『 Guilty 』

 第4章 フェイト・テスタロッサ

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 地球のような青い惑星。地球の10分の1ほどの大きさのその星は、地表のほとんどすべてが水に覆われている。唯一の陸地はなのはの住む日本の、四国と同じくらい。そこに高層ビルや近代的な建物が建ち並んでいる。
 けれど、それらの大半は寂れ、中には崩れているものもある。ひび割れた地面に点在する乗用車はいずれも乗り手不在のまま朽ち、恐らくキーを回しても動くことはないだろう。
 猫や犬、その他の小動物が街を気ままに闊歩している。その糞尿で周囲はあまり衛生的ではない匂いが立ちこめているが、空気浄化機能のようなものが働いているのか、それほどひどくはない。食物は自動生産されているらしい。これは昨日の調査により判明した。
 人の気配はないが、完全に人類が死滅してしまったというわけではない。時折人が歩く姿を見るが、彼らは一様に年を取り、もはや先が長くない者ばかりだった。子供の姿はおろか、働き盛りの世代もいない。それでも、生存するわずかな人々は、誰もが幸せそうな顔をしていた。満ちた人生を送ってきたのだろう。
『滅びゆく街』
 リンディが付けたその名が、第14管理外世界を端的に現している。文明が高度に成長した末、今まさに歴史から姿を消そうとしているこの街で、ロストロギアに成り得る危険なものがないかを、まだ人類が生存している内に調査しようという目的で、時空航行艦船アースラを近くに停泊させたのが昨日のこと。そしてその乗組員たちで、手分けして調査に当たっている。
 フェイトとアルフが担当するのは『西地区』だった。この名も、街の中心にある巨大な尖塔から日の沈む方角一帯に対してリンディが便宜的に付けた名前であって、現地の人間はCariolyelと呼んでいる。しかし、地球を『地球』と呼ばないのと同じように、現地での呼び名はフェイトたちにはあまり意味がないので、管理上呼び名を『西地区』で統一している。
 西地区は比較的建物が少なく、今回が時空管理局での初仕事になるフェイトには手頃な規模だった。アルフと並んで歩いていると、向こうから一人の老婆がやってきた。足を止め、フェイトから声をかける。警戒混じりの呼びかけだったが、老婆は穏和な笑みで答えた。
「若い娘さん、珍しいね。この国の人間じゃないね」
「ええ、外から来ました」
 老婆は管理外世界の人間なので、「外」と言われても恐らく何のことかわからなかっただろう。管理外世界とは「社会性を持つ知的生命が存在しているが、次元の海に進出していない、あるいはその存在を認識していない世界」のことである。老婆は特に気にした素振りは見せず、「そうかい」と言っただけだった。
 フェイトは何故この世界には若者や子供がいないのかを尋ねた。老婆が答えた。
「それは、誰も子供を作ることに喜びを感じなくなったからじゃよ。子供を産む危険、育てる面倒、そうしたところでどうせいつか自分が死ぬことに変わりはない。それなら、誰もが自分自身を目一杯楽しもうと思った結果がこれじゃ。この国はやがて滅ぶ。だが、どうせ自分は死ぬんじゃ。世界が滅ぼうが、新しい世代が引き継ごうが、同じじゃないかえ?」
 その問いかけに、フェイトは答えられなかった。正しいとも思わないし、間違っているとも思わない。ただ、新しかった。フェイトは今まで、子供を産むとか、育てるとか、あるいは自分が死ぬとか、そういうことを考えたことがなかった。まだ生まれてきてから数年しか経っていないのだ。無理もない。
「その、お婆さんは、何が楽しみで生きてるんですか? お友達とか家族がいないと、寂しくないですか?」
 言ってからすぐ、失礼な質問だったと思った。自分の価値観を押し付けるような質問だったが、老婆はやはり気にした様子もなく答えた。
「わしは美味いもんを食っていれば幸せじゃな。人との関わりなど、面倒なだけじゃ。たまにこうして見知らぬ者と話すのは悪くない。じゃが、気を遣って生きたり、誰かのために我慢したり、配慮したりするのはうんざりじゃ」
 やはり、フェイトには難しかった。実際、フェイトは恐ろしく限定された人間関係の中で生きてきて、人との関わりというものをほとんど知らない。友達が出来たが、友達がどういう存在かもまだよくわかっていない。ただ、なのはに会いたい。その想いだけは確かだ。なのはと二人でいられるなら、それなりの面倒も我慢できる。
「病気とか、不安とかはないですか?」
 まだ幼いフェイトは、この達観した女性を前に何を聞けばいいのかわからなくなっていた。しかし、これも調査の内である。とにかく言葉を絞り出した。老婆は満足げな笑みを浮かべて首を横に振った。
「行き詰まったら死ねばいい。どうせいつか死ぬんじゃからな。この国には、最高に幸せな思いを味わいながら死ねる薬があり、誰もがそれを手に入れられる。食べ物は思い通りのものが勝手に生産できる。飽きるまで食べて、飽きるまで生きたら、後は死ぬだけじゃよ。死ぬのは最後の楽しみじゃ」
 老婆はそれだけ言うと、笑いながら行ってしまった。フェイトはよくわからない気持ちで胸がいっぱいになった。今までにない価値観に触れ、頭が混乱していた。
 その後も数人に話しかけたが、皆が皆まったく異なる楽しみや価値観を持っており、フェイトは頭が飽和して少し気分が悪くなった。公園のベンチに腰かけると、アルフが心配そうな目でフェイトを見た。
「大丈夫? 顔色が良くないよ?」
「うん、平気。世界には色んな人がいるんだね。少し驚いた」
 フェイトは、大半の人間がそうであるように、比較的自分を普通だと思っていた。なのはに言わせれば、フェイトは特殊中の特殊の部類に分類されるだろうが、フェイトから見ればなのはの方がずっと不思議な女の子だった。さすがに自分が他人の記憶を継ぎ、人間ではない作り物だと知った時には揺らいだが、それでも物の考え方や嗜好、人生観のようなものは標準的だと思っていた。
 ところが、今日多くの人の話を聞いて、自分の考えは単純で底が浅く、その上無数の思考パターンのたった一つでしかないと知った。もちろん、それで自分が異常や特殊だと感じることはなかったが、自分が選択できる道には、自分で思い付くものの他にもたくさんあるのだという気付きは、フェイトの胸に強く根付いた。
 もっと多くを知りたい。そうしたら、もしかしたら今朝の夢に対する納得のいく答えが見つけられるかも知れない。
 フェイトの瞳に強い光が宿った。アルフもそれに気が付いた。フェイトは心なしか笑っているが、アルフは不吉な予感に駆られた。フェイトがまた、どこか妙な方向に走り出しそうな気がした。
「行こう、アルフ。調査を続けよう」
 元気よく立ち上がったフェイトに、アルフは素直に従った。フェイトは自分のご主人様で、このどうしようもない危なっかしさも含めて、フェイトが好きでたまらないのだ。
 どこまでもフェイトについていき、そして彼女の望むようにする。アルフはあどけない主人の横顔を眺めながら、改めてそう決意を固めた。