『 Guilty 』 |
第3章 神咲那美 2 時は少し遡る。 夏の陽射しが照りつける神社の境内で、那美はいつものように巫女服姿で掃除をしていた。周囲の緑にこそ清涼感があるが、途切れなく響き続ける蝉の声と、息苦しいほどの蒸し暑さに、さしもの那美もくたびれた顔をした。白衣の下の襦袢は汗でぐっしょり濡れて肌に張り付いている。これ以上汗をかいたら倒れると思い、那美は少し休憩にしてお茶を飲んだ。 以前美由希に、「ジャージじゃダメなの?」と聞かれたことがある。那美は質朴なので、暑かろうと寒かろうと神社では巫女服姿を通しているが、なるほど別にジャージでもいいような気がしないでもない。格好も信仰心の一つと考えているが、これだけ暑ければ神様もお許し下さるだろう。 渡りに座ってくつろいでいると、茂みから狐が出てきて、那美に擦り寄ってきた。那美は毛並みを撫でながら、小さく微笑んだ。 「久遠も暑いの?」 言われた方は、実際のところ暑いのではなく、暇なだけだった。すぐにそうとわかった那美が、遠くに目を遣りながら言った。 「なのはちゃんが来てくれるといいね。でも、美由希さんと高町先輩がおうちを留守にしてるから、なのはちゃんはお留守番かな。久遠から遊びに行ってもいいのよ?」 久遠は一度顔を上げたが、すぐにまた丸くなって動こうとしなかった。なのはのことは好きだが、疲れた様子の那美を置いて遊びに行くのは薄情だと思ったのだろう。那美はくすっと笑った。 「私なら別にいいのに。でも、ありがとう、久遠」 ゆったりとした時間が流れていた。那美の周りではいつでも時は穏やかに流れている。街の喧噪もここまでは届かない。蝉はうるさいが、日陰でのんびりしているとあまり気にならなかった。平和の中、少し午睡に身を投じようかなどと考えていると、森から一匹の猫が歩いてくるのが見えた。 「ぎんが……?」 ぎんがは那美が飼っている雪虎の友達の野良だ。那美はぎんがの傍まで行き、しゃがんで抱き上げようとした。そんな那美を見上げるぎんがの目が真っ赤に光った。 「えっ……?」 不吉な気配を感じ、那美は咄嗟に手を引っ込めたが、間に合わなかった。ぎんがが尋常ではないスピードで前足を繰り出し、那美の左手の甲から血飛沫が上がった。 「あ……」 那美は立ち上がり、右手で傷を押さえてよろめいた。生暖かい血の感触が気持ち悪くて、眩暈がする。蒼白になって見下ろすと、ぎんがが低い唸り声を上げて飛びかかってきた。 「きゃあ!」 那美は思わず固く目を閉じて身をすくめた。衝撃はなかった。恐る恐る目を開けると、目の前に人型を取った久遠が那美をかばうようにして立っていた。ぎんがの方は久遠に弾き飛ばされたのか、数メートル先に着地して、こちらを睨んでいる。気のせいだろうか、体長が先ほどより一回り大きい気がした。 「なにか……とりついてる……」 たどたどしく久遠が言う。ぎんがが跳んだ。すぐに久遠が叩き落としたが、ぎんがはひるむことなく向かってきた。体長はすでに久遠の半分ほどになっている。 「久遠!」 「なみ……にげて……」 ぎんがの両の前足が久遠を捕らえた。そのまま地面に組み敷き、喉に噛み付こうとする。 「久遠っ!」 那美の絶叫。苦しげにもがく久遠の喉元に、ぎんがの鋭い牙が突き刺さろうとした刹那、森の奥から、いきなりビーチボール大の光の球が飛んできて、ぎんがを直撃した。解放された久遠はすぐに飛び起き、臨戦態勢を取る。 「な、何がどうなってるの?」 那美は呆然と呟いた。すべてが夢のような展開だったが、左手の痛みが紛れもない事実だと伝える。血にまみれた右手を白衣の中に入れ、いつも差している短刀に触れた。 ぎんがは先ほどの光弾にダメージを受けた様子もなく、相変わらず巨大化を続け、とうとう久遠と同じくらいの大きさになった。那美はどうしていいのかわからなかったが、ひとまず『雪月』を取り出して抜いた。白銀の刃が冷たく光る。 ぎんがを切ることはできない。けれど、このままむざむざ殺されるわけにはいかない。 道はあるはず。 まだ迷いに揺れる那美の前で、ぎんがと久遠が同時に地面を蹴った。 |
▲ Back | ▼ Next |