちは驚いてテークを見た。
 ナイフがテークの首に刺さろうとしていた。
 殺られた……。
 オレはひどく冷静にその様子を見つめていた。
 ところが。
「くっ!」
 ナイフが煌めくのとほぼ同時に、テークが懐から短刀を抜いて、そのナイフを弾き飛ばした。凄い腕だ。
 ナイフはカツリと樹に突き刺さり、樹から血のような樹液が迸った。
 前方でカサリという音がした。
 犯人が逃げようとしたのだ。
 けれどもそれより早く、志保の魔法がそいつの足をからめ取った。
「きゃっ!」
 意外にも、聞こえてきた悲鳴は女性のものだった。
 そして誰よりも早く、その女性を押さえつけに走ったのはテークだった。
「このっ!」
 テークの手が、地面に倒れている女性をつかむ。
 17、8歳の女性だ。深い緑の髪が肩の辺りで揺れる。
 女性は志保の魔法で落下したときにかなりひどく足をくじいたようで、足首を押さえたまま動かない。瞳には涙がいっぱい浮かんでいて、なんとも痛ましい。
「またお前か!?」
 女性をしばりあげながらテークが言った。
「また?」
 そんなテークの言葉に、志保が聞き返す。
「そう。一昨日僕たちを狙ってきたのもこいつなんだ」

  2

 女性を囲むようにしてオレたちは座っている。
 女性は背中で手を縛られ、泣きながらうずくまっている。足が痛むのか、時々身体をよじる。
 細い縄が肌に食い込んでいた。
「スティはどうした!? 僕の姉ちゃんを返せ!」
 テークの平手が女性の頬を打ち据え、あかりとマルチが痛ましげに目を伏せた。
 けれども二人ともその行為を止めようとはしなかった。女性はテークの命を狙った。テークには、それだけのことをする権利がある。
 けれども、今この様子を客観的にみると、どう見ても加害者はオレたちだった。
 何よりオレは、目の前の女性がそんなに悪い人には見えなかったので、もう一発女性を引っ叩こうとしたテークの腕をつかんだ。
「!?」
「それくらいにしておけ」
 凄みを効かせてオレが言った。
 テークは何やら言いたげだったが、大人しくオレの言葉に従った。
「とにかく、この縄ほどくぞ」
 そう言って、オレは誰の返事も待たずに女性の縄に手をかけた。
「ひ、浩之ちゃん……」
 少し嬉しそうにあかりが呟く。
 女性は驚いた顔でオレを見ているが、不安の色は隠せない。
 オレは努めて笑顔で縄をほどき、女性に言った。
「とりあえず教えてくれ。どうしてオレたちを狙ったんだ?」
 女性はしばらく何も言わずに足をさすっていたが、オレと目が合うと観念したように言った。
「……人間は、悪い奴だからだ……」
「そういうあんただって人間じゃない」
 矛盾していると言わんばかりに志保。女性はそんなことはわかっているという瞳で志保を見た。
「私は違う……。でも、やっぱり人間だから私も悪い奴なの。お前たちを殺しても構わない」
 よくわからなが、凄い理論を展開してくれる。
 オレの中にふと一つの疑問がよぎったが、次の瞬間、それをテークが言葉にした。
「人間は悪い奴だから人を殺してもいいのか……。じゃあ、今ここで僕がお前をどうしようと勝手だな。僕は人間だから」
 テークがにやりと笑った。
 女性が怯える。
 この人、肉体年齢よりわずかに精神年齢が劣ってる……。
 オレはふとそれに気がついた。
 一体この女性がどんな生活をしているのかは知らないが、こんな森に住んでいることを考えると、その可能性は大いにある。
 オレはちょっと気の毒に思えてきた。
「テークはちょっと黙っていて」
 そう言ったのは志保だった。志保はそれから女性の前に屈み、両手で肩をつかむと、自分の方を見させる。
 女性は怯えたままだ。
「ねえ、一昨日ここで何があったの? テークと……あの少年と何かあったの? 良かったら話して。あなたをいじめたりしないから」
 女性は不安げに志保を見ている。
 志保はにっこりと笑ってみせた。
 しかし女性は黙ったままだった。
「ふぅ……しょうがないわね」
 志保はため息をついた。「とりあえずマルチ。この人の足の手当をして。あたし、そういうの苦手だから」
「あっ、はい」
 いきなり話を振られてやや慌てたが、志保に言われてマルチは嬉しそうに女性に近付いた。
 それからどこからともなく湿布のようなものを出し、どこからともなく包帯を取り出すと、グルグルと巻き付け足首を固定する。
 一体、どこから出て来るんだ?
 オレは突っ込んではいけない疑問を抱いて悩んだ。
 女性は始終黙ったままだ。ただ、その表情からやや不安と怯えの色が薄れ、今は悲しげに目を伏せている。
「なあ。とりあえず名前だけでも教えてくれないか? 話がしにくくってしょうがない。オレは浩之。敬称は適当でいいぞ」
 オレがそう言うと、女性は、
「名前は……ありません……」
 と、ポソリと呟いた。
「名前がない?」
「はい。付けてもらってないんです」
「どうして?」
「それは……」
 女性はやはり言い渋った。
 しかし、オレと志保が懸命に話をせがんだために、次第に女性は色々なことを話してくれるようになった。
 それによると、女性はまだ記憶すらない小さいときに森に捨てられ、泣いていたところを森の者に拾われて育てられた。森の者が言うには、「お前は私たちのものではない。お前に名前を付けられるのは、お前の親かお前自身だけだ」ということらしい。
 けれども女性は自分で名前を付けはしなかった。自分は人間でも森の者でもない中途半端な存在だから、名前はいらない。どうせなら、森の者に付けてもらって、森の者になりたい。女性はそう言ったそうだ。
「……で、その森の者って何? 人間じゃないの?」
 疑問を抱いて志保が尋ねる。
 女性は言った。
「私にとって森の者は森の者です。むしろ人間の方がわからない」
「……そう」
「よしわかった」
 どうにも場が暗くなってきたので、オレは景気づけに明るく言った。「君の名前は森という意の英語をひねってフォーリスと名付けよう。少なくとも君はオレにとってはフォーリスという名前の女の子で、人間のオレが名前を付けたからオレは君を人間だと認識する。いいな?」
「ヒ、ヒロ。あんた何バカなこと……」
 志保は眉をしかめてそう言いかけたが、女性を見て口を噤んだ。
「フォーリス……フォーリス……」
 女性はぼんやりと、何度もそう繰り返していた。
「そう、フォーリスだ。いい名前だろ?」
「……はい」
 女性は少し照れたように顔を上げた。
 人間くさい表情だ。とても先程意味不明な理論を展開した時に見せた表情の持ち主と同一人物だとは思えない。
「なあフォーリス。話してくれ。一昨日ここで何があったんだ?」
 もう一度オレが尋ねた。
 するとフォーリスは、ちらりとテークを見てからすぐにオレと志保に視線を戻して、恐る恐る聞いてきた。
「……その、ヒロユキさんたちは、あの人の仲間なんですか?」
 その質問が一体何を意味しているのかオレにはわからなかった。
 言いあぐんでいるオレの代わりに志保が言った。
「今のところなんとも言えないわ」
 それから志保は、ちらりとテークの方を見た。「この先にワツメキ草があれば仲間。もしなければ、むしろ敵ね」
 その瞳は鋭く、冷たい輝きを帯びていた。
 ついにこの時が来たかとオレは思った。
 テークを見ると、こちらも毅然として志保を睨み付けている。
 そんな二人を見てだろうか。フォーリスが決意したように言った。
「わかりました。お話しします。一昨日、確かに私はあの人とそのスティという名前の女性を狙いました。人間は殺すよう、大人たちに言われていたから。けれど、私は負けました。それから二人は私に向かってこう言ったのです。『森の者はどこにいる?』って……。私は怖かったから教えました。それから先のことは覚えてません。気を失わされたから……」
「ふ〜ん。テーク、あたしたちの目的ってなんだっけ?」
 冷ややかに志保が言った。
「…………」
 テークは無言でいたが、志保を睨み付けたまま、ゆっくりと懐に手を伸ばした。
 その時。
「お前たちそこまでだ。この娘を返してもらおう!」
 そういう男の声とともに、オレたちの周囲を取り囲むようにわらわらと人が現れた。
 それは確かに人間だった。
 けれどもその時、テークが叫んだ。
「も、森の者!」
 彼らは静かに武器を抜いた。

  3

 気がつくとオレたちは取り囲まれていた。
 三十人くらいはいる。戦っても勝てないだろう。
 オレたちは四人、背中合わせになった。
 テークとフォーリスは、そんなオレたちを挟むようにして立っている。
 輪が縮む。じりじりとオレたちの死が近付いてくる。
 殺される……。
 オレはおばさんからもらった剣を抜こうとして、
「待ってください!」
 フォーリスのそう言う叫び声にその手を止めた。
「どうしたんだ? 何故止める」
「待って下さい。違うんです。この人たちは敵じゃありません」
 それからしばらく、あちらさんの首領とフォーリスが睨み合った。やがて、
「……わかった。話を聞こう」
 先に折れたのは首領の方だった。「どういうことか話してもらおうか。人間嫌いのお前が人間をかばうとは、よほどのことだ」
「はい……」
 フォーリスが安堵のため息をついた。
 オレたちはとりあえず生き長らえたようだ。

 それからオレたちはその場に座らされた。オレと志保が前に座り、その後ろにあかりとマルチ。オレたちの前に首領が座り、その横にフォーリスがいる。テークはオレとフォーリスとで三角形を作る位置に座っている。
 その他大勢は立ったままオレたちを取り囲んでいる。「いつでも殺せるぞ」と言わんばかりだ。
「まず、お前たちの目的を聞こう」
 首領が言った。
 テークは黙っている。
 オレが本当のことを言うか言うまいか悩んでいると、隣で志保がさらりと言った。
「あたしたちの目的はただ一つ。この森を南に抜けてビンゼに行くこと。だからあんたたちが何を恐れて人間を襲うのかは知らないけど、あたしたちには関係ないわ」
 テークが目を丸くして志保を見た。そんなテークを見て、フォーリスがわずかに笑みを零す。その笑みはやや皮肉めいていた。
「……シホとかいったな? その言葉、ワシらが素直に信じると思うか?」
「信じてもらうしかないわ。現にあたしたちはつい昨日まであんたたちの存在すら知らなかったんだから。あんたたちは一体、何をそんなに恐れてるの?」
 そう志保が問うと、首領は厳しい口調で言った。
「お前たちに質問する権利はない。お前たちはただワシらの質問に答えればよい」
「……わかったわ。ただし、それだけであんたたちが真実を知ることができるならね」
「口の減らぬ奴だ。では質問を続けよう」
 首領は再び志保を睨み付けた。「南に本当にビンゼという国があるかどうかは知らぬが、お前たちはそこへ何をしに行くつもりだ。もし嘘でなく、本当に目的があるならば、詳しく語ることが出来よう」
「ええ、もちろん。あたしたちはビンゼの第三部隊部隊長松原葵に、ハイデルは騎士団長リゼックから預かった書簡を届けに行く。書簡の中身は礼儀として確認はしてない。けれどたぶん、今度起ころうとしている戦争に関することでしょうね」
「……ふむ。相変わらず人間は愚かだ。いつの時代も殺し合うのか……」
 首領は呟いた。「よかろう。だが、それで完全ではない。次の質問だ」
 それから首領はテークを見て言った。
「その子供との関係を教えてもらおう」
「……だそうよ、テーク。この人たちにあんたがこの森に来た理由を言ってあげなさい」
「くっ!」
 テークの顔がやや青ざめていた。「ぼ、僕はこの森にワツメキ草を採りに来た。ただそれだけだ」
「……だそうよ、首領さん」
「ワツメキ草? なんだそれは?」
 首領が怒気のこもった目で志保を見る。それに志保は平然として答えた。
「あたしも知らないわ。あたしたちはこの子にただ『ワツメキ草を採りに行くからその手伝いをして欲しい』って言われただけだから。でもこの子はあたしたちに嘘をついた。もちろん、だからあたしたちもこの子に嘘をついた。この子とあたしたちの関係は狐と狸。赤の他人よりタチが悪いと思ってくれていいわ」
「……醜いな」
「結構。そうでないとこの世界では生きていけない」
「……ふっ。お前はおもしろい奴だ」
 首領が笑った。「ところでシホとやら。この子供のこの森に来た真の目的を知りたくはないか?」
「真の目的ねぇ」
 呟いてから、志保はテークに目をやった。「是非知りたいわね。騙された者としては」
「いいだろう。話してやろう。お前たちがその子供の仲間ではないと信じてな」
 そう言うと、首領はにやりと笑った。
 オレは背中に悪寒を感じた。
 あかりとマルチはすっかり怯えて震え上がっている。
 隣を見ると、志保もまた冷や汗をかいていた。
 そんなオレたちを見て、楽しげに首領が言う。
「その子供の目的は我々森の民にたくされた秘宝だ」
「秘宝!?」
「そうだ。ユーディカという闇組織の主の命を受け、あの方の秘宝を盗もうとした。愚かなことだ」
「で、デタラメだ」
 叫んだのはテークだった。「ユーディカさんはそんな人じゃない。勝手なことを言うな。大体、どうしてそんなことがわかる!? 嘘をつくな!」
「ふん。見苦しいな。お前たちの目的は、すべてお前の姉が吐いた」
「な、何だって……」
 テークの顔から血の気が引いていくのがわかった。
 首領がおもしろがって言う。
「おい。あの娘を出せ」
 周りの者の一人に首領が言うと、やがて言われたその男が、一人の女の子をつれてきて、オレたちの前に放り投げた。
 女の子は力なく、どさりとその場に倒れた。
 15、6歳の可愛い顔立ちの女の子だった。けれど、今ではその顔は見る影もない。
 衣服を剥がれ、露わになった彼女の肌には、いくつものあざと蚯蚓張れが出来ていた。さらに、爪は剥がされ、肉は焼かれ、閉じられた瞼の下には血の跡があった。
 一昨日ここで捕らえられた少女が、彼らにどんな目に遭わされたのかは一目瞭然だった。
「ね、姉ちゃん!!」
 血相を変えてテークが駆け寄る。
 あかりとマルチは目を伏せ、両手で耳を押さえていた。
 怒りが込み上げてきた。
「て、てめぇら……」
 しかし、立ち上がりかけたオレは、すぐに押さえ付けられ座らされた。
 オレを止めたのは志保だった。
「堪えて、ヒロ」
 再び怒りが込み上げてくる。
「し、志保! お前、これを見てなんとも思わないのか!? 平気なのか!?」
「ヒロ!」
 ぴしゃりと志保が言った。「平気なわけないでしょ。でも、でもここは堪えて。あいつらは、あたしたちをテークの仲間にしたいの。どんな理由をつけてもね。そうすれば、あたしたちを殺せるから。あいつらは初めからあたしたちを殺すつもりなの。じゃなきゃ、秘宝だとか、そんな話はしない。だから……だから……堪えて、ヒロ……」
「志保……」
 志保の苦しそうな顔に、オレは何も言えなくなった。
 それを見て、首領が舌打ちをした。
「ちっ、つまらんな。だが、これならどうかな?」
 そう言って、首領は剣を抜いた。
「な、何を……」
 オレが驚きに目を見張ると、首領はそのまま倒れている女の子の前に立ち……、
「ジェ、ジェイラスさん……?」
 そう震えながら呟くフォーリスや、泣いているテーク、そして怒り震えるオレたちの目の前でその剣を女の子に突き立てた。
 ズブッ!!
 鈍い音がした。
「かふっ……」
 女の子の白い腹に、鈍色の剣が突き刺さった。
 一瞬、オレの中で時が止まった。
 ゆっくりと剣が引き抜かれる。
 真っ赤な鮮血が迸った。
「ああ、あああ……」
 女の子はもはや何も見えていないだろう瞳を大きく開いて、一、二回、身体をびくんびくんと震わせると、そのまま動かなくなった。
「ね、姉ちゃん……」
 呆然とテーク。「う、嘘だろ……姉ちゃん。なあ、スティ姉ちゃん、返事してよ……返事……」
 何度も何度も泣きながら姉の名を呼んで、そのままテークは姉の腹に顔を埋め、絶命した。
 テークの背中には、ジェイラスと呼ばれた首領の剣が深々と突き刺さっていた。
「テ、テーク……」
 オレの中で何かが弾けた。「き、貴様……」
「ダメよ、ヒロ!!」
 オレを止める志保の声が、遥か遠くから聞こえてきた。
 うるさい……。
 もはや理性はなくなった。
 オレは剣を抜いた。
 しかし、その剣を振ることは出来なかった。
 俺の前に志保が立ちはだかったからだ。
 そして、その志保の顔を見たとき、オレは正気に返った。
「ダメよ、ヒロ! 堪えて……」
 志保は泣いていた。泣きながら、毅然とオレを見つめ、オレをなだめる。
「志保……」
 オレは身体中の力が抜けて、剣を下ろした。
 虚無感が広がった。
 そんなオレを見てから、志保が首領の方を振り返る。
「これでわかったでしょ!? あたしたちはこいつらの仲間じゃない。あの方とか秘宝とか、あたしたちには関係ない。もういいでしょ!? さっさと行かせて。あたしたちにはしなくちゃいけないことがあるの。待ってる人がいるの! こんなところで、あんたたちみたいな訳わかんないやつらと遊んでる暇ないの!」
「……ちっ。わかった。行くがいい」
 悔しそうに首領が言った。「ただし、二度とこの森に足を踏み入れるな」
「そんなこと、こっちから願い下げよ!! 行くわよ、ヒロ、あかり、マルチ」
 オレは吐き気を堪えて嗚咽しているあかりとマルチを立たせると、歩き出した。
 さっさとこの場を離れたかった。
 背後で森の者たちの笑い声がした。
 オレは今でも剣を抜き、斬りかかっていきたい衝動に駆られた。
 志保が泣いている。あかりが泣いている。マルチが泣いている。
 オレは先頭に立ち、三人に気付かれないよう泣いた。
「ヒ、ヒロユキさん!」
 背後で、オレを呼ぶフォーリスの声がした。
 その声はひどく悲しそうだったが、オレは振り向きもせず、足さえ止めなかった。
「ヒロユキさん、ごめんなさい。それから、名前、ありがとう。私、嬉しかった。とってもとっても嬉しかった。私、皆さんのこと……」
 そこから先はもう聞こえなかった。
 聞きたくもなかった。
 すべてが憎かった。この世界のすべて。森の者も、フォーリスさえも。
 今信じられるのは、オレの後ろを嗚咽しながらついてくる三人だけだ。オレの大切な友達、そして仲間。
 葵ちゃんに会いたい。先輩に会いたい。そして、もう一度委員長に会って、みんな揃って帰りたい。ここを出たい。この森を出たい。この世界を出たい。
 日本に帰りたい。
 オレは泣きながら、早足で森の中を突き進んだ。