『 Guilty 』

 第5章 高町家の人々

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 夏休みというものを、当然のごとくフェイトは経験したことがない。どういうものかとリンディに聞くと、学校に行かなくてもよい日が長く続き、宿題さえやれば後はひたすら遊んでいてもいい期間だと教えられた。宿題は大量に出され、前半に一気にやって終わらせ、残りの日々を満喫するタイプと、面倒なことは後に回して、残り数日になって泣きながらこなすタイプの2つに分かれるという。
 フェイトは、恐らくなのはは前者だろうと考えた。フェイトの中でなのはという女の子は、とにかく真面目で、決してさぼったり手を抜く性格ではなかった。魔法の練習も一人でこつこつ続けていると言うし、学校の宿題も溜め込むはずがない。だから、夏休みも残りわずかとなった今なのはの家を訪れても、彼女の宿題の邪魔になることはないはずだ。もっとも、時間があったとして、歓迎してくれるかは別問題だが。
「なのはも喜ぶに決まってるじゃん。大丈夫だって」
 どことなく不安げなフェイトに、アルフが呆れながら言った。フェイトはためらいがちに笑った。あれだけなのはの方から友達になりたいと言ってもらいながら、どうしても心のどこかで疑ってしまう。内気な性格もあるが、劣等感のせいだとフェイトは思う。自分で自分が好きになれないのに、他人から好きだと言われてもにわかには信じられない。
「なのはは、少し変わった子だね」
 こんな私と友達になりたいなんて、という言葉は飲み込み、フェイトは足を止めて顔を上げた。
 日本の海鳴市──高町家から少し離れた場所に、フェイトとアルフは立っていた。第14管理外世界での真面目な仕事ぶりを認められ、フェイトはリンディからなのはに会う許可をもらった。ついでにユーノの滞在理由を調べてきてほしいとクロノに頼まれたが、それにはあまり興味がなかった。仮にユーノが本当になのはを好きだったとしても、それが自分となのはの仲に影響を及ぼすものでなければ構わない。
 それよりも、今はなのはのことだ。会ってもいいと言われた時には、楽しいことばかりを考えていたのだが、いざ目の前まで来たら気後れしてしまった。元々なのはとは合計して数時間と顔を合わせていない間柄である。本当に自分が想うほど、なのはも自分に会いたがっているだろうか。
 連絡もせずに来てしまったが、迷惑ではないだろうか。家族の人には自分のことをどう説明すればいいだろう。当然なのはの家に泊まる気でいたが、考えてみればそれはひどく身勝手ではないか。嫌そうにされたらどうしよう。やはり手順を踏んだ方が良かったのではないか。一度アースラに戻って出直すべきだなどと考え始めたら、よほど暗い顔をしていたのだろう、アルフが溜め息混じりに言った。
「フェイト、またつまんない想像してるのかい?」
 フェイトは小さく唇を尖らせて俯いた。アルフは使い魔の分際でとは思いつつ、両手を腰に当ててお姉さん風を吹かせて言った。
「ビデオメールで、なのはも会いたいって言ってくれてただろ? フェイトが会いたいんだから、なのはだって会いたいさ。こんなところでうじうじ考えてる時間がもったいないよ。早くなのはに会いに行こう」
「だって……」
 フェイトは拗ねたように上目遣いにアルフを見た。
 アルフはそんなフェイトの子供っぽい仕草に、思わず頬を緩めた。フェイトは滅多に感情を表に出さない。いや、出さないのではなく、感情がひどく欠落している。これまでの人生で喜ぶようなことはほとんどなかったし、唯一の楽しみも叶わなかった。悲しいことは受け入れてしまっていたし、否定されて怒りを感じるほど大切なものもなかった。母親に対するひたむきさと怯え。その二つの他に、フェイトを構成するものは何もなかった。
 そのフェイトが、なのはの話をすると嬉しそうに笑ったり、自分の希望を言うようになった。なのはの友達に嫉妬したり、なのはの気持ちがわからずに不安がったり、手紙をもらってはにかんだり、本当に感情も表情も豊かになった。今こうしてうじうじしているのも、広い意味ではいい傾向だった。
 今日から3日間、なのはと過ごす中で、フェイトにはもっと子供らしくなってほしい。色んな経験をして、フェイトとしての思い出を作ってほしい。そして、過去などどうでもよくなるほど、なのはとの明るい未来を思い描いてほしい。ジュエルシードのことなど忘れてしまえばいい。
「フェイトがぐずぐずしてるなら、もうあたしが思念通話でなのはを呼ぶよ?」
 わざと意地悪にそう言うと、案の定フェイトは慌てた顔をして手を振った。
「だ、だめ!」
 フェイトは恨みがましくアルフを見上げ、それから小さく溜め息をついて、決心したようになのはの部屋に目を遣った。確かにアルフの言う通り、ここでぐずぐずしているのは時間の無駄だ。与えられた時間は限られている。後のことは後で考えよう。
『なのは……』
 フェイトが思念通話でためらいがちに呼びかけた時、なのはは部屋にいて、最後に残った読書感想文の宿題のために本を読んでいた。唐突な念話に驚いて顔を上げ、反射的にユーノを見る。
 フェレット姿のユーノは、眠たそうに顔を上げ、寝ぼけながら「なのは?」と呟いた。どうやら今の声はユーノが発したものでもなければ、ユーノに発せられたものでもないらしい。そもそもそれはユーノの声ではなかった。
『フェイトちゃん?』
 聞き間違えでなければ、それは確かにフェイトのものだった。なのはが驚き半分で聞き返すと、フェイトが答えた。
『うん。驚かせてごめん。今なのはの家の外にいるの』
『本当!?』
 なのはは椅子をひっくり返す勢いで立ち上がって窓を開けた。見下ろすと、塀の向こう側、電柱の陰に隠れん坊でもするようにフェイトが立って、小さく手を振っていた。どことなくおどおどして見えるが、何かあったのだろうか。なのはは大声でフェイトに呼びかけようとして、なんとかそれを踏みとどまった。
『すぐに行くね!』
 同じように念話で答え、大急ぎで部屋を飛び出そうとする。慌ててユーノが制した。
「なのは、どこに行くの?」
「フェイトちゃんが外にいるの! きっとわたしに会いに来てくれたんだよ!」
 嬉々としてなのはが言う。実際にそれは当たりだったが、ユーノはそうは取らなかった。フェイトがなのはに会いたがっていたのは確かだが、それが何故「今」なのか。考えられることは一つしかなかった。
「待って、なのは!」
 眠気が一瞬で吹き飛んだ。切羽詰まった声を出すと、なのはが驚いた顔をして足を止める。
「ユーノ君?」
 ユーノは思わず本来の少年の姿に戻り、ドアの前に立った。両手を広げ、怪訝そうななのはの瞳を見つめる。
「なのは、よく考えて。フェイトは何をしに来たと思う?」
「だから、わたしに会いに……」
「それはたぶんそうだと思う。でも、それにしてはタイミングが悪すぎる。率直に言うよ。フェイトはそもそも僕がアースラからここに来た理由、つまりジュエルシードのことを調べに来たんじゃないのか?」
 ユーノが珍しく険しい表情をしていたから、なのはも逸る心を抑えた。確かにユーノの言う通りだ。
 クロノはユーノの行動の本当の理由を知りたがっていた。しかし、監視することは物理的には可能でも、興味本位の覗き見は禁じられている。だから、なのはに会いたいフェイトに、交換条件として偵察を命じた可能性は十分考えられる。
 あるいは、フェイトは何も知らされていないかもしれない。いずれにせよ、ジュエルシードのことをフェイトが知れば、リンディやクロノにも伝わる。説明すればフェイトは隠す努力をしてくれるだろうが、あの二人を相手に素直なフェイトがいつまでも黙っていられるとは思えない。
 ユーノが再三にわたり警告していたように、ジュエルシードの私的な利用を時空管理局の人間に知られれば、二人は罪に問われるだろう。それだけは避けなければならない。
「わかった。でもわたしはフェイトちゃんに会いたい。それは、いい?」
 懇願するようになのはが言った。いずれにせよここで「帰れ」と言うわけにはいかないし、しろと言われてもするつもりはない。無論、ユーノもそうだった。フェイトとなのはが悲しむのはこの際大きな問題ではなかったが、追い返したらより疑われるのは明白である。一番自然な流れを演じなくてはならない。
「もちろんだよ。レンやみんなには僕から説明しておくから、なのははフェイトのところに行って。フェイトがそんな子じゃないのはわかってるけど、ここであんまり時間をかけると、疑われるかもしれない」
 なのはは苦笑いを浮かべた。
「ユーノ君の言う通り、フェイトちゃんはそんな子じゃないよ」
 フェイトは良くも悪くも一途で真っ直ぐである。人を疑うことを知らないし、嘘もつけない、不器用なまでに一生懸命な、なのはの大好きな女の子だ。もしもクロノに何か言われていたとしても、小細工などせず、率直にそう質問してくるだろう。
「わかってるよ。ただ僕はジュエルシードのことだけは気を付けてって言いたかっただけなんだ。さあ、フェイトが待ってる」
 なのはは大きく頷いて部屋を飛び出した。この時なのはは、ただフェイトに会いたい一心だった。だから、ユーノが言った「みんなには僕から説明しておく」という言葉を軽く聞き流してしまった。
 部屋着のまま、サンダルを引っかけて外に出た。フェイトは門のすぐそばにいて、少しぎこちない笑顔をなのはに向けた。
「なのは、久しぶり」
「うん! 会いたかった、フェイトちゃん!」
 手を握るだけのつもりだったが、嬉しさのあまり思わずフェイトに抱きついた。そしてフェイトの華奢な体を思い切り抱きしめる。
 いきなりの抱擁にフェイトは驚いた。女の子同士のハグは挨拶の一つだと知ってはいたが、友達などいなかったし、そういう経験はこれまで一度もなかった。
 触れ合う肌がべたべたして、シャツは乾いているところがないほど汗で濡れていた。けれど、それを不快に思うようなことはなく、ただなのはの温もりが愛おしくて、やがてフェイトは緊張を解いてそっとなのはの背中に両手を回した。嬉しそうな声で、もう一度なのはが言った。
「会いたかった……」
 フェイトは安らぎに包まれるのを感じた。耳元で囁くなのはの声に、体が打ち震える。それまで抱いていた不安はもうどこにもなかった。自分は一体何を心配していたのだろう。
「私も、ずっと会いたかった」
 ぎゅっと、なのはの背中を抱き寄せた。
 そんな二人を少し離れたところから見つめながら、アルフは大きく頷いていた。フェイトは時々見せる作り笑いではなく、心から嬉しそうに微笑んでいる。今フェイトにあの顔をさせられるのは、世界中を探してもなのはしかいない。
(もう大丈夫。何も心配要らない)
 フェイトの笑顔を眺めながら、アルフは同じように幸せそうななのはに感謝した。
 何も心配要らない。
 ジュエルシードの問題を抱えたなのはも、記憶を消そうという決意を秘めたフェイトも、この時はそんなすべての不安や思いを捨て去って、ただ互いの温もりと再会の喜びに浸っていた。