『 To Heart Fantasy 』 第5巻 |
第7話 前哨戦 1 ビンゼ東方約10キロ地点は、小高い丘になっている。 東に比べて西の方がわずかに高く、そのままビンゼの街まで、その斜度で坂が続いている。 地の利はこっちにあった。 「来ました、アオイ隊長。遥か前方に、敵の第一陣発見!」 設けられた物見櫓の上から、そんな切羽詰まった一人の兵士の声がして、オレたちの間に緊張が走った。実のところ、オレたちは当然として、古参の兵士たちでさえ、実戦経験のある者は皆無だった。 しかし、そんな兵士たちの動揺を鎮めるかのように、葵ちゃんは余裕の表情を浮かべて立っていた。あの、上がり症の葵ちゃんがである。 そんな葵ちゃんの顔に勇気づけられたのは、恐らくオレだけではなかっただろう。 「大丈夫か? 志保、あかり」 オレは自分の震えを必死に鎮めて、両サイドの二人に話しかけた。 志保もあかりも、日本では一度として見たことないくらい真剣な眼差しをして立っていた。志保は葵ちゃんと同じく余裕の笑みを浮かべていたが、あかりのやつはさすがに怖いようで、膝ががくがくと笑っている。 「大丈夫……大丈夫だよ、浩之ちゃん……」 オレの方を見ずにそう呟いたあかりは、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。そんなあかりに志保が、 「もっと自信を持ちなさい」 と、やはりあかりの方を見ずに言った。「あかり、あれだけ魔法が使えたら、少なくとも自分の身は守れるわ。戦いの最中は躊躇しないこと。日本では考えられないことだけど、日本の物差しでこの世界を測っちゃだめよ」 つまり、容赦なく敵を殺せということだ。 オレは聞きながら苦笑した。 あかりにできるわけがない。 「う、うん。わかった」 それでもあかりは、強張りながらも頷いて見せた。 葵ちゃんの的確な指示に従い、オレたちは各々戦闘準備をして敵を待った。 やがて、前方から凄まじい地響きとともに敵の一群が突っ込んでくる。 数は約200くらいとのこと。けれどもオレにはそれ以上の大軍に見えた。 「とりあえず様子見部隊ってところかしら?」 平然と志保が笑った。 設けられた木柵のこちら側で、弓を持った兵士たちが、各々矢をつがえる。 敵が、その射程距離内に……入った! 「撃てっ!」 短く鋭い葵ちゃんの声。 一斉に矢が放たれた。 まず第一陣の矢。撃った者たちはすぐに後方に下がり、次の矢をつがえる。 その間に、第二陣の矢。 昔日本で誰かが使った鉄砲隊と同じ戦術。 しかし矢は、一本として彼らに当たることはなかった。 「全然!」 驚いて志保が言う。「様子見なんてものじゃない。魔術師まで入れた、本格的な部隊じゃない」 再び第一陣の矢が飛ぶ。 時を同じくして、志保が目を見開いたまま、ぶつぶつと何かを呟き出した。 彼女の目は、敵部隊の中を流れる魔力の流れを見つめている。 志保はそれを読みとり、そして打ち消した。 「よしっ!」 数人が矢の犠牲になったのを見て、葵ちゃんが歓喜の声を上げる。 しかし、次の矢はなかった。 すでに敵は目前まで迫ってきており、早い者はすでに木柵を乗り越えてきていた。 一旦弓隊が退がり、剣を構えた兵士たちが彼らに斬りかかった。 オレも、魔力の剣を引き抜いて、敵に斬りかかった。 もはや、あかりと志保を気にしている余裕はない。 二人ほどの男がオレの方に向かって来るのを見て、オレはその直前で剣を縦に振り下ろした。 『剣をなるべく横には薙ぐな』 稽古中にカーゼック将軍に言われたとおり、オレは返す剣をそのまま真上に振り上げる。 『混戦状態で剣を横向きに薙ぐと、味方を巻き込む恐れがある』 二人は身体を真っ二つにされて、血を迸らせながら絶命した。 その時の苦悶の表情と、呪うような言葉。断末魔の叫び声。 これは夢だ、これは夢だ、これは夢だ……。 そう、心の中で何度も何度も言い聞かせなければ、とてもではないが通常の精神状態ではいられそうになかった。 オレは剣を振る。 振る。振る。振る。振る。ただ闇雲に。もはや奪った生命の数も、経った時間も、自分の状態さえわからなかった。 これは夢だ。 そんなことを、考えている余裕さえなくなってきた。 振って振って、とにかく振って、体力と気力と忍耐力と精神力と耐久力と勇気と根性と、すべてを振り絞ってオレは戦った。 次第に頭がぼんやりとし始めた。目眩がする。 暑さで、倒れそうだった。 (何か飲みたい。水でいい……) これが戦いなのかと、オレは思った。 もう腕に力が入らなくなってきている。それでもオレは機械的に剣を振り続けていた。 死ぬか生きるか。 この言葉を、オレは恐らく、二度と日本で用いることはないだろう。 そしてオレは、剣を振るった。 2 一旦敵が退いた後、オレは周りを見回した。 敵味方ともに負傷者多数。ただ、とりあえず葵ちゃんとあかりと志保は無事だった。怪我も、あかりが左腕に小さな切り傷を作ったくらいで、後の二人は無傷。 オレはホッと胸を撫で下ろした。 と、同時に、今度はオレの受けた傷が痛み出した。 よく見ると、オレは手足に数カ所怪我をしていた。どれも、一体いつどんなふうに受けたものかわからない。 「大丈夫? 浩之ちゃん」 そんなオレを、あかりが心配そうな目で見上げた。 「ああ、大丈夫だ」 オレは少しだけ強がって笑って見せた。「あかりこそ、よく乗り越えられたな」 「うん。志保が何度か助けてくれたから」 「そうか……。サンキュー、志保」 オレがそう志保に頭を下げると、志保は不思議そうな顔をしてオレを見つめた。 「なんだ?」 「ん? うん。なんかヒロ、あかりの保護者みたいね」 「あ、ああ……」 確かにそうだ。なんかおかしいぞ。 「まあいいや。とりあえず今は休もうぜ」 オレたちは三人、戦後処理で忙しい葵ちゃんに悪く思いながらも少し休むことにした。 寝っ転がって空を眺めていると、太陽の位置からして、先程から大して時間が経っていないことに気が付いた。 ほんの数十分。その間に、いくつもの生命がなくなり、その数倍の数の人間が、身内の一人を失った。 一瞬にして、たくさんの人の人生が狂ったのだ。 「本当に、戦争って虚しいわね」 同じように空に浮かぶ雲を見ながら志保が呟いた。 「ああ……」 歴史の教科書に書かれた戦いの裏側。その戦いに散ったいくつもの小さな生命。 オレはそれを思った。 「あかり、志保……」 「なぁに?」 オレは身体をごろんと回転させて、二人の方を見て言った。 「二人とも、生きろよ」 本心からだった。 それを聞いて、志保が小さく笑った。 「当たり前じゃない」 それから冗談めかしてオレに言う。「ヒロはあたしたちなんかより、まず自分の心配をしなさいな。どう見たって、ヒロが一番ボロボロよ」 目は、真剣だった。 「そうだな……」 オレは呟いて、再び空を見上げた。 そうして、束の間の休憩は終わった。 「アオイ隊長! また敵軍です!」 先の戦闘からほんの1時間半ほどで、再び敵が襲ってきた。 数は、今度は300程とのこと。 「松原さん。敵はあたしたちを休ませないつもりよ。ここは街まで退いた方がいいわ!」 兵士たちに指示を与える葵ちゃんに志保がそう言うと、葵ちゃんはちらりと志保の方を見て、首を振った。 「ダメなんです、長岡先輩。敵には、私たちの想像を遥かに上回るほど名うての魔術師がいます。ビンゼの守りでは持ちこたえられません」 早口に志保にそう言ってから、葵ちゃんは近くの兵士に、街に戻って援軍を要請するよう指示した。 兵士は馬に跨り、急いで街の方へ戻っていく。 「仕方ないわね」 志保は身をひるがえして、半壊した柵の手前に立った。 近付いてくる敵。 「よしっ、撃てっ!」 葵ちゃんの声と同時に、志保が魔法を放った。 続けざまに第二陣の矢が飛ぶ。 今度は効果有りだった。 そしてオレは、抜き放った剣を渾身の力を込めて横に薙いだ。 ギュゥウウゥィィィィン……。 空気の急速な変化において生じた歪み。そこに、十人ほどの兵士が飲み込まれた。 二撃目を放つ余裕はなかった。 ガキッ! 目の前で振り下ろされた敵の剣を、オレはなんとか頭上で受け止める。 敵はその剣をすぐに引き戻して、突いてくる。 それをオレはすんでのところで躱す。 体勢の悪いオレに、さらに剣が唸る。 オレはそれを無我夢中で受け止める。 物語では敵将軍に一太刀で殺られてしまうような、名もなき兵士たち。 それが、こんなにも威圧感をもった恐怖の対象だとは知らなかった。 わずかな隙を見つけて、オレは剣を振り下ろした。 切っ先は敵に届かなかったが、敵は身体を真っ二つにされて倒れた。 そして、二度目の戦闘も、どうにか無事に凌ぎきった。 3 ただ数で数を圧す、そんな戦闘になった。 日の暮れるまでにおよそ10回。敵は執拗に攻撃を仕掛けてきては退却していった。 オレたちは本城から第二部隊も加わって、なんとかそれをすべて凌いできたが、兵士たちの疲弊は大きかった。 特にあかりと志保は、もう動けないと言わんばかりに地面に腰を下ろして、一言も口をきかずに休んでいる。 けれども二人とも、決して弱音は吐かなかった。 セイラスからハイデルへの道中でも思ったことだ。オレたちは戦わなくてはいけない。それがオレたちの選んだ道だから。 「もうダメだ」と諦めたとき、それはすなわち死に繋がる。 オレは心の中で二人に詫びて、同じように腰を下ろした。 顔を上げると、相変わらず葵ちゃんが走り回っている。 この陣の中にいるすべての人間の中で一番小さな女の子が、一番大きな存在として働いている。 ただ、凄いと思った。 敵が攻めてこない小休止の間に、オレたちは食事をとった。 空に幾筋もの炊煙が立ち上っている。 オレはこれを見て敵が攻めて来やしないかと心配したが、杞憂に終わった。 食事を終え、オレたち三人が無言で休んでいると、 「皆さん、お疲れさまです」 と、葵ちゃんがやってきた。 「あっ、松原さん。仕事は終わったの?」 「はい。一通りは」 そう答えた葵ちゃんの顔には、疲れが色濃く滲み出ていた。 「お疲れさま」 オレは何故だか申し訳ない気持ちになって、ぺこりと葵ちゃんに頭を下げた。 「戦況はどう?」 「そうですね……」 オレの質問に、ぐるりと一度葵ちゃんは辺りを見回した。 食事を取る者、疲れ切って休んでいる者、怪我の手当てを受けている者。色々な奴がいたが、元気な奴は一人もいなかった。 葵ちゃんは一度ため息をついてから、オレたちの方に顔を向けた。 「はっきり言って、あまり思わしくないです」 「そう……」 「本当は適当に戦ってから、街に戻る予定だったのですが、予想外に敵に魔術師が多くて……」 オレはそんな葵ちゃんの呟きを聞きながら、ふと志保の言葉を思い出した。 『ビンゼには魔法に対する備えがないの』 一見強固なビンゼの守り。しかしそれは、敵が魔法戦に出てきたとき、不利になる代物だった。 籠城戦では、一度に攻撃される範囲が広くなるのだ。 「でも」 と、葵ちゃんは持ち前の元気で笑顔を作った。「そんなことを言っていても仕方ありません。じきに第1部隊も駆けつけますから、きっと……いえ、必ず勝てます」 そう言って、葵ちゃんはにこりと笑った。 その時だった。 「藤田さん、藤田さん」 不意にオレの名を呼ぶ女の子の声がして、オレは声のした方を見た。 オレの名を呼びながら駆けてくる少女は、現在偵察隊として頑張っているはずのマルチだった。 「おお、マルチ。どうした?」 言いながら、オレはマルチが無事なのを見て安堵の息を洩らした。 マルチはオレたちの許まで一気に駆けと、そのままピタリと足を止め、息一つ切らさずに言った。 「あっ、松原さんにも聞いて欲しいのですが、わたし、見たんです」 おお、とりあえず主語と動詞だけを言って、話に興味を惹かせる日本人風の話し方をマスターしているメイドロボ。 オレがそんなつまらないことを感心している間に、志保が聞き返した。 「見たって、何を?」 「人影です」 「人影?」 今ひとつ、話が見えてこない。 「とりあえず、順を追って話してくれ」 「はい」 それから、本当に順を追って話し始めたマルチの、長い長い話を簡潔にまとめると、こういうことだった。 『北の方で偵察をしていたマルチが、かなりの数の人間が西の方へ歩いていくのを見た』 「西って、ビンゼ?」 「そう……ですね」 あかりの確認の意の質問に、葵ちゃんがわずかに眉をしかめた。 マルチの話が本当なら、城が危ない。 けれど、それだけの大人数が動いていたにしては、発見の報がマルチからしか入ってこないのはおかしい。 「とりあえず、考えるより先に、オレたちで見に行かねぇか?」 オレの建設的な意見に、葵ちゃんは深く頷いた。 「じゃあ、私たち五人でいきましょう。とりあえずここはグエン将軍にお任せして」 グエン将軍とは、第二部隊の隊長のこと。 「よしっ、決まりだな」 かくしてオレたちは五人、一旦陣から離れることになった。 4 ビンゼの北には、小さな森が広がっている。位置的には“紅の森”の東。その森に入る少し南の地点で、マルチは人影を見たのだそうだ。 オレたちはその辺りまで急いで駆けつけると、後は物音を立てないように、慎重にその森の手前までやってきた。 周囲はすっかり夜の闇に包まれていて、森の木々が風にざわめいていた。 オレたちは物陰に隠れて様子をうかがったが、幸か不幸か、人影はない。 「誰も……いませんね」 押し殺した声で葵ちゃんが呟いて、オレは無言で頷いた。 しかしその時、志保とあかりが険しい表情で森を見つめているのに気が付いて、オレは小さな声で話しかけた。 「どうしたんだ? 二人とも。怖い顔して」 「うん……」 オレの方を見ずにあかりが答える。「何か……いる」 「えっ?」 オレと葵ちゃんの声が重なった。 「感じるのよ。森の方から、凄まじい魔力を」 冷や汗をかきながら志保が言って、オレと葵ちゃんはもう一度森の方を見た。 黒い木々が空に不気味なシルエットを作っている以外、やはり何もない。 「何も、見えないぞ」 「ううん。絶対にそこにいる。しかもかなりの人数が」 自信を持って志保がそう言ったが、できればいて欲しくないと自分の自信を否定したそうに彼女は武者震いをしていた。 それでも、オレたちには何も見えない。 「魔法?」 葵ちゃんが呟いて、志保が大きく頷いた。 「そうね。誰か一人、強力な魔術師がいて、そいつが兵士たちに暗示をかける。兵士たちは自分の姿を見せないよう見せないよう、強く念じる。そうすれば、あたしたちからは彼らの姿が見えなくなる」 「……相当、強力な魔術師ですね」 苦しそうに葵ちゃんが言って、志保は苦々しく頷いた。 「とりあえず戻るわよ。ここはさっさと帰って、早く城に知らせた方がいい」 「間に合うのか?」 志保は、複雑な笑みを見せた。 「敵の進行速度は遅いわ。急げば多分」 「よしっ、じゃあ帰ろう」 そしてオレたちは立ち上がった。 森の中にいる奴らは、そんなオレたちに気が付かない。 彼らは今、自分たちがいないという状態でいる。いない者はオレたちを見ることができない。 「急ぎましょう」 そう言って、駆け出そうとしたマルチの足元に、深々と一本の矢が突き刺さった。 「あうっ」 マルチはその矢に躓いて、呆気なく転ぶ。 オレたちは驚いて前方に目を遣った。 ゆっくりと歩いてくる人影が二つ。 一つは紫色の鎧をつけた、将軍クラスと思しき若い男。 もう一つは金髪の、長い弓を持った少女。先程、マルチの足元に矢を放ったのもこいつだ。 そしてオレたちは、その少女に見覚えがあった。 「レミィ……」 クラスメイトの一人、宮内レミィ。 驚いたのは、ここでレミィを見たことではなくて、レミィが、オレたちの敵に加担していたことだった。 「おや? 誰かと思ったら、ヒロユキたちネ。こんなところでどうしたの?」 いつものノリで笑いかけてくるレミィに、隣の男が言った。 「知り合いか?」 「うん」 レミィは大きく頷いた。「ヒロユキとアカリとシホとマルチとアオイ。みんなアタシのfriendネ」 「アオイ?」 少しだけ眉をしかめて、男は葵ちゃんの方を見た。「そうか。噂のビンゼの第三部隊の隊長が、直々に偵察に来ていたというわけか」 「あなたは?」 ゆっくりとした動作で、葵ちゃんが一歩前に出た。 男は悠然と構えて答える。 「私はデックヴォルト王国、第二兵隊隊長ウェレイク・ポアソン」 「私はビンゼ王国、第三部隊隊長松原葵。そこをどいてくれないのなら、力尽くでも通っていきます」 そして葵ちゃんは、剣の柄に手をかけた。 ウェレイクは笑みを崩さず、そんな葵ちゃんに、 「やめておけ」 と、虫を追い払うように手を振った。「今戦えば、私を倒すことは可能だが、お前たちも死ぬことになるぞ」 葵ちゃんは一瞬何のことかわからないように突っ立っていたが、志保に軽く肩を叩かれて、ようやくそれに気が付いた。 そう。オレたちは今、敵軍の主力部隊の目の前にいるのだ。 葵ちゃんは悔しそうに柄にかけた手を下ろした。 「それで、私たちをどうするつもりですか?」 「どうもしない」 ウェレイクはそう言って笑った後、急に真摯な眼差しをした。「お前たちと少し話がしたい」 オレたちに、選択の余地はなかった。 「わかりました」 オレたちを代表して、葵ちゃんが頷いた。 5 オレたちはその場に円になって腰を下ろした。 敵の時間稼ぎの可能性もあったが、今は従うしかない。それに、レミィのことも気になる。 やむを得なかった。 ところが、 「時間がもったいないから、単刀直入に聞くが」 と、ウェレイクはそう話を切り出してきた。 どうやら時間稼ぎではないようだ。 「お前たちは、この戦いをどう見る?」 意外な質問に、オレたちは互いに顔を見合わせた。 各々自分の意見を言いたいところだったが、ここは立場上、葵ちゃんに任せることにした。 オレたちが目で葵ちゃんにそう訴えかけると、葵ちゃんは大きく一度頷いてから、ウェレイクを見据えた。 「この戦いは、私たちの望むところではありません。あなた方が侵略してきたばかりに起こった、不本意な戦いです」 「そうか……。しかし戦いというのは得てしてそういうものだろう」 ため息混じりにウェレイクが言って、葵ちゃんは黙り込んだ。 彼女も、ウェレイクの複雑な表情に何か思うところがあったのだろう。 オレの目には、少なくともこのウェレイクという男は、この戦いを望んでいないように見えた。 「では、質問を変えよう」 そしてウェレイクは葵ちゃんの方を見て、再び意外な質問に出た。「お前たちには、私たちがこの戦いに勝利することで、デックヴォルトにどのような利があると思うか?」 つまり、どうしてデックヴォルトがビンゼを攻めたのか、その理由がわかるかということだ。 オレにはわからない。 そして、葵ちゃんもそう言った。 「私にはまったくわかりません」 「うむ」 「デックヴォルトで起きたことは私たちも知っています。ですから、ティーアハイムを攻めた理由まではわかります。けれど、その後ビンゼを攻めることに、私にはデックヴォルトに何かの利があるようにはとても思えません」 ウェレイクはそれに、満足そうに頷いた。 「そうなのだ。では、私たちの王の侵攻理由を聞かせよう」 「い、いいのか?」 思わずオレはそう言った。普通、そういうものは話さないものと、オレは認識していたから。 けれどウェレイクは、 「構わんよ」 と、自嘲気味に笑った。「王は私たちにこう言った。『デックヴォルトの民すべてが、もっと平和な土地で暮らせるように』と。しかし、考えればすぐにわかるだろうが、ビンゼを落としたところで、他国に常に睨み続けられるのは必至。それはとても平和な土地とはいえない。それに、今こうして私たちがビンゼを攻めたことによって、恐らくティーアハイムはハイデルとヴェルクに落とされるだろうな」 一瞬、オレたちの間に緊張が走った。 この男は、オレたちの計画をすべて知っている。 そんなオレたちを見て、ウェレイクが笑った。 「そんなに驚くことでもないだろう。ビンゼを攻めたために守りの薄くなったティーアハイムを落とし、その足ですぐにビンゼを攻略している私たちを挟み撃ちにして壊滅させる。誰でも思いつく作戦だ」 「…………」 「少し話がそれたな」 もはや言葉もないオレたちに、ウェレイクは一人で話し続ける。「それで、話を戻すが、私にも今回の戦いは自殺行為に思えてならんのだ」 「それは、そうでしょうね……」 びくびくしながら、志保が口をはさむ。 「では本題に移ろう」 ただ一人、まったく声の調子を変えずにウェレイクが言った。「お前たちは、ノルオという子供を知っているか?」 ノルオ? 初耳だ。 「知りません」 葵ちゃんが言葉にして、後の四人は無言で首を横に振った。 「やはりそうか」 ウェレイクは、予想通りの答えだと思案気に腕を組んだ。「ノルオとは1年以上前にデックヴォルトに来た魔術師でな。立場的には王の直属の配下ということになっている。そして、ティーアハイム戦も、今度の戦いも、すべて彼が王に勧めたことなのだ」 「何だって!?」 それは驚きだ。目の前の男ほどの者が、この戦いに反対しているにも関わらず、ハルデスクという王は、そんなわけのわからない子供の意見を尊重するのか。 オレがそう言うと、ウェレイクは呆れたように呟いた。 「まったくその通りだ。馬鹿げた話だろう」 「確かに」 葵ちゃんが真面目な顔で頷く。「では今度の戦いは、ノルオが自分の何らかの利益のために、大義名分を掲げて一国を動かしたと?」 「そういうことだ」 まったくふざけた話だと、オレは思った。 そんなくだらないことのために、何の罪もない人たちが命を落としているのかと思うと、オレはそのノルオとかいうガキと、それに素直に従ったハルデスクを許せなかった。 「じゃあ一体、そのノルオとかいう奴は、この戦争で何が得られるんだ? デックヴォルトを負けさせることによって!」 怒りを込めてオレが尋ねると、ウェレイクは首を振り、 「私にもわからないのだよ」 と、無念そうに呻いた。「そもそも私は、それをお前たちに相談したかったのだ。私一人では、いくら考えても答えが出そうになかったからな」 「そうですか……」 葵ちゃんが神妙に呟いて、オレたちはしばらく思案にふけった。 デックヴォルトを負けさせることによって得られる利益。 単にデックヴォルトに恨みがあったから? いや、それはない。話を聞く限り、そのノルオとかいうガキは、いつでも王や重臣を殺せたはずだ。 じゃあ一体……。 「それで、ウェレイクさん」 ふと、マルチの声。「そのノルオという人は、今はどうしてるのですか?」 「とりあえず、ティーアハイムを守っていることになっている。もちろん、怪しいものだがな」 「まあ、99.99%、ティーアハイムにはいないでしょうね」 嘲るように言ったウェレイクに、志保が同調する。 「だとしたら、戦争が起こることによって、ノルオさんはその最終目的地に行きやすくなったわけだよね?」 あかりがオレに聞いてくる。 オレは「そうだろうな」と頷いた。 「戦争によって行きやすくなるところというと、ハイデルとヴェルク。この二国くらいね」 「ねえねえ、ウェレイク。ハイデルとヴェルクに、何かないの? ノルオが好きそうなモノ」 レミィに言われてから、ウェレイクはしばらく考えたが、最終的には首を横に振るに終わった。 ところが、 「ヴェルクには、秘宝があります」 と、厳かに葵ちゃんが言った。 「秘宝?」 「そうです。前に来栖川先輩に聞きました。なんでも、“無の大穴”に関するものだとかなんとか。ただ、それをノルオが手に入れてどうするかという問題はありますが……」 「ふむ」 ウェレイクが納得のいった顔をした。「その線が濃厚だな。ひょっとしたら、これは戦争どころではないかもしれない」 「……どうする気だ?」 オレが問う。 「どうもしない」 あっさりとウェレイクが答えた。「私にはどうすることもできない。私には、な」 「つまり、あたしたちに何とかしろと?」 「そういうことだ」 志保の質問に、間髪入れずにウェレイクは頷いた。 「では、とりあえず私たちをここから帰してくれるのですね」 「ああ……。どうせ負ける戦いだ。被害は少ない方がいいだろう」 苦しそうに、ウェレイクが言った。 「……わかりました」 頷いてから、葵ちゃんがオレの方を見る。そして、 「行ってもらえますか?」 と、一言オレに。 オレは、大きく頷いた。 「わかった」 「すいません。私はここから離れるわけにはいかないんです」 「わかってるよ」 それはそうだろう。葵ちゃんはビンゼの部隊長だ。 「あかりとマルチと志保はどうする?」 オレが聞くと、あかりは予想通り「ついていく」と言った。 ところが志保は、 「あたしは行かない」 と、迷うことなくそう言った。 「どうしてだ?」 驚いてオレが聞くと、志保は真っ直ぐオレを見据えて言った。 「あたしはこの戦いが終わったら、松原さんと二人でデックヴォルトに行くことになってるの」 「デックヴォルト?」 「そうです。届けていただいた書状にそう書いてあったのです」 「デックヴォルトというと、“あれ”か?」 ウェレイクがそう口をはさんで、志保は大きく頷いた。 「そう。“それ”よ」 「そうか……」 なんか、三人で納得している。 けれど、今は突っ込むのはよそう。 誰にでも自分の持つ役割というものがある。葵ちゃんには葵ちゃんの、志保には志保の、そしてオレにはオレの役割が。 「マルチは?」 オレが聞くと、マルチもまた首を振った。 「ごめんなさい」 「そうか……」 正直な話、マルチにはここに残って欲しかった。 オレたちと来るより、ここにいた方がマルチは活躍できる。そう思ったから。 「じゃあ決まりだな」 そして、オレたちは立ち上がった。 「そうだ。レミィは?」 あかりが聞いて、皆の視線がレミィに集まった。 レミィはちらりとウェレイクの方を見て、ウェレイクはそれに大きく頷いた。 「正義を、見誤らずに済んだな」 「うん!」 そしてレミィは、オレたちとともにビンゼに行くことになった。 「では、さらばだ」 「はい」 最後にウェレイクと葵ちゃんが握手を交わして、オレたちはそれぞれの帰路についた。 それは、オレたちには新たな旅立ちへの、そしてウェレイクには死への路。 オレはもう一度だけ振り向いて、死にいく男の背中を目に焼きつけた。 |
▲ Back | ▼ Next |