『 Guilty 』 |
第2章 鳳蓮飛 2 夜中、氷点下の世界に放り出されたかのように、空気が冷たく張り詰めるのを感じて、レンは飛び起きた。隣に目をやると、なのはも半身を起こして、珍しく険しい表情でカーテンの方を見つめている。 勢いよく起き上がったから、なのはを起こしてしまったのだろうか。そして寝起きの悪いなのはは機嫌を悪くして、眉間にしわを寄せているのだろうか。 レンは一瞬そう思ったが、すぐにそれを否定した。恐らく、なのははレンより先に起きていたのだ。レンにはそう確信できる理由があった。だから、この気配は放っておけばやがて導かれるようになのはの許に来ると考え、ベッドから起き上がった。 「レンちゃん?」 なのはは不安げな顔でレンを見上げた。外から近付いてくる気配は、明らかに魔力を持った何かだ。レンは張り詰めた表情で、普段着ている動きやすい中華服に着替えている。 魔力の主と戦うつもりだ。そうわかった瞬間、なのはも布団を蹴り上げてベッドから転がり出た。そして「着替えてくる」とだけ言って自分の部屋に戻ると、すぐに普段着に着替え、レイジングハートを首からかけた。 二人は部屋の外で合流した。 「なんや、晶はこの気配に気付かず、ぐーぐー寝とるんかい。まったく、しゃーないなー」 晶の部屋の前を通り過ぎた時、レンがそんな軽口を叩いた。確かに外の気配は強い。強いがそれは魔力の気配で、どれだけ腕が立っても、恐らく恭也であっても気付く類のものではない。それにレンが反応できたのは、強い魔力を持つ自分が隣にいたからだと、なのはは思った。つまり、自分がレンを巻き込んでしまった。けれど、どう言って止める? レンは右手に愛用の棍を握っている。玄関を出るとそれをしなやかな動きで数回振った。目にも止まらない速さ。とても日頃ほとんど訓練もせず、家にいる大半を縁側でのんびりしている者の動きとは思えない。 いつか恭也がレンのことを天才だと言った。なのははひょっとしたらレンならば、これから現れる敵──と決まったわけではないが、魔力を持った何かを倒せるかもしれないと思い、そうなるよう願った。 果たして二人の前に現れたのは、全身を短い毛に覆われた、四足歩行の動物だった。体長はなのはの3分の1ほどで、耳が尖り、雰囲気としてはウサギに似ている。だがウサギより四肢が長く、体を支えている前の二本は、前足というよりは腕に近かった。全身に魔法で焼かれたと思われる痕があり、傷付いているが、赤く光る瞳は獰猛で、可哀想とは思えなかった。 いきなり、そのウサギもどきが地面を蹴り、二人に襲いかかってきた。 (速いっ!) なのはは反応が遅れたが、天才の棒使いは水が流れるような動きでその攻撃をかわしたかと思うと、相手の勢いを利用してウサギの腹部を棍で突き上げた。ウサギがよろめきながら腕を振る。その指先がきらきら光り、4本の光の筋がレンを襲った。 「レンちゃん!」 なのはが思わず声を上げる。バリアジャケットを着たなのはであれば、あの程度の魔法は直撃を受けても平気だが、生身の人間が食らうとどうなってしまうのだろうか。 レンが死んでしまうかも知れない。なのははぞくっと背筋が寒くなったが、まったくの杞憂に終わった。レンはその攻撃を難なくかわすと、強く踏み込んでウサギとの距離を縮めた。 「せいっ!」 気合いを込めて棍を突き出す。ウサギは大きく後ろに跳んで間合いを取った。その時になって、ようやくなのはは現状に違和感を覚えた。 目が電球のように光っている見たこともない生物から、明らかに地球の物理法則では起こり得ない攻撃を受けながら、レンは驚いた顔一つしていない。命をかけた戦いにあって、考えることを停止しているのだろうか。 それは、たぶん違う。なのははどんどん違和感が広がっていくのを感じた。 自分がここにいるのも変だ。魔力を持つ生物の前に、レイジングハートを持った自分がいるのはごく自然なことで、むしろレンが戦っている姿に違和感を抱いていたが、そうではない。何らかの敵意を感じたレンが棍を持って戦っている中、戦闘能力を持っていないと考えられているなのはがここにいることが不自然なのだ。 なぜ一緒についてきたなのはを、レンは止めなかったのか。部屋にいた方が危険だと思ったのか。それならば寝ている家族はもっと危険だ。もはや、考えられることは一つしかなかった。 (レンちゃん、もしかして、わたしが魔導士だって、知ってるんじゃ……) なのはが顔を曇らせている間にも、戦いは続いていた。レンの攻撃が何度もヒットし、ウサギの動きは明らかに緩慢になっていた。周囲の壁や電柱はウサギの魔法で壊れていたが、レンはかすり傷一つ負っていない。これなら、勝てる。なのはは拳を強く握った。 だが、状況はなのはが思うほど良くはなかった。 (まずいな……) 大きく肩で息をしながら、レンはぐっと両脚に力を入れた。気を緩めたら倒れそうだった。ついさっき、ウサギの攻撃を大きなアクションでかわした時、心臓に鈍い痛みが走った。それから一気に悪寒と眩暈が襲ってきて、全身が震えている。 ちらりと首だけで振り返ると、なのはが不安そうにレンを見つめていた。レンはもう一度苦しそうに息を吐いてから、薄く目を閉じて自問した。 (どうする? 鳳蓮飛……) レンが部屋で抱いた確信──なのはの予想通り、レンはなのはが魔法使いであることを知っていた。レンだけではない。美由希も晶も知っている。恭也が伝えたのだ。 なのはは毎日のように朝晩魔法の練習をしていた。なのはは隠れてやっているつもりだったが、それに気付かないほど御神の剣士は鈍感ではなかったし、一人でどこかに行くなのはを放っておくほど、恭也は放任でも薄情でもなかった。そして、尾行していることをなのはに気付かれるような失態をするはずもなく、なのはの秘密を知った恭也はそれを3人にだけ展開し、家族会議の決定に従い、なのはには言わないでおいた。 だからレンも、初めは外から感じた気配の相手を、なのは一人に任せようか迷った。自分がいなければなのはは存分に魔法を使えるし、恐らく負けることもないだろう。しかし、あの場面で自分が動かずになのはだけを外に行かせたら、なのはの秘密を知っていると宣言するようなものだ。それに、恭也になのはを頼むと言われたこともあり、レンは自分で戦うことにした。 だが、限界だ。病気を抱えたレンの体は、元々長くは戦えない。恭也に天才と称されながらも、武芸の鍛錬に励めないのもそのためで、今も心臓が壊れそうなほど速く打っている。 いきなり、ウサギが魔法を放つと同時に飛んだ。レンは素早く転がって避けたが、びりっと紙を破るような音が脳を震わせ、意識が真っ白になって地面に倒れ込んだ。その真上からウサギが降ってくる。 「レンちゃん!」 なのはが絶叫する。大きな叫び声を上げたのは、しかしウサギの方だった。レンは咄嗟に棍を地面に突き立て、その上にまともに乗ったウサギの体を棒の先端が貫いた。 棍を伝ってウサギの血がレンの腕を染める。それでもウサギはまだ生きていた。今や目の鼻の先にあるレンの頭部を見て、ウサギは太い腕を振り上げた。レンが、文字通り血を吐きながら叫んだ。 「なのちゃん、撃つんや!」 その声を、なのはは果てしない後悔とともに聞いた。魔力を込めた右手が強い光を帯びる。ウサギが血走った目をして、レンの顔面へ拳を振り下ろした。しかしその拳がレンの頭を砕くより先に、ウサギの胴体を光線が一閃した。 ディバインシューター。威力は低いが素早く放てる、なのはの使える基本魔法。威力が低いと言っても、なのはの魔力は半端ではない。傷付いたウサギを仕留めるには十分だった。ウサギはきらきらと光の粒子を撒き散らし、やがて霧散した。 「レンちゃん!」 なのはは悲鳴のような声を上げて駆け寄り、倒れているレンの体を抱きしめた。なのはの腕の中で弱々しくレンが言った。 「ごめんな、なのちゃん……。せっかく……」 囁くような声が途切れ、レンの体から力が抜けた。なのはは大粒の涙をぼろぼろ零しながら、レンの顔に頬をすり寄せるようにして首を振った。 「なんでレンちゃんが謝るの? 謝るのはなのはだよ。ごめんね……ごめんなさい……。わたしが、隠し事なんかしなければ……」 堪えきれなくなって、なのはは大きな声を上げて泣いた。魔法のことをずっと隠してきたこと、そしてこの状況下でなお、さっさと魔法を使って敵を倒すよりも、レンが一人で倒してくれれば魔法のことをばれずに済むなどと、自分のことばかり考えていたこと。その結果が、レンが自分の腕の中で青ざめた顔で気を失っているこの現実だ。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」 何度も謝りながら、なのはは泣き続けた。 やがて家族の誰かがなのはの声に気が付いて、家中が大騒ぎになってなお、なのははずっと泣き続けていた。 |
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