『 To Heart Fantasy 』 第2巻 |
第5話 戦い 1 魔術の王国ヴェルクは、セイラスともハイデルとも違った、独特の街並みを持っていた。 まず建物はすべて同じ白の石造りで、背が高い。ときどき塔のように空高くまで伸びた建物まで目にする。まるで高さがそのまま、家主の地位や裕福さを表しているようだ。きっちりと区画され、整然と建物が建ち並んでいるのはハイデルと変わらない。むしろ、より強調された感もある。 そして、何よりも他の街と違うのが、この街には街灯があることだった。 先輩の言うジェリス系魔術研究所とかいう建物を出たとき、街はすでに夜だったが、道は明るく照らし出されていて、細い裏路地にさえ、ハイデルやセイラスのような闇はなかった。 この辺りは、限りなく日本に近い。ただ、その光源があまりにも日本のそれとは違った。つまり、この街の街灯は魔法を使っているのである。 魔法についての知識は相変わらずゼロだったが、凄いということは理解した。あのハイデルにさえなかったのだから、相当なものなのだろう。 夜の街は、ひっそりと静まり返っていた。 夜といっても、もはや夜中に近い時間である。賑やかなのもそれはそれで困るのだが……。 オレたちは4人、先輩に案内されるまま、とある建物にやってきた。 外見は13、4階建ての大きな円柱形の塔で、表には淡いオレンジの光を放つ球体があって、玄関先を照らしていた。 “ウィルシャ系古代魔法研究所” 聞き覚えのある魔法名だ。確か、いつか志保のやつが使っていた気がする。 建物の名前からすると、どうやら初めに出てきたところと対になっているようだ。 聞くと、この建物の中には先輩の研究室があるらしい。 平然と中に入っていく先輩の背中を見つめながら、オレはふと疑問に思った。 こんな立派なところに個人の研究室を持っているなんて、一体先輩はこの世界ではどんな身分にあるのだろう。 しかしその疑問は口には出さずに、オレは先輩について中に入った。何でもかんでも聞くのも、嫌な顔をされると思ったからだ。 円柱形の外見通り、内部の床はほぼ円形になっていた。丁度中心部が空洞になっていて、壁側にいくつか部屋がある。簡単にいうと、竹輪のような構造だ。以後、わかりやすくこの建物のことを、竹輪の家と呼ぶことにしよう。 しかし、階段のようなものは見当たらない。 「なあ先輩。どうやってこれ、上に上がるんだ?」 オレが聞くと、先輩は、 「魔法です」 と、ぽつりと一言そう言った後、すっと片腕をオレたちの方に伸ばした。「つかまってください」 オレたちは言われるまま、先輩の腕をつかんだ。 先輩はそれを確認すると、事もなげにいきなり浮かび上がった。 「きゃっ」 思わずあかりとマルチが声をあげる。 当然だ。いきなり重力に逆らって浮上する日本人がどこにいる。 オレたちは怖くなって、思い切り先輩の身体にしがみついた。 不思議とオレたちも先輩と同じように浮かび上がっていたのだが、とりあえず何の説明もなしでは気が気ではない。 オレは必死だった。だから、自分が先輩とマルチにはさまれていて、前から後ろからふんわりとした柔らかい感触に包まれていたのだと知ったのは、先輩が着地して、困ったように「もういいですよ」と言ったときだった。 惜しいことをした。 オレが心の中で舌打ちをすると、先輩が頬を赤らめてそんなオレを見つめていた。 オレは一瞬、心の中を読まれたのではないかと思ってぎくりとしたが、すぐにそれが、さっきまでオレが思い切り抱き締めていたからだと気がついた。 先輩の研究室は塔の7階。内装はほぼ学校の部室と同じものだった。 オレたちは明らかに一人ないし二人入れば十分だというその部屋に、無理矢理毛布を4枚敷くとさっさと横になった。 部屋は薄暗い。 オレは感覚的にはついさっきまで朝だったので、なかなか寝付けなかった。もっとも、理由はそれだけではなかったが。 3つの小さな寝息が規則的に聞こえてくる。ふと横を見ると、すぐそこに先輩の顔があった。それこそもう少し近付けば鼻の頭が触れ合うくらいすぐそこに。 先輩の顔は、どことなく辛そうだった。 オレがどうしたんだろうと眺めていると、実際に言ったのか寝言でかは知らないが、 「ごめんなさい、浩之さん……」 小さな声でそう言った。 オレには何のことかさっぱりわからなかったが、とりあえず、夢にしろ現実にしろ、今、先輩がオレに対して何か後ろめたい気持ちがあるのは確かだった。 「別に構わないぜ、先輩」 オレは同じように小さな声でそう言うと、そっと先輩の頭を撫でてやった。 先輩は少し嬉しそうな顔をした。 そうしてその夜は過ぎていった。 2 翌朝、オレたちは元いた3人で、竹輪の家を出た。 先輩は用があるからと、少し先にここを発っている。どうやら城で会議のようなものがあるのだそうだ。 ますます先輩の地位が高くなってきた。 待ち合わせ場所はない。時間も不定。ただ、用が済み次第、オレたちのところに来るということだ。 この街にさえいてくだされば、後はどこで何をしてくださっていても構いません。 そういう先輩のお指図通り、オレたちはとりあえずこの街の探索をすることにした。 もちろん、宿を探すのも忘れない。竹輪の家は先輩不在のため、使用は不可。自分たちで宿を見つけるしかないのだ。 もうハイデルの二の舞にはならないぞ。 オレは意気込んだ。 「ねえ、浩之ちゃん、どこ行こうか」 少しボーっとしていたらしい。少し先であかりが手を振りながら言った。 オレはゆっくりとあかりに追いつくと、 「そうだなぁ」 そう呟いてからマルチを見た。「マルチはどこに行きたい?」 「わたしはどこでもいいですよ。どこも知りませんし」 「どこも知らないのは私たちだって同じだよ」 にっこりとあかりが言った。 「そうですね。神岸さんはどんなところに行きたいんですか?」 「私?」 あかりは少し考える素振りをしてから、 「私もどこでもいいよ、やっぱり」 そう言って笑顔を見せた。 「考えのないやつらだなぁ」 そんな二人を見て、オレはそう言った。 「じゃあ浩之ちゃんは何か考えがあるの?」 少し拗ねたようにあかり。 オレは自信を持って笑った。 「いや、オレも考えのないやつだから、とりあえず歩こうと思う。発展的だろ?」 「ひ、浩之ちゃん……」 「藤田さん……」 オレは呆然とする二人を置いて、スタスタと歩き出した。 街は活気づいていた。商店街はすごい人だかりができていて、真っ直ぐ歩くことさえままならない。 立ち並ぶ露店は、その売り物も様々だ。 しかし、大半が魔法的なアイテムを売っている。店員も若い人が多い。どうやら、若い魔法研究者たちが、自作の魔法アイテムを売りに出しているようだ。 「おうおう、そこの可愛い娘ちゃんづれの兄さん。ちょいとその足、止めてみなされ」 不意に、今までとは一風変わった呼び止め方をされ、オレは立ち止まった。 見ると、もはや中年の域に達したおじさんが一人、露店の中でオレを手招きしている。 「そうそう、兄さん、あんただよ。可愛い娘ちゃんたちもちょいと寄って行きなされ。プレゼントをせがむならこの店をおいて他にはないよん」 「なんかおもしろそうだね。行ってみよ、浩之ちゃん」 あかりのやつが完全に乗せられて、ぐいぐいとオレの腕を引っ張った。マルチに至っては、すでに店先にいる。 オレは仕方なく二人に付き合うことにした。 「そうだよそうだよ。今日はお三方、ついてますねい。旅人さんだろ? この店に寄れたのはきっと幸運の星がお三方に光をお与えになったからだい」 「そ、そうなのか……?」 オレは呟きながら、店の品揃えを見てみた。 水色の液体の入った小瓶に、黒光りする小さな石のついた指輪、ぐねぐね曲がった杖に、透明のガラスのような板。他にもオリンピックのマークのようなリングやら、血のように赤く光るナイフ、古びた書物。 品揃えは他の店より豊富だが、いかんせん、怪しすぎる。 「な、なあ、おっさん。どれがおすすめだ?」 「ふむふむ。兄さん、どうやらあんまり魔法に縁がないねん?」 じろりとオレを一瞥して、おっさんはぴたりとそう言い当てた。 オレはうんうんと頷くばかり。 「よしきた。それならもう、これしかない」 そう言っておっさんがオレに渡してよこしたのは、何の変哲もない指輪だった。 「これ、ただの指輪じゃねえか」 「それが甘いのねん」 おっさんは指を振った。「ただの指輪はこの店には置いてないよん。こいつはな、魔法を逸らす働きがあるんさ。この大魔術師グルベン様が作ったんだから間違いないよん」 それならなおのこと怪しい。 しかし、言われた金額が思ったより安かったので、オレはせっかくだからと二つ買ってあかりとマルチにプレゼントした。 本当はオレのも欲しかったのだが、二つしかなかったらしい。残念だ。 「それじゃあな、おっさん。元気でやれよ」 「おうさ、兄さん。可愛い娘ちゃんたち、大事にしろよ」 オレは軽く手を振っておっさんと別れた。 その時だった。 「きゃあぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」 そう、人々の悲鳴が上がったのと、背後で大きな爆発音がしたのはほぼ同時だった。 3 「どうしたんだ!?」 騒然としている人々をかき分けて行くと、そこには18歳くらいの女性が倒れていた。右腕の袖が、血で真っ赤に染まっている。先程の爆発にやられたのだろう。 周囲の者に怪我人はないようだが、近くの民家の壁にひどい損傷があり、爆発の凄さがうかがえた。 「おい、大丈夫か!?」 誰よりも早く彼女の許に駆け寄ったのは、他でもない、オレ自身だった。後ろからは、あかりとマルチ、それに露店のおっさんがついてきて、オレと同じように彼女の側にかがんだ。 女性は荒い息遣いで、苦しそうに喘いでいる。だが、命に別状はないようだった。 「こりゃまったく、派手にやらかしなすったな」 口調はおどけていたが、真剣そのものの表情でおっさん。 それからおっさんは彼女の身体をまじまじと見つめると、ふぅと一つ安堵の息を洩らした。 「大丈夫、全然平気だい」 「ほ、本当か?」 半信半疑でオレが聞くと、おっさんはオレの方を見ずに、 「この大魔術師グルベン様が言うんだから大丈夫だ」 自信たっぷりにそう言った。 ……だから不安なんだって。オレは心の中で訴えた。 それからおっさんは片手で軽々と女性の身体を持ち上げると、有無を言わさず彼女をオレの背中におぶらせた。 「なっ……」 「いいからお前さんがこの娘さん、運んでいってあげなされ。周りのやつらにゃ、任しておけん」 確かに、おっさんの言うことは確かだった。 ここら辺は日本とあまり変わらない。人通りの多い路地でおばあさんが転んで、「大丈夫ですか」と声をかけられる者は少ない。 それがたとえ、若くて綺麗な女性でもだ。 「わかったよ」 家は何とかしよう。 オレはほとんどヤケになって、彼女を背負って歩き出した。 道行く人に妙な目で見られながら聞き回った挙げ句、ようやく彼女の家を発見したときは、もうすでに昼飯時を回っていた。 「すいません。ごめんください。ファメルさんのお宅ですよね?」 ちなみにファメルというのは彼女の名前である。ここの場所を教えてくれた人が彼女のことをそう呼んでいたので、まず間違いないだろう。 そのうち奥からやってきた、恐らくファメルさんの母であろうおばさんが、彼女を見てひどく驚いた顔をした。 「は、はい、そうですけど。ファ、ファメル……どうかしたんですか?」 おどおどとおばさん。 オレはおばさんの不安を取り除こうと、なるべく元気に言った。 「ファメルさん、何かの爆発に巻き込まれたようで。でも、命に別状はないそうです」 妙なおっさんの話ではと、心の中で付け加えるのを忘れない。 「爆発?」 おばさんは、オレが床に下ろしてあげたファメルさんを見て、少し呆れた顔をした。「この子、またやったんかい」 「また?」 オレたち3人の声が見事に重なった。 「ああ。魔法に失敗したんだよ」 そう言ってから、ふとおばさんは気がついたように改めてオレたちを見た。「ああ、せっかく娘を運んでいただいたのに、わたしったらいけないねぇ。せっかくですから上がっていってください」 「は、はぁ……。それではお言葉に甘えて」 オレたちは特に断る理由もなかったので、家に上がらせてもらうことにした。 「この子、最近よく魔法に失敗するんですよ」 ファメルさんの腕に包帯を巻きながらおばさんが言った。 ちなみにファメルさんはもう気がついており、薬がしみるのか、時折痛そうに顔をゆがめた。 「い、痛いよ、母さん」 「まったくお前は。少しは我慢しなさい」 このように怪我をすることに慣れるというのも変な話だが、娘の怪我の原因が魔法の爆発だとわかってから、おばさんは妙に明るい。 「あのぉ……」 どことなく和やかな二人を邪魔するのも悪いと見てか、少し引いた感じであかりが尋ねた。「魔法の爆発って、一体何ですか?」 「えっ? あんたたち、ひょっとして娘の怪我の理由、見てわからなかったのかい?」 とても意外そうにおばさんに言われて、オレたちはただ素直に頷くしかなかった。 この世界では常識であっても、オレたちにはそうでない。 「ふ〜ん、そうかい。それはよほど魔法の未発達な場所から旅して来なさったんだねぇ」 「え、ええ、まあ……」 「じゃあ教えてあげるよ」 そう言いながら、おばさんはゆっくりと魔法について語ってくれた。 それによると、魔法には二種類あるらしい。 もはやオレたちでも知っている、いわゆる初めてここに来たときに出てきた場所で研究しているのであろう“ジェリス系魔術”と、竹輪の家で研究しているのであろう“ウィルシャ系古代魔法”この二つだ。 ジェリス系魔術については教えてもらえなかったが、いわゆる“魔法”と呼ばれるものは後者のウィルシャ系古代魔法を指すらしい。 そしてこの魔法は集中力が命で、その集中が魔法の途中で途切れると、先程のような爆発が起こるのだそうだ。 話を聞いて、オレはふと、そういえば確か前に志保も同じようなことを言っていたことを思い出した。 「この子最近、どうも集中力がなくなって。わたしは魔法を使っちゃダメだって言ってるんですけどねぇ」 「ご、ごめんなさい……」 ぺろりと舌を出して謝るファメルさん。なかなか可愛い。 「しかしファメルさん。どうして最近集中力がなくなってるんですか?」 何気なくオレは聞いてみた。すると、それは言ってはいけないことだったのか、二人はひどく寂しそうな顔をして沈んだ。 「あの……えっと、オレ、何かまずいこと聞いちまったかな?」 「あっ、いえ、いいんです」 慌ててファメルさん。それから彼女は何やら不安げな表情で母親の顔を見上げた。 おばさんはというと、これまた真剣な顔をして、静かにオレに語りかけた。 「まあ、旅のお方にこんな陰気くさい話をするのも何ですが、わたしたちもこの寂しさを話せる相手もいずに悲しい思いをしています。よければ聞いていってください」 「は、はあ……」 そうしておばさんがオレたちに打ち明けたのは、確かに陰気くさい話だった。ただ、それはオレたちの心に何か問いかけることのある話でもあった。 「実は、もう1年くらい前になります。ティーアハイムでの戦いでわたしは亭主を亡くしました」 「ご主人を?」 「はい。事故ではなく、亭主は兵士としてティーアハイムで戦っていたのです」 聞くと、もともとファメルさんたちは、ティーアハイムに住んでいたそうだ。 ところが戦争が起き、一家の大黒柱を失って、仕方なくおばさんの母の実家のあるここヴェルクに越してきたらしい。 「それからわたしたちは、わたしと息子のハイラス、それからこの子の三人で暮らしていました」 「デックヴォルトの話はご存じですか?」 不意に顔を上げてファメルさんがそう聞いてきた。 「デックヴォルトの話っていうと?」 「今度デックヴォルトが、ビンゼを攻めようとしている話です」 「な、何だって!?」 それは初耳だった。ビンゼといえば、葵ちゃんがいる国だ。 「そ、それは本当ですか?」 同じことを考えたのか、あかりが尋ねる。 ファメルさんは苦渋に満ちた顔で頷いた。 「そんな……」 「デックヴォルトの1年間の沈黙が何だったのか、一介の住民でしかない私たちにはわかりません。そして、デックヴォルトの目的も私たちにはわかりません。もしわかったとしても、そんなこと、正直私たちには関係ありません」 それはそうだろう。所詮雲の上の者たちの話だ。しかしそれでも戦争で一番苦しむのは彼女たち、力なき一般民衆なのだ。 「私たちも初めはただの噂だと思ってました。ところが今から3週間くらい前です。突然ハイス様がこの街で義勇軍を募り始めて……」 「ハイス?」 「この国の王です」 おばさんが答えた。「ジェリスの再来とも言われる若い奇才の王、ハイス様。あの方が、今度デックヴォルトがビンゼを攻めたと同時に、ハイデルと協力してティーアハイムを取り返そうとしているのです」 ちなみにジェリスというのは、恐らくその名の通りジェリス系魔術の大系を作り上げた人なのだろう。 「冷たいようですが、やはり今更ティーアハイムがどうなろうと、私たちには関係ありません。ただ、こともあろうに、兄が……ハイラスが義勇軍に自ら加わったのです!」 大体の話は読めた。つまりファメルさんは、父に続いて兄まで失おうとしているのだ。 「どうして……どうして戦争はこうも私たちから幸せを奪っていくのでしょう」 血を吐くようにファメルさんが言った。 オレたちはいたたまれなくなったが、黙ってファメルさんを見つめていた。 ファメルさんは涙で潤んだ目でオレたちを見上げると、一度にっこりと笑ってから言った。 「ごめんなさい、私ったら。旅の人にこんなことを……」 「いや……」 オレは静かに首を振った。「まだ正確なことはわからないけど、その戦争、なんとか止められるかも知れない」 「えっ?」 ファメルさんは驚いた顔でオレを見た。 オレは大きく頷いた。 これは本当に定かでないが、今城で行われている会議は、恐らくこの戦争に関することなのだろう。もしそうなら、きっと先輩が何とかしてくれる……。 可能性は薄い。しかし、信じる価値はある。 ヴェルクと協力しようとしているハイデル。そのハイデルに残ってすることがあるという委員長。彼女はあの街の騎士団長と知り合いだった。 先輩と委員長。二人は何かを知っている。オレは二人を信じたい。 「今日は本当にありがとう。オレたち旅の途中だからこれで失礼するけど、ファメルさん」 「は、はい……」 「あんまり気に病まないでくれよ。特に魔法中はな」 オレが気軽な感じでそう言うと、ファメルさんは嬉しそうに微笑んだ。 「はい!」 そしてオレたちは、ファメルさんの家を後にした。 4 夕方から雨が降り始めた。 オレたちは宿の一室で、窓からそんな雨を眺めていた。 本当に先輩はここがわかるのだろうか。 時代劇ふうに表に傘でも下げておきたいところだったが、やめにした。オレたちが恥ずかしい。 特にすることもなく、何かを話すでもなく、オレたちは先輩の帰りをただボーっ待っていた。 夜、適当な店で食事を取った後、オレたちは宿に戻った。 「あれ? 藤田さん、鍵が開いてますよ」 部屋に入る前にマルチにそう言われて、「かけ忘れたかな?」と呟きながらドアを開けると、部屋の中に先輩がいた。 お帰りなさい、皆さん……。 いつものように、「ホンマに聞こえんのか?」と思うような声で、先輩が言った。 「ただいま」 どちらかというと逆のような気もしたが、とりあえずオレたちは明るい声でそう言って、部屋に入った。 「早速だけど先輩。ハイデルでの約束、覚えてるよな?」 もちろん、ヴェルクに来た理由を教えてもらう話だ。「ついてくるなら教えてくれるんだっただろ?」 先輩はこくりと小さく頷いた。それから、まず先に、今日城で行われた会議の内容を話しますと、ぼそりと呟くように言った。 「ああ、そうだった。是非そうしてくれ」 その後先輩の語ったことは、やはり今度の戦争の話だった。 どうやらデックヴォルトがビンゼを攻めるというのは本当のことらしい。 それが恐らく1週間後。だいぶ差し迫っている。はっきり言って、予想外だった。もはや戦争をやめてくれなどと言っている段階ではないではないか。 オレは苦い気持ちで先輩の話の続きを聞いた。 ヴェルクの義勇軍の総数は500人。正規軍3200人。ハイデルからは合計5000人ほどの兵が、ティーアハイム奪回戦に出撃するらしい。 これがデックヴォルトが動き次第すぐにということだ。 先輩は悲しそうな顔でそう言った。 「どうしたんだ?」 オレが聞くと、先輩は苦しそうに、 「戦争は、避けたかったんです……」 ぽつりと一言そう言った。 なんでも先輩は、この戦争を食い止めるべく、ずっと以前から動いていたそうだ。 委員長も然り。彼女はハイデルで、国王ディクラック[世の動きを監視していた。 早まったことをしないようにと。 しかしダメでした。 先輩が悔しそうに言った。 どうして先輩が戦争を拒んできたか。それは、デックヴォルトの真意がわからなかったからだ。 先輩はこれも調べていたらしい。忙しいはずだ。 「しかし、結局これもわかりませんでした……」 感情が高ぶってか、いつもより大きな声でそう言ってから、先輩は悲しげに俯いた。「戦争も止めることができなかった……。結局、何一つできなかった……」 先輩の目から涙が零れた。 オレたちはそんな先輩を見て、驚きを隠せなかった。 こんな先輩を、今まで見たことがなかったから。 「な、なあ、先輩」 オレは慌てて言った。「ビンゼはどんな国なんだ? ティーアハイムより裕福なのか?」 先輩は首を左右に振った。 ティーアハイムは首都フラギールと直接つながっているという意味でも、土地の豊かさという意味でも、ビンゼより好条件が揃っているとのこと。 「ビンゼに恨みがあるとか……」 「ビンゼに何か他には変えられない価値のあるものがあるとか……」 「ティーアハイムで何かあったとか……」 オレたちは口々に言ったが、先輩はただ首を振っただけだった。 「でも、ティーアハイムを動いたら、当然ハイデルとヴェルクが動くのくらい、予想がつきそうだよな……。ひょっとして罠じゃねぇのか? ハイデルとヴェルクを陥れる」 その可能性はあります。 先輩が言った。 けれど、その意味がありません。 つまり、デックヴォルトがハイデルとヴェルクを陥れる意味がないということだ。 確かに話では、デックヴォルトの目的は、あくまでティーアハイムの土地だった。別に天下統一ではない。 「この1年間、デックヴォルトが何をしてたかも重要だよな……。これは先輩、わかってるのか?」 意外にも先輩は、その問いに頷いて見せた。 「わかってるのか!?」 「はい……」 先輩はもう一度頷いた。「デックヴォルトは動けなかったのです。“それ”のせいで」 「“それ”のせい?」 「そうです。“それ”がずっとデックヴォルトを狙っていたのです。何があったのかはわかりませんが、きっとその心配が解消されたんでしょう」 「じゃあ、デックヴォルトは今まで“それ”と戦っていたのか?」 「わかりません。ただ、デックヴォルトは“それ”のせいで動けなかった。ずっと以前から、デックヴォルトはビンゼを攻める気だったんです。結局、その理由がわからないのですが……」 「そうか……」 確かに、結局肝心なことがわからない。「しっかし、善王様はどうしちまったんだ?」 オレは頭が混乱して投げやり気味に言った。 先輩はそれに真面目な顔で「わかりません」と答えた。 「突然の乱心。ひょっとしたら操られてるんじゃないのか? 誰かにさ」 「私もそう思います」 再び意外な先輩の発言。オレは続けて言った。 「じゃあ、その操ってる奴の目的が天下統一なんじゃないのか?」 先輩は何も言わなかった。ただ、少し何やら考える素振りをした。 オレはそんな先輩に口をはさむのも何かと思い、黙って先輩から話しかけてくれるのを待った。 やがて長い沈黙の後、先輩がゆっくりと顔を上げた。 ……ごめんなさい。 「いや。何かわかったのか?」 先輩はふるふると首を振った。 「そうか……」 オレは仕方なく、別の話をすることにした。「で、オレたちはこれからどうするんだ? やっぱりティーアハイム奪回戦に参戦するのか?」 「いえ……」 「違うのか?」 「はい……」 小さく頷いてから、先輩はこう言った。「それでは、初めの藤田さんの質問にお答えします」 オレたちはこくりと一度頷いた。 先輩はそれを確認すると、一言一言噛みしめるように言った。 「藤田さんにはこれからシュロスの夢見塔に行ってもらいたいんです」 「シュロスの夢見塔?」 「はい」 「オレにはって、先輩ももちろん来てくれるんだろ?」 オレのその問いに、先輩は黙って首を左右に振った。 「えっ?」 「ごめんなさい。私には他にしないといけないことがあって……」 「じゃあ、それが終わってから……」 「いけません!」 ぴしゃりと先輩が言って、オレはその気迫に驚いた。 こんな先輩も、見たことがない。 ダメなんです……。 再びいつもの調子で先輩が言った。 「デックヴォルトが動き始めたということは、“それ”に何らかの変化があったとしか思えません。もう、時間がないんです……」 そう言った先輩の顔は、妙に罪悪感に満ちていた。声も何だかおかしくて、オレにはそれが先輩の言い訳に聞こえた。 しかし先輩のあまりにも真剣な顔に、オレは何も言わなかった。代わりに、 「わかったよ。じゃあ、そのシュロスの夢見塔の話を、詳しく聞かせてくれ」 諦めたようにそう言った。 「すいません……」 それから先輩は静かにその塔について語ってくれた。 |
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