『 To Heart Fantasy 』 第4巻

 第7話 不毛の地へ

  1

 緑の野には、あちらこちらにちらほらと、春の花が咲いている。
 風も、セイラスを出たときと比べて、なんと穏やかになったことか。
 この世界、少なくともフルースベルクと呼ばれるこの地方では、日本と同じように四季を感じることができる。
 それだけで落ち着くものだ。

 遠方に、ヴェルクの街門が見えてきた。
 魔法の国ヴェルク。歴史的にはまだそんなに古くない街で、ハイスという若い国王が治めている。
 その街に今、先輩がいる。オレはこれから彼女に会って……聞きたいことは山のようにある。とにかくまずは、あそこに行かなくては。
 オレの隣を、あかりのヤツがとぼとぼと歩いている。
 子供の頃から見慣れたその顔は、疲れと悲しみに翳っている。
 そういえばあかりのヤツ、ここに来てからあまり笑わなくなった。
 まあ、それも仕方ないかも知れない。あかりにとってここでの日々は、不安と緊張の連続で、一日として心休まる時はなかっただろう。
 もちろん、オレだってあかりと何も違いはしない。
 ただ、違うところがあるとしたら……もっとも、それがその差を生じさせているのだが、オレにはあかりがいることだろう。
 それはあかりが好きだからとか、可愛いからとか、励ましてくれるからとか、笑ってくれるからとか、そんなことでは断じてなくて、あんまりあかりのヤツが頼りないから、オレまであかりのようになってしまったら、本当にあかりがダメになってしまうような気がしたからだ。
「大丈夫か? あかり」
 オレは歩きながら、出来るだけ優しくあかりにそう聞いた。
 あかりは疲れ切った顔を上げ、それでもにっこりと笑って見せた。
「うん、大丈夫。浩之ちゃんがいるから」
 ……こいつは、時々こういう恥ずかしい台詞をさらりと言ってよこす。
「そうか。ヴェルクまで後ちょっとだ。頑張れよ」
 オレは、あかりのヤツが本当に疲れているのを知っていたので、いつもみたいにその恥ずかしい発言を茶化す代わりに、そう言って励ましてやった。
 あかりもオレも、肉体的にというより、むしろ精神的に本当に疲れていた。
 原因は、言うまでもない。オレが今背負っているマルチが気懸かりでしょうがないからだ。
 マルチは、シュロスの夢見塔でオレたちをかばって重傷を負い(故障して?)、それっきりピクリとも動かない。
 もっとも、大量に流れていた血液は、あくまで備え付けられている機能の一つであり、それ自体は心配することではないし、記憶装置も恐らく人間と同じく頭部に付けられていると思うので、記憶が消えてしまったという心配もないだろう。
 もちろん、それはあくまでオレの希望的観測に過ぎず、車が二台も三台も買えるような値段のする緻密なロボットが、果たして本当に大丈夫であるかどうかなどオレにはわからない。だから不安が拭えないのだ。
 ただ、あの時棘に刺さったのがマルチではなくオレたちだったら、間違いなく死んでいた。そう考えると、日頃は人間とロボットを区別する必要性をあまり感じないオレだが、マルチがロボットであったことを喜ばずにはいられない。
(本当にサンキュな、マルチ)
 オレは改めてマルチに感謝した。

 門がどんどん大きくなってきて、オレはそこで見知った顔と出会った。
 一瞬、先輩かと思ったその人は、先輩の妹の綾香だった。
「お前も来てたのか……」
 異種格闘技戦エクストリーム全国チャンピオン来栖川綾香。先輩の妹にして葵ちゃんの尊敬する人であり、オレは二人を通じて彼女と知り合った。
 もっとも、互いに名前を呼び捨てにしたりしているが、それはオレたちの性格によるものであって、関係としては本当にただの知り合いというだけである。
 だが、相手は日本有数のお嬢様。知り合いと言うだけでも鼻が高い。
「そう。まあ、来てたって言っても私の意志じゃないけどね。それより……」
 そう言って、綾香はオレの後ろを覗き込んだ。「その子……マルチだっけ? 一体どうしたの?」
「ああ。ちょっとな」
 オレはそう、安堵したような疲れた笑みを見せて、話をはぐらかした。「とりあえず落ち着かせてくれ。互いに話すことはいっぱいあるんじゃないか?」
「それもそうね。じゃあ城に案内するわ」
 それからオレたちは、綾香の背について城までやってきた。
 ここまで来る間に聞いた話だと、綾香は委員長の意見であの場でオレたちのことを待っていたんだそうだ。
 実に委員長らしい賢明な判断である。
 確かにオレたちだけでは、城はおろか、街にさえ入れなかったかもしれない。
 それにしても、委員長がこの街に来ているというのには驚きだ。ハイデルで何かあったのだろうか?
 あっ。それより、ハイデルといえば、例の戦争はどうなったんだろう。
「なあ、綾香。お前、ティーアハイム奪回戦の話は何か知ってるか?」
 城門をくぐりながらオレがそう尋ねると、綾香はオレの方を振り返って、
「あら? 話は後だって言ったの、あなたじゃなくって?」
 と、優雅に笑った。
 ぐっ。これは一本とられた。
 しかし、今の仕種といい、格闘家とはいえさすがは来栖川グループのお嬢様。一挙一動に気品が感じられる。
「ああ、そうだった。とりあえず、お前の姉さんに会わないとな」
 オレがそう言うと、綾香は、
「そうね」
 と、再び前を向いて歩き出した。
 ただその横顔が、何とも不安げに曇っていたので、オレは何か嫌な予感がした。けれど、とりあえず話は後。
 オレたちはそうして綾香の案内されるままに、城のとある一室に入った。

  2

 広さはそこそこ、白を基調としたその部屋には、片隅に大きめのベッドが一台置いてあり、その上に黒髪の女性が横たわっていた。
 他でもない、先輩である。
 先輩の傍らにはハイデルにいるはずの委員長が椅子に腰掛け、本を読んでいる。
「連れてきたわよ、姉さん」
 オレたちが部屋に入ると、二人はゆっくりとこっちを見て、委員長がオレたちを手招きした。
「あのよぉ、色々と聞きたいんだけど、とりあえずまずこいつを見てやってくれないか?」
 ベッドの方に歩み寄り、委員長の前でマルチを床に下ろしてオレ。
「どうしたん?」
 すぐにそれを委員長が見てくれる。
「ああ。塔で色々あってな。それより、大丈夫そうか?」
「さあ……」
「さあって」
「そんなもん、うちにもわかるわけないやろ?」
 ちらりと委員長がオレを見る。「うちかて専門家やない。ただの高校生や。せやけど、まあ、たぶん大丈夫やろ」
 気休めだとは思うが、「大丈夫」と言われて、オレは少しだけほっとした。
 委員長はマルチを抱き上げると、部屋の片隅に丁寧に寝かせ、再び戻ってきた。
「で、目的の方はどうなったん?」
「あっ、ああ。もちろん取ってきたぜ」
 オレは塔で入手した薄紫の水晶の箱を袋から取り出すと、それを委員長に手渡した。「マルチをあんなふうにしておいて、『取って来れませんでした』なんて言ったらそれこそ恥だ」
「まあ、そう言わんと……ああ、これやこれや」
 委員長はオレから箱を受け取り、それを先輩に渡して、真っ直ぐオレを見る。「マルチかて、ただでああなったわけじゃないんやろ? マルチはこんな箱に興味なんかあらへん。箱よりも藤田君や神岸はんの方が大事。それはうちや先輩かて、同じことや。先輩、藤田君らを行かせたこと、ずっと後悔しとったで」
「そうか……」
 オレは呟きながら先輩を見た。
 先輩は半身だけを起こして、委員長から受け取った箱をしげしげと眺めている。
「なあ。ところで先輩、どうしたんだ?」
 オレの言葉に、先輩はいつものぼんやりした瞳でオレを見た。
 けれども先輩が何かを言うわけがない。先輩の代わりに委員長が言った。
「先輩、ここに来てからの無理が祟って、ちょい調子悪くしてな」
「ほう。それで、委員長は?」
「で、うちはその見舞いや。どや、辻褄があっとるやろ?」
 そう言って委員長は笑った。
「な、何だそれ? 自分から『それは本当は嘘なんです』って言ってるようなもんだぞ?」
 オレが言うと、後ろであかりがくすくすと笑った。
 まあいいか。別に先輩も元気そうだし。
「ああ、そうそう」
 オレは不意に思い出して、袋の中に手を入れた。
「ん? なんや?」
「これなんだけどさぁ」
 オレが取り出したのは、一冊の本。あの時塔で見つけたシュロスの日記と思われるあれである。
 委員長はオレからそれを受け取り、ぴらぴらとページをめくりながら、少しずつその表情を真摯なものに変えていった。
「これは藤田君、えらいものを手に入れたで」
 土中から突然はにわが出てきたときの考古学者のような声……変な喩えだ。
「そ、そんなに凄いものなのか? それ……」
「凄いなんてもんやない。これはこの先、この世界を大きく変える可能性のある大発見や」
「へぇ……」
 感心したようにあかりが呟く。
 委員長から本を渡された先輩も、それを横から覗き込んでいる綾香も、真剣そのもの。もっとも綾香の方は、真剣に「よくわからない」といった顔をしているのだが。
「とりあえずこれは、後でここの魔法研究所に置きに行くけど……まあ、正直うちらにはあんまり関係ないな」
「どうしてだ?」
 オレが聞くと、委員長は心底驚いた顔をした。
「どうしてって。藤田君、もしかしてずっとこの世界におるつもりなん?」
「あっ、そうかそうか」
 確かに、言われてみればそうである。
 もちろん、いるつもりなどない。
「じゃあ、オレたちには関係ないついでにもう一つ聞きたいんだけど、戦争はどうなったんだ? ティーアハイム奪回戦」
「ああ、それならもちろん勝利に終わったわ。もっとも、かなり苦戦したのは否めないけどね」
「そうか……」
 オレはファメルさんの兄さんがどうなったのか非常に気になったが、聞かずにおいた。聞いてもどうせ知らないだろうし、心のどこかでそれを知るのを恐れていた。
 実際、ファメルさんの家に行けば彼の安否はわかるのだが、オレにはそれをする勇気がなかった。
 一言で言うと後ろめたくて。オレはファメルさんに戦争を起きなくするようなことをほのめかす発言をしておきながら、結局何もできなかった。彼女はさぞ悲しんだに違いない。
「戦争……葵ちゃんは無事か?」
 オレは話題を変えるように尋ねた。
「ああ、もちろん無事や。戦争でも大活躍。今はビンゼに戻って働いてるそうや」
「そうか。葵ちゃんも忙しいんだな」
 オレはつくづくそう思った。実はひそかに先輩と同じくらい働いてるんじゃないかと思ったりもするのだが。
「何言うてん、他人事みたいに。これから藤田君、自分が何をするかわかっとん?」
 呆れたように委員長がそう言って、オレは顔を上げた。
「何って……何?」
「はぁ……」
 委員長は大袈裟にため息をついた。「もちろん、これからフラギールに行って“それ”と対決、その後封印、もしくは撃破よ」
「ええっ!?」
 同時に二つの驚きの声。オレとあかりだ。
「だって“それ”って、魔物の王様でしょ? 危険だよ。ひ、浩之ちゃんには無理だよ」
 オレの身を案じてあかりが言う。これがまた正直な話、結構嬉しかったりする。
「いや、そんなことあらへん」
 何を根拠にそう言うか、委員長が胸を張る。
「なあ……」
「ん? どうしたん。急に暗い顔して」
 オレのしんみりとした声に、四人が一斉にオレを見た。
 オレは視線を床に落として、弱気になって言った。
「さっきこの世界のことで、オレたちに関係あるないの話したけど……その、なんだ。もう、帰らないか?」
「えっ?」
 オレの発言があまりにも突然かつ意外だったのだろう。心底驚いた顔をする四人。
 オレは視線を落としたまま続けた。
「オレには“それ”と戦う自信はない。これはゲームじゃない。本当に命がかかってる以上、不格好でもみっともなくても、素直に退いた方がいいときもあると思うんだ。物語みたいに、『あなたは戦う運命です』『はいわかりました』なんてふうにいくほど、オレは正義感も強くない。みんなの素直な意見を、ここではっきりと聞かせて欲しい」
 し〜ん、と、10秒ほどの間があって、
「私はここに来たばっかりだからよくわからないけど、とりあえず姉さんの意向に従うわ」
 と、綾香が沈黙を破った。「私は姉さんの手伝いがしたい。もし私がここに来たことに何らかの意味があったとしたら、それはきっとそういうことだと思うの」
 珍しく慎重に言葉を選びながら綾香が言った。それだけ、オレの発言を重く受け止めてくれているのだろう。
 オレはあかりの方を見た。
「私は……」
 あかりが口を開く。「私は浩之ちゃんの意見に賛成だよ。別に浩之ちゃんの意見だからとか、そんなんじゃなくて、少なくとも私みたいに何にも出来ないような女の子は、いても邪魔になるだけだと思うから」
 そんなことはない。
 と、声には出さなかったけど、オレは心の中でそう言った。
 いるだけでも十分なヤツもいるんだということをあかりに伝えたかったが、今はそんなこっぱずかしいことを言っている時ではない気がした。
「委員長は?」
「うちははっきり言って、藤田君の意見に賛成や。もちろん、藤田君の立場ならな」
「そうなのか?」
 意外性を隠せずに、オレは委員長に驚いた顔を向けた。
 けれども今の委員長の発言にはもっと深い意味があったようで、委員長はオレが最後まで言い終えない内に話を続けた。
「あくまで藤田君の立場でならの話や。うちは文官、所詮戦争に負けたって命がどうこうなんてあらへん。だったらせめて、頭使ってこの世界のために働いたって悪くはないやろ?」
「確かに……」
 最後にオレは先輩を見る。「先輩は?」
 先輩は少し悲しそうな顔をしていた。そして寂しげに目を伏せる。
「そうか……」
 その仕種だけで、先輩の思いを十分理解することができた。
 自分のせいで“それ”が蘇ってしまった。そして今まで一年以上の間、再び“それ”を封印するために頑張ってきて、そしてこの世界でオレと出会った。
 少なからず……いや、今ならはっきりと、自分の強力なパートナーとしてこの上なく、と言えるが、オレのことを信頼して、オレと一緒に“それ”と戦おうとしていた。
 その先輩は身体を壊してこうしてベッドに横たわっている。今オレが「帰ろう」などと言えば、先輩が悲しむのは当然だった。
「なあ、藤田君」
 委員長が妙に優しげにオレを見る。「この世界のためなんて言ってくれへんでいい。うちかて、そんな言葉好きやない。だから、結果的にそうなろうと、とりあえず先輩のため、それでもいい。別に自分の行動にいちいち理由を付けへんでも、それはそれでいい。ただ、うちは藤田君に残って欲しい。うちや先輩に協力して欲しい」
 ふと、オレは思い出した。いつかアイネのおばさんに言われた言葉。もう数ヶ月も前、オレがこの世界に来て初めて出会った人に……。
『さあ、行ってこい。その目で世界を見てこい。そして自ら運命を見つけだし、やり遂げよ。命を粗末にしてはいけない。しかし、時には命を投げ打ってでも為すべきこともあるだろう。それを見極めよ。逃げることを躊躇ってはいけない。逃げることもまた一つの勇気だということを忘れるな。そして、自分の本当に大切なものを忘れるな。それは何もこの世界でなくてもいい。
 大切なものはその娘だっていいんだよ。他人のために自分が犠牲になることはない。たとえ多くの人に恨まれようとな』
 オレの本当に大切なもの。
 自分の命か?
 それはたぶん違う。オレは仲間に囲まれて生きて、それがわかった。
 仲間もおらず肉親もなく、楽しみも苦しみも、喜びも悲しみも、日々の生活に刺激も変化もない人生。そんな人生を歩むための命など、大切なものでも何でもない。
 後ろから、ぐいっと服を引っ張られた。
 見るとあかりが、今まで見た中で一番不安げな顔をしていた。
「大丈夫だ」
 今度は言葉に出してオレは言った。
「わかった。オレは戦う」
 仲間を失いたくない。
 あかり、先輩、委員長、マルチ、綾香、志保、それに葵ちゃん。
 自分にとって彼女たちが本当に大切なものかどうか、正直な話わからない。
 けど、失ってしまってから気付きたくはない。
 そう思えるもの。案外、それが大切なものかもしれない。
「……ありがとう」
 そう言ったのは、先輩だった。
 オレたちは五人、大きく一度頷き合った。
 そうして、友情を確かめた。

  3

 夜の帳に包まれて、ヴェルクの街は静まり返っている。
 ましてやここは城の中なので、むやみに騒ぎ立てるバカなどいない。
 時々部屋の外から、見回り兵の足音がカツリカツリとする以外、音という音がない。
 部屋の中は、燭台の蝋燭の薄明かりに照らされて、淡いオレンジ色に染まっている。
 夕食前にいた部屋と同じ部屋。けれど、今はオレを含めて三人しかいない。
 もう二人は委員長と先輩。あかりと綾香はすでに与えられた部屋に戻って休んでいる。
 オレは出立の話等でここに呼ばれたのだ。
 二人の話では、出立は明後日の朝早く。ハイス王がオレたちのために小型の船を貸してくれるらしい。
 行くメンツはオレとあかりと委員長と綾香の四人。もちろん、船頭などは除く。
 先輩は体調が思わしくないらしく、残念ながらここに残るとのこと。
 航路は、当初ヴェルクの港から元デックヴォルト領のグリューンの港に入る予定だったが、戦争が終結したばかりでグリューンの街がごたごたしていることと、時間があまりなく、グリューンからフラギールまでの時間が惜しいことの二つの理由から、直接船をフラギール付近の海岸につけるそうだ。
 話し終えた後、オレは少し気になることがあったので聞いてみた。
「それだけの話なら、別にオレだけ呼ばなくても、みんなの前ですればよかったんじゃないのか?」
 オレがそう言うと、委員長はこの話はまた明日改めて話すると言った。その後、不意に態度を改め、
「実はな、ここに藤田君だけ呼んだのはもっと別の用事があるんや」
 と、少し声を低くして言った。
「別の用事?」
「これや」
 そう言って委員長がオレに見せたものは、他でもない、オレたちが塔から取ってきたあの薄紫の箱だった。
 そういえば、すっかり忘れていた。
「その箱、一体どんなものなんだ?」
 取りに行くこと自体に相当な危険を冒した箱。それなりの価値がなければ、納得いかない。
「これは……」
「これは?」
「箱や」
「…………」
 オレは思いっ切り非難の眼差しで委員長を見た。
「そ、そんな目、せんといてや。ゲームと違うんやから、いちいち固有名詞なんてあらへんて」
「まあ、それはそうだけど」
 なんか納得いかないぞ。
「こほん。今度は真面目にいくけど、これは命を封じ込める箱や」
「はっ?」
 またまた突拍子もないことを言われて呆然とするオレ。「命を封じ込めるって、つまりその箱に“それ”を封印するわけか?」
 確かにそれなら重要な箱だろう。
 けれど、委員長は首を横に振った。
「そうやない。これに封印するのは藤田君や」
「……はっ?」
 どんどん意味不明になっていく。「オレを封印するのか?」
「そや。正確に言うと、藤田君の“命”をな」
「ん〜と、もう少しわかりやすく言ってくれるとありがたいんだが」
「つまり、命と肉体を分離するっていうんが一番わかりやすいかな? ここに命を封じておくことによって、この箱が壊されない限り藤田君は不死身になるってこと」
「えっと、じゃあ、ここに命を置いていくわけだから、逆に言うと、ある日突然箱の方を壊されて、旅の途中で何もなくばったりってこともありえるわけだな?」
「そや」
 あっさり頷く委員長。「けど、万が一にもそれはない。この箱はここで先輩がずっと見とってくれるから安心や。それにこの箱は、本来そう簡単に壊れるものでないし、それなりの儀式をしないと開かないようにもなっとる」
「まあ、大体話はわかったけど、またどうしてそれをオレに? 綾香もついてくることだし、オレなんかよりずっと役に立ちそうじゃないか? もしオレが弱いからっていうなら、あかりに使ってやるのが手だと思うし」
「いや、今うちらの中では間違いなく藤田君が一番強い」
「どうしてだ?」
「あの剣や」
 あの剣……つまりオレがおばさんからもらった剣である。「あの剣と短期間やったけどライフェから教わった剣技の基本があれば、とりあえず綾香はんでも素手じゃあ藤田君には勝てへん。もちろん、ここに来てから剣を学んだ松原はんや、それこそライフェあたりがあれを使えば、もっと威力を発揮すると思うけど」
「じゃあ……」
「でも、みんなそれぞれ自分の果たす役割っていうのがあるからな。あの剣を振るのは藤田君しかおらん」
 オレの言いたいことを察してか、先に委員長がそう言ってきた。
「わかったよ」
 もっとも、オレだってすでに戦う決意はついている。今更後悔したりはしない。ただ……。
「これだって別に、みんなの前で話してもいいと思うが……」
 オレがそう言うと、委員長は首を振って笑った。
「これを使ったからって、無敵になるわけやない。命があっても気は失うし、足がなくなれば歩かれへん。この箱はいざとなったときに敵を欺いて、こっちに大逆転をもたらす可能性のある奇跡の箱や」
「つまり?」
「つまり、敵を欺くには何とかってやつや」
 と、いうことだそうだ。

 翌日、オレは竹輪の家の先輩の部屋で、密かにその儀式を受けた。
 命をなくしたオレは、何か血が止まったような、体温がなくなったような、そんな奇妙な感覚に捕らわれた。
 もちろん、実際はそんなことはないのだが。
 その日の内に、委員長や、王を初め城の者たちがオレたちの出航と旅の準備をしてくれた。
 オレたちは魔法研究所から魔法の強化服などをもらい、装備を固めた。
 マルチの指輪は、気休めにと委員長がはめている。例の魔法を逸らすとかいういかがわしい指輪だ。
「何かの魔力は感じるのですが……」
 その指輪を見て、先輩はそう言って首を傾げた。
 実に怪しい。
 とにかくそうして、出航の前日は慌ただしく過ぎていった。

 そして翌朝早く、船は誰にも知られず、密かに港を出た。