『 To Heart Fantasy 』 第3巻 |
第6話 戦い前夜 1 前方にビンゼの街が見えてきたとき、オレたちはもはや悲しむことに疲れ、わずかばかりの元気が戻っていた。けれどもまだ、ペチャクチャとお喋りしながら歩く、そんな気にはとてもなれなかった。四人とも必要最小限のことだけを口に出し、後はひたすら沈黙を保って歩く。 葬式のようだった。 オレも空元気でも何か話しながら歩いた方がいいことはわかっていた。こんな葬式行列のようなことをしていては気が滅入る。しかし、わかっていてもやはり声は出なかった。 暗い顔でビンゼの門を潜ると、眼前にビンゼの街並みが広がった。ビンゼはハイデルよりもむしろセイラスに近い、自然の溢れる街だった。そんな中で、街のやや東よりに、巨大な城がある。 近付いてみると、城壁の周りには堀が巡らされていた。城壁は狭間壁、高さも十分ある。 そういえば、街壁もハイデル以上の高さがあり、しかも二重壁になっていた。壁の角には丸塔が設けられ、外敵に対する備えはほぼ完璧といってよい。 オレがそんなことを呟くと、隣で志保が城壁を見上げて言った。 「違うわ」 「違う?」 オレが聞き返す。 「そう。ビンゼには魔法に対する備えがないの。もし敵に一人でも強力な魔術師がいたら、どれだけ矢を放ってもすべて逸らされる。でも、ビンゼには国民の体質かどうかは知らないけど、それに対抗できる強い魔術師がいない。この国でなら、あたしだって将軍になれるわ」 「ほう」 「ビンゼはこの半島でもかなり古い歴史を持つの。それこそディクラックが“それ”を封じるより前から……」 そこで一旦言葉を止めて、志保はちらりとオレを見た。「わかる? つまり、ビンゼの壁は対人間用に造られたわけじゃないのよ」 「?? 何のことだ?」 オレは真顔で聞き返した。 “それ”とかディクラックとか、オレには初耳だったから。 マルチも不思議そうに聞いている。 そんなオレたちを見て志保が「しまった」という顔をした。 「そっか。そういえば聞いてなかったわね。まあいいわ。簡単に言うと、昔この半島に魔物たちが現れたの。で、その魔物たちの王様が“それ”で、ディクラックっていう今のハイデルの王のご先祖様がそいつをぶっ倒したのよ」 「つまり、ビンゼの街壁はその魔物の侵略を防ぐために造られたわけだな?」 「そういうこと」 オレたちは納得して頷いた。 いつの間にかオレたちは城門の前までやって来ていた。 「お前たちは何者か?」 露骨に警戒しながら先に口を開いたのは門兵の方だった。「まず、名と身分を名乗られよ」 志保が一歩前に出る。 「あたしは長岡志保。今日はハイデルは騎士団長リゼック様の使いとして参りました。願わくば、ビンゼ王国第三部隊部隊長松原葵殿にお目通り願いたい」 「その証を」 「これに」 門兵に言われ、志保が委員長から預かった手紙を渡す。門兵はそれを受け取ると、 「しばし待たれよ」 そう言って、城の中へ入っていった。 「ふぅ、堅苦しい」 門兵の一人が完全に見えなくなってから、唐突に志保がオレたちの方を振り返って、いつものぞんざいな口調でそう言った。オレたちはそれが妙におかしくて、自然と笑みが零れた。 森を出てから初めてのことだった。 やがて、さっきの門兵が戻ってきて、先程までの警戒心が嘘のように薄れて、取っ付きやすげな顔で言った。 「先程は失礼しました。この奥でアオイ様がお待ちです。ご案内しますので、ついてきてください」 「ありがとう」 オレたちは門兵の後に続いて城の中に入った。 城の中は、この時はゆっくりと観察しなかった。 ただひたすら早く葵ちゃんに会いたい一心だった。 思えば初めに雪国の中でアイネおばさんから葵ちゃんの名を聞いてから今日まで、色々なことがあった。 マルチと会い、志保と会い、委員長と会った。ベアルさんのような優しい人にも会えば、ハイデルではオレをだましたガキと出会った。 途中、オレは初めて人を殺した。そして、先日は“紅の森”で……。 いや、これは思い出さずにおこう。 とにかく色々なことがあった。そして、オレは今ここで、一つの物語を終えようとしている。 「松原さん」 不意に葵ちゃんの名を呼ぶ志保の声がして、オレは顔を上げた。 いつの間にかそこには、紛れもない、オレのよく知っている葵ちゃんが立っていた。 葵ちゃんは一度オレたちの方を見て微笑むと、門兵に向かって言った。 「ご苦労様でした。あなたは仕事に戻って下さい」 それはとても凛々しくて、オレは葵ちゃんが別人のように思えた。 ところが、その門兵が去ってから再びオレたちの方に向き直った葵ちゃんは、やはりいつもの葵ちゃんだった。 「よかった。お会いしたかったです、藤田先輩!」 感極まってという感じで、葵ちゃんは人目もはばからずに、いきなりオレに抱きついてきた。 「えっ、あ、葵ちゃん?」 「あっ、ごめんなさい。私ったら……」 慌てて葵ちゃんがオレから離れる。顔は真っ赤っかだ。 無意識にあかりを見ると、やはり暗い顔をしていた。 しかしそれは、別に葵ちゃんがオレに抱きついたからではない……っていうとオレが自惚れているようにも聞こえるが……まあいいや。 あかりが暗いのは、やはり森での一件が堪えている。 いつぞやオレが人を殺したときは、志保があかりを元気づけてくれたが、今度はその志保までもが傷心しているからどうにもならない。 そんな暗いあかりを見て葵ちゃんが不思議そうに聞いてきた。 「どうしたんですか? 神岸先輩も、マルチさんも、暗い顔をして」 「ああ、そのことは後で話すよ」 二人の代わりに、オレが答えた。「とりあえず休ませて」 「あっ、はい」 慌てて葵ちゃんが言った。 それからオレたちは葵ちゃんの私室に案内された。 2 「……それで、一体ここに来る間に何があったんですか?」 部屋に入るや否や、露骨に暗いあかりとマルチ、どことなく暗いオレと志保を見て、葵ちゃんが不安げに瞳を揺らして聞いてきた。 オレたちは適当に荷物を下ろし、思い思いに床に座ると、ぽつりぽつりと“紅の森”での出来事を葵ちゃんに話した。 葵ちゃんは真剣にその話に聞き入っていたが、オレたちがすべて話し終えてから、 「そんなに気にすることないですよ」 と、明るく言った。「だって、その人たちは藤田先輩たちを騙したんでしょ? しかもその森の者にとっては自分たちの宝物を狙った存在。当然の結果と言えば当然の結果じゃないですか?」 「……うん。それはわかってるんだけどね」 これは志保。声が暗い。 確かに、葵ちゃんの言うことはわかっている。けれど、やはりあの現場を直接見たオレたちには辛かった。 「……すいません」 突然ぺこりと葵ちゃんが頭を下げた。「とにかく皆さん、ゆっくり休んで下さい」 「ああ……」 オレは葵ちゃんの言葉に頷き、とりあえず寝たいと思った。 刹那……、 「待って」 と、志保が葵ちゃんを呼び止めた。「誤魔化さないで、松原さん。手紙を届けて『はいお終い』って、ちょっと冷たいんじゃない?」 オレははっとなった。 ビンゼに来て葵ちゃんと会い、手紙を届ければそれで一つの物語が終わると、オレは考えていた。 けれど、志保はそれで終わりだとは考えてなかった。 今葵ちゃんや委員長、それに先輩を巻き込んでいる一連の事件に、志保はその身を置いているのだ。 オレは部外者気分でいた。 志保に言われて葵ちゃんは真摯な瞳でオレたちを見た。 「今の皆さんに言うわけにはいきません。言った後の反応がわかってるから……危険すぎます」 「大丈夫よ、松原さん。あたしたちは……あたしもヒロもあかりも、松原さんが思ってるほどヤワじゃないわ。それに、忙しい方が嫌なことを考えてる暇もなくなるでしょ?」 しばらく二人は見つめ合い、 「……そうですね」 葵ちゃんは頷き、立ち上がりかけた腰を再び下ろした。「では簡単に手紙の内容を話します」 「……デックヴォルトがビンゼに攻めてくるって話よね?」 先手を取るように志保が言うと、葵ちゃんが驚いた顔をした。 「……そうです。読んだのですか?」 「まさか。ゲレンクでそういう噂を耳にしてね」 「そうですか。でも、話はそれだけじゃないんです。手紙の主旨は、デックヴォルトがビンゼを攻めている間に、ハイデルとヴェルクが協力してティーアハイムを攻めるということです。それまでビンゼはデックヴォルトの攻撃を凌いで、それからティーアハイムを落とした二国の軍とビンゼの軍とで、ビンゼにいるデックヴォルト軍を挟み撃ちにして滅ぼす」 「まあ、常套手段ね」 「はい。それで、問題はどうしてデックヴォルトがビンゼに攻めるのか、その理由がわからないから十分気をつけてほしいとのこと。でも、気をつけるっていっても、私たちはこの街を守るので精一杯なんですけどね」 そう言って、葵ちゃんは笑った。「では改めて答えのわかっている質問をしますが、皆さんはどうされますか? 私としてはここでゆっくりと旅の疲れを癒すのがいいのではないかと思うのですが」 そう言う葵ちゃんの顔は、オレたちがそう言わないことをわかっていると語っていた。 オレの答えは……。 「愚問ね。一緒に戦うに決まってるじゃない」 思いは同じようだ。 オレたちは三人、志保の言葉に大きく頷いた。 「やっぱりそうですか」 葵ちゃんは深くため息をついたが、顔はそう言ってもらえて嬉しそうだった。 「では私はこれから、この手紙をメイリア王女とカーゼック将軍に見せてきますから、皆さんはここにいて下さい。お二人に皆さんのことも話さないといけないし」 「ああ、わかった」 「ゆっくり休ませてもらうわね」 オレたちは口々にそう言った。 葵ちゃんはにっこりと微笑むと、部屋を出ていった。 3 それから決戦までの一週間、オレたちはひたすら慌ただしく動き回った。 葵ちゃんは軍の統制、作戦会議等々、隊長らしい仕事を働きづめでこなした。傍目に見ると、明らかにオレたちの三倍は忙しそうだったが、葵ちゃんはここに来てから一年の間に慣れたのか、大して疲れた顔は見せなかった。 志保は初めに言ったとおり、優秀な魔術師として軍の一員に取り立てられた。本当は将軍になってほしいと言われたのだが、本人が葵ちゃんの下で戦うことを強く望んだために、第三部隊に回された。 それから志保は、あかりとマルチの魔法の素質を調べた。そしてあかりに割と強い魔力を見出し、一週間で魔法のいろはを教えた。 魔法……ウィルシャ系古代魔法は、魔法の素質と集中力が命で、魔法のイメージを頭に強く刻み込む。そして完全に頭の中で形を作り上げてから、それを素質によって具体化し、放つ。いつか志保の奴が光の魔法を使ったときに、気がふれたように「光、光」と繰り返していたが、それは頭の中に光のイメージを作り上げていたのだ。 そうしてあかりの一週間も終わった。志保の話では、それなりに魔法を使えるようになったそうだ。 そして、魔法の素質のなかったマルチはというと、彼女は一人、ロボットとしての特殊能力を買われて、葵ちゃんの部隊を離れ、偵察隊に回された。もちろん本人は嫌な顔をしなかった。 自分が誰かの役に立てるなら、是非そうしたい。 マルチはむしろ喜んで偵察隊に入った。 そしてオレはというと、この一週間、ひたすら剣を振るった。 練習相手は第一部隊隊長カーゼック将軍。葵ちゃんが頭を下げて頼んでくれたのだ。 カーゼック将軍は忙しい身でありながら、熱心にオレに剣を教えてくれた。カーゼック将軍に暇さえあればオレは剣を振り、毎晩夜遅くまで稽古は続いた。 しかし何故カーゼック将軍がオレに剣を教えてくれたかというと、それはオレの剣が原因だった。おばさんからもらった魔法の剣。 カーゼック将軍は、「お前がこれを使いこなすことができるようになれば、大袈裟ではなく戦いが二倍は楽になる」と言った。 おばさんの剣はそれほどまでに強い剣だった。 将軍の話では、これはたかがちんぴら五人に振るような剣ではないらしい。 将軍は通常の剣技の他に、この剣の有効な使い方も教えてくれた。 しかしそれにしても、どうしてアイネおばさんはこんな剣を持っていたのだろう。 そして、おばさんは一体何者なんだろう。 オレは疑問を抱かずにはいられなかった。 決戦が近付くにつれ、城門には石や矢が配置され、丸塔の見張り役及び交替時間、軍の配置が決められた。 オレたち第三部隊は、基本的には外に出て戦うよう指示された。危険な位置だ。 それもすべて、オレの剣のせいだった。 大軍を前にしてこの剣を思い切り横に薙ぐ……。 オレの頭に凄惨な光景が浮かんだ。 しかしこれは戦争なんだ。戦争なんだ。 オレは自分に何度も何度もそう言い聞かせた。 すでに敵の先方隊は、ティーアハイムを出たという情報が届いている。 街中が緊張していた。 先方隊の隊長はウェレイク・ポアソンという名の将軍。それにハルデスク王と参謀ファラカス・アイセルクが続く。 総兵士数5000。大軍だ。 ティーアハイムの守りには、カーゼック将軍が一番気にしていたジェイバン・ムシューシャという男がついた。これは意外なことらしい。 ジェイバンは戦いでは常に先頭に立つ男だった。 しかし、それを聞いたときのカーゼック将軍の安心ぶりと言ったらなかった。聞くと、今この半島で一対一の勝負でジェイバンに勝てる者は一人しかいないらしい。しかも、ジェイバンには将軍としての軍の統率力もある。まさに半島最強の男だった。 オレたちは今、ビンゼから10キロほど東に陣取っている。 隣には葵ちゃんと志保、そしてあかり。さすがに志保も、緊張しているようだ。武者震いしている。 もうじき始まる。命をかけた戦争が。 物語と歴史の教科書でしか見たことのない、命のやり取りが……。 「来ました、アオイ隊長。遥か前方に、敵の第一陣発見!」 物見櫓の上から、切羽詰まった兵士の声がした。 俗に言うところのティーアハイム奪回戦は、この時すでに始まっていた。 |
▲ Back | ▼ Next |