『 Guilty 』 |
第4章 フェイト・テスタロッサ 3 調査を再開して数時間後、フェイトは西地区の外れ、のどかな田園風景の中に灯りのついている家を見つけた。近付いてみると、中には人の気配があった。辺りはもう薄暗くなっている。フェイトはこの家を今日の調査の最後にしようと思い、ドアをノックした。 住んでいたのは還暦前後の老人だった。白髪で額には皺が刻まれ、体は病的に痩せている。そして彼は、フェイトがこれまでに会った人々と同じように、明らかにこの国の人間ではない若い少女の来訪に驚くでもなく、穏和な微笑みを浮かべてフェイトを家に招き入れた。 ノスタルジックな外観とは異なり、家の中には近代的な機械が並んでいた。フェイトはそれらを眺めながら、老人に日頃ここで何をしているのか尋ねた。彼はリクライニングチェアに腰かけて、ゆっくりと話し始めた。 「何と言われれば、何もしていない。ただ思い出に浸りながら、時が来るのを待っている。飽きるのが先か、訪れるのが先か」 時とは、つまり死ぬことである。様々な価値観を持つ人と出会ったが、この国の人間に共通しているのは、皆が死ぬのを楽しみにしていることだった。中には若くして自ら死を選んだ人もいたという。 「飽きませんか?」 フェイトは思わず尋ねた。今、フェイトは未来しか見ていない。過去はむしろ閉ざしたいものであり、思い出すという行為は苦痛を伴った。なのはの名前を初めて口にしたあの瞬間から自分は生まれ変わり、ただひたすら明るい未来を思い描いて前に進んでいる。年齢のせいだろうか。過ぎてきたものを数えながらやがて来る死を待つだけという生き方が、まるで理解できなかった。 老人は薄く目を閉じて首を振った。 「いや。どれだけ振り返っても飽きないだけの思い出を、わしは作った。お嬢ちゃん、寝ている間に、わくわくするような夢を見たことはないかね? そして朝起きた時、もっと夢の中にいたかったと思ったことはないかね? わしにとって思い出すという行為は、楽しい夢を見続けることと同じなんだよ」 「夢のように楽しい人生だったんですね」 フェイトは納得して頷いた。老人はもう十分人生に満足して、今ここにいるのだと。 だが、老人はそれを否定した。楽しそうに笑いながら体を起こすと、椅子から下りて一台の機械の前に立った。 「そうではない。さっき言った通り、わしは思い出を作った。記憶を、自分の好きなように書き換えたんだ」 「書き換えた?」 「そう。これがその機械だ。わしと仲間で発明した。今はもう動力となる『力の石』が枯渇して動かんがね。開発には三十年かかった。かかったはずだが、その記憶も書き換えた。わしが覚えているその三十年は、煌めくような青春の日々だ。本当に幸せな日々を生きた」 昔を懐かしむようにそう言いながら、老人は引き出しから小さな青色の石を取り出した。フェイトは思わず目を見開き、隣でアルフの息を飲む音がした。魔力の輝きこそ失っているが、それは間違いなくジュエルシードだった。 「ほう、この石を知っているのかね」 二人の反応を見て、老人が愉快そうに笑う。フェイトが神妙な顔で答えた。 「ジュエルシードと言います。ロストロギア……強い力を持った魔法の宝石で、別の世界で作られた物です。どうしてここに……?」 「それはわからん。遥か昔に旅人が置いていった物と聞くが、ではその旅人はお嬢ちゃんの言う『別の世界』から来たのかも知れんな」 「魔力を失っていないジュエルシードがあれば、その機械はまだ動くのですか?」 真剣な瞳でフェイトが尋ねた。その言葉を聞いて、アルフが凍り付いたように身を強張らせる。しかし、フェイトはそれに気付かず、真っ直ぐ老人を見つめていた。老人は力強く頷いた。 「無論、動く。電源は入る。足りないのは動力だけだ」 「記憶はどうやって書き換えるんですか? 前の記憶は忘れられますか? 残したい思い出は消えませんか? 書き換えた後、違和感はないですか?」 知らず知らずの内に、フェイトは身を乗り出していた。動悸がした。無意識に拳を握って胸に当てると、心臓が全力疾走した後のように速く打っていた。 そんなフェイトを見て、アルフは愕然と立ち尽くした。フェイトがこんなに興奮するのも、大きな声を出すのも見たことがない。フェイトが記憶の書き換えに興味を持っていることはもはや明白で、同時にフェイトがいかに過去のことで苦しんでいるのかを知って胸が痛くなった。 (だけど、それをしちゃいけない!) アルフは心の中で叫んだ。 「お嬢ちゃん、辛いことがあったんだね。わかった。『力の石』がある前提だが、この機械の話を少ししてあげよう」 老人はフェイトを椅子に座らせると、機械のこと、それに記憶のことを静かに語り始めた。フェイトはもはやアルフがいることすら忘れて、その説明に聞き入っていた。 やがて、すっかり夜になってから、二人は老人の家を後にした。老人は「気が向いたらおいで。わしが生きている内に」と言ってフェイトを送り、フェイトは丁寧に頭を下げて背中を向けた。 フェイトは決然とした眼差しのまま、何も言わずに歩き始めた。隣でそわそわしているアルフを見ようともしない。いつもそうだ。フェイトはいつだって自分一人で悩み、自分一人で納得し、自分一人で解決してしまう。アルフは両手を広げてフェイトの前に立ちはだかった。足を止めたフェイトの瞳に、初めてアルフの姿が映った。 「フェイト。どうするつもりだい?」 強い語調で尋ねる。 「アースラにジュエルシードがある」 「それで?」 「それで、記憶を書き換えてもらう」 あっさりとフェイトが答えた。アルフは眩暈がして一歩後ずさりした。フェイトはそんなアルフを見上げながら、しかしどこか遠くを見るように続けた。 「集めた21個の内、母さんが使った9個を除いて、まだ全部アースラにある。あれはまだ魔力を失っていない。あれなら……」 「フェイト、勝手にジュエルシードを使ったら罪になる。フェイトは今保護観察なんだ。今度罪を犯したら、牢に入れられてもう二度と出られないよ。せっかく新しく始めたのに。なのはにも会えなくなる。それでもいいのかい!?」 思わず口調が厳しくなった。牢に繋がれるフェイトを想像したら、悲しくなって涙が溢れてきた。フェイトは柔らかく笑った。 「大丈夫。気付かれないようにやるから。ありがとう。心配してくれて」 アルフは無言で首を大きく横に振った。心配しているのではない。はっきり否定しているのだ。それをしてはいけない。けれど、ジュエルシード集めの時もそうだったように、フェイトが本当に願ったことはどんなことでも叶えてあげたい。結局自分は使い魔で、フェイトのためなら何でもするのだ。 自分ではダメだ。そう悟った瞬間、アルフは無意識に口を開いていた。 「フェイト、友達に相談しなくちゃダメだ」 「えっ……?」 「アースラのジュエルシードに手を出す前に、なのはに相談するんだ。なのはと友達になったんだろう? そういう大切なことは、友達に相談せずにしちゃダメだ」 なのはに託そう。もはやフェイトを止められるのはなのはしかいない。力尽くではなく、フェイトを心から説得できるのは、フェイトが信頼できるたった一人の友人、高町なのはの他にはいない。 アルフの苦し紛れの説得は、確かにフェイトの心を揺るがせた。フェイトはなのはが好きだったし、過去も未来もがたがたに崩れてしまった自分の道標のように思っていた。だからフェイトは、なのはに相談しなくてはいけないと言われたら、素直にそうしようと思った。 「そうだね、アルフ。なのはに相談しよう」 なのはのことを思い出し、フェイトは微笑んだ。そんなフェイトの笑顔を見て、アルフは胸を撫で下ろした。なのはには良識がある。だから、きっとフェイトを止めてくれるだろう。 けれど、この時フェイトは違うことを考えていた。なのはは自分の苦しみをわかってくれる。だから、必ず応援してくれる。手伝ってくれる。なのはが頷けば、アルフも納得してくれる。クロノたちもわかってくれるかもしれない。すべてが上手くいく。なのはは友達だから、自分を止めるはずがない。 「この世界の調査が終わったら、少しお休みをくださいって頼んでみるね」 フェイトは明るい顔でそう言った。アルフも晴れやかな表情で頷いた。 嬉しくなって二人で空を仰ぐと、頭上には無数の星が煌めいていた。 荒廃した街に、溜め息が出るほど美しい夜だった。 |
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