『 Guilty 』

 第5章 高町家の人々

  3

 フェイトがさんざん不安に思っていたことはすべて杞憂に過ぎず、なのははフェイトの訪問を心から喜んでいた。
「連絡してくれれば良かったのに。わたしにだって準備があるんだからね!」
 嬉しそうにフェイトの手を引きながら、なのはが笑いかける。
 いつものフェイトならその言葉を文字通りに受け止めて、「ごめんなさい」とうなだれそうなところだが、さしものフェイトにもなのはが自分を歓迎してくれているのがわかり、照れながらいたずらっぽく返した。
「なのはをびっくりさせたかったの」
「びっくりしたよ! だってもっと後まで会えないと思ってたんだもん。さっ、入って。みんなに紹介しなくちゃ」
 なのはに招かれて、フェイトは玄関をくぐった。胸がドキドキした。なのはは受け入れてくれたが、家族の人たちは大丈夫だろうか。いきなりやってきて3日間世話になる気満々の自分を、非常識の礼儀知らずだと軽蔑したりしないだろうか。内気で人見知りな性格もあって、フェイトは過度に緊張していた。
 アルフは何も言わずにそんなフェイトの後ろを歩いている。アルフにとって大切なのは、フェイトが皆にどう思われるかと、自分がフェイトにどう思われるかだけで、なのはの家族が自分をどう思うかには関心がなかった。そして、前者についても心配していなかった。フェイトはいい子だし、初対面とは言え、なのはの家族はフェイトのビデオメールを見ているはずである。何も心配することはなかった。
 アルフ以上になのはは気楽に考えていた。元々家族の誰もがビデオメールを見てフェイトに会いたがっていたし、歓迎されないはずがない。気になることと言えば、数日前から作っているビデオが無駄になってしまったことくらいだった。
「ちょうどみんなを紹介するビデオを作ってたんだけど、要らなくなっちゃったね。でも、良かったら後で一緒に見よっ」
 なのはが屈託のない笑顔を向けて、フェイトも強張っていた表情を少しだけ緩めた。
 脱いだ靴を整えようとしていたフェイトを引きずるようにリビングに連れ込み、なのはは大きな声で家族を集めた。レンと晶、それからたまたま家にいた桃子が顔を出す。もちろんユーノも一緒だ。フィアッセは翠屋に行っており留守にしていた。
「この子がフェイトちゃん。わたしに会いにわざわざ来てくれたの。今日と明日うちに泊めたいんだけど、いいよね?」
 なのはが嬉々として紹介した。フェイトがためらいがちに頭を下げて、「フェイトです。よろしくお願いします」とか細い声で挨拶する。
「もちろん、いいわよ。よろしくね、フェイトちゃん」
 まずは桃子が優しく微笑みかけた。フェイトはぎこちなく顔を上げ、真っ直ぐ桃子の目を見つめた。
 この時桃子は、フェイトの登場をなのはの期待とは違う意味で歓迎していた。ユーノと同じ国の少女が来たことで、今の硬直した状況が多少なりとも動くだろう。それがどう転がるかはわからないが、何も起こらないよりはずっといい。ただし、転がる先によってはフェイトをなのはから遠ざける確固たる意志もあった。
 レンはと言えば、直前にユーノから話を聞かされ、フェイトを警戒していた。元々ジュエルシードを悪用している意識はなかったが、ユーノに事情を聞かされ、それが罪になることを知った。こうなった今ジュエルシードはユーノに返した方がいいと思ったが、なのはもユーノもそうするべきだとは言わないし、何より体が自由に動く幸せを手放したくはない。いずれにせよ、そのことは後で改めてなのはと話すとして、今はユーノの言葉に従い、3日間フェイトにジュエルシードのことを知られないよう気を付けることだ。
「鳳蓮飛です。レンって呼んでくれてええよ」
 できるだけ自然に振る舞って自己紹介をする。ユーノにはフェイト自身は悪い子ではないと言われていたし、前にビデオメールを見た時、自分でもそう感じたが、状況は予断を許さない。歓迎したい気持ちと、なのはを守るために彼女を近付けてはいけないという責任感がせめぎ合い、レンは言葉少なに挨拶するのが精一杯だった。
 晶の方はもっとあからさまにフェイトを警戒していた。そもそも晶は喧嘩っ早く、猜疑心の強い少女だった。高町家に来て驚くほど丸くなったが、本質的には初対面の相手に心を許すタイプではない。ましてやユーノに事情を聞かされた後である。なのはが心から友達だと思っている女の子が、なのはの行動を疑って調べに来た。友情を大切にしている晶は、そんなフェイトに強い敵愾心を抱いていた。
 もっとも、それは完全な誤解だった。しかし、ユーノは他にフェイトの訪問理由を思い付かなかったし、取り越し苦労になっても構わないので、出来る限り注意深く行動するよう二人に言っていた。レン同様、妹同然のなのはを守るために晶がフェイトを敵視するのも仕方のないことだった。
 レンと晶のぎこちない挨拶の後、なのははフィアッセと翠屋について話してから、この場にいない兄と姉のことを思い出した。恭也と美由希は数日前に連絡があり、明日の夜中に、訓練も兼ねて稲神山から走って帰ってくるという。フェイトに呆れられると思い、常人離れした内容には触れずに、明後日の出発の日には会えることだけを伝えた。
「フェイトちゃん、何か食べたいものある? レンちゃんも晶ちゃんもすごく料理が上手なんだよ!」
 にこにことなのはが笑いかける。フェイトとの時間が嬉しくて、なのはは室内に漂う不穏な空気に気付いていなかった。
 しかし、小さい頃から母親の顔色を窺い続けて生きてきたフェイトは、レンや晶の警戒する視線にも、ユーノがいつになく緊張していることにも、そして桃子が何かを含んでいることにも気が付いていた。ただ、それらが自分の突然の訪問とは直接関係ないことも感じていた。
 何かある。しかし、それが何かはわからない。
 フェイトはひとまず考えるのをやめ、高町家にいる間は出来る限りなのはにくっついていようと思った。アルフではないが、フェイトもなのはさえ自分のことを好きでいてくれたら、究極的には世界中のすべての人に嫌われても構わなかった。丁度母親だけを信じ、母親だけのために生きていたように、今はただなのはだけがフェイトの希望だった。
 それから桃子は店に戻り、晶とレンはフェイトとアルフのために買い物に出かけた。なのはは途中まで編集した映像をDVDに入れてデッキにかけた。
「おにーちゃんとおねーちゃんが帰ってきたら、二人も撮して、それから送ろうと思ってたの。ほら、レンちゃんと晶ちゃんがケンカしてる。この二人、仲がいいのにいつもケンカしてるんだ」
 なのはが画面を見ながら解説を加える。レンと晶の臨場感溢れる戦闘シーンが終わると、まるで映画のエンドタイトルのように、静かで綺麗なフィアッセの歌が流れた。なのははよほどその繋ぎが気に入っていたのか、編集のテクニックについて講釈し始めた。
 フェイトはそれを聞きながら、複雑な想いでビデオを見つめていた。画面の中のなのはの家族は、誰もが楽しそうだった。そしてこれはフェイトのためだけに作られたビデオである。つまり、これが撮影された時点では、レンも晶もフェイトに対してまったく悪い印象を持っておらず、なのはの言う通りフェイトを歓迎していた。一体何があったのだろうか。
 ユーノが来たのは恐らくこの後だ。彼女たちの心境の変化と、無関係とは思えない。不意にクロノの言葉が蘇った。ユーノの滞在理由。フェイトはそれに興味がなかったが、こうなった今、自分のためにも確認した方がいいかもしれない。
 そしてもう一つ、フェイトがビデオを見ながら思ったのは、なのはがいかに幸せな家庭に育ったかということ。フェイトにはなかった幼少時代と温かい家庭。嫉妬や羨望はなかったが、ただ……。
 フェイトが隣に目を遣ると、なのはが明るい笑顔で自分の顔を覗き込んでいた。フェイトもにっこりと笑った。
 そんな二人を、ユーノとアルフは無言で見つめていた。ユーノはフェイトの来た理由を聞きたかったが、墓穴を掘りそうだったので黙っていた。アルフもフェイト同様、ユーノの滞在理由には興味がなかったし、フェイトのことは彼女自身が言うべきだと思っていたから、何も言わなかった。
 ビデオが終わると、なのははフェイトに家を案内した。道場を見せながら、恭也が御神流の師範代で、毎日のように美由希と実戦的な稽古をしている話をすると、フェイトが柔らかく微笑んだ。
「だからなのはも強いのかな。血筋?」
「あはは。そんなことないよ。わたしは運動は全然だし、魔力が強いのはたまたま。おにーちゃんもおねーちゃんも魔力は全然ないみたいだし」
 なのはは手を振りながら笑って否定した。フェイトはそれを謙遜と捉えたが、なのはは事実を伝えただけだった。兄の恭也とは半分だけ、姉の美由希とはまったく血が繋がっていないのだから、血筋も何もあったものではない。しかし、そういう複雑なことはフェイトには言わなかった。なのはは恭也も美由希も大好きだし、本当の兄と姉だと思っている。それで十分だった。
 フェイトとは明るい話だけをしよう。ただでさえ生い立ちのことで悩みの多いフェイトに、余計な心配をさせてはいけない。そういうなのはなりの配慮もあったが、結果としてなのははもう少しフェイトに自分の話をするべきだった。兄の怪我のことや、二人の特殊な生い立ちのために随分寂しい思いをして育ったこと。そういう話をしたら、この時フェイトが抱いていた疎外感が多少は拭えたかも知れない。
 やがて晶とレンが買い物から帰ってきた。ちょうど玄関で鉢合わせ、フェイトはまた冷たくされるのではないかと思わず身をすくませたが、二人は元気に声をかけて、「夕食は期待してね」と言いながら行ってしまった。戸惑うフェイトに、元々何も気付いていなかったなのはが「楽しみだね」と笑った。
 フェイトはビデオで見た二人と、初対面の印象、そして今の笑顔のどれが本心なのかわからず混乱していた。実のところは、二人は買い物の最中にフェイトへの態度を反省し、もう少し優しく接しようと決めたのだった。なのはと同い年くらいの年端もいかない女の子に、仮にも高校生の自分たちが大人げない態度を取ってはいけない。もしも恭也や美由希がいたら、きっと叱られるだろうと思い、事情はともかくなのはの友達を歓迎することにしたのだ。
 実際に、夕食は豪勢だった。和食と中華が競い合うように並び、晶とレンが奇妙に肘で押し合いながら「どっちが美味しかったか言ってね」と笑いかける。一時はフェイトを共通の敵と認識し、手を組みかけたが、フェイトを受け入れると決めた今、同盟は破棄されたも同然だった。
 アルフはもはや挨拶の時の微妙な空気のことなど忘れて、勢いよく食事に飛びついた。食の細いフェイトも量に圧倒されながら箸を伸ばす。
 手羽先をオイスターソースで煮たもの、牛肉を焼いて七味や生姜で味付けしたもの、鮭の入った野菜炒め、春雨のサラダ、大根ステーキ、ほうれん草のナムル、めんつゆを使った和え物、魚介がふんだんに入った八宝菜。
 少しでもたくさん食べようと必死なフェイトを、フィアッセを中心に高町家の面々が質問攻めにする。どこに住んでいるのか、日頃何をしているのか、学校は、友達は、なのはとはどこで知り合ったのか、趣味は何か、歌は聴くか、アルフとはどういう関係なのか、ユーノとは前からの知り合いなのか、親は、兄弟は、その他色々。
 いずれも答えづらい質問で、返答に四苦八苦したが、それはフェイトが一番始めに想像していた「嬉しい不安」だった。ここで誰からも何も聞かれないシチュエーションを想像したら、その方が遥かに恐ろしくて悲しい。
 しどろもどろになりつつも楽しい夕食を終え、フェイトは縁側に座って心地良い充足感に浸っていた。隣ではアルフがいっぱいになった腹をさすりながら、こちらも満足そうな顔をしている。
 事情は相変わらずわからないが、基本的には高町家の人々はフェイトのことを歓迎している。それに、ここに来るまでの間毎日のように不安に思っていたなのはの気持ちも、どうやら心配する必要はないとわかった。フェイトが虫の音に耳を澄ませながら、ぼんやり夜空を眺めていると、穏やかな声でアルフが言った。
「ねえ、フェイト。あのことはいつなのはに話すんだい?」
 フェイトが隣に目を遣ると、アルフは何一つ心配していない、呑気な表情でフェイトを見つめていた。
 今日一日、心から幸せそうなフェイトを見て、アルフはもう大丈夫だと確信していた。フェイトが過去のせいで心が揺らいでいたのは、精神的な支えがなかったからだ。唯一信じていた母親に裏切られ、たった一人の大切な友達の気持ちにも自信が持てずにいた。しかし、今日でなのはの気持ちははっきりした。なのはがフェイトを好きなのは誰の目にも明らかだった。なのははフェイトの新しい支えになれる。
 万が一フェイトが初志を貫徹して、ジュエルシードのことを切り出したとしても、なのははそれに全力で反対するだろう。なのはがフェイトを好きな気持ちに同情は含まれていないようだが、それでもなのはは、過去も含めて今のフェイトを愛している。それがフェイトに伝われば、物事は万事解決する。なのはに好きだと言われれば、フェイトは自分の嫌いな部分ですら好きになれるはずだ。
「そうだね。もう少し考えてから」
 囁くように答えて、フェイトはもう一度空を見上げた。その横顔が心なしか嬉しそうだったから、アルフはすっかり安心してごろりと縁側に寝そべった。
 風鈴がちりんと鳴った。
 やがてなのはが呼びに来るまで──とうとうその日の最後まで、アルフは自分が思い違いをしていたことに気付かなかった。
 フェイトはこの時、アルフが思ったようなことを、まったく考えていなかった。