『 Guilty 』

 第6章 高町なのは

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 使い魔が主人を慕うのは、理屈でも打算でもなく、本能的で絶対的な、ある種信仰めいた「愛」なのだと、アルフは思う。何故ここまで言うことを聞かない、頑固で、真っ直ぐだが我が儘な主人の、冷静に考えれば考えるほど間違っている決断を支持してしまうのか。しかも嫌々でもなければ義理を果たすためでもなく、最後には心から、フェイトがそれを願うのであれば叶えてやりたいと思ってしまう。
 それはもはや恩返しでも契約でもない。理由などない。ただ、フェイトが好きだから。
 なのはの家に来てから、アルフはできるだけ口を出さず、フェイトから距離を置いていた。フェイトはなのはと二人でいたいだろうし、自分がいない方が目的を切り出しやすいと思ったからだ。
 昨夜フェイトはなのはの部屋に泊まった。今朝話をしたかそれとなく聞くと、フェイトは首を横に振った。
「まだ……。ちょっと、思うことがあって……」
 アルフは嫌な予感がした。そして大抵の場合そうであるように、今回もその予感は的中してしまった。
 夕方、友達と遊んで帰ってきたフェイトと二人でいると、ユーノがやってきてこう切り出した。
「フェイト、率直に聞くけど、ここに何をしに来たの? なのはに会うために来たのはもちろんそうだと思うけど、それだけじゃないだろ?」
 少し怒ったような口調。いや、怒っているのではなく、追いつめられていると言った方が正確だろう。一族のミスによりまたジュエルシードが流出した上、それを隠して利用している。リンディやクロノに知られたら大事だ。
 フェイトはゆっくりと顔を上げ、感情のこもらない瞳で答えた。
「安心して、ユーノ。確かに私はクロノから、ユーノのことを調べてきてって言われたけど、ジュエルシードのことは絶対に話さない。隠し事は嫌いだけど……なのはがしてることなんでしょ? なのはが捕まるのは嫌だし、なのはがしてることに反対はしない。だって、友達だから」
 ユーノはしばらくフェイトを見つめていたが、やがて大きく息を吐いて肩の力を抜いた。そして安堵の表情を浮かべる。
「わかったよ、フェイト。君を信じる。僕だけのことなら、君は正義を選ぶかも知れない。でも、天秤にかけるのがなのはなら、僕も安心できるよ」
 ユーノの言葉に、フェイトは少し困った顔をした。それから申し訳なさそうな表情を浮かべてユーノを見る。
「ユーノ。私はユーノのことも大切な友達だって思ってるよ? なのはとは比べられないけど、もしなのはがいなくても、私はユーノを貶めるようなことはしない」
 自分は友達だと思っているのに、相手がそう取っていないのは悲しいことだ。もっとも、フェイトとなのはの仲を前に、ユーノがフェイトに友達だと思われていないと誤解するのも無理はない。
「ごめん、フェイト。友達だと思われてないっていう意味じゃないよ。根拠は強い方がいいってだけ」
 それだけ言って、ユーノは部屋に戻っていった。フェイトはユーノの最後に言った言葉の意味が今ひとつわからなかったが、大して重要なことではないと思ったので呼び止めなかった。
 静寂が戻る。始終黙っていたアルフが口を開いた。
「ついに答えなかったね、ユーノの最初の質問に」
「ん?」
「わざとだろ? ユーノはフェイトがここに来た理由には興味がない。ユーノにとって大事なのは、ジュエルシードのことであって、フェイトじゃない。それがわかってるから、質問には答えずにユーノを退散させた。そうだろ?」
 詰問するような口調で尋ねる。フェイトはうっすらと笑った。
「そうだよ。嘘はつきたくないけど、本当のことは言いたくない。でも、黙ってるのも不自然だから」
「なのはには話したのかい? 今日ずっと一緒にいて、例えば帰り道とか、どこかで。それとも、今夜話すのかい?」
 少し身を乗り出して早口で聞く。嫌な展開だった。フェイトは本当のことを言いたくないと言った。それはユーノには、という意味だろうか。いや、違う。
「言わないよ。なのはにも言わないって、そう決めたんだ」
 眩暈がした。あの日、いとも簡単に記憶を書き換えてもらうと宣言された時のように、アルフは卒倒しそうになった。
「どう……して?」
 なんとか言葉を絞り出す。フェイトはアルフから視線を逸らせ、空を見ながら淡々と答えた。
「ここに来て2つわかったことがある。1つは、なのはがすごく幸せな家庭で育ったってこと。だから私は、あんまりなのはに自分の家族のこととか、家庭のこととかを話したくないんだ。恥ずかしいし、惨めだし、なのはも反応に困るだろうし、それに、理解はされても共感はしてもらえないだろうし」
 確かにそうかもしれない。明らかに自分より幸せな人間に、自分の不幸話をして同情の眼差しを向けられても、嬉しくもなければ慰められもしない。
「もう1つは、私が思うよりずっと、なのはは私のことを好きでいてくれたこと。だから、話さなくても賛成してくれるに決まってる。私は、なのはがレンのためにジュエルシードを使ってるのは、間違ってると思う。でも、なのはがそうしたいなら反対しないし、応援したい。私は自分の行動を間違ってるとは思ってないけど、なのはは正しいと思わないかも知れない。でも、きっと頑張れって言ってくれる。だから、言わなくていい」
「フェイト……」
「今夜、レンからジュエルシードをこっそり借りて、あの惑星に飛ぶ。それ以外に、なのはに事情を話さずに、でも嘘はつかずにジュエルシードを借りる方法はない。ジュエルシードは後から返す。問題にはならない。ユーノもなのはもこのジュエルシードのことはクロノたちには話せない。すべてが上手くいく」
 一人満足げに頷くフェイトの横顔を、アルフは絶望的な表情で見つめていた。
 そもそもなのはに聞くよう提案したのは、なのはに止めてもらうためだった。だが、それを了承したフェイトは、なのはが止める可能性など、初めから考えていなかった。あの日の賛同は、使い魔を安心させるためだったのだと、ようやく気が付いた。
 いっそ自分が頬でも張り倒せば目が覚めるだろうか。一瞬アルフはそう思ったが、もちろんそんなことはできるはずがなかった。それに、記憶を変えるのは生理的に受け付けないが、論理的に何故それがいけないかは説明できない。叩いても溝ができるだけで、何一つ解決しない。
 ならばもう、自分にできることは一つだった。フェイトを信じ、フェイトのしたいことを全力で手助けする。
「フェイト。ジュエルシードはあたしが盗む。フェイトは何もしなくていい。後から、ジュエルシードを取り返すために私を追いかけてきて、記憶を書き換えてから返せばいい。それが一番自然だし、なのはとフェイトの間に確執も生まれない」
 フェイトが驚いた顔でアルフを見上げた。それからすぐに困った顔になる。
「ありがとう、アルフ。でもそれじゃあ、アルフが悪者みたいで、私は嫌だ」
「大丈夫だよ。理由なんてなんでもいい。獣の習性で宝石に惹かれたでもいいし、正義が勝って告発しようとしたことにしてもいい。最後にはフェイトに宥められてジュエルシードがなのはやユーノに戻れば、誰もそんなに問題にしないさ。問題にできないって言ってもいい。だからフェイトは、今日もなのはとの時間を楽しむことだけに専念すればいい」
 少しの間を置いてから、フェイトは小さく頷いた。頷き返したアルフの目に、もう迷いはなかった。
 その夜、アルフは意を決してレンの部屋に忍び込んだ。できればレンに気付かれずに盗むことができれば、一番平和に解決すると思ったが、アルフがレンの部屋に魔法で転移した時、レンは目を覚ましていた。いや、正確に言えば、アルフの訪れを待ち構えていた。晶と二人で。
「夕方の、あたしとフェイトの会話を聞いてたのかい?」
 冷静にアルフが問う。薄暗い部屋の中、油断無く構えたままレンが答えた。
「いいえ。ただ、ユーノが警戒しろ警戒しろってうるさく言うから、念のため晶と二人で起きてたんです。まさかフェイトちゃんやなくて、アルフさんが一人で来るとは思わんかったですけど」
「それで、やっぱりジュエルシードを取りに来たのか? なんのためだ?」
 アルフを睨み付け、晶が質問する。実際のところ、レンはジュエルシードをユーノに返す気だったし、話の内容によっては譲渡しても構わないと思っていた。
 そんなレンと晶の気持ちなど知る由もなく、あるいは知っていたとしてもアルフはフェイトの事情を話すことはできないので、不敵に笑って言った。
「ここは勝負して決めようじゃないか。二人とも戦えるんだろ? あたしが勝ったらジュエルシードをもらう。二人が勝ったら理由を話す。どうだい?」
 負けるつもりなど一切無く、アルフが提案する。レンと晶も依存はなかった。
 三人は場所を外に移した。丑三つ時というほど遅い時間でもないが、辺りは静まり返り、灯りがついている家も皆無である。
 まずアルフが周囲に結界を張った。魔法はもちろん、音や物理的な衝撃にもある程度は対応できる結界である。その気配でユーノやなのはに気付かれる可能性はあったが、念のため事前にフェイトに反魔法障壁を張ってもらっていた。それで中和されることを願うばかりだ。
 レンが棍を数回振って構えを取る。その胸元でジュエルシードがきらりと光った。晶は空手の道着姿で、手首を回している。瞳には闘志が滾っている。怒りや憎しみはない、純粋な闘志だ。
 アルフは人の姿のままだった。本来の姿で全力で魔法をぶっ放せば、恐らく勝負は一瞬でつくだろう。けれど、二人を傷付けるわけにはいかないし、あまりにもフェアではない。肉弾戦だけでちょっと痛い目を見て、ジュエルシードを譲ってもらう。そう考えていた。
「はあぁぁっ!」
 気合いを入れて、アルフが地面を蹴った。姿は人でも、動きは獣のそれだ。鋭く突き出した拳を、風のような動きでレンがかわす。反動を利用して繰り出した棍を、アルフは素手で払い除けた。普通の人間ならば、腕の骨が折れているだろう。
 背後から襲いかかってきた晶を回し蹴りでいなし、アルフは素早く魔法を地面に叩き込んだ。砂埃と衝撃が二人を襲う。
 一瞬腕で顔を覆った晶の腹部に、アルフの靴がめり込んだ。
「ぐっ……!」
 晶は数歩よろめいたが、なんとか持ち堪える。そのままアルフの足を掴むと、片足立ちになったアルフにレンが棍を突き出した。
 目にも止まらぬ速さで、棍が風を切る。だが、その先端をアルフは掴み、強く引いた。レンが思わず前につんのめる。晶を力でねじ伏せて足を解放すると、組んだ両手でレンの背中を殴り付けた。悲痛の声を漏らしてレンが地面に倒れ込む。
「強いなぁ……」
 晶が汗を拭って言った。自分より強いのはレンと高町兄妹だけで十分だというのに、なのはの友人もまた強い。だが、負けるわけにはいかない。
 レンは受け身を取るように起き上がって棍を取った。砂を払って体勢を整え、晶を見て頷き合う。
 飛ぶように地面を蹴り、体のバネを使って棍を振り上げた。そのまま棍を投げつけると、アルフの顔に驚きが走った。レンを単なる棒術使いだと考え、まさか棍を手放すとは思っていなかったのだ。
 だが、元々レンは拳法家である。体格差をカバーするために棍を使うが、本来は武器など必要としない。棍を避け、バランスを崩したアルフにレンは跳び蹴りを見舞った。
「浮月腿!」
 晶をもってして衝撃のあまり吹っ飛ぶ技だが、アルフは胴の前で両腕をクロスしてそれを受け止めた。その背後から晶が強力な正拳打ちを放つ。
「吼破!」
 晶の必殺技を背中に受け、アルフはくぐもった声を漏らして身を仰け反らせる。その鳩尾に、レンが掌打を見舞った。
「寸掌!」
 小柄とは言え、レンが全身の力をすべて手の平に集めて放った掌打の威力は計り知れない。アルフは息が詰まり、頭の中が真っ白になってそのまま地面に崩れ落ちた。
 二人は肩で息をしながら、互いの無事を確認して小さく笑った。
「苦戦したな」
「まったく。2対1で勝っても嬉しゅうないけど、とにかくこれで事情を聞かせてもらえるやろ」
 二人は気絶したアルフを起こそうとした。
 刹那──家の方でキラリと何かが光って、二人は反射的に飛び退いた。そのすぐ後に二人のいた場所を光の弾が通り抜け、空へと上がっていく。体勢を整えて顔を上げると、黒い服とマントに身を包んだフェイトが、黄色い玉のはまった杖を手にして立っていた。
 晶とレンは額に滲んだ冷たい汗を拭った。今の魔法をまともに食らったらどうなっていただろうと思うとぞっとした。
 二人は、アルフが手加減して戦っていたことを知っていた。もしも魔法を使えば、二人はアルフに一切手出しできないまま勝負はついていただろう。だが、アルフはフェイトの友人であるなのはの家族を傷付けるわけにはいかなかった。だから敢えて同じ土俵で戦った。
 しかし、今のフェイトの魔法には手加減がなかった。いや、恐らく二人が絶対に気が付いて避けられるように加減したのだろう。それでも、今の魔法一つで、二人はフェイトにアルフより強くて明確な意志を感じ取った。
 フェイトは一度だけ二人に目を遣ると、無表情のまま真っ直ぐアルフの許へ歩いた。そして気を失っているアルフの傍らに膝をつき、小声で言った。
「ごめんね、アルフ。やっぱりこういうことは自分でしなくちゃいけないんだと思う」
 バルディッシュを軽く振ると、アルフの倒れている地面に魔法陣が浮かび上がった。そしてフェイトが何かを呟くと同時に、魔法陣がアルフごと消えてなくなる。
 転移魔法。フェイトはゆっくり立ち上がり、改めて二人を向き直った。
「やっぱり、アルフさんの意思やなくて、フェイトちゃんの命令だったってことやな」
「理由を聞きたいんだけど」
 レンと晶が問う。精一杯虚勢を張っているが、果たして戦いになったらフェイトに勝てるだろうか。
 実際、フェイトは自分よりもずっと年上の二人を前にして、まったく動じた様子がなかった。
「なのはにも言えない事情だから、二人にも話せない」
 怖いほど無表情でそう言って、一歩足を踏み出した時、背後から声がした。
「わたしにも話せない事情って、何?」
 フェイトが驚いて振り返ると、パジャマ姿のなのはが、少年の姿のユーノと二人で立っていた。なのはは悲しそうに瞳を揺らし、拳を握ってフェイトを見つめている。
 フェイトはレンを一瞥するや否や、まっしぐらに駆け出した。その表情には先ほどまでの余裕はなく、まるで追いつめられた猫のようだった。
「フェイトちゃん!」
 なのはが叫ぶ。フェイトは無視した。こうなった今、なのはが戦闘態勢を整える前にジュエルシードを奪い、ここから逃げるしかない。ただでさえ言いにくい事情を、こんな大勢の前で打ち明けることなどできない。
 レンが迎え撃つ。しかしその動きには明らかに戸惑いがあった。小柄な自分よりもさらに小さな女の子に本気を出す罪悪感。それに、魔導士として一流でも、武芸はどうだろうか。例えばなのはは、運動はからっきしダメだ。
 その躊躇がなければ、あるはレンは勝っていたかもしれない。レンが繰り出した拳を、フェイトは俊敏な動きでかわすと、弱い魔法を叩き込んだ。フェイトはなのはと違い、生まれた時からずっと訓練されてきた。レンや晶には及ばないが、並の子供よりは遥かに強い。
 吹っ飛んで地面に倒れたレンの胸元から、ジュエルシードを引ったくる。結んでいた鎖が千切れて辺りに散らばった。
「待って、フェイトちゃん!」
 ようやくバリアジャケットに変身したなのはが、レイジングハートを手に庭に出る。その時すでにフェイトはジュエルシードを片手に、空に魔法陣を描いていた。
「ごめんね、なのは。後でちゃんと返すから」
「フェイトちゃん!」
 間に合わない。なのはが悲鳴じみた声を上げたその時、小さな何かが月明かりを受けて光った。それは真っ直ぐ線を描き、フェイトの手に当たる。
「あっ!」
 鈍い痛みがして思わず手を放す。弾かれたジュエルシードが宙に舞い、なのはの手に収まった。
 フェイトが唖然として見下ろすと、果たしてそこには黒装束に身を包んだ二人の男女が立っていた。
「いい子でお留守番の約束はどうなったんだ、なのは」
 凍り付いたような静寂の中、黒装束の男──高町恭也が呆れたように言った。