『 To Heart Fantasy 』 第2巻

 第6話 シュロスの夢見塔

  1

 かつてこの世界に、シュロスという一人の魔術師が住んでいた。
 シュロスは初めとある王国に仕えていたのだが、戦争によってその国が滅びた後は、一人で各地を転々とする旅にその身をおいた。
 その旅がシュロスにとってどのようなものであったのか、知る者はない。しかし、やがて旅を終え、自ら居座る塔を半島東端に築いたとき、そこにはかつて王国に仕えていた研究熱心な魔術師シュロスの姿はなかった。
 塔を築いたシュロスはその後、ふらりと街に出ては富豪の家から金品を巻き上げ、娘をさらい、果てはいくつもの盗賊団を叩き潰してはその蓄えを奪った。
 こうして一年もせぬ内に、シュロスの悪名は半島中に知れ渡った。
 “悪の夢見る魔術師”シュロス。
 いつしか彼は人々からそう呼ばれ、恐れられるようになったが、彼がその塔の中で果たしてどうのような夢を見ていたのか、結局彼は最期まで、それを人に言うことなくこの世を去った。
 ジェリスが魔法の大系を作り上げるよりも、ずっと昔の話である。

 シュロスが根城にしていた塔は、“シュロスの夢見塔”と呼ばれ、半島東端のルドス湾に今でも当時のままそこにある。
 赤茶けた石造りの塔は正六角柱形で、外目には六、七階建てに見えた。外壁は長年の間風雨に晒されていたとは思えないほど美しい。
 大地には草が伸び放題に伸び、もはや道もない。ところが入り口の前にだけは草はなく、湿っぽい土が露わになっていた。
 入り口の鉄と思しき金属で出来た巨大な門扉には、頭が四つある龍の彫り物が施されていた。龍の四つの頭からは、それぞれ炎、吹雪、雷、毒霧が吐かれ、その周りには、それに苦しめられている人々が施されていた。
 オレたちは今、その前に立ち、その荘厳な門扉とともに塔を見上げた。
 この塔に今なお残るシュロスの遺産。それをとってきてほしいというのが先輩の頼みだった。
「なんだか気味が悪いですね」
 門扉の龍を見つめたまま、怖々にマルチが言った。
 オレは松明を三つ点けると、二つをそれぞれマルチとあかりに渡し、その荘厳な門扉を押し開いた。
 門扉は鉄の軋む音を立てながら、ゆっくりと開いた。

 揺らめく三つの松明の炎にぼんやりと照らし出された薄暗い塔の中は、わずかに湿っぽい淀んだ空気が充満していて、少しだけカビ臭かった。
 内部はその外見からは想像に難い、細い通路がうねうねとうねりながら続いていた。しかもその通路は長年の間にボロボロに朽ち、土砂や石の破片が床に堆積している。
 さらにこれは元々シュロスの設計上のことと思われるが、通路の幅や高さがまちまちで、時には屈んで通らなければならなかったり、場所によっては這って進むことを余儀なくされた。
「くそう! どうしてそのシュロスってやつは、自分の家をこんな滅茶苦茶に造るんだ!?」
 イライラしてオレがそう悪態をつくと、後ろからマルチの声がした。
「藤田さんは、芹香さんからシュロスという人が塔を造った理由を聞かなかったんですか?」
「理由? 住むためじゃないのか?」
「それもあるんですけど、シュロスという人は、この塔を自分の集めた財宝を、それを狙うことを生業としている人たちから守るために造ったんです」
 オレは中腰で歩くこと数十分、ようやく少し広めの場所に出て息をついた。
「それを狙うことを生業としている奴らっていうのは、いわゆるRPGに出てくる冒険者って奴か?」
「冒険者?」
 これはあかり。
「ああ。街のなんでも屋さんでありながら、時には傭兵として戦争に参加したり、古代の遺跡を荒らしてみたりといろいろとする暇人たちのことだ」
「ふ〜ん。つまり今の私たちみたいな人?」
 な、なかなか鋭い突っ込みだ……。
「そ、そうともいう。で、どうなんだ? マルチ」
 オレは塔の話に戻した。
 するとマルチはオレを見て大きく頷いた。
「そうです。その冒険者という人たちです。それで、どうもこういう人たちにありがちなんだそうですが、魔術師が塔を建てるのは、大抵こういう冒険者の人たちが持つ宝物が目当てなんだそうです。そのために塔に罠を張ったり、自分の僕を置いたりして。そう、芹香さんは言っていました」
「つまり……」
「そうです。当然、わたしたちも」
「はぁ……」
 オレは大きくため息をついて再び歩き始めた。

 その後も道は変わりなく、疲れているので余計にそう感じるのか、むしろ強化されたようにうねり、オレは外から見たフロアの面積で、どうしてこうも長い通路が造れるのかと、シュロスの設計の素晴らしさに皮肉半分感心した。
 結局、オレたちが上に続く階段を見つけたときには、塔に入ってから優に三時間は経っており、オレたちはもはや階段を上る元気もなく、ただ疲れ切った表情でしばらくそこに座っていた。

  2

 頃合いを見計らって、オレたちは石造りのその階段を上った。
 階段は円を描くように上に続いていて、行き着いた先、つまり二階の床の一部と思しきそこには扉があった。ちょうど床や天井と平行した形でだ。
 上向きに強く扉を押し開くと、中から霧のような煙のような、そんな黒く細かい粒子の集合体が溢れ出してきた。しかしそれには熱や匂いはなく、どうやら人体には無害なようだった。
「なんだろう、これ」
 あかりの奴が不思議そうに呟いた。
「“闇”じゃねぇのか?」
 自分に問いかけるようにオレは答えた。
 確かにそれは、“闇”としか形容しがたいものだった。
 オレたちが二階に上がると、扉が音を立てて閉まった。
「しまった!」
 言ってから「ギャグだなぁ」と我ながらばからしく思ったが、事態はそれを笑っていられないほどの深刻さを呈していた。つまり、出られなくなってしまったのだ。
 扉には当然取っ手などなく、こちら側からでは開かないようになっていた。
 これが本当に“冒険者”と呼ばれるような連中ならば、恐らくつっかえ棒の一つでもしていたことだろう。
 オレは自分の行動を激しく後悔した。
「しょうがないよ、浩之ちゃん。とにかく道を探そ」
「ああ、そうだな」
 あかりに励まされて、オレは道を探す決意を固めた。

 “闇”は部屋中に充満していて、十センチ先にかざした手の平さえ見ることが出来なかった。
 松明の光は粒子に反射して、オレたちの身体と、ほんのミリ単位のその周囲は明るく照らし出したが、役には立たなかった。
 オレたちは松明の火を消し、はぐれないよう互いに手をつないでから、慎重に歩き出した。

 真っ直ぐ歩いていたと思う。やがてオレたちは壁にぶつかった。壁はひんやりとしていて、表面はツルツルしていた。
「とりあえず、これを伝っていけばどこかに出れるかもしれないな」
 そう言ってオレは右手で壁を触りながら、それを伝って歩き始めた。
 二人はオレの後ろを、服をつかみながらついてきている。
 壁はどっちの方向にかはわからなかったが、真っ直ぐ続いていた。そして、やがて辿り着いた鈍角な曲がり角までの距離を考えて、オレはこの壁を、塔の外壁だと断定した。
「ここが一つ目の角だね、浩之ちゃん」
 不意にあかりが言った。
「一つ目?」
「うん。ちゃんと数を数えておかないと、同じところをグルグル回ることになっちゃうよ」
「そうですね。神岸さんすごい!」
 マルチにそう褒められて、あかりは照れくさそうに笑った。
 オレはあかりの意見を尊重して、数を数えて歩くことにした。

 その内、半ば予想していた七つ目の角がやってきて、オレたちは足を止めた。
「一周……回ったな」
「そうですね……」
 そう。結局何事もなく、一周回ってきてしまったのだ。
「これからどうしますか?」
 マルチが聞いてきた。
「どうするったって……」
 策はない。「ひたすら適当に歩いてみるしかないんじゃないんか?」
 それは建設的でも発展的でもない、ただの絶望的な意見だった。しかし今のオレたちには、そうするより他に手はなかった。
「階段があることを信じようぜ。まさか実は天井にぽっかり穴が空いていて、縄とかかけねぇと上がれねぇなんてことはないだろう」
 言ってから、言わなきゃよかったと後悔した。
 オレたちは、数日後にこの部屋の床に餓えて倒れた自分たちの姿を想像しながら、のろのろと歩き始めた。

 やがて、初めにダウンしたのはやはりあかりだった。
「はぁ、はぁ……浩之ちゃん、お願い。す、少し休もう……」
「あかり……」
 オレは足を止めた。「大丈夫か?」
 オレが聞くと、あかりは力なく頷いた(と思う)。
「うん」
「しょうがない。マルチ、ここで少し休むぞ」
 そう言ってオレはあかりの横に腰を下ろしたが、マルチは返事をせずにただ突っ立ったまま、何やら上を見上げているようだった。「どうしたんだ? マルチ」
「いえ……」
 マルチが言った。「浩之さん、神岸さん。ここ、少し他と違うと思いませんか?」
「えっ?」
 オレとあかりの声が重なった。「違う?」
「はい。気のせいかもしれませんが、何か空気の質が違う気がするんです」
「空気の質が違う?」
「はい」
 もう一度マルチが頷いた。
 オレはどこか違うだろうかと、空気に対して五感をフルに効かせてみたが、マルチの言う“違い”はわからなかった。
「浩之さん」
 そんなオレにマルチが言った。「何か、投げるものを貸して下さい。あるなら石でも何でもいいです」
「何に使うんだ?」
「上に投げるんです。もし、この空気の質の違いがわたしの勘違いでなければ、たぶん……」
「そうか!」
 ようやくマルチの言わんとすることがわかって、オレとあかりは声をあげた。
 つまりマルチは、この上に三階へ通じる穴があると言いたいのだ。もし正しければ、投げたものは戻ってこない。
「よしっ。そういうことならオレがやろう」
 オレはそう意気込みながら立ち上がり、松明を手に取った。「いくぜ!」
「はいっ!」
 元気にマルチ。
 そしてオレの投げた松明は、見事に戻ってこなかった。

  3

 三階は、今までのシュロスの設計からは考えられないほど普通の部屋だった。
 いくつか通路があり、その行き着く先々に、こじ開けられた宝箱が置いてあった。四階に上がる階段も見つかった。
 オレたちは初めは何かの罠ではないかと慎重に歩いていたが、次第に緊張が解きほぐれて、無警戒になった。そして、少し広めの空間で、オレたちは小休止を挟むことにした。
「とりあえず、ここまで来られたな」
 街であらかじめ買ってきた薫製肉をかじりながら、オレはふぅと息を吐いた。
「そうだね」
 あかりがここに来て初めて笑顔を見せた。「でもこの部屋は、どうしてこんなに今までの部屋と違うんだろうね」
 あかりは初めマルチの方を見てそう言ったが、マルチが首を左右に振ったので、今度は問いかけるようにオレを見た。
「オレの知識によるとだなぁ」
 そう切り出してから、オレは昔先輩から聞いたような話をあかりに語った。「ここは冒険者たちにわざと宝を取らすための部屋なんだと思う」
「わざと? 何のために?」
「そりゃ、そうしないと冒険者たちが、本当にこの塔に宝なんてあるのかと疑うからだろう。損して得取れ的な考え方だな」
「ふぅん」
 あかりとマルチが頼もしげにオレを見て頷いた。
 オレは今更先輩の受け売りだとも言えずに、ただ笑っていた。

 その内オレたちは再び各自手に松明を持って、四階に上がった。
 松明の明かりにぼんやりと照らし出される石壁は、外から見たときのものと変わらない。伝う片手から、ひんやりとした感触が伝わってくる。
「さてと、次は何が出てきなさるかな?」
 オレたちは四階のフロアを踏んだ。
 そこはただだだっ広い空間だった。壁も正六角形をしていて、この階がここ一室であることが容易に知れた。
 相変わらずの薄暗い闇の奥に、五階に続いていると思われる階段が見えた。そして、その階段の前に佇む大きな黒い影。
「ゴ、ゴーレム……」
 オレは驚愕の眼差しをそれに向けたまま、呆然と呟いた。
 ゴーレム。ファンタジーRPG的にいうと、魔力付与者たちによって作られ、疑似生命を与えられた彫像で、主人である魔術師の命令に盲目的に従う。大体、どんなゲームに出てきても、強い。となれば、恐らくここでも……。
「浩之ちゃん?」
 突然動かなくなったオレを訝しげに見上げてあかりがそう呟いたとき、ゆっくりとそいつは動き出した。
「レ・ララ・レリレ……」
 低く何かを呟いて、そいつは立ち上がった。

 とりあえず、戦うのは得策ではないと思われた。
 近付いてくるゴーレムの足は、想像以上に速い。のんびり考えている暇はなさそうだ。
「あかり、マルチ」
 オレは素早く考えをまとめて、二人に呼びかけた。「お前らは二手に分かれて、何も考えずにあの階段に走れ。オレがあいつを引き付ける」
 そう言うとオレは、二人の返事も待たずに松明を投げ出し、おばさんからもらった剣を抜いて、ゴーレムに突進した。
「浩之ちゃん!」
「藤田さん!」
 背後からオレの名を呼ぶ二人の声が聞こえてきたが、それ以上は聞こえなかった。代わりに視線の両端に、階段の方へ走る二人の姿が映った。
 これで心置きなく戦える。
「くらえっ!」
 刀身がキラリと光って、いつかの真空波が……いや、それ以上に力ある波が、ゴーレムの巨体を打った。
 ゴーレムは少しよろめいたが、それだけだった。すぐに体勢を立て直し、オレにつかみかかってくる。
 オレは少し後退して、もう一度剣を振るった。
 内心の恐怖は隠しきれなかったが、オレはライフェから教わった剣技の基本を忠実に守って立ち向かった。
 敵の巨大な腕を躱し、位置を変えては剣を振り、再び躱す。
 少しずつ、ゴーレムの腹の石らしき物体がボロボロになってきた。
 しかしオレの方も、ここまでの疲れが足にきて、そろそろ限界を感じ始めていた。
(これ以上長引かせると不利だな)
 オレは敵の腕を必死に躱しながら、少しずつ位置を反転させていた。
 すなわち、階段の方向に。
「よしっ!」
 そして、完全にオレが階段側に立った瞬間、オレは一発最大の力で真空波を放ち、ゴーレムをよろめかせると、全速力で階段へ駆けた。
 すぐにゴーレムがオレを追いかけ始めたが、階段に辿り着いたのは、オレの方がわずかばかり早かった。
 オレはゴーレムを置いて、階段を上った。

  4

「もう少しだ。二人ともがんばれよ」
 根拠もなくオレはそう言い、二人を励まして歩き始めた。
 五階はごく普通の……と言っては何か変な気もするが、まあ一般的に“塔”と言われてオレたちが想像するような造りになっていた。
 つまり、壁があって通路がある。通路も、一階のような雑然としたものではなく、床も壁もしっかりとしたものだ。
 ゆっくりと先に進むと、通路の幅いっぱいに大きな穴がぽっかりと空いていた。どうやら初めは落とし穴だったようだ。穴の両端にはそれらしい器具が取り付けられていた。
 向こうまでの間隔は3メートルくらい。オレ一人ならば問題なく跳び越えられるが、後の二人があかりとマルチでは不可能だろう。
「さて、どうしたもんかな……」
 と、オレが呟くと、
「浩之ちゃん、一人ならこれくらい大丈夫?」
 と、あかりが聞いてきた。
「おう。任せとけ。で、それでどうすんだ?」
「うん、あのね……」
 そう言って、あかりは向こう側を指差した。「カンだから何とも言えないんだけど、多分向こう側にこれを元に戻すための装置があると思うの。ほら、落とし穴だから」
 なるほど、一理ある。壁を調べるとレバーが出てくるパターンだな。
「よし、やってみるぜ」
 そう言って、オレは荷物を置いて後退した。それから助走をつけて、思い切り踏み切った。
 余裕と言うほどでもなかったが、大して危なげなくオレは向こう側の床に着地した。
「ああ、怖かった」
 元いた方からそんな二人の安堵のため息が聞こえてきた。
「さてと、それじゃあ、早速……」
 そう言いながら、オレは慎重に壁を調べ始めた。
 赤茶けた石壁はひんやりとして冷たい。
 調べること数分、意外にそれは素人のオレにもあっさりと見つけることが出来た。
 壁の一部に、回転扉と同じ原理でくるりと回転する仕掛けになっている箇所があって、オレはその裏にスイッチらしきものを発見した。
 赤黒いスイッチと、紺色のスイッチが二つ並んでそこにあり、紺の方が押されたままになっていた。どうやら連動しているらしい。
 案の定、オレが赤黒い方のスイッチを押すと、紺色のスイッチが元に戻り、落とし穴の方から石と石の擦れ合う音がした。
 見ると落とし穴が少しずつ元に戻っていって、しばらくすると、それは床と一体化した。
 なるほど、確かに落とし穴である。
「でさあ、浩之ちゃん」
「ん? なんだ?」
 不安げなあかりの声にオレは二人の方を見た。
 そんなオレを見て、マルチが言った。
「その、わたしたち、ここを歩いても大丈夫でしょうか」
「ああ、それなら多分大丈夫だ」
 そう言って、オレは赤黒いスイッチを力一杯押さえて、そこで固定した。これで紺のスイッチは押されないはずである。
「ゆっくりこっちに来い。危なくなったらすぐ逃げられるくらいな」
 オレにそう言われて、あかりとマルチが一人ずつ怖々にこっちに渡ってきた。
 二人の心配は杞憂に終わった。

 それからしばらく歩くと、今度は突然上から落ちてくる巨大な壁に遭遇したが、それはタイミングを見計らって進むことで簡単に回避できるものだった。
 そしてそれから数分後、オレは前方から漂うすえた異臭に足を止めた。
「な、なんだろ、この匂い……」
 あかりが鼻を押さえながら言った。
「さあな。それより、ただの異臭ならいいんだが……」
「?」
 あかりが怪訝そうにオレを見上げた。
「その、毒の可能性があるんです」
 答えたのはマルチだった。「わたしが先に行ってみます」
 そう言うと、マルチはスタスタとその異臭の中に入っていった。
「お、おい。マルチ」
「大丈夫です」
 オレが呼びかけると、マルチが笑顔で振り返った。「わたしは匂いは感じますが、もし毒でも、身体には影響ないですから。歩いていけば、この異臭がどこまで続いているかわかります」
 そう言われては、オレたちに言えることは何もない。どのみちここを抜ける手段も思いつかなかったので、オレたちはマルチを信じることにした。
 マルチはほうきを片手にトコトコと歩いていく。
 やがて、10メートルくらいだろうか、その程度進んだところでマルチは足を止めた。
「藤田さん、神岸さん。ここまで来れば大丈夫です。息を止めて来て下さい」
「おう、わかった」
 マルチの声に、オレは元気に返事した。「行くぞ、あかり」
「うん」
 オレの後に、あかりが続いた。

 オレたちはさらに進んだ。
 しばらく行くと、今度は床から長い鉄製の棘が無数に上に突き出していた。
「な、何だろう、これ……」
 あかりが呟いた。
 確かに、罠にしては大したものではなかった。棘の長さは大体50センチから1メートルくらい。棘の根元のせいで足場こそ悪かったが、慎重に行けばなんとかなりそうだった。
「とくかく行ってみましょう」
 マルチの言葉に従い、オレたちはゆっくりとその棘ゾーンに足を踏み入れた。
 途中、何度か滑って転びそうにはなったが、三人とも無事に通り抜けることが出来た。

 やがて、人が一人通れるかどうかというほどの細い道を抜けると、道が90度右に折れた。
 その道の端には、先程と同じ棘が、今度は壁から道の奥の方を指すように突き出していた。そして道はスコップのように両端が反り上がり、奥の方は上り坂になっていた。
「な、なにか転がってきそうですね。奥から……」
 怖々にマルチ。確かに、奥から岩でも転がってきたら、この棘で串刺しになるのは必至。それでもオレたちには、奥に進むより他しょうがなかったので、注意しながら先へ進んだ。
 そしてしばらく行くと……案の定、奥から音を立てて大きな岩が一つ……。
「ひ、浩之ちゃん……」
「藤田さん……」
 岩は無情にも、勢いを増して転がってくる。
 道の形が形だけに、隅っこの方で伏せてよけることもできない。もっとも、初めからそれが出来ないよう、シュロスが設計しているのだが。
「と、とにかく逃げるぞ」
 言いながら、オレは今来た道を走って下ったが、如何せん、出てきた左に折れる道が細い。このままでは……。
 と、思ったとき、オレはあることを閃いた。
「よしっ。二人は先に走れ」
 そう言って、オレはライフェからもらった剣を抜き、思い切りそれを地面に突き立てた。
 これで、何とか……。
 岩が剣にぶち当たった。
 そして、ミシミシと音を立てて……。
 ボキリと剣が折れた。
「おおうっ!」
 多少、岩の速度が遅くなったとはいえ、とても道へ避ける暇はない。
 前方に棘、後方から岩。
「ひ、浩之ちゃん……」
 青ざめたあかりの顔が、一テンポ遅れて棘に辿り着いたオレを出迎える。
 振り向くと、すぐそこに死を運ぶ岩。
 万事休す!
 その時、オレの視線の片隅に、ほうきを握ってブルブル震えるマルチの姿が目に入った。より正確には、彼女の持っているほうきが……。
「マ、マルチ。そのほうき貸せ!」
 返事も待たずに、オレはマルチの手からほうきを引ったくった。
「あっ」
 その拍子にマルチが地面に倒れたが、構っている暇はない。
 オレはほうきの柄の部分を壁に固定して、先を岩に向けた。
 棘の先とほうきの先には、オレたちの入れるだけの空間がある。
「頼む! 止まってくれ!」
 オレは叫んだ。
 ガン!
 手に激しい衝撃。ほうきに岩がぶつかったのだ。
 ミシリとほうきが鈍い音を立てる。
 だが、それだけだった。岩は止められたのだ。
「や……やったか……?」
「う、うん……」
 オレたちはしばし呆然として、
「や、やったやったぁ!」
 それから三人で抱き合って喜んだ。

  5

 その後、岩をよじ登り、奥の階段からオレたちは六階に上がった。
 六階は正六角形の各辺にそれぞれ部屋があって、床や壁には、いかにも高級そうな装飾がなされていた。
「よ、ようやく辿り着いたね……」
「ああ」
 ここが最上階であることはまず疑いない。
 オレたちは早速、先輩の探していると思われる魔法のアイテムを物色し始めた。

 ほとんどの部屋がよくわからない研究資材が置いてあるだけで、特に大したものはなかった。
 そして、五つ目に入った部屋で、オレたちはシュロスの日記と思われる本を発見した。
 外装は赤茶けた革で出来ていて、すでにボロボロになっていたが、中はまだ良い保存状態を保っていた。
「少し見ていくか……」
 オレはここにシュロスの夢が書いてあるのではないかと思って、内心の興奮を抑えきれずに表紙をめくった。

『ゼノリスの月 三つ
 ラゼスの研究を終える。なんとか間に合った』

『ゼノリスの月 十と六つ
 待ち望んでいた友の来訪。再会の楽しい一時を満喫す』

『ハウセルの月 七つ
 ついにロウツが完成する。これでもはやヤギシアンブの研究も終わりに近い』

『ハウセルの月 十と九つ
 ロウツの完成に伴い、一度旅に出ることにする』

『ナイツァスの月 二つ
 夢の者サライセムを撃退、リンバスを入手。これでコインローテができる』

『カカウェルの月 十と四つ
 森の者に命を授ける。直にラゼス三号を配置』

『イリウスの月 十と一つ
 大海の長との邂逅。ギャラディバンパの知恵を授かる』

「…………」
「…………」
「…………」
 オレたちは、何事もなかったかのように本を閉じ、袋にしまった。
 これは、読むべき人の読むものだ。
「全然、わかんなかったね……」
 ただ一人、あかりだけが今のオレたちの心境を言葉にした。

 最後の部屋が、どうやら宝物庫のようだった。
 ゆっくりと扉を開くと、中から光が溢れ出して、オレたちは思わず目を覆った。
 恐る恐る目を開けて、少し慣れてきた目を凝らして中を見ると、予想外に部屋は綺麗に整頓され、魔力の光を帯びた無数のアイテムが棚に並んでいた。
「すげ〜な、おい」
 金銀財宝が山のようになっているのを想像していたオレには少し意外な光景だったが、よく考えれば、金などシュロスとっては、価値のない愚物に過ぎなかったかも知れない。彼が街の富豪から金品を巻き上げていたという説は、事実ではなかった。
 オレたちはそろそろと中に入った。
 剣やら壺やら本やら石やら、その他水晶、宝石、十字架、砂、瓶、苗木……自称大魔術師グルベンの売り物など比ではないくらい、よくわからないものが陳列してあった。
 そしてその中でも一際美しい光を放つのは、一番奥に置かれている淡い薄紫の水晶で出来た箱だった。光は眩いまでの白色。紅の布の上に丁寧に置かれ、他のものとの扱いの差が、その中に入っているだろう物体の貴重さを物語っている。
「あれだな」
 オレはあかりと一緒にゆっくりとそれに近付いた。
 マルチは、この部屋に入ってからずっと黙り込んで何やら考え込んでいる。
「どうしたんだ? マルチ」
 オレが呼びかけるが、マルチは床を凝視したきり何も答えない。時々入ってきた扉の方を窺ったりもしている。
「?」
 オレたちは怪訝に思ったが、とりあえずお宝を取ってからにしようとその箱の方に歩いていった。
 そして箱に手をかけたその時、不意に背後でマルチの声がした。
「やっぱりそうだ!」
 その声は恐怖と驚愕に満ち溢れていた。
 オレたちが不思議がって振り返ると、マルチが青ざめた顔をしてオレたちの方に走ってきた。
「いけません、藤田さん! その箱を開けては!!」
 しかしすでにオレは箱の蓋を開けていた。
 中から一際強い光が洩れる。
「ダ、ダメ!!」
 マルチが目から涙を零しながらオレの方に駆けてくる。
 そしてその時、突然オレは宙に投げ出されたような衝撃を受けた。
「なっ!?」
 一瞬で下を見ると、箱の手前の、つまりオレとあかりのいる床がなくなっていた。
 罠!
(しまった!!)
 オレはその一瞬の間に、最後の最後で油断したのを悔やんだ。
「藤田さん!」
 床がなくなったのとほとんど間を置かず、オレは身体に衝撃を受けて吹っ飛んだ。
 マルチが、オレとあかりに体当たりしたのだ。
 オレたちは箱とともに後ろの床に転がった。そして視界からマルチが消え、オレたちは慌てて穴に駆け寄り……。
「うわあぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 マルチの絶叫が塔中に響き渡ったのは、ほぼ同時のことだった。
「マルチ!!」
 五階の床を見下ろして、オレとあかりは視界に広がった凄惨な光景に思わず目を覆った。
 仰向けに倒れているマルチの腹を、巨大な棘が深々と貫いていたのだ。
「マ……マルチィィイイイィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
 オレは血を吐くほど絶叫した。
 そうだったのだ。五階のあの上向きの棘は、六階の罠だったのだ。
「く、くそっ!」
 オレは箱を引ったくるようにして取ると、あかりを置いて階段に駆けた。
「あっ、浩之ちゃん」
 あかりが涙も拭わずに、慌ててオレに続く。
 オレは階段を降り、五階の坂を下り、岩をよじ登り、ようやくのことマルチの許に辿り着いた。
「マルチ!」
 すでに床には血が水たまりのように広がっていて、真っ赤に染まっていた。
 慌ててマルチの身体を棘から抜くと、マルチの喉から苦しそうな声が洩れた。
「マルチ……」
 オレは自分の失態を呪った。「すまんマルチ。すまん……。オレが……オレが最後の最後で油断したばっかりに……」
 オレは泣いた。もう恥も外聞もなく、オレは涙を流した。
 そんなオレの頬を、マルチの震える手が触れた。
「そんな顔……しないでください……」
 今にも消え入りそうな、小さな小さなマルチの声。オレは涙を拭ってマルチを見た。
 マルチは小さく微笑んで、
「藤田さんが無事でよかった……」
 そう呟いた。「わたしは大丈夫です。わたしは修理すれば、また元通りに戻りますから……」
「マルチ……」
「マルチちゃん……」
 マルチは情けない顔をしているオレとあかりを交互に見上げて、弱々しく、それでも笑みを零して見せた。
「人間のお二人が無事で良かった……。わたし、ロボットで良かった……」
 そう言うと、マルチはがくりとオレに身体を預け、それっきり何も言わなかった。
「マルチ!!」
 オレはマルチの手を取った。
 少しずつ冷たくなっていく。
「く、くそぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 オレは、自分の不甲斐なさを呪って叫んだ。
 あかりが泣きながら心配そうにオレとマルチを見ていたが、オレは構わず叫び続けた。