『 二人、友情をかざして 』



  弐

 [ 五月十六日(水) ユージット建設現場 夜 ]

 両手に小太刀を持ち、手足に飛針や鋼糸を忍ばせて、完全武装で美由希は立っていた。そしてその隣には、巫女装束の那美。右手に彼女の愛刀、雪月を握っている。
 夜のとばりの降りたユージット建設現場は、霊能力のない人間にもわかるほど、重く淀んだ狂気が漂っていた。
「美由希さん、これを……」
 那美がすっと差し出した護符を受け取ると、美由希はそれをズボンのポケットに入れた。とりあえず持っているだけで効果があるらしいから、派手に動いても落ちないところがよいだろう。
 白い幕をくぐり、二人の他には誰もいない、静まり返ったその敷地に一歩足を踏み入れた途端、白い靄のようなものが二人の周りを取り巻いた。
 もはや誰の目にも見ることのできる、魂たちの姿だった。
「な、那美さん……」
 途端に美由希が、怯えたような声をあげる。御神の剣士として幼少の頃より剣を学んでいる美由希だが、剣で斬れないものにはとことん耐性がなかった。
 那美がそんな美由希を見て、小さく笑った。
「大丈夫ですよ、美由希さん」
 そう言って、さらに歩を進めてから、那美は蝋燭を取り出した。
「それでは、始めましょうか……」
 美由希が神妙に頷いた。


 時は少し遡る。
 八束神社で二日前に起きたすべてを話し終えた後、美由希と那美は二人でその事件と、先程の暗殺者との関連を考えた。
 そしてしばらく頭を悩ませた末に出た結論が、那美がユージット建設現場の霊たちを鎮魂すると困る人がいて、そうなる前に那美を消そうと考えた。
「じゃあ、霊たちがわたしの制止も聞かずに襲いかかってきたのは……」
「きっと、誰かに操られてるんじゃないのかなぁ。そんなことができるのかどうかは、わたしは知らないけど……」
 美由希の一言に、那美は「強い能力者なら可能です」と答えた後、その者に対して憤慨した。
「なんのためにかはわかりませんが、罪もない人を死に追いやっただけでなく、その魂まで弄ぶなんて、絶対に許せません!」
 そして二人は、そいつをこらしめるべく、こうして夜の建設現場に来たのだった。


 蝋燭を小さな円状に、等間隔に六本並べると、那美が揺らめく炎を見ながら美由希に問いかけた。
「その人たち、来るんでしょうか……」
 二人が考えたのは、ここに霊を操った者や、先程会った暗殺者をおびき寄せて、返り討ちにすることだった。そのために、わざわざ危険を冒して、最も死霊が力を持つ夜にここに来たのだし、恭也にも相談しなかった。
 久遠は、もちろん那美と一緒に来たがったけれど、足の怪我のことを考えて美由希が大事をとらせた。必ず自分が那美を守ると約束して。
 那美はすべての蝋燭に火を付け終わると、そっと鞘から雪月を抜いて、それを円の真ん中に置いた。浮かばれない魂に効果を発揮する霊刀。
 もっとも、今自分たちを死の世界に引きずり込もうとしている魂たちを、その刀で鎮めるつもりは一切なかった。あくまで彼らを操っている者をこらしめ、その束縛から解放する気でいた。
 けれど、もしも一晩以内に彼らが現れなかったときは、那美はここにいるすべての霊を強引に鎮魂する気でいた。これ以上被害を増やすわけにもいかなかったし、ここでこうしているよりは、いっそ斬られた方が彼らも楽なはず……。
「きっと、来ますよ……」
 そんな那美の複雑な心中を慮って、美由希がそっと彼女の肩に手を置いた。那美が振り向きながら、美由希に笑いかけようとして……。
「ようこそ、お嬢さん方」
 朗々とした声が響き渡った。
 二人が声のした方を向くと、そこにスーツ姿の男が四人と、呪い師ふうの若い男が一人、そして、夕方那美を襲った刺客の男が立っていて、薄ら笑いを浮かべながら彼女たちを見ていた。
 那美が雪月を取り、白衣の袖をバッと広げて、毅然と言い放った。
「彼らを操っているのはあなたたちですね。今すぐ解放しなさい!」
 そこに、先程のような怯えは一切なかった。それは、美由希との絶対の信頼関係から来る勇気だった。
「わたしが、刀で斬れるすべてのものから那美さんを守るから、那美さんは、刀で斬れないすべてのものから、わたしを守ってください」
 ここに来る前に美由希が那美に言った一言。それが、今の那美を支えていた。
「わかりました、美由希さん。わたしは、美由希さんを信じています。大した力もないですが、精一杯頑張ります」
 那美は雪月の刃先を、真っ直ぐ若い男に向けた。
「彼らを、解放しなさい」
 けれど、所詮一六歳の少女の威勢は、彼らには虚勢にしか写らなかったし、実際にそうでしかなかった。
「そういう台詞は、俺に実力的に勝てるようになってから言ってほしいものだな」
 若い男がにやけ面でそう言いながら、手を頭上に掲げて指を鳴らした。
 同時に、作業員たちの哀れな魂が炎を纏ったように赤く揺らめき、那美に襲いかかった。
「きゃっ!」
「那美さん!」
 美由希がナイフ使いを警戒したまま那美に目をやると、彼女は両腕を赤い靄につかまれて、棒立ちになっていた。
(護符が効いてない?)
 美由希は小太刀を一閃させたが、赤い靄は一瞬煙のように揺らめいただけで、すぐさま那美の身体を縛り上げた。
「だ、だめです……美由希さん……。こ、この人たちは……この刀でないと、斬れません……」
「そうだな」
 若い男の声。美由希がキッと睨み付けたが、彼はまったく動じることなく続けた。
「お前がその刀を振らなければ、そいつらは斬れない。だけど、お前はそれを振る気はないし、もし斬ろうとしても……この男がそうはさせない」
 その言葉が戦闘開始の合図となった。
「那美さんを放せ!」
 魂を操っている男目がけて、一瞬で間合いを詰めた美由希の前に、黒ずくめの暗殺者が立ちふさがった。
「ええいっ!」
 美由希が斬撃を繰り出す。
 男はそれを屈んでかわすと、重心が上にかかって不安定になっている美由希の足を払った。
 美由希は前回り受け身をとりつつ、素早く立ち上がると飛針を投げつけた。そして、同時に距離を詰めて小太刀を横に薙ぐ。
 男は飛針を横に飛んでよけると、右手にナイフを取った。夕方見たものとは違い、刃の厚いものだ。糸はついてないらしい。
 美由希の斬撃をそのナイフで受け止めながら、男は彼女の腕を取り、肘を固めた。
「くっ!」
 体術では分が悪い。
 すぐさま逆の太刀で斬り上げる。男が離れ際に美由希の腕を切り裂いたのと同時に、美由希の鋼糸が男の腕に絡みついた。
 グッと引くが、男も負けじと引き返す。七番の鋼糸では元々肉を斬るのは難しかったし、どうやら男の服には何か強固な糸が縫い込んであるらしい。
 力比べでは勝てないと判断した美由希は、糸を手繰るようにして男の懐に入り込むと、そこで全身の力を込めて『徹』を放った。
「てぇいっ!」
 非力な美由希でも、極限までその殺傷力を高められる御神の技、『徹』。男はその攻撃をナイフで防ぐと、一旦大きく後退した。そして、後退するために一瞬男の足が浮いたのを、美由希は見逃さなかった。
(ここ!)
 手に忍ばせた鋼糸を投げつけようとした刹那、
「いやあぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 後方で那美の悲鳴がして、美由希は振り返った。
 見ると、那美が両手両足を赤く輝く魂たちに束縛され、身動きがとれない状態で突っ立っていた。そして無理矢理広げられた両腕の肘が、本来その構造上、絶対に曲がらない方向に曲げられようとしている。
「那美さんっ!」
 叫んだ美由希の太股に、夕方那美の命を狙った細いナイフが深々と突き刺さった。
「うっ……」
「御神の娘が、どこを向いてるんだ?」
 嘲笑うように男。
 美由希はそのナイフを引き抜くと、男の方に投げつけながら駆けた。
「どうしてわたしのことを知ってるの!」
 自らのナイフをかわして、一瞬体勢が不安定になった男の首に、胸に、脇腹に、容赦なく『貫』を叩き込んだが、男はそれをすべて防いでいた。
 もっとも、決して余裕でとは言い難い。いつもの美由希ならば、この『貫』でたおすことのできる力量の相手だったが、彼女は今平常心を失っていた。
「い、痛い……あ、あああぁぁっ! いやっ! は、放してっ! やめてぇぇっ!」
 那美の泣き叫ぶ声。視界の端に入った彼女は、すでに刀を地面に落とし、その愛らしい顔を汗で汚しながら、それでも美由希が勝つのを信じて、歯を食いしばって魂たちの力に抗っていた。
「そこを……そこをどけっ!」
 美由希は叫びながら、一旦小太刀を引き、そして、両腕を交差させるようにして男に斬りかかった。
 昔兄が一度だけ自分に使って見せた、抜刀からの連撃。御神流奥義の六『薙旋』。
「な、なにっ!」
 慌てふためく男の肩に、刃が食い込んだ。美由希はそれを容赦なく彼の身体に埋める。
 さらに、刃を振りほどこうとした男の腕を、もう一方の小太刀で斬り裂いた。
 スパッと彼の手首から血がしぶき上がり、跳ね飛んだ手袋の下に、青い龍の刺青が覗かせた。
(龍……?)
 美由希は一瞬首を傾げたが、今はそれどころではなかった。
 そのまま男を踏み台にすると、美由希は那美を縛り付けている呪い師の方に飛んだ。
「那美さんを放せっ!」
 そして、空中から小太刀を投げつける。
「うわっ!」
 実戦能力はないのか、男はその小太刀を無様に転がってよけた。
 那美の悲鳴が途切れ、後方でドサッと彼女が地面に崩れ落ちる音がした。
 振り向くと、那美が左肘を押さえながらもんどり打っていた。あからさまに肘の腱がやられている。
(わたしのせいだ……)
 美由希は後悔の念に駆られたが、すぐにそれを怒りに変えた。
 標的が呪い師の方へ飛んだのを見て、男が目標を那美へと変更して駆け出した。それを見た美由希が、左足に重心を乗せ、一気に間合いを詰める。
 男は体中を血に染めながら、今まさに那美のもとへ辿り着き、彼女を人質にとろうとしていたが、それより早く、美由希の小太刀が彼を捉えた。
「ええぇぇいっ!」
 『貫』!
 美由希の斬撃が、背中から男の心臓を貫いて、男は那美の横に崩れ落ちるように倒れ、絶命した。
「ひっ!」
 遥か後ろでスーツの男たちの悲鳴が上がったが、美由希はまったく気にせずに那美に駆け寄った。
「那美さん、大丈夫ですか!」
 ほとんど泣きそうになりながら美由希が聞くと、那美は弱々しく、それでもいつもの穏やかな笑顔で頷いた。
「大丈夫です。ありがとう、美由希さん」
 美由希は那美の身体を起こすと、外れていた那美の左肘の関節を入れた。
 那美はそのショックに気を失いかけたが、それでも必至に持ちこたえて、まだ何とか無事な右手で雪月を拾い上げた。
 そして二人が立ち上がった刹那、
「そこまでだ!」
 呪い師の声が響き渡った。余裕に満ちた、勝利を確信した声だった。
「そいつを倒したようだが、これでもう終わりだ」
 もはやその顔で固定されているのではないかというにやけ面を、さらにいびつに歪めると、彼は再び指を打ち鳴らした。
「あっ!」
 途端に二人の身体に、霊がまとわりついてくる。
(もう……しょうがない!)
 意を決して、那美は再び自分の腕を取ろうとした赤い魂を、雪月で斬り付けた。もはやそうする他に手はなかった。
 しかし……。
「えっ!」
 刀はその霊に対して効力を発揮しなかった。
 否、その霊の力が、傷だらけの今の那美を上回っていたのだ。
 絶望に打ちひしがれた那美の顔を見て、男が哄笑した。
「あーははははっ! いいざまだ、神咲那美!」
「くっ!」
 隣で美由希が足を取られて動けないでいる。
 那美は一度男を睨み付けてから、美由希に言った。
「美由希さん! ここはわたしが食い止めます。食い止めるから、美由希さんはあいつを!」
 渾身の力を込めて、那美が美由希の足を束縛していた霊を斬り付けた。一瞬その力が緩んだ隙に、美由希は思い切り走り出す。
 七体の霊が、那美の小さな身体を、その姿が見えなくなるくらいに取り囲んで、その隙間から那美の細い悲鳴が上がった。
(那美さんっ!)
 美由希は走った。男との距離をどんどん縮めて、そして、小太刀を強く握った。「お前だけは絶対に許さない!」
 ものすごい速度で近付いてくる美由希に対して、しかし男はまったく怯えた様子を見せずに、にやにやと笑って立っているだけだった。
(何か……何かある!)
 美由希は危険を察知したが、しかし足を止めるわけにはいかなかった。
「てやぁぁぁぁっ!」
 ようやく美由希の刀の間合いに入ったその時、男が懐から手の平大の鈍色の塊を取り出した。
(銃っ!)
 寸分違わず美由希の心臓に狙いをつけて、男が引き金を引いた。
(これは……かわせないっ!)