『 To Heart Fantasy 』 第4巻

 第8話 荒廃した街で

  1

 春真っ盛り。日本でいうと四月中旬くらいにあたるその日、オレたち四人はデックヴォルトの首都フラギールの街門に辿り着いた。
 もっともデックヴォルトの首都といっても、今となっては昔のことで、デックヴォルト国はオレたちがシュロスの夢見塔に行っている間に、ハイデルとヴェルク、そしてビンゼの三国の連合軍によって滅ぼされている。
 よってフラギールの街は、今は名目上ハイデルの支配下ということになっているらしいが、実のところはハイデルもヴェルクも、ティーアハイムの混乱を静めるのに手一杯で、グリューンやフラギールにまで手が回せないのが現状だった。
 そういう事情もあってか、街門にはおるべくはずの門兵がおらず、門は開けられたままで自由に人が行き来できるようになっていた。
「ねえ、いくらなんでもちょっとおかしくない?」
 門の前でふと足を止めて綾香。委員長がそれに頷く。
「確かに。いくらデックヴォルトが滅んだ言うても、ここにもそれなりの将軍がおるはずや」
「えっと……どうしたの?」
 開いている街門と委員長の顔を交互に見ながら、ややためらいがちにあかりが聞くと、委員長は街門を見たまま呟いた。
「たぶん、あれのせいやな」
「あれ?」
 委員長は街壁の、陰になっている部分を指差した。
「よく見てみぃ。少しだけ、光っとるやろ?」
 目を凝らして見てみると、確かに街壁の周りがわずかに光っていた。
「あ、ああ……」
「あれは魔法の障壁や。今日は晴れとるからよう見えんけど、街全体が魔法で守られとる」
「ということは、オレたちも入れないのか?」
「いや、そうやない」
 委員長はあっさりと首を横に振った。「あれは人間以外の生物に対する障壁や。ようは、この街には対人間用の備えはいらんのや。こんな辺鄙なとこ、好き好んで攻めに来る奴おらへんし。人間は来ない、その他の外敵も障壁によって心配なし、さらに戦争で国が滅んだとあれば、そりゃ門兵も立たんわなぁ」
「そっか……」
 あかりの奴が関心して門を見上げた。
「で、どうすんだ?」
 とりあえずあかりと委員長が話を完結させてしまったので、俺は話を進めるためにそう尋ねた。「話を聞いていると、“それ”は街の中にはいないんだろ? これから街に入るのか? それとも入らずに“それ”を探すのか?」
「もちろん街に入る」
 即答して委員長が俺を見る。「実はここに来る前にハイス王から頼み事をされててな」
「頼み事?」
「そや。要はこの街の様子見と、もし出来るようなら混乱も静める。さらに誰か今の統治者らしき人と会ったら、これを渡して欲しいって言われとるんや」
 そう言って、委員長は袋の中から書簡を取り出してオレに見せた。「けどまあ、こっちはうちが勝手にやっとくから、その間藤田君たちは街を見て回ってて構わないわよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
 そうして、オレたちは四人、誰もいない街門をくぐった。

  2

 委員長と綾香と別れてから、すでに一時間くらい経っていた。
 その間、オレとあかりは街の中をぶらぶらと歩いていたが、街は想像以上に悲惨な有様だった。
 人々は餓え、渇き、ボロボロの衣服をまとって、もう何日も風呂に入っていないのであろう体臭をぷんぷんと漂わせたまま、虚ろな瞳で道端に座って地面を見つめている。
 家という家には活気がなく、店はそのほとんどが閉まり、静まり返った街は、それ自体がまるでただ死を待つ病人のようだった。
「……浩之ちゃん、あの子……」
 悲しげなあかりの声に、見ると小さな子供が一人、家の陰に倒れていた。
 肉は削げ落ち、痩せ衰えた体には骨格が浮き出している。
「……死んでるな……」
「……うん」
 オレたちはしばらく黙祷を捧げると再び歩き出した。

 さらに三十分くらい歩いていると、城の方からカンカンという鐘の音が聞こえてきた。
「なんだろう、浩之ちゃん」
 あかりが音のする方を振り返って聞いてきた。
 もちろん、オレが知るわけがない。
「さあ……」
 ただその音を聞いて、人々は立ち上がり、或いは家の中から出てきて、皆が揃って城の方へ歩いていく。
 みんな手に、鍋やら器やらを持っている。
「オレたちも行ってみるか?」
 人々の背中を眺めながらオレが尋ねると、あかりは元気に頷いた。
「うん」
 オレたちは人々に交ざって城の方へ歩き出した。

 城の前にはかなりの広さの広場があって、その城に近い方の入り口にテントが張ってあった。
 テントの下にはテーブルが一脚置いてあり、その上には湯気を立てている大きな鍋と、無数のパンが袋に入って置かれていた。
 人々は列を作って並び、城の兵士と思われる者が数人で、彼らにその食糧を分け与えていた。
「食糧配給か……」
 端からその様子を眺めながらオレがそう呟くと、あかりが、
「何だか、複雑な気分だね……」
 と、寂しそうに俯いた。
「何がだ?」
 半ばわかっていながら、オレは尋ねる。
 あかりは並んでいる痩せ衰えた人々に目を遣って、
「あの人たちと、この国のこと……」
 と、少しだけ眉を歪めた。「私、この国の人たちが豊かな土地を欲しがるの、わかる気がする。だって、ハイデルもヴェルクも、とっても豊かで住み易いところだったから。貧しくて、それで、最後には滅んでしまった……。120年前、勇者ハルデスクは、何もこんなことを望んで国を興したわけじゃないはずなのに……」
 オレはそれを黙って聞いていた。
 あかりの言うことはもっともだった。
 けれど、やはりそれは間違っていると、オレは思った。
 貧乏だからといって、他人からものを盗んでいいはずがない。
 ハルデスクX世はあの時、戦争ではなく、もっと他の手段を講じるべきだったのだ。
 オレはそれをあかりに言わなかった。
 言ったところであかりが悲しむだけだし、それにあかりもそれをわかっていて、けれどもどうしてもやるせなくて、それで言っている気がしたから。
「浩之ちゃん、この街、これからどうなるのかなぁ……」
 あかりがオレを見上げた。悲しそうな瞳だった。
 人は去り、或いは死んで、街は廃れ、廃墟となったこの場所は、やがては土に還る。
 オレは城と広場の人々を眺めながら、無意識の内に、まだ生きているデックヴォルトの街を目に焼きつけようとしている自分に気が付いた。

 少しずつ人の数が減ってきて、やがてそこには誰もいなくなった。
 食糧を配給していた人たちも、テントを片付けて城の方へ戻っていった。
 オレたちはしばらく、そんな誰もいなくなった広場を、何も言わずに眺めていた。
 つい先程まで、そこにこの街のほとんどすべての人が集まっていたとは思えない静けさ。
 街が死んでしまったようだった。
 隣であかりが一筋の涙を零した。
 ふと、オレの前に、一人の女の子がやってきた。赤い髪の、まだ12、3歳の女の子だ。
 手に小さな鍋を持っていたが、汚れた跡がない。
「あの……」
 女の子はオレたちの前に立ち、ためらいがちにオレたちの顔を交互に見上げた。
「どうしたの?」
 優しくあかりが問う。
「あの、何か食べるもの、ありませんか……? 配給時間に間に合わなくて……」
 消え入りそうな声で女の子が言った。
 オレたちは顔を見合わせた。
 女の子はおどおどしながら、不安げにオレたちを見つめていた。
 それはそうだろう。
 この街では、一人一人が自分が生きるのに精一杯だ。食べ物だって、自分の分の確保でさえままならない。
 女の子もきっと、オレたちが旅の者だと承知で頼んでいるのだ。
「はい、これ」
 あかりが袋から小さなパンを一つ差し出すと、女の子は嬉しそうにそれを受け取って、礼さえ言わずに食べ始めた。
「よっぽどお腹が空いてたんだね」
 あかりが笑顔でそう言うと、女の子は恥ずかしそうに頬を赤らめ、気が付いたように頭を下げた。
「あ、ごめんなさい……わたし、礼も言わないで……。えっと、その……ありがとう……お姉ちゃん」
「ううん、いいよ、そんなこと。それより大変だね、食べ物なくて……」
「はい……」
 それからオレたちは広場の一角に設けられた石のベンチに腰掛けて、しばらく女の子と話をしていた。
 女の子は名前をネリーセといい、弟と二人で暮らしているそうだ。
「両親は?」
 あかりが問うと、ネリーセは、
「両親は先の戦争に参加しました」
 と、悲しげに視線を落とした。「だから多分もう……」
「そ、そうなんだ……。ごめん……」
「えっ、いえ。いいんです」
 ネリーセはあかりに気を遣わせないよう、元気に顔を上げた。
 その後オレは、ネリーセにどうして一年前ティーアハイムへ行かなかったのか聞いてみた。
 するとネリーセは、フラギールからティーアハイムに移った人たちは、この街でもそれなりに財力のある者ばかりだと教えてくれた。
 誰もがティーアハイムに行きたがったのだが、ネリーセたち貧乏人にはそれすらも叶わなかったのだ。
「可哀想……」
 話を聞いてあかりが呟いた。
 オレは生半可な同情はかえってネリーセを傷付けやしないかと心配したが、それは杞憂に終わった。
「いえ。でも、最近はわたしたちにも少し希望が見えてきたんです」
 ネリーセが希望に瞳を輝かせた。
 それは少なくともオレにとっては、フラギールで一番輝いた瞳だった。
「希望?」
 あかりが尋ねる。
 ネリーセは笑顔で答えた。
「はい。どこから来たのかとかはよく知らないんだけれど、わたしたちに食べ物を与えてくれる女の人が、この街に来てくれたんです」
「食べ物を与えてくれる?」
「そうです」
「一体どんな人なんだ?」
 オレが聞くと、ネリーセはあかりの方を見て、
「丁度アカリさんと同じか、もう少し若いくらいの人なんですが……」
 と、思い出しながら言った。「薄紫の髪で、おかしな格好をしてるんです。名前は確か……ヒメカワ・コトネとか……」
「えっ!?」
 あかりとオレの声が重なった。
「琴音ちゃん?」
「はい。わたしたちはコトネ姉って呼んでるんですけど……。知ってるんですか?」
「あ、ああ……」
 オレたちはあまりにも意外な人の名に、呆けたように返事をした。
 ネリーセはそんなオレたちを不思議そうに見上げていた。

  3

 オレたちは今、城廊を駆けていた。
 時々城の兵士たちが、オレたちの方を奇妙な顔つきで眺めていたが、誰も声をかけようとはしなかった。
 どんどん後方へ走っていく幾本もの柱の間から、空が見えた。
 地平線に近いところは赤く、高いところはすでに薄暗い。
 オレたちは角で曲がると、大きな扉の前で足を止めた。
「お前たちは何者か?」
 扉の兵士がオレたちに尋ねた。
「今ここに、ヴェルクからの使者がいるはずだ。少し用がある」
「確かに来ているが今はダメだ。フレイス様との話が済んでからにしろ」
 フレイスというのは、今この街を統治しているデックヴォルトの将軍の名である。オレはその名を街で知った。
「急用だ。フレイス将軍がいようがいまいが、聞かれてまずい話じゃない。何だったら武器はお前に預けておく。通してくれ」
 兵士はオレの顔をしばらく神妙な顔つきで覗き込むと、やがて「まあいいだろう」と深く頷いて、扉を押し開けた。

 いわゆる謁見の間というやつである。
 扉から続く赤色の絨毯の先の、一段高いところに大きな椅子がある。
 しかしそこには今は誰もおらず、その横に紫を基調とした鎧を着けた将軍とともに、二人の下っ端兵士が立っていた。そしてその前にオレの二人のツレがいる。
「フレイス将軍、使者殿。この者たちが話があると」
 五人の視線が突然入ってきたオレたちに注がれる。
「委員長、すまない。やばい事実が判明した」
 構わず、オレは大きな声で言う。
「やばい事実?」
 そう聞き返してきたのは、意外にもフレイス将軍。
「そうだ……」
 オレたちは呼吸を落ち着け、ゆっくりと委員長の横に並んだ。「この城に、オレたちの仲間の一人が……琴音ちゃんが捕まっている」
「なんだと!?」

 それは街で聞いた話だった。
 ネリーセの話から、彼女の言う「コトネ姉」が、琴音ちゃんであることはほぼ間違いなかった。
「それで、琴音ちゃんは今どこに?」
 オレがそう問うと、ネリーセは視線を落として、
「それが、このところ見てないの……。ひょっとしたらコトネ姉、この街が嫌になって……」
 と、うっすらと瞳に涙を浮かべた。
「大丈夫だよ、ネリーセ」
 オレは言った。「琴音ちゃんはそんな娘じゃない。琴音ちゃん、この街のために働いてたんだろ? 絶対に見捨てたりしない」
 それからオレたちはネリーセと別れ、再び街に繰り出した。
 琴音ちゃんの行方を追って。
 オレたちは街で情報を集める内に、琴音ちゃんのこの街での人気の高さを知った。
 だから、案外情報は呆気なく集まった。
 曰く、「もう随分前になるけど、コトネちゃんが子供と二人で話してるのを見た。それからその子供が転移魔法か何かを使って、コトネちゃんと一緒に消えてしまった」
 その子供はこの街では珍しく、立派な空色のマントを着け、大きな凝力石の杖を持っていたという。
 この城の魔術師に間違いないそうだ。
 オレたちはもはやここには用はないと言わんばかりに、城へ駆け出した。

 フレイス将軍は始終黙って聞いていたが、話が終わると、
「奴なら、考えられん話でもないな」
 と、太い腕を組んだ。
「奴? その子供のことか?」
「そうだ」
 フレイス将軍は大きく頷いた。「王もファラカス殿も奴を信じていたが、私とウェレイクは奴を信じてはいなかった」
「一体どんな奴なの?」
 綾香が問う。
「この国の魔術師だ。まだ子供だが、かなりの魔力を持った奴でな。名をノルオという」
「ノルオ……」
 委員長が呟いた。その顔は何かを知っているようだったが、今は将軍の話を聞くことにした。
 将軍は委員長の呟きには気付かなかったようで、変わらぬ調子で話を続けた。
「奴が現れたのはもうかなり前の話になる。少なくとも、ティーアハイムを攻めたときよりも前だ」
「そんなにも……」
「そうだ。なにせ、王にティーアハイム進軍を勧めたのは、他でもない、奴だからな」
「何!?」
 オレたちは驚きに目を見開いた。
「奴は自分の目的のために王をたぶらかしたんだ。もっとも、それは一部の噂に過ぎないが」
「奴の目的って?」
 と、委員長。
「わからん」
 フレイス将軍は二、三度首を横に振った。「奴はそれを誰にも言わなかった。だから所詮、噂に過ぎないんだよ」
「そう……」
「だが、奴が何かをしようとしていたのは確かだ。そのコトネとかいう娘も、その目的のために使われた可能性が高い……ん? まてよ……」
 不意に、フレイスは言葉を止め、何やら考え込む素振りを見せた。
「どうした?」
「いやな……、そのコトネとかいう娘が消えた日と、この街に魔法障壁が張られた日が近いんだ。もしかしたら一致しているかもしれん」
「つまり、琴音ちゃんは、ノルオにこの街に障壁を張るために使われたと?」
「そうなる」
 フレイスは無念そうに頷いた。「だとしたら、その娘はもう……」
「なっ!?」
 オレは一瞬、恐ろしい想像をして、慌ててそれを追い出そうと頭を振った。
 あかりも目を大きく開けて、両手で口もとを押さえている。
 琴音ちゃんが……死んだというのか?
 オレは怒りと悲しみに思わずフレイスに突っかかろうとしたが……、
「いや、それはないな」
 それより早く、あっけらかんと委員長がそう言った。
「ない?」
 呆然とあかり。
 委員長は少しだけ表情を緩めて頷いた。
「難しい話はしてもわからんと思うからせんけど、魔法の構造上、あれだけの魔法を媒体なしで維持するのは無理なんや。だから、あの障壁がある限り、姫川さんは無事や」
「ほ、本当か?」
「もちろん」
「…………」
 オレは言葉もなく安堵した。それから、
「とりあえず、探そう、琴音ちゃんを」
 オレは元気にそう言った。「フレイス将軍、どこか知らないか?」
「いや、生憎」
 将軍は申し訳なさそうに首を振った。「だが、奴の部屋なら知っている。こっちだ。ついてきてくれ」
 オレたち四人は、そう言って歩き始めた将軍の後を、逸る気持ちを抑えてついていった。

  4

 やがて駆け込んだ部屋は、一見何でもない、ごく普通の書斎だった。
「ここがノルオの部屋だ」
 中に入り、皆で手分けして部屋を調べ回ったが、琴音ちゃんのいるはずの場所へ通じるような抜け道はなく、それらしい転移装置も見つからなかった。
 机の上に置かれた本なども、古代の歴史書や魔道書ばかりで、ヒントになりそうなものは一切見つからなかった。
「ねえ保科さん」
 不意にあかりに話しかけられ、委員長があかりの方を振り返った。
「なんや? 神岸さん」
「うん。その、ノルオって男の子が使った魔法って、どんなのなのかなって思って」
 魔法の知識のないあかりらしい質問だ。
 オレにもわからん。
「ああ。話からすると古代魔法やな。つまり、先輩が神岸さんたちをヴェルクに送ったときに使った魔法陣みたいなのやなくて、まず部屋を頭ん中でイメージして、そこに自分らの姿を重ねる。つまり、“その部屋に自分らがいる”という“状態”を、現実にするんや」
 う〜む、何やら難しいが、あかりは理解したようだ。
「じゃあさ、その部屋、どこかに直結してなくてもいいわけだよね? 例えば、完全に孤立した土の中とか……」
「ま、まあ、そういうことになるけど……」
 委員長は複雑な顔をした。「となると、ここは探し回らんと、さっさと魔術で感知した方が早いかもしれんな……」
「感知?」
 オレが聞くと、委員長は大きく頷いた。
「そや。魔力の感知や」

 それから委員長は、オレたちの見守る中、床に小さな魔法陣を一つ書き上げた。
 材質はペンとインク。六芒星を基調とした単純な形である。
 書き終えた後、委員長はその六つの端にそれぞれ蝋燭を立てると、オレたちに喋らないよう注意を促し、魔法陣の中央に立った。
 そして目を閉じ、呪文を唱える。

『ツァイト ツァイト ケゼル オプフェル……
 目には見えざる小さき者よ
 我らに道を標し給え
 自然ならざる時空の歪み
 奇異を極める空気の淀み
 見つけ 我らを導き給え……』

 不意に、風もないのに蝋燭の炎が揺らめいた。
 それとともに、先程まで立ち上っていた煙が不自然に折れ曲がり、筋を作って床のある一点を指した。
 さらに驚くべきことに、その煙は床を貫いて、なお続いているようだった。
「さっ、行くで」
 驚くオレたちを余所に、委員長は手にペンとインクを持ったまま、部屋を飛び出した。

 煙は城の中庭の地面を、なお貫いて地下に続いていた。とはいえ、これ以上オレたちに進むことはできない。
 オレたちはモグラではない。
「どうすんだ? 委員長」
 煙の前で足を止め、オレは委員長を見た。「まさか地面を掘るわけにもいかないだろ? どこまで掘ればいいかわかんねぇし」
「そんなことないと思うよ、浩之ちゃん」
「ん?」
 どことなく自信に溢れた声に、四人が一斉にあかりの方に目を遣った。
 あかりは少し焦ったように、しどろもどろになりながら言った。
「だから、その、姫川さんがいると思う部屋、もしこの下にあったとしたら、最初からあったわけじゃないよね?」
「恐らくは」
 と、フレイス。「地下室の話など、聞いたことがない」
「うん……だからその、あんまり深くないんじゃないかなぁ……予想だけど」
 確かにそれは“予想”だったが、半分はオレたちの“希望”でもあった。
 だからその場にいる皆が、あかりの言葉に異論を挟まなかった。
「よし、わかった。私が城の者たちにここを掘らせよう」
 フレイスのその一言で、30分ほどした後、早速琴音ちゃんを救出すべく穴掘り作業が始まった。

 誰かのシャベルが巨大な石の塊の一部に当たり、大きな音を立てたのは、それからしばらくしてからのことだった。
 空はすでに暗く、街の外れに街をすっぽりと包む光の壁が見えた。
「これに間違いないわ。早くこの石を壊して」
 綾香の声に、兵士たちが部屋の天井と思われる部分を慎重に壊し始めた。
 真下に琴音ちゃんがいる可能性があるからだ。
 やがてそこにぽっかりと穴が空いて、中からもわっと充満した香りがオレの鼻を刺激した。
「オレが行く」
 中を覗き込むと、光の魔法陣の中央に制服姿の琴音ちゃんが倒れていた。
 オレは考えなしに飛び降りた。
 床に着地したときに少しだけ足が痺れたが、大したことはなかった。
「琴音ちゃん!!」
 慌てて駆け寄ると、琴音ちゃんは「ううっ……」っと小さな呻き声を上げた。
 どうやら気を失っているようだった。
 オレは琴音ちゃんを抱き上げて、魔法陣の中から出た。琴音ちゃんは全身汗だくで、服とスカートが濡れていた。
「どうや!? 藤田君」
 オレの後に入ってきた委員長がオレの方に駆け寄ってきた。
 オレは何も言わずに琴音ちゃんを部屋の隅に降ろした。
「これは……」
 委員長は少しだけ顔を上気させて、琴音ちゃんを見た。「ぶ、無事には違いないけど……」
 琴音ちゃんはハアハアと肩で息をしていた。
「琴音ちゃん。琴音ちゃん!」
 オレは大きな声で琴音ちゃんの名を呼んで、軽くその身体を揺さぶった。
「ううん……」
 やがて、ゆっくりと琴音ちゃんが目を開けた。「ふ、藤田さん……」
「大丈夫か? 琴音ちゃん」
 琴音ちゃんは弱々しく頷いた。それから瞳を涙で潤ませた。
「藤田さん……わたし……この街を救おうとして……。そしたら、ノルオっていう子が……わたしに……」
「あ、ああ」
 オレは琴音ちゃんの手を握った。
「わたしそれで……。あの子、わたしをここに……連れてきて……それで魔法を……」
「魔法?」
「はい……。あの子は……“あれ”の脅威から……それで、ヌイゼンジーアと……すべてを無に……」
「もういい」
 握った掌から琴音ちゃんの震えが伝わってきて、オレは強い口調でそう言った。「もういいんだ、琴音ちゃん。もう大丈夫……大丈夫だから、今は休め」
「藤田さん……」
 琴音ちゃんは一言オレの名を呟いてから、再び瞳を閉じた。
「とにかく琴音ちゃんを休ませよう」
 オレは委員長の方を振り返った。
 すると委員長は睨むように、鋭い視線を床に投げかけていた。
「どうしたんだ? 委員長」
 オレが聞くと、委員長は、
「まずいで……」
 と、オレの方を見ずに呟いた。
「な、何がだ?」
「いやな。姫川さんがノルオに何を言われたのかは知らへんけど、ただ今の横文字……」
「ヌイゼンジーア?」
 こくり、と頷く委員長。
「それが、禁忌の名や……」
 ゆっくりと、一言一言噛みしめるように委員長がそう言った。
「つ、つまり……」
 もう一度委員長が頷く。
「“それ”の名や」
 オレは、いつか先輩に言われた言葉を思い出していた。
『“それ”はその名を呼ぶのも恐ろしきもの。この国、いえ、この世界では、その名を呼ぶことは禁忌とされています』
 オレは背筋に寒気を感じた。
「いよいよ、始まるのか?」
「そや……そして、これですべてが終わる」
 オレたちはどちらからともなく天井穴から空を仰いだ。
 心配そうにオレたちを覗き込むあかりや綾香の間から、星の瞬く空が見えた。
 光のドームはすでになかった。