『 To Heart Fantasy 』 第2巻

 第4話 来栖川芹香

  1

 結局オレは、先輩を待つことにした。
 確かに葵ちゃんがどうしているのかは気になったが、葵ちゃんの他にも志保や委員長、それに先輩。みんながこの世界に来ていると知った今、葵ちゃんに会うよりはむしろ、今回の事の発端である先輩に直接会って、話を聞いた方が良いような気がしたからだ。
「それじゃ、ヒロもあかりもまたね〜。生きてたらまた会いましょう」
 そう言って、いつもと変わらずに出ていった志保を見送って、オレとあかりとマルチの三人は、委員長の家に厄介になり、先輩を待った。
 その二週間の間に、オレは剣を習うことにした。あのときの醜態が恥ずかしく思えたと同時に、このままではあかりやマルチを守ってやれないと思ったからだ。
 あの時は剣の魔力に助けられたが、次はうまくいかないかもしれない。
「なあ、委員長。オレ、剣を教えてほしいんだけど、どうすればいいんだ?」
 志保を見送った日の夜、オレは委員長にそう尋ねた。
「剣? なんでまた?」
「なんでって、この世界じゃ、剣の一つも使えねぇとなにかと物騒だろ?」
「ま、そやな……」
 委員長はオレの言葉に大きく頷くと、こう言った。「わかった。じゃあ、うちが藤田君にとっておきの先生をつけたるから、まあがんばってくれや」
「あ、ああ」
 オレは誰だろうと思いながら、不安げに頷いた。

 翌日、委員長がつれてきた人を見て、オレは驚いた。
「トモコ様からヒロユキ様に剣の稽古をしてほしいと頼まれて参りましたライフェと申します。お役に立てるかどうかはわかりませんが、精一杯がんばりますので、よろしくお願いします」
 そうバカ丁寧な挨拶をして、オレにぺこりと頭を下げたのは、14、5歳の女の子だった。背まで伸びた青い髪を首の後ろで結び、軽そうな革の鎧を着けている。腰に帯びた剣はごく普通の鉄製の剣で、オレの持っている剣より幾分細く、短い。
 そして、なによりオレを驚かせたのは、彼女の体格だ。小柄ではあるが、特に痩せすぎているとか、小さすぎるということはない。しかし、とても剣を持って戦うような娘にも見えなかった。
「あ、ああ。こちらこそよろしく」
 オレは度肝を抜かれて、呆然と頭を下げた。
「それではとりあえず基本の型から教えたいと思います」
 そう言って、ライフェはオレに一本の剣を差し出した。「トモコ様の話では、あまり時間がないということですので、少し厳しめにやっていきたいと思うのですが、よろしいですか?」
 オレはその「少し」という言葉が非常に気になったが、とりあえずそれで嫌だというのも何とも男らしくないと思って、大きく頷いた。
 ライフェはそれを見てにこりと微笑んだ。その笑顔は年相応のものだった。
 ところが……。
 彼女の「少し」は、案の定凄まじいものだった。
「ヒロユキ様、だいぶ腕が下がってきてます」
「ヒロユキ様、もっと早く剣を切り返してください」
「ヒロユキ様、ステップで躱すのも有効ですので、足もお使いください」
 礼儀正しい言葉でポンポン言われるハードな内容に、オレは初日からヘトヘトになってしまった。
「どうもお疲れさまでした」
 陽も沈み、街が薄暗くなって、ようやく稽古が終わったとき、オレは地面にへたり込んだ。
 ライフェはというと、丸一日オレに付き合っていながら、嫌な顔一つせず、まるで疲れた様子も見せずに、笑顔でいる。
「大丈夫ですか? ヒロユキ様」
 心配そうに顔を覗き込まれて、オレはちょっと情けなく思ったが、いつもみたいにそこで強がるほどの元気は残っていなかった。
「あ、ああ。明日もよろしく、頼む……」
「はい! ではまた明朝きます。さようなら」
 ライフェはそう言って駆けていった。
 そうしてオレの一日は終わった。

 後で知ったのだが、ライフェはハイデルの騎士団長リゼックの娘で、三人兄妹の末っ子だということだ。
 二週間経つ頃にはオレも何度かライフェと剣を合わせたが、まるで歯が立たなかった。オレが弱いのも当然あるが、とにかく無茶苦茶強いのだ。
 彼女から繰り出される剣はその切っ先が見えず、風のように軽やかに避け、素早くオレの懐に入り込むスピードは隼のようだった。
 オレは毎日毎日こてんぱんにされながら、それでも確実に強くなっていく自分に驚いていた。ライフェは教え方も超一流なのだ。
 二週間経ったその日、ライフェはオレとの稽古を終え、いつも以上に礼儀正しく言った。
「二週間、本当にお疲れさまでした。正直な話をしますと、私はヒロユキ様がここまでがんばられるとは思っていませんでした。最後までしっかりと私の教えに従ってくださったこと、大変感謝しております。とりあえず今日で終わりだとトモコ様からうかがっておりますが、もしまた機会がありましたら、一緒に稽古しましょう。もちろん、ヒロユキ様さえよろしければの話ですが」
 ライフェの顔は、夕陽を受けて少し赤らんでいた。
「もちろんだ。でも、なんで今日で最後なのかはオレも聞いてないから、ひょっとしたら、明日にでも早速稽古を再開できるかもな」
 ライフェはにこりと微笑んだ。
「そうですね。私もそうだと嬉しいです。ヒロユキ様のご無事を、私は切に願っております」
 そうしてオレはライフェと別れ、委員長の家に戻った。
 不意に、オレはなにかとてつもない緊張感に捕らわれた。
 これから先輩と会う。
 すべてを知らされて、オレは……。
 何かが始まろうとしている。
 オレはそれを肌で感じた。
 夕食中も気が気ではなかった。あかりの奴が不安げにオレを見つめていたが、オレは何も言わなかった。
 夕食も終え、街もひっそりと静まり返った頃、オレたちは四人、部屋で黙って先輩の到着を待っていた。
 委員長は息苦しそうだったが、オレとあかりとマルチは、一瞬の隙も逃すものかと言わんばかりの表情でいた。
 やがて、静かにドアが開けられ、オレたちは一斉にその方向を見た。
 そこには、外の暗闇を背景にして、ぼんやりとした存在感の薄そうな少女が一人、黒いマントを羽織って立っていた。
 彼女の周りにはうっすらと光る光の球が、ふわふわと二つ宙に浮かび、彼女の足元を照らしている。
 長い黒髪の少女、来栖川芹香その人に間違いない。
「…………」
 遅くなってすいませんでした。
 相変わらず蚊の鳴くような声で、先輩が言った。
「いつもの……先輩だ……」
 オレはそんな先輩を見て、そう当たり前のことを真剣に呟いた。
 先輩は光の球を消してから、ゆっくりと中に入るとドアを閉めた。

  2

 もう随分夜も遅い。けれど、先輩は大して疲れた様子ではなかったので、オレたちはその夜の内にいろいろと尋ねることにした。
 委員長の家の座敷に円を描くようにして五人が座り、一人一人の前にはお茶が置いてある。まるでどこぞの茶会のようだ。
「とりあえずこいつらやけど、先輩が来る言うたら、ここに残る言いおってな」
 まず委員長が呆れたようにそう言うと、先輩はこくりと頷いて、オレたちの方を見た。質問してもいいですよと、訴えかけるような目で。
「じゃあ」
 オレは別に何か言われたわけではなかったが、そう切り出した。「まず、事の発端を知りたい。先輩の研究がどうとかって話は委員長から聞いたけど、それとオレたちがここにいることとの関連性が今ひとつわからないんだ」
 要は科学的な説明が欲しいんですね?
 先輩はそう言った。
 オレが頷くと、先輩はぽつりぽつりと話し始めた。
 話はオレが要約しよう。
 先輩はどうやら何か魔術的な召喚を行っていたらしい。
 それがたまたま、ティーアハイムのメルテたちが異世界の者に望みを託して儀式を行っていたときと重なった。
 二つの強大な魔術は、音に近い霊的な波を作り出した。その二つの霊的波長が共振して、とてつもなく大きな力を生んだ。
 その力は時空間を歪め、そこにひずみを作った。
 ひずみは当然、元あった姿に戻ろうとする。丁度、空のバケツを水の中に沈めたとき、その中に勢いよく水が入ってくるように。
 ひずみが空間を元に戻そうとするときに生じた引力。つまり、掃除機のようにそこに吸い込む力、それにオレたちは巻き込まれてしまったのだという。
 信じる信じないは別にして、一応の説明にはなっている。
 オレも何となくだが理解して、感心してうんうんと頷いた。
「それにしても、なんだか知り合いばかり集まったね。それとも全然知らない人たちもたくさん来てるけど、気づかなかっただけなのかなぁ」
 揃った顔ぶれを見て、あかりが不思議そうに言った。
 なるほど確かにこのメンバーしか来てないとすると、引力は先輩の周りの人間、いや、むしろオレの周りの人間だけを選りすぐってこの世界に導いた感がある。
 先輩はあかりの言葉にしばらく無言でいたが、やがて少し俯き加減で「偶然です」とぽつりと一言そう言った。どことなく恥ずかしそうだ。
 どうやら偶然ではないらしい。オレはそんな先輩を見てそう思ったが、先輩が話したくないのなら、無理に聞くのはよそう。
 それよりも、もっと気になることがまだいっぱいある。
 たとえば、そう、先輩が今まで何をしていたかとか。
「なあ先輩。先輩、この世界に来て、妙にいろいろと駆け回ってるみたいだけど、一体何をしてるんだ?」
 先輩はゆっくりと顔を上げてオレを見た。そして小さな声で言った。
 それによると、先輩の召喚は、先程の霊的波長の狂いによって大失敗したそうだ。そしてそれにより、封じられていた、つまり先輩が呼び出そうとしていた“それ”が不完全な形でこの世界に喚び出されてしまった。
 先輩は自分の失敗によって生じた“それ”を、再び封じるためにがんばっているらしい。
「で、その“それ”ってのは、一体どんなものなんだ?」
 オレが尋ねると、先輩が答えるより先に、委員長がやや得意げに言った。
「それは、学者たるうちが答えたるわ」
 これが志保だったら、いらぬお世話だと言ってやるところだが、相手は委員長だ。素直に聞こうではないか。
「“それ”っつうんは、かつて、“無の大穴”から現れおった魔物の王や」
 “無の大穴”については、前にベアルさんから少しだけ聞いたことがある。なんでもハイデルとティーアハイムの間にある、底知れぬ暗闇の穴だとか何とか。
「ねえ保科さん。その“無の大穴”ってどんなのなの?」
 珍しく悪いタイミングであかりが聞いた。
 案の定話を遮られた委員長は少し嫌そうな顔をしたが、それでもあかりにきちんと説明を入れた。
「“無の大穴”っつうんは、この世界に歴史っつうもんが生まれる以前からそこにある古い暗黒の穴や。その深さ、奥に何があるのか、知る者はあらへん。せやけど、うちはあの穴は魔界につながっとると考えとる」
「魔界?」
 オレとあかりの声が重なった。
「そや、魔界や」
 うんうんと委員長が頷く。「魔物たちの棲む世界。“それ”はその世界を治める王なんや、きっと。そしてある日、“それ”が魔物たちを引き連れてこの世界を侵略せんと現れた」
「ほお」
「“それ”の狙いはこの世界を魔物たちの国に変えること。そう、ある書物に書いてあった」
「それで?」
 オレたちが相槌を入れると、だんだん委員長の説明に熱がこもってきた。
「魔物たちはこの世界の街を次々と落とし、人々を苦しめた。そんな時、一人の勇敢な若者が現れた。彼は仲間と共に、“それ”を中央湿原の“暗黒塔”に封じ込めることに成功した。若者の名はディクラック。ここハイデルの建国王や」
「じゃあ今の王は……」
「ディクラック[世。もちろんかの勇者の直系や。ここハイデルが、“誇りの民の街”の二つ名で呼ばれるのも、みんなここからきとるんや」
「ふ〜ん」
 だいぶ話がわかってきた。
 つまり、先輩が“それ”を召喚しようとして失敗して、オレたちがここに来た。そして先輩は今、その失敗によって“暗黒塔”から解き放たれた“それ”を再び封じようとがんばっている。
「大体のことはわかった。ところで、“それ”には名前はないのか? 仮にも魔物の王なんだろ?」
 名前はあります。
 間髪入れずに答えたのは。もちろん先輩だ。
 それから先輩は真剣な面持ちでオレに言った。
 言葉というものは、それ自体が大変大きな力を持ちます。
 ふむふむ。
 “それ”はその名を呼ぶのも恐ろしきもの。この国、いえ、この世界では、その名を呼ぶことは禁忌とされています。
 ほお。
 今では“それ”の名、“それ”の存在さえ知る者が少なくなりました。
 ふ〜む。
「なんか、たかが名前くらいで大袈裟だな」
 先輩の話を聞いた後、オレは素直に自分の意見を述べた。
 正直、オレにはちょっと信じられない話だった。名前を言うくらいで、一体何がそんなに変わるというのだろう。
 すると、委員長がため息混じりに言った。
「はぁ。あんたバカかいな」
 オレが委員長の方を見ると、委員長は心底呆れた顔でオレを見ていた。
「い、いきなりなんだ?」
「あんたはバカや。名前くらいで大袈裟やって? 話にもならへんわ」
「むっ。だってそうだろ? 少し名前を言うくらいで何が変わるっていうんだ?」
 あまりにも委員長がオレをバカにしたふうに言うので、オレはだんだん腹が立ってきて、きつい口調で言った。
 しかし委員長はそんなものはまったく意に介さず、やれやれと首を左右に振った。
「ダメだ。全然わかっとらん。もう終わりや。ホンマのアホや。この世の無知の象徴や。うちは今、世界の終わりを垣間見たわ」
「い、いい加減にしろよっ!!」
 とうとうオレは委員長を怒鳴りつけた。
 すると委員長はそんなオレを見てにやりと笑った。
「そや、それでええんや」
 してやったりと言わんばかりの顔で委員長は続ける。「今みたいにな、言葉は人を怒らせることができる。傷つけることも悲しめることもできる。もちろん逆に、喜ばせることも楽しませることもできる」
「…………」
 オレは呆然と委員長を見ていた。
「わかったやろ?」
 委員長が珍しく穏やかな口調でオレを諭した。「言葉っちゅうもんは、それ自体が魔法みたいなもんなんや」
 あかりとマルチが感心した様子でいる。
 先輩は相変わらず無表情でオレの方を見ている。
 オレは一人怒りに立ち上がりかけたままの体勢で、呆然と話を聞いていた。
 実際、バカかも知れない。
 オレは少し恥ずかしくなった。
「で……」
 オレは気を取り直して再び座り直した。「まあ、ほとんどのことはわかったよ」
 先輩は小さく頷いた。
 オレはそんな先輩を真っ直ぐ見つめて、最後の質問をした。
「ただ最後に一つだけ、どうしても聞きたいんだ」
 先輩は何だろうという顔をした。
 オレは今までで一番真剣な顔で言った。
「先輩は、そんな恐ろしいもんを喚び出して、一体何をするつもりだったんだ?」
「…………」
 あかりとマルチと委員長が、そいえばそうだと先輩を見た。
 四人の視線を受けて、先輩は俯き加減で小さな声で呟いた。
「その……なんとなく、です……。本に載ってたから……」
 オレたちはため息混じりに頷き合った。
 今のは、何の偽りもない本当のことだ、と……。

  3

 夜中、オレは話があるとあかりを外に引っぱり出した。
「なぁに? 話って」
 二人きりになって、少しもじもじしているあかり。
 可愛いやつだ。
 オレは何も言わずに歩き出した。
 星が綺麗な夜だった。日本ではまずお目にかかれない空だ。
 後ろからついてきた足音が、不意に隣に並んだ。
「へへっ」
 オレが見ると、あかりのやつが子供っぽく笑った。
 無邪気なやつだ。
 そいえばこの2週間、ライフェとの稽古で全然あかりと会っていなかった。日本では毎日のように会っていて、もはや会うのが普通になっていたあかり。そんなあかりの顔が、妙に懐かしく思える。
 日本なら、アベックがべたべた引っついて歩いていてもおかしくない時間だったが、この街にはそういう者はいない。
 治安の違いだ。
 日本ならば、たとえ夜若い娘が一人で出歩いていても、いきなり殺されたり犯されたり、或いはさらわれたりはしないだろう。
 それがこの世界では当然のことのように起こるのだ。
 あかりもこの2週間でそれはよくわかっているようだが、今のところその顔に不安の色はない。
 こいつはいつだってこうしてオレを信じてついてくる。
 健気なやつだ。
「なああかり」
 歩きながらオレが言った。
「なぁに? 浩之ちゃん」
「オレ、さっきまで先輩と話してたんだ……」
 先程の五人での対談を終えたオレは、その後先輩と二人で今後のことを話し合っていた。「先輩はこの後……って言っても明日だが、ヴェルクに飛ぶらしい」
 ヴェルクというのは、ティーアハイムから東に行ったところにある街だ。ここからだと山脈が邪魔をして、ティーアハイム経由でしか行けないのだが、先輩にはきっと何か他の行き方があるのだろう。
「ヴェルク? あの魔法王国?」
「そうだ。あかりもいろいろと勉強してるんだな」
「えへへ。この2週間、保科さんにいろいろ聞いたんだ」
 あかりの言うとおり、ヴェルクは魔法の国として知られているらしい。
 まあ。オレには関係のない話だが。
「何しに行くかまでは、聞いたけど教えてくれなかった。代わりに先輩はこう言ったんだ。『浩之さんはどうしますか? もしついてきてくださるのなら、その理由もお話ししますが』ってな」
「……先輩は、浩之ちゃんについてきてほしいのかなぁ」
「さあ……。それはオレにはわからん」
 オレは首を左右に振ると、そのまますっと立ち止まった。
 あかりもゆっくりと立ち止まって、オレの顔を見上げる。
 オレはそんなあかりを見つめて言った。
「先輩がオレにどうしてほしいのかはわからんが、言うまでもなく、オレは行く。そのために志保についていかずにここに残ったんだからな」
「うん……」
 あかりの瞳が不安げに揺れていた。
 それが何に対する不安か、オレには見当もつかなかった。ただ、あかりが不安がっているのはわかった。
「あかり、お前はどうする?」
 オレはそんなあかりの瞳を真っ直ぐ見据えた。「オレと一緒に来るか、それともここに残るか」
「浩之ちゃん……」
「オレと来れば、きっと危険に曝されることになる。オレもお前を守ってやれるかどうかわからない。それこそ、オレだって生き残れるかどうかわからない。けど、ここにいれば安全だ」
「浩之ちゃんは……」
 あかりが言った。「浩之ちゃんはどうしてほしい?」
「オレは……」
 言いかけたオレをあかりが制した。
「ううん。何も言わなくていいよ」
 あかりはそこで、オレと同じくらい真剣な眼差しで、しっかりとオレの顔を見据えた。「私も浩之ちゃんと同じだよ。ついていく、浩之ちゃんに。私は浩之ちゃんを信じてる。信じてるけど離れていると不安になるから。側にいて、いつも浩之ちゃんを見ていたい」
「命、なくなるかもしれないぞ」
「うん」
「オレ一人死ぬかもしれないぞ」
「うん。でも行く」
「……そうか」
 オレは両手をあかりの小さな肩の上に乗せた。そしてそのまま軽くあかりの身体を引き寄せると、そっとあかりにキスをした。
「ん……」
 あかりの声が洩れた。
 オレはゆっくりとあかりの身体を離した。
 あかりは驚くでも恥ずかしがるでもなく、いつもの表情でオレを見上げていた。
 オレも同じだ。
 して当たり前のことをしただけのような気がした。
 オレはそっとあかりに言った。
「さっきマルチにも聞いたんだ。そしたらお前と同じことを言ってたよ。『どこまでもついていきます。藤田さんのお手伝いをしたいから』ってな」
「……マルチちゃんにもキスしたの?」
 あかりが淡々とオレにそう聞いた。
 オレは思わず苦笑した。
「バカ」
 いつもみたいに軽くあかりの頭を叩いてやって、オレは言った。「この先どうなるか全然わかんねぇけど、最後には生きてみんなで帰ろうな。日本へ、オレたちの町へ」
「……うん」
 風が冷たくなってきた。
 オレはあかりを自分のはおっている上着の中に入れてやると、そのまま委員長の家へ戻っていった。

  4

 翌朝目を覚ますと、委員長と先輩がいなくなっていた。
 先に起きていたマルチに話を聞くと、城に行ったと聞かされた。
 どうやらこの家には城に直結する抜け道があって、二人はそこから城の地下室へ行ったらしい。
「すべての準備を整えてから来てほしいって、芹香さんが言っていました」
 そうマルチに言われて、とりあえず珍しく寝坊しているあかりのやつを部屋に行って叩き起こすと、オレは出発の準備を始めた。
 とはいえ、大したものはない。少々の着替えと、おばさんからもらった魔法の剣。それと、ライフェからもらった普通の鉄剣、それくらいだ。
 食糧などは、今回は先輩に任せておけばいいらしい。素直に任せよう。
 準備を整えてやってきたあかりも、ほとんどオレと変わらない程度の持ち物だ。剣の代わりに、女の子なものを少し持っているくらいだろう。
 マルチだが、やはり何の意味があるのか、ほうきを一本持っている。似合っているのが怖い。
 マルチに続いて、オレたちは押し入れの中から地下道へ降りていった。
 灯りは、オレたちには志保や先輩みたいに光の球を作り出すことなど当然できないので、先頭を行くマルチが蝋燭を持っている。
 ぼんやりと照らし出された壁が、なんとも不気味な雰囲気を醸し出している。
 奥は見えない。ただ真っ暗な道が延々と続く。今にも奥から二つの赤い光が現れて襲いかかってきそうな感じだ。
 地下道はひんやりとしていた。時々地下水が天井から床へぽたりと滴って、ポチャンと音を立てる。これが妙に響いて、趣深い。
 その内、どれくらい歩いたか、眼前に大きな門扉が現れた。
 鉄製で、複雑な彫り物がしてある。
「オレが開けよう」
 オレは先頭に立って、ゆっくりとそれを押し開けた。
 ギギギギギ。
 多少の手応えは感じたが、扉は難なく開いて、溢れんばかりに射し込んでくる光にオレたちは思わず目を閉じた。
 そしてやがてゆっくりと目を開き、慣れるのを待つ。
 そこには上り階段があって、その両横の壁にはそれぞれ扉がついていた。
「ここは……?」
 オレが呟くと、それに答える声がした。
「ここは城の地下室です、ヒロユキ様」
「その声は、ライフェ?」
「はい」
 ようやく目が慣れて、見ると扉の横にライフェが立っていた。
 ライフェはオレを見ると、にっこりと微笑んだ。
「この中でセリカ様とトモコ様がお待ちです」
「あ、ああ」
 オレたちは案内されるまま、そこに入ろうとした。
「お気をつけて、ヒロユキ様、アカリ様、マルチ様」
 入る間際、ライフェが心配そうにそう言った。
 オレたちは大きく頷くと、中に入った。

 風が渦巻いていた。
 ゆっくりと背後で閉められる扉。
 暗がりの中には、うっすらと光る六芒星を基調とした複雑な魔法陣。
 その中心に立って、不気味に魔法を唱えるのはもちろん先輩だ。
 委員長は部屋の片隅でそんな先輩を見つめている。そしてオレたちに気がつくと、魔法陣の中に入るよう、指差した。
 声を出してはいけないらしい。
 オレたちは素直に魔法陣の中に入った。
 六つの蝋燭が煌々と輝いている。

『ツァイト ツァイト エルテ フェゼイン……
 すべての道を統べる者
 我らをかの地へ導き給え
 時を越え 時空を渡り
 海を割り 大地を裂いて
 風よ 道を築いて吹き給え……』

 先輩の呪文に応えるように、風が渦巻く。
 目を閉じてください。
 直接頭の中に響くように、先輩の声がした。
 オレは言われるまま固く目を閉じた。
 ごうごうと風の音だけがする。
 足はずっと床についたままだ。この床を踏み締める感触だけは変わらない。
 ところが、やがて風が収まってきて、先輩が小さな声で「もういいですよ」とそう言って、オレが目を開けると、そこは明らかに先程の部屋ではなかった。
 まず、壁の材質が違う。先程は土壁だったが、ここは石壁だ。
 床に描かれた魔法陣の輝きも違う。あっちが薄い黄色の光だったのに対して、こっちは薄緑色に光っている。
 そして実は一番大きな違いが、委員長がいないのだ。オレは一瞬どこかではぐれてしまったのだと思った。
 オレがキョロキョロしていると、オレのそんな心配を察してか、先輩が言った。
「保科さんはハイデルでまだしなくてはいけないことが残ってましたので、ここには来てません」
 狭い密閉された部屋なので、いつもより先輩の声がよく聞こえた。
「ここは?」
 オレは尋ねた。
「ここはヴェルクのジェリス系魔術研究所の地下室です。さあ、行きましょう」
 先輩はそう言うと、ゆっくりと歩き出した。
 オレたちはもうヴェルクに着いてしまったのかと半信半疑だったが、とりあえず先輩についていくしか他にすることがなかったので、先輩の背中について部屋を出た。