『 To Heart Fantasy 』 第5巻

 第8話 朱の街

  1

 一旦ビンゼの街に戻って、オレとあかりはすぐに旅立ちの準備をした。
 葵ちゃんと志保、レミィ、そしてマルチとは、すでに別れを済ましてある。
 彼女たちは彼女たちで、これからビンゼの街で起こるデックヴォルトとの攻防の準備で駆け回っていることだろう。
「よしっ。準備できたよ、浩之ちゃん」
 そう言って顔を上げたあかりは、溌剌としていて、身体中から元気が漲っていた。
 ここに来てから、随分頼もしくなった。
 別に頼もしくなって欲しかったわけではなかったが、この世界ではその方が心強い。
「こっちもいいぞ。すぐに出るか?」
 食糧と衣服類、それに万が一のために葵ちゃんにしたためてもらった文書を布の袋に詰め込んで、オレはあかりを見て言った。
 あかりはそれに大きく頷いて見せる。
「うん。すぐに行こっ。私たちが行かないと、きっと誰もノルオを止められない」
 本当に、頼もしくなった。
「よしっ、乗れ! あかり」
 オレは、リゼック将軍から授かった馬に跨って、あかりに手を差し伸べる。
 あかりはその手をぐっと引いて自分の身を持ち上げると、後ろからオレを強く抱き締めた。
「行くぞっ!」
 オレはそう一声発して、軽快に手綱を引いた。

 馬はさざ波の街道を東へと駆け抜ける。
 途中オレたちは、先程まで葵ちゃんたちと戦っていた敵の囮部隊と出くわしたが、オレが剣を振り、あかりが魔法で弓矢を逸らすと、敵は恐れをなして逃げていった。
 オレたちはその間にその場を去った。
 澄み渡った空が遥か東に続いている。
 もうすっかり春の風が、背中から吹いて、オレたちを追い抜かしていく。
 ここまで来ると、もはや敵の姿はない。
 今頃、デックヴォルトの主力部隊と、ビンゼのすべての兵士たちが、互いに命をかけて凌ぎを削っていることだろう。
 とにかく、生きてもう一度会いたい。
 志保にも、葵ちゃんにも、マルチにも、レミィにも。
 そのためには、オレたちも無事に帰らなければ。
 オレはちらりとあかりを振り返った。
 あかりはいつもの笑顔で頷いた。

 何度も休憩を挟み、夜を越え、朝を走り抜け、オレたちは一路ティーアハイムを目指した。
 ティーアハイムは、無論、現在交戦中にあるだろう。
 無理と危険は承知の上だった。
 ただ、ひょっとしたら委員長がいるかもしれない。或いは、すぐにハイデルの部隊と合流できるかもしれない。
 少なくとも、いきなり敵とぶつかる心配はないだろう。
 オレたちに不安はなかった。
 今のオレとあかりなら、最低自分たちの身を守ることはできる。
 それに、今は不安がっているときではない。目的地は、ティーアハイムではなく、ヴェルクでもなく、もっとずっと先なのだから。
 こんなところでつまづいているわけにはいかない。
「浩之ちゃん、あれ!」
 不意にあかりの声。
 オレは遥か前方の空を見上げた。
「煙?」
「そう、みたいだね」
 そこには黒い煙が一筋、空にたなびいていた。
 オレは一旦馬を止めた。街も戦争の痕跡も、そして戦争の光景もまだ見えない。ただその黒い煙だけが、この先で確かに戦争が起こっていることを暗に物語っていた。
「行ってみよう」
 ここで戦争に巻き込まれたくはなかったが、今は行くしかなかった。
 オレは再び馬を走らせた。

 道は小高い丘を登り、そこから城へ急な坂を真っ直ぐ下っている。
 オレとあかりは丘の上で馬を降り、遥か眼下のティーアハイムの街を見下ろしていた。
 小さな街を、それよりもうんと小さな鉄色の人間たちが、砂埃を巻いて取り囲んでいた。少なくともオレの目には、街が落ちるのは時間の問題に見えた。
 行くか、それとも待つか。二つに一つ。
 オレがちらりとあかりを見ると、あかりは無言で大きく一度頷いた。
「そうだな……」
 待つのは得策ではない。
 一つには、すぐに街が落ちるかどうかわからないということ。もう一つには、戦後処理で忙しくなること。彼らは街を落とした後、さらにビンゼへ旅立つのだ。
「よしっ、気合い入れていくぜ!」
「うんっ!」
 行って、そして戦争に参加しよう。
 オレたちは、わずかの迷いも見せずに坂を下った。

  2

 街に近付くつれ、ハイデルのと思しき兵士と接触することが多くなった。
 ただ、敵である可能性が少なかったからか忙しかったからかは知らないが、あまり彼らに話しかけられることも、敵と認識されて攻撃されることもなかった。
 オレたちは馬を降り、剣を、或いは凝力石の杖を持って街の方へ駆けていった。
「おいっ。お前たちは何者だ!?」
 ようやくそう尋問してきた兵士の一人に、オレは自信を持って答えた。
「ビンゼの第三部隊の者だ。ハイデルとヴェルクに加勢しに来た!」
 それ以上は聞く必要なしと見てか、兵士は無言で戦線に戻った。
 オレも彼に続くように、街へ踏み込んだ。
 すでに街門は破られていた。

 さすがに街に入ると、オレも剣を交える必要が出てきた。
 しかも、街の外にいたときとは違って、敵か味方か判別付けがたいらしく、明らかに味方と思われる者からも攻撃を受けた。
 オレは防御はあかりに任せて、がむしゃらに剣を振るった。
 あかりもまた、ただオレを信じて魔法に全神経を集中させていた。
 実際、混戦の場で魔法が使われるケースは少ない。集中できないからだ。
 それをあかりはあっさりとやってのけた。
 集中力があるというよりむしろ、集中できるだけの心の余裕がそうさせるのだろう。
 オレはひたすら剣を振りながら、そう考えていた。

 街の中は、逃げ惑う市民と、デックヴォルトの兵士、そしてハイデルとヴェルクの解放軍の兵士が入り交じって、もはや何が何だかさっぱりわからない状況になっていた。
 家々は傷つき、道は割れ、砂埃が舞い上がり、無数の剣戟と人々の絶叫、断末魔の叫び、地響きのような足音、弓矢の風を切る音、それらの混ざり合ったやかましい空間に、幾つもの人の死体が無造作に転がっていた。
 戦況がどうなっているのか、一体今、ティーアハイムの王宮はどうなっているのか、ここを守っているジェイバンという将軍はどうしたのか、血と剣戟の戦場に、それらの情報は一切入ってこなかった。
「大丈夫か? あかり」
 大通りを一旦外れて、あかりにそう聞くと、あかりはかなり疲れた顔をしながらも、元気に頷いて見せた。
「ようしっ!」
 再び剣を握って通りに出ようとしたその時、突然「わあぁっ!」っと大きな喚声が上がった。
「な、何だっ!?」
 オレたちは顔を見合わせて通りに飛び出した。
 喚声の後、通りは不気味なほど静まり返っていた。
「何だろう……」
 一応周囲を警戒しながらあかりが呟く。
 通りの街壁側にハイデル・ヴェルク軍の者が、城側に敵軍の者が、互いに剣を合わせることなく睨み合っていた。
 どうやら中央で、何かが行われているようだ。
「行ってみるか?」
 オレは剣を握ったままあかりに聞いてみた。
 興味はあったが、行くということは、すなわち再び戦いが始まったとき、真っ先に殺られる位置に行くことになる。
 危険だった。
 けれど、オレの心は行きたいと疼いていた。男の冒険心だったかもしれない。
 あかりは、首を左右に振った。
「やめておこっ。危険だよ」
「そうか。じゃあ、オレ一人で行ってくる。あかりはここにいろよ」
 オレはごく自然にそう言ってから、あかりの驚きぶりを見て、自分が何を言ったのかに気が付いた。
「ひ、浩之ちゃん!?」
「あ、ああ。すまん、あかり」
 こんなところにあかりを置いていってどうしようってんだ、オレは。
 その時、ガキッという鈍い音がして、再び「わあぁっ!」と喚声が上がった。
「くそっ! ついてこい、あかり!」
 オレはたまらずに駆け出した。
「あっ、待ってよ。浩之ちゃん!」
 あかりは、もはや止めても無駄だと悟ったようで、慌ててオレを追ってきた。
 オレは人込みをかき分けて先に進んだ。

「これは……」
 人込みの最前列に立ち、オレはそこで物語のような光景に出くわした。
 大将同士の一騎打ち。
 一人は紫を基調とした鎧をまとった、つまり敵国の三十代くらいの男。手に大振りの剣を持ち、左手に盾を持って、「ゼェゼェ」と肩で息をしていた。
 もう一人は若い、あかりと同じくらいかそれよりも若い青い髪の女の子で、細めの剣を両手で持ち、軽そうな革の鎧を着けていた。
 女の子の方もやはり肩で息をしていたが、男の方とは違って、身体中にかなりの傷を負っていた。特に左足の怪我はひどく、太股が血で真っ赤に染まっていて、明らかに彼女の動きを束縛していた。
 女の子の方は知らないが、男の方は恐らく例のジェイバンという将軍なのだろう。
 兵士たちは互いに大将同士の一騎打ちを見守り、動かない。いや、動けないのかもしれない。
 今誰かが少しでもどちらかに加担すれば、たちまちここは血の海となるばかりでなく、両将軍ともただでは済まない。
 しかし、このままでは女の子の方の敗北は必至だった、受けている傷の量が違いすぎる。
 ちらりと味方の兵士たちを見ると、やはりもどかしそうに戦況を見つめていた。
 ただし、オレとは違い、その女の子が最終的に勝利を収めてくれることを信じて。
 ある意味それは正しかったが、ある意味それは大きな誤りだった。
 正しいというのは、ここで再び戦いが起きれば、あれだけの怪我を負っているあの女の子は確実に殺られるだろうということ。
 誤っているというのは、このまま戦っていても、女の子は絶対に勝てないということ。
「ふんっ!」
 再び男の剣が唸って、女の子の頭上から振り下ろされた。
 女の子はとても受けられないと判断して、横に跳んで躱す。その動きは緩慢だった。
 空を斬った男の剣が横向きに薙がれて、女の子の首を襲った。
 女の子はそれをしゃがんで躱す。髪が散った。
 このままでは絶対に負ける。オレはそう確信した。
 けれど、兵士たちは手を出すことが出来ない。しかし、オレなら、オレとあかりならそれが出来る。
 オレはハラハラしながら戦況を見つめるあかりの肩を、驚かせないように軽く叩いた。
「あっ、何? 浩之ちゃん」
 声がかれていた。
 オレはそんなあかりに小さく耳打ちをした。あかりはちらりと相手の男を見て、こくりと頷いた。
 女の子の剣が風を斬って男の足を襲ったが、それは呆気なく躱されてしまった。
 その後に繰り出した突きも盾で防がれ、代わりに男の剣が彼女の頬を傷つけた。
 女の子はひるまずに剣で太股の辺りに突きに行く。
 それもやはり躱された。
 男の方が一枚上手だった。さすがは『最強』と謳われただけはある。
 オレは冷静に戦況を見つめた。一瞬のチャンスを見逃すわけにいかない。
 女の子の剣が、再び男を襲った。軽く突き出される剣。
 フェイントだ、とオレは思った。
 男が女の子の誘いに乗って、剣を振り上げた。
(かかった!)
 しかし、女の子が剣を引くよりも速く、男の剣が女の子の剣を跳ね上げていた。
「あっ!」
 ハイデル側から声が洩れる。
 女の子は剣を落とすまいと、跳ね上げられた両手に必至に力を込めていたが、胴が完全にがら空きになってしまった。
 女の子の顔に恐怖の色が走った。
 男はそれを見てにやりと笑うと、女の子の腹を目がけて剣を突き出そうと、一旦剣を後ろに下げた。
(ここだ!)
 オレはあかりの背を叩いた。それが合図だった。
 ずっと集中し続けていたあかりが、その魔力を一気に解き放った。
 凄まじい量の光が、あかりの杖から溢れ出した。
「な、なんだ!?」
 目眩まし。
 オレは閉じていた目を開いて、男を見た。
 男は剣を後ろに引いたまま、辛そうに目をつむっている。
 女の子の方を確認する余裕はなかった。
 オレは思いきり剣を振り下ろした。
 ギュウィン!
 男の肩から股にかけて血が吹き上がった。
 遠隔攻撃。それが、この場においてオレとあかりだけが女の子に加担できた理由だった。
「今だ!」
 そこで女の子が男にとどめを刺して、この勝負に決着が着く予定だった。
 けれど、オレの考えは次の瞬間、脆く崩れ去った。

  3

 オレの甘っちょろい計画は、この後に起こった三つの“予想外”に阻まれて、呆気なく打ち砕かれた。
 ビュッ、と風を斬る音とともに、身体に数カ所、激痛が走った。
「うぐっ!」
 見ると、右の太股と左肩、そして横っ腹、この三カ所にオレは矢を受けていた。
 隣では同じようにあかりが身体の数カ所に矢を受けて、がくりと地面に膝をついていた。
 想像以上に早い敵の対応。それが、一つ目の“予想外”だった。
 そして二つ目は、女の子が状況を理解して男にとどめを刺すより先に、男が剣を女の子に突きにいったこと。
「し、しまった!」
 オレは渾身の力を込めて剣を振り下ろしたが、間に合わなかった。
 剣は女の子の腹部に、ずぶりとめり込んだ。
「ぐぅっ!」
 女の子は剣を落として、膝を折った。
 男はそんな女の子の身体から剣を引き抜くと、オレの放った真空波を左腕の盾で受け止め、膝元で血を吐いてもがいている女の子にとどめを刺そうと剣を振り上げた。
「くっ! あかり、女の子を頼む!」
 オレは怪我の痛みも忘れて駆け出した。「くらえっ!」
 ビュッ! ビュッ!
 十字に剣を振り下ろす。
 しかし、二つとも呆気なく盾で受け止められ、さらに男がオレの方に向かって走り出した。
「なっ!」
 “最強”の男が真っ向からやってくる。
(終わったか……)
 オレは剣を構えたまま、その心を絶望で満たした。
 しかしオレは死ななかった。嬉しい誤算が起きたのだ。
「浩之ちゃん!」
 あかりの声がして、不意に男がバランスを崩した。
 確認はしなかった。
 千載一遇のチャンスとは、まさにこのことだとオレは思った。
「くらえぇぇぇぇぃぃぃぃっ!」
 オレの放った真空波が、男の首を斬り落とした。
「ジェ、ジェイバン将軍!!」
 敵側の兵士たちの苦しそうな呻き声。
(勝った……)
 朦朧とする意識の中で、オレはそう安堵した。
 あとは、味方の兵士たちがやってくれる。
 そう思っていた。
 三つ目の“予想外”は、その時に起こった。
「くっ! みんな、ジェイバン将軍の仇をとれ!」
「おおっ!」
 勇ましいまでの敵方の声に、オレは愕然となった。
 一騎打ちが終われば、この戦いが終わる。ジェイバンが死ねば、敵は退却するか降参するとばかり思っていたオレの、完全なミスだった。
 あかりの忠告を無視したバチが当たったのかもしれない。
 オレたちはまさに、戦争の真っ最中に立たされたのだ。
「あかりぃ!」
 オレは慌ててあかりに駆け寄った。
 右足に二カ所矢を受けたあかりは、地面に座り込んだまま苦しそうにその足を押さえていた。
「あかりっ!」
 オレがそっとあかりの肩を持つと、あかりはオレを見上げて弱々しく呟いた。
「浩之ちゃん!」
 地響きとともに、敵がどんどん近付いてくる。
 それとともに、こちらの軍勢もいきり立った。
「負けるなっ! ライフェ様をお守りしろ!」
 ライフェ?
 ああ、あの女の子のことか……。
 そういえばあの女の子もひどい怪我を負っていた。助けなければ……。
「あかり、立て!」
 オレの声に、あかりは気力で立ち上がった。この世界にいる限りは、いくらあかりでも決して泣き言を言わないだろう。たとえ限界が来てもだ。
 オレは女の子……ライフェだっけかに駆け寄ると、慌ててその身体を抱き起こした。
「ううっ……」
 苦しそうな熱い呻き声。顔中から汗が滴り落ちていた。
 腹の怪我を見ると、かなり出血していたが、一命は取り留めているように思われた。もっとも、所詮は素人判断なのだが……。
 オレがそうしている間にも、早くも敵がオレに剣を振り上げていた。
 どうするっ!?
 このままでは戦っても勝てないだろう。たとえあの剣をもってしても、数が多すぎる。
 それに早くしないとライフェが死んでしまう。
 どうするっ!
「浩之ちゃん!」
 あかりの声。
 よしっ!
「あかり、竜巻だ。竜巻作れ! こないだ新聞に載ってたあれだ!」
 ガキッ!
 振り下ろされた剣を受け止めて、オレは叫んだ。
 こないだ、といっても、この世界に来る前の話だから随分昔のことだが、大きな竜巻が新聞にカラーで載っていた。うちとあかりん家は同じ新聞をとっている。だから、多分知っているはず。
 案の定、あかりは大きく頷いた。
「竜巻、竜巻、風、風……」
 あかりの集中力と想像力の勝利だった。
 ゴウッ、と風が渦巻いて、オレたちを取り囲むようにして風の壁が現れた。
「よしっ!」
 しかし、いつまでも喜んではいられない。あくまでもこれは一時的な防御に過ぎない。
 オレはライフェを背負って、次の行動を考えた。
 本来ならば、ここからどこかにワープしたかった。けれども、そもそもそんなことができるのかどうかさえ怪しいし、それに魔法の構造上、あかりがライフェを飛ばすことは難しいだろう。
 ウィルシャ系古代魔法でワープを試みる場合、恐らく飛びたい先の風景に、オレたちの姿を重ね合わせる。
 オレとあかりだけならば出来るかもしれないが、つい先程出会ったばかりのライフェの姿をそこに重ね合わせるのはほぼ不可能だといってよい。
 ならどうする……?
 オレが迷っている間にも、あかりが苦しそうに時々熱い吐息を洩らしている。
 足の怪我が痛むのだろう。
 オレも、そろそろ限界に近い。
 どうするっ!?
「きゃっ!」
 いきなり目の前であかりの声がして、オレは慌てて思考を中断した。
 気が付くと、先程まであった風の障壁がすっかり消えていた。
 あかりは、オレの前で無様に尻餅をついていた。
「あかりっ!」
「浩之ちゃん!」
 あかりに向かって放たれた矢を真空波で叩き落として、オレはあかりの前に立った。
 敵が向かってくる。オレは剣を構えたが、ライフェを背負っているために、まともには戦えそうになかった。
 ガキッ!
 まず敵の一撃目を受け止める。
 その隙に、他の奴がオレに襲いかかってきて、オレはそれを止めている間に、先の男に腕を斬りつけられた。
「ぐっ!」
 あまりの痛みに、オレは剣を落としてしまいそうになった。
「死ねぇ!」
 再び剣が振り下ろされる。
 オレはそれをなんとか躱したが、その拍子に足をもつれさせて、転んでしまった。
「くっ!」
「ひ、浩之ちゃん……」
 あかりが情けない声をあげる。
「ここまでか……」
 敵が迫ってくる。
 オレは最後の力を込めて、そいつに真空波を叩きつけると、そのまま剣の切っ先をざくっと地面にめり込ませた。
 別の男が、目を血走らせて向かってくる。
 奇跡よ……起きるなら起きてくれ……。
 もはや、神に祈るしかなかった。
 そしてオレは……神に、助けられた。

  4

 それはとてもではないが、奇跡と呼べるようなものではなかった。
 ゴォゥゥゥゥ……。
 凄まじく低い音を立てて、豪風が吹き荒れ、オレやあかり、ライフェ、その他大勢の兵士と家、木々、砂、石、その辺り一帯のすべてを巻き込んで、そのままそれらを吹き飛ばした。
 オレは必死にライフェを担ぎ上げ、あかりの身体を片腕で抱き締めると、そのまま風に身を委ねた。
 身が千切れるような強風だった。
 オレたちは空高くに持ち上げられて、そのまま地面に叩きつけられそうになった。
 ぐんぐん迫ってくる地面。周りでは、そのまま地面に激突した人々の絶叫が響いている。
 このままではオレたちもやられる。
「あかりっ!」
 呼びかけながら、オレはあかりを思い切り抱き締めた。
「ひ、浩之ちゃん!?」
「あかり、浮けっ! オレを信じて、浮くんだ!」
 もはや言っていることが無茶苦茶だった。
 ほんの数秒後に死を控えたやつが、冷静にものなど言えるはずがない。
 そう思いながら、オレは同じように数秒後に死を控えたあかりに、集中して魔法を使えなどと言っているのだから、勝手なものだ。
 けれどもあかりは大きく頷くと、一度深呼吸をした後、穏やかな顔でオレの身体を抱き締めた。そして、
「浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け浮け……」
 気狂いのようにそう繰り返すあかり。もちろん、ただ強く念じればいいというものでもないが、恐らくあかりはこんな状態にありながらも集中しているのだろう。
 みるみる地面が近付いてくる。
 けれど、オレもまたあかりを信じていた。
 あかりならきっとやってくれる。本当にして欲しいとき、あかりは必ずしてくれる。
 あかりがオレを信じている間は、オレもあかりを信じなければいけない。
 そしてオレたちは、地表、ほんの数十センチのところで、ふわりと浮かび上がった。
「よしっ!」
 そのまま、どんっと尻を打ったオレたちは、随分みっともなかったが、そんなものは命があるだけましというものだった。
 周りの者は、その大半が絶命している。辛うじて生きながらえた者も、かなりの重傷を負って、とてもではないが動けそうにない状態だった。
「こ、こんな突風が……吹くものなのか……?」
 周囲を見回して、オレは呆然と呟いた。
 すると、
「まさか……」
 少しだけおかしそうに笑う男の声が突然背後から聞こえて、オレは慌てて後ろを振り返った。
 顔に微笑みを浮かべて、ゆっくりと近付いてくる男は、まだ20歳くらいの若い男で、見るからに高価そうな純白の衣を身につけていた。
 こいつが、恐らく先程の風を起こしたのだろう。もちろん、魔法でだ。
 オレは目の前の男の底知れない魔力に身震いした。
 男は微笑みを崩さずに、
「とりあえず、ここでは落ち着かない。場所を移しましょう」
 そう言って、スタスタと歩き出した。
 確かに、いくら風のおかげで飛ばされたとはいえ、すぐそこでは未だに戦いが繰り広げられている。
 オレは一度あかりを見て頷くと、ライフェを背負って男の後についていった。

 敵もおらず、火の手も上がっていない細い路地裏まで来ると、男はゆっくりとその足を止めた。
「さて……」
「の前に」
 男の言葉を遮って、オレが言う。「助けてくれたのは感謝するけど、さっきの、ちょっと乱暴すぎやしねぇか? 下手したら死んでたぞ、オレたち!」
「ああ。それなら大丈夫だ」
「な、何が!?」
 あまりにも平然と言うので、オレはそう食ってかかる。
 すると男は笑顔を絶やさずに、さらりと驚くべきことを言ってのけた。
「リゼック将軍の娘さんや、セリカ君の仲間を見殺しにするほど、私は愚かではないよ」
「な、何……」
「く、来栖川さんを知ってるの?」
 これはあかり。同感だった。目の前の男は先輩を知っている。
 意外なことではあったが、少なくとも仲間と認識しても問題なさそうだと判明したという意味では、ほっと胸を撫で下ろすところだった。
 さらに驚いたことは、オレの背負っているこのライフェという女の子が、リゼック将軍の娘だということだ。
 確かリゼックって、ハイデルの騎士団長だと、ビンゼに旅立つ前に委員長が言っていた気がする。
 どうりで強いわけだ。
 男はあかりの質問に大きく頷いた後、
「そろそろ話に入ってもいいかな? 時間があまりない」
 と、とても時間がないようには見えない落ち着いた口調で言った。
「あ、ああ。いいけど」
「ではまず私の素性を明かそう。私はヴェルク王国の国王ハイス」
「こ、国王!?」
 失礼極まりなく、あかりが驚きに大きな声を上げると、男はそれを気にせずにただ頷いた。
 ハイス王については志保から少しだけ聞いたことがあったし、何よりも先程の甚大な魔力をとっても、どうやら嘘ではなさそうだった。
「うむ。それで、話を進める前に、ヒロユキ君……で良かったかな?」
 オレは黙って頷く。先輩の知り合いであり、且つ、オレたちを先輩の仲間と言った辺りから、オレたちの素性は知っていると思って良いだろう。
 もはや今更葵ちゃんからもらった書状を見せる必要も、目の前の男を疑う必要もない。
「それでは、ヒロユキ君は、どうしてここにいるんだ? 確か今頃アオイ君と一緒に、ビンゼを守っているのではなかったのかな?」
 ハイス王が言った。
「事情が変わったんだ」
 そしてオレは、ビンゼでウェレイク将軍から聞いたことをハイス王に話した。「……それで、オレたちは秘宝を守るためにヴェルクに行くところだった」
「そうか……」
 ハイス王が深く息を吐く。「それは嬉しい誤算だ。ウェレイク将軍に感謝しなくてはな」
「それで、ハイス王の用事ってのは?」
「ああ。本当についさっき、トモコ君から連絡があってな。内容は大体先程君が言った通りのことだ」
「委員長が……」
「彼女は今、ヴェルクにいる。デックヴォルトの……いや、君の言っていたそのノルオとか言う少年の目的に気が付いて、すぐに駆けつけてくれたらしいが、行き違ったようでな」
「じゃあ、委員長は今……」
 まさか、一人で戦ってるんじゃ……。
 オレは不安に思って聞いてみたが、それは杞憂に終わった。
「今は待機している。彼女はジェリス系魔術しか使えないから、とてもではないがその少年に勝てないだろう。無駄死にするほど愚かな娘ではないよ」
「そうか。よかった……」
「それで私は、トモコ君から話を聞いて、とりあえずライフェ君に飛んでもらおうと思ったのだが……」
 と言って、ハイス王はオレの背負っているライフェの顔を覗き込んだ。
 そういえば、目の前のことに気を取られ過ぎてすっかり忘れていた。
 慌ててオレも後ろを振り返ると、ライフェは先程と同じように苦しそうに喘いでいた。意識はまだ戻ってないようだった。
 ハイス王はため息をついて、
「命に別状はないようだが、その怪我では戦いどころではない」
 と、少しだけ悲しそうな顔をした。
 それがライフェの様態を気遣ってのことか、それとも自分の計画が崩れたことに対してかはわからなかったが、とりあえずオレは前者の意でとっておいた。
 それからハイス王は顔を上げて、ぱっと明るい顔をした。
「そこで現れたのが君たちだ」
「オレたち?」
 オレとあかりは、思わず顔を見合わせる。
 ハイス王は満足げに頷くと、
「そうだ。ライフェ君や私の代わりに、是非ヴェルクに飛んでくれ」
 と、頼みながらも反論を許さない強い口調でそう言った。
 もちろん、異存はない。もともとそのためにここまで来たのだから。
「それは構わないが……」
 そしてオレはふと疑問を口にする。「ヴェルクにある秘宝って、一体何なんだ?」
「あ、ああ。それは、“無の結晶”と呼ばれるもので、遥か昔、ウィルシャがヴェルクに持ち帰ったものだ。私も詳しくは知らないが、どうやら“無の大穴”を広げるものらしい」
「“無の大穴”を広げる?」
 オレとあかりの声がハモる。
「そうだ。つまり、この世界を無に帰すということだ」
「この世界を無に……。つまり、それがノルオの目的?」
 ハイス王は大きく頷いた。
「恐らくは……」
「また、そういうバカなことを……」
 オレはもはや怒りを通り越して、呆れてものが言えなかった。
 手段の割りに、目的があまりにも無意味に思えた。
 もちろんそれは、所詮オレの意見でしかなかったが、どれだけ考えても世界を無に帰すことに何らかの意味があるとは思えなかった。
 そんなオレの様子を見て、ハイス王は満足げに頷いた。
「そうだ。まったく愚かなことだ」
 そして真摯な顔をする。「愚かなことだが、止めなければならない。けれど生憎、私はここを離れることができず、セリカ君も、今はフラギールに旅立っていてヴェルクにはいない」
「フラギール?」
 確か、デックヴォルトの首都。
「そうだ。ノルオなどより、もっと恐ろしい敵を止めるためにな」
「…………」
 オレは、志保やウェレイク将軍の言っていた“あれ”だとか“それ”のことかと思い、聞いてみようかと思ったが、やめておいた。今は明らかにそんなことを話しているような時ではない。
 ハイス王は彼らしくなく熱っぽく続ける。
「そして、その手伝いのためにシホ君とアオイ君もヴェルクには来られない。頼みのライフェ君は重傷を負って見ての通り。もはや君たちしかいない。君たち二人で、何とかノルオを止めてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 慌ててオレは言った。「オレはともかく、あかりは危険だ。せめて……」
「いや、そんなこともないぞ」
 間髪入れずにハイス王が口を挟む。「セリカ君やシホ君もそうだったが、君たちは素晴らしい魔法の素質と魔力を持っている。ヒロユキ君は二人の魔法を見たことがあるかい?」
「あ、ああ……」
 そういえば、初めての戦いの時に、志保のやつが、呆気なく敵の魔法の防護壁をかき消していたような気がする。実はあれは凄いことだったんじゃ……。
「その顔なら、どうやら見たようだな」
「まあ……」
「それでアカリ君も、さっき見せてもらったけれど、あの状態であの高さから落ちているにも関わらず、とっさに魔法で三人を浮かばせた。正直言って驚いたよ」
「……だってよ、あかり」
 あかりは照れたように微笑んでいる。
「わかった」
 そしてオレは大きく頷いた。「やるよ。それがオレたちの為すべきことなら。それがオレたちがこの世界に来たことの意味なら!」
「そうか……ありがとう」
 ハイス王は、安心したように微笑んだ。それから小さな缶をオレたちに手渡す。
「これから魔法陣を描く。その間にそれを塗りなさい。即効性の傷薬だ」
「あ、ああ」
 蓋を開けると、中には少しイエローがかった半透明の軟膏が詰まっていた。「あっ、ハイス王。ライフェは……?」
「ライフェ君はいい。この娘は私が後から魔法で治す。ちょっと、時間がかかるがな」
 そう言いながら、ハイス王は懐から蝋燭を7本取り出して、その内の6本をオレたちの周りに並べた。
 どうやら、ここに魔法陣を作ろうというようだ。
 オレたちが傷薬を塗っている間に、ハイス王は魔法陣を書き上げて、蝋燭に火をつけた。まるで子供の落書きのような稚拙な出来だった。
「あの、ハイス王。本当にこれで大丈夫ですか?」
 失礼とは思いながらもそう聞いてみると、ハイス王は、
「だてに“ジェリスの再来”などと呼ばれてはいないよ」
 と、小さく笑った。「ジェリス系魔術なら、この世界で右に出る者はないと自負している。たとえそれがセリカ君であってもだ」
 オレは、ハイス王が先輩より凄いことにではなくて、そこまで凄いハイス王に認められている先輩を、凄いと思った。
「ではいく。時間がないからな。目を閉じてくれ」
 中央に蝋燭を立てて、ライフェを魔法陣から引っ張り出すと、唐突にハイス王は呪文を唱え出した。
 オレたちはあまりにも早い展開に、一瞬しどろもどろになったが、どうにか心を落ち着けて目を閉じた。

『ツァイト ツァイト エルテ フェゼイン……
 すべての道を統べる者
 彼らをかの地へ導き給え
 時を越え 時空を渡り
 海を割り 大地を裂いて
 風よ 道を築いて吹き給え……』

 ふわっと、一瞬だけ頭の中が軽くなって、それからオレたちはゆっくりと目を開けた。