『 Guilty 』

 第2章 鳳蓮飛

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 日本は夏休みの最中だった。お盆も過ぎ、肌を灼く強い陽射しも少しだけ和らいできた頃、高町恭也が食事の席でこう切り出した。
「夏休みの最後の一週間は、また美由希と二人で山に行こうと思う」
 母親の桃子を始め、一同は特に驚く素振りを見せずに、名前の出たもう一人に目を遣った。美由希は皆の視線を受け、一度深く頷いてから口を開いた。
「わたしが恭ちゃんに頼んだの。最近何か掴みかけた気がするから、また集中して稽古したいって」
 二人の言う「山」とは、稲神山の山中でキャンプを張り、そこで四六時中剣の修行をすることである。例年春休みに行っているのだが、それを今年は夏にもやろうと言うのだ。
「お店の方は大丈夫だよ。いざとなったら晶やレンも手伝ってくれるしね」
 フィアッセが明るい口調で言った。そんな約束はまったくしていなかった晶とレンも、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに大きく頷いて賛同する。
「そうそう。カメはともかく、俺もなのちゃんもついてますから、家も翠屋も心配しなくて大丈夫ですよ、師匠」
「そですよ、おししょ。カメもなのちゃんもついてますから……って、誰がカメや、誰が!」
「おめー以外に誰がいるんだよ」
「あーもう、二人ともまたそーやってすぐケンカしない!」
 いつものように言い合いを始めた二人を制して、なのはは兄を見上げてあどけない微笑みを浮かべた。
「なのはもいい子でお留守番してるから大丈夫だよ」
「そうか。偉いぞ、なのは」
 頭をぐりぐり撫でられながら、なのははふと昔のことを思い出した。
 ずっと昔、なのはは家に一人でいることが多かった。まだフィアッセも晶もレンもいなかった頃、年の離れた兄と姉は剣に明け暮れていたし、遊び相手も、甘える相手もいなかった。だから、二人が自分を置いてどこかへ行ってしまうといつも寂しくて、それでも我が儘を言ってはいけないと思い、無理に笑って見送っていた。
 今ではそういうことはない。大きくなったからでも慣れたからでもなく、家族も増え、友達もできたからだ。家には晶やレンがいて、学校にはすずかやアリサがいて、神社に行けば久遠がいる。それに、なのはには毎日のように続けている練習もある。一時的にでも家族が減るのは寂しいが、それで落ち込むようなことはもうなかった。
 そんななのはの心からの笑顔は、恭也にも伝わっていた。昔は無理をしている様子が痛いほど伝わってくる表情をしていたが、もうそういう心配はしなくてもいいようだ。ただ、恭也は楽しそうに美由希と話をしているなのはを見ながら、思った。
 この小さな妹は、本当に「いい子」でお留守番をしているだろうか。
 この春、なのはは何か自分が主役になるような事件に巻き込まれ、明らかに意思のある動きをするフェレットを飼ったり、リンディという大人の女性を家に連れてきたりした。帰りは度々遅くなったし、学校を休んで一週間以上家を空けたこともあった。
 この件についてはなのはを除く家族会議により、なのはにそれほど悪い影響を及ぼしていないことから、本人には一切触れないでおこうという了解がなされ、不自然なほど誰も話題にしていない。恭也としてもそれほど心配はしていなかったが、それでも胸の内にあった一抹の不安が、きっとその一言を言わせたのだ。
 出発の日、恭也はたまたまレンと二人になった時に、何気なくこう言った。
「レン。俺と美由希がいない間、なのはのことを頼むな」
 レンはひどく驚いた顔をして、慌てた声を上げた。
「いきなりどうしたんです? 何か心配事でも?」
「いや、なんとなくだが……」
 恭也はむしろ何故自分がそんなことを言い出したのかと、首を傾げた。だからレンも、あまり深い意味はないのだと安心した。ただ、春の一件が恭也の中で引っかかっているのはわかったし、解決に力を必要とする何かが起きたら、今この家で一番強いのはレンだ。だから恭也は自分に言ったのだと、レンは勝手に解釈して頷いた。
「わかりました。まあ、何もないとは思いますが、なのちゃんが危ないことせんよう、うちがちゃんと見張ってます」
 いつの間にか、なのはが何かをされるのではなく、なのはが何かをする話にすり替わっていることに、恭也は苦笑した。レンもすぐに気が付いて、「逆ですね」と笑った。
 この時は、たかがその程度の、5分後には忘れているような話だった。けれど、恐らくこの一言が後の事件を引き起こしたのだ。
 恭也と美由希が修行に出て行った翌日、レンは晶と一緒に、一日中なのはのビデオメール作成に付き合っていた。レンは春の出来事の後、フェイトという女の子と文通している。先日そのフェイトから2枚目のメディアが届いて、なのはは得意のデジタル機器を駆使して、綺麗な映像を撮ろうと必死だった。
 ちなみにフェイトからの手紙には、時空管理局の嘱託魔導士になったことや、今度クロノたちと一緒にとある世界の調査に行くことが書かれていたが、そう言った内容はなのはは家族の誰にも見せていなかった。魔法のことは家族を驚かせたり心配させないよう、秘密にしている。当然フェイトのことも、「外国のお友達」としか説明しておらず、違う世界から来た魔法使いなどとは言っていない。
 家族や友達には動画の当たり障りのない部分しか見せていないが、それでも無機質な背景に「ここはどこだ」と聞かれたり、フェイトの格好に「SFっぽい」と突っ込まれたり、油断すると嘘が全部ほつれそうでひやひやしていた。
 夜、なのははリビングで自作の動画を眺めていた。前回は「わたしの友達」というテーマで作ったが、今回は家族を題材にした。ひょっとしたらフェイトはなのは自身のことを聞きたいかも知れないが、なのはは周囲あっての自分だと思っている。家族のことを知ってもらうのも大事だった。
「もうできたんか?」
 声をかけられ、振り返ると風呂上がりのレンが、バスタオルで髪をごしごし拭きながら、テレビに写っている自分の姿を興味深そうに見つめていた。画面の中では相変わらずレンと晶がケンカしている。しかも口喧嘩ではなく肉弾戦で、ちょうど晶の攻撃をレンがかわして、逆に晶の肘を決めているところだった。
「なんや、こう、外から自分の姿を見るのは、照れるな」
「レンちゃん、可愛いよ。でも、今日くらいはケンカしないでほしかったな」
 なのはが頬を膨らますと、レンは困ったような笑顔を浮かべて、取り繕うように言った。
「まあ、ちゃんとありのままを伝えれたっつうんであかん? ほら、フェイトちゃんもうちに来てからおさるのあんまりアホなとこ見て、びっくりせーへんように」
 なのはは一度拗ねたようにレンを見上げたが、すぐに笑顔に戻った。晶がアホかどうかは別にして、ありのままを知ってもらうのが大事というのは一理ある。
 しばらく二人で、翠屋のケーキは見た目にも美味しそうだとか、明日はフィアッセの歌も入れようとか話しながら映像を眺めていたが、ふとレンが思い付いたように言った。
「そいや、なのちゃん、今日はうちの部屋に来いへんか? なんや、フェイトちゃんの話とか聞きとうなったし」
「え? あっ……」
 なのはは一瞬返事に困った。それは、フェイトの話をあまり聞かれると、隠し通す自信がなかったからであって、レンの申し出が嫌なわけでは決してなかった。
「うん。ありがとう、レンちゃん」
 なのははすぐに笑顔で頷いた。こそこそ逃げるのは気分が悪いし、元々レンや晶の部屋にお泊まりはよくしていた。むしろ最近では一緒にお話をしながら寝たりすることが少なくなって、寂しく思っていたところだった。春の一件で大きな隠し事を作ったなのはは、少し家族と距離ができてしまったように感じていたので、レンの方からそう言ってくれるのは素直に嬉しかった。
「ほんなら、お風呂入って、パジャマに着替えて、うちの部屋に集合や」
 レンはソファから立ち上がり、鼻歌交じりに部屋に戻った。たぶん、深い意味はなかった。恭也もレンも、決して何かが起きるとは思っていなかった。
 なのはもまた、そんなレンの背中を見つめながら、フェイトのことをどう説明しようかと考えていただけだった。ちょうどその頃、町の外れで転移の魔法陣が光り、傷だらけの生き物が海鳴市に降り立ったが、なのはですらそのことには気付かなかった。