『 Guilty 』

 第6章 高町なのは

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 稲神山での鍛錬を終え、恭也は美由希を伴い、山から街へ夜の中を疾走してきた。そしてようやく我が家が見え、過酷な修行も終わりを迎えようとしたその時、この尋常ならざる事態に遭遇した。ビデオで見た異国の少女が黒いマントをなびかせて空に浮かび、それを魔導士モード全開の妹が切羽詰まった顔で見上げている。
 善悪はわからなかったが、ひとまずフェイトに逃亡の意思があるのを認め、美由希が鋼糸を使ってフェイトの持っていた宝石を弾き飛ばした。フェイトは宝石の落ちた先、なのはの手を蒼白な顔で見下ろしている。やはりその宝石を持ち去ろうとしていたらしく、移動用に作ったと思われる魔法陣は解除していた。
 ひとまず急な動きをすることはなさそうだったので、恭也は改めて庭にいる家族に目を遣った。晶とレンは明らかに戦闘用の格好をしており、どちらも土で汚れている。レンは晶よりもダメージが大きいようで、恭也と美由希の姿を見るや否や、安心したのかその場に座り込んでしまった。上空の少女がやったのだろうか。
 なのはの隣には見たことのない少年が立っているが、雰囲気から自分たちよりもフェイト寄りの人間だと感じた。なのはとの距離感から、ひょっとしたら前になのはが飼っていたフェレットではないかと推測する。
 なのははあれだけ隠していた魔導士姿を堂々と見せ、いかにもそれらしいデザインの杖を手にして、空にいる友達を見つめている。晶とレンもそれに違和感を抱いていないということは、少なくとも一日以上前に事実を公表したと考えていいだろう。いなくなったフェレットの少年が宝石絡みで再びなのはを訪れ、それに関する事件でなのはは魔導士であることを知られてしまった。その後でフェイトがやって来て、なのはと宝石の奪い合いになった。そう推論を立ててから、恭也は妹を見て言った。
「それで、何が起きるとこうなるんだ? あの子はお前の友達なんだろ?」
 なのはは少しばつの悪そうな顔をして頷いた。それから事のあらましを簡潔に説明する。その最中、フェイトは上空に浮かんだまま、難しい顔でその話を聞いていた。戦いを挑んでも勝てそうにないが、逃げるに逃げられず、かと言って事情を話すのも憚られる。八方ふさがりだった。
 恭也は話を聞いた後、少し考えてからレンを見た。
「なるほどな。それでレンは、今でもそのジュエルシードが必要なのか?」
 その語調にレンを咎めるような響きはなかったが、元々罪悪感を覚えていたレンは慌てて手を振って否定した。
「滅相もないです。そりゃ、体が動くのは嬉しいですけど、なのちゃんが罪になるかもしれないって聞いて、返そうと思ってました」
「そうか。じゃあ、これでレンはジュエルシードが必要ないとして、なのは。お前はそれをどうするんだ?」
 今度はなのはを見る。なのはは少し不満げな瞳を地面に落として、唇の先を可愛く尖らせた。
「レンちゃんが要らないなら、わたしも別に要らないよ。元々ユーノ君の物だし、ユーノ君に返す」
「じゃあこれで、この問題はユーノとフェイトの問題になったわけだ」
 兄の言葉に、なのはがジュエルシードをユーノに返そうとする。ユーノはそれを押しとどめるように両手を開いた。
「待って。フェイトが力尽くでもそれを欲しがってるなら、僕が持ってたらあっと言う間に奪われちゃうよ。問題が解決するまで、なのはに預かっていてほしい」
「だそうだぞ、なのは」
 初めからそうなることがわかっていたかのように恭也が言って、なのはは改めてジュエルシードを握って顔を上げた。そして弱り切った顔で見下ろすフェイトに向き直り、懇願するように言った。
「フェイトちゃん。わたしにはもうジュエルシードが欲しい理由はなくなったから。前とは違うから。だから、もしフェイトちゃんが欲しいならあげてもいい。でも、ちゃんと理由を教えてくれないと、これは渡せない」
 正確に言うと、ユーノはジュエルシードが不要だとは言っていなかったが、気持ちはなのはと同じだった。なのはとレンがそれを必要とした時、目をつむったように、フェイトがどうしてもと言うならば考えなくもない。
 なのはと、そしてなのはの家族や友人の視線を受けて、フェイトは覚悟を決めた。ジュエルシードを奪うために戦いを挑めば、甚大な被害が出るのは明白だし、それはフェイトの望むところではない。こうなった今、素直に事情を話してもらい受けた方がいい。
「私は、ジュエルシードを使って記憶を書き換えたいの」
「……え?」
 突然の告白に、なのはがぽかんと口を開ける。
 なのはの反応を見て、フェイトは少し早口に事情を説明し始めた。初めての仕事で滅びかけの世界へ行ったこと。そしてそこに、ジュエルシードの力を使って記憶を書き換えられる装置があったこと。
 最後にそれを使って記憶を書き換えたいのだと宣言し、フェイトは深く息を吐いた。なんとも言えない沈黙が周囲に落ちる。
 話を聞いて、ユーノは悩ましい顔で腕を組んだ。フェイトの過去を考えれば、記憶を消したくなるのも頷ける。そういう事情であれば、ジュエルシードを貸すことにやぶさかではない。
 高町家の面々は黙ったまま立っていた。フェイトの過去を知らないので、賛成も反対もできないし、そもそもそういう立場にない。ここに居合わせてはいるが、この問題はもはやなのはとユーノ、そしてフェイトの三人の問題である。とにかくなのはにさえ危害が及ばなければ、彼らがいかなる決定をしようとも反対するつもりはなかった。
 フェイトが頬を紅潮させ、いつものゆっくりとした口調で言った。
「だから、なのは。そのジュエルシードを貸して。ちゃんと返すから。迷惑はかけないから」
 事情を話せば貸してもらえる。応援してくれる。フェイトはそう信じていた。だから、次の瞬間、ずっと黙っていたなのはがやにわに顔を上げ、眉をひそめて、あからさまに怒気を孕んだ声を上げたことに衝撃を受けた。
「何をバカなことを言ってるの、フェイトちゃん!」
「……え?」
 今度はフェイトが唖然となって、呆けたようになのはを見下ろす。ユーノをはじめ、家族が驚いた顔でなのはを見たが、なのははそれに構わず睨むようにフェイトを見上げた。
「そんなこと、していいはずないじゃない! わたしのことも忘れちゃうの!?」
「ち、違う。なのはのことは忘れないよ? 記憶を、都合のいいように書き換えられるって……」
「じゃあリニスさんのことは? 髪を洗ってもらったって、嬉しそうに話してたじゃない!」
「リニスのことも忘れないから。私はただ、母さんやアリシアの記憶だけ書き換えて、それで……」
「それで、私やリニスさん、アルフさんやユーノ君、みんなの記憶はそのままにするって? そんな辻褄の合わないこと、できるはずないじゃない!」
 なのはは少し苛立って、はっきりそう言い切った。フェイトは特殊な生い立ちだから、常識もないし、時々よくわからない発想をする。なのははそれに気付いていたが、好意的にしか解釈していなかった。まさかこういう暴走に繋がるとは思っていなかった。
 だが、今それを知った。間違っていることは正してあげなくてはいけない。それは友達としての責務であり、愛だ。
 しかしフェイトは、自分に向けられたなのはの激しい感情にただ戸惑うだけだった。絶対に応援してくれると思った友達に、頭から否定された。しかも怒られ、睨まれている。
 顔が熱くなり、反対に体は寒くて震えた。悲しくて眩暈がした。何かの間違いだと願いたかったが、目を開けばなのはが怖い顔をして立っている現実がある。なのはに嫌われた。友達だと思っていたが、そうではなかった。否定された。
 フェイトは目を閉じて、顔を空に向けた。まなじりから涙が零れ落ちた。
 いきなり、一瞬にして何もかもがなくなってしまう。あの時、信じていた母親に事実を告げられ、嫌いだと宣告された瞬間に似ている。壊れるのはいつも一瞬だ。
(もういいや。何もかも忘れよう。なかったことにしよう。ジュエルシードを奪って、なのはのことも忘れよう)
 再び目を開けたフェイトの顔から、一切の表情が欠落した。怒りも悲しみもなければ、母親のためにジュエルシードを集めていた時のような必死さもない。ただ空虚な瞳で、バルディッシュをなのはに向けた。
「フェ、フェイトちゃん!?」
 なのはは驚きの声を上げた。怒りに任せてきつく言ったのは確かだが、いきなり無表情で戦闘モードに入るのはどういうつもりなのだろう。うろたえて次の言葉を探している間に、フェイトの周りの魔法の光が集まってくる。本気で撃つ気だとわかり、なのはは慌てて空に上がった。
 静かにフェイトが言った。
「なのはが私の友達をやめるって言うなら、私もなのはなんて要らない」
「ええっ!? わたし、そんなこと一言も言ってない!」
 なのはは思わず眉間にしわを寄せて怒鳴ったが、その声もフェイトには届いてないようだった。なのはは深く溜め息をついた。どうやらこの子には、もっと色々なことを教える必要があるようだ。しかしそれは、決して嫌ではない。むしろ嬉しくさえ思う。
 フェイトが好きだから。
「相変わらずフェイトちゃんは話し合いが嫌いみたいだから……いいよ。わたしも案外、こういうの嫌いじゃないから」
 勝ち気に頬を綻ばせ、なのはも戦闘モード全開でレイジングハートを構えた。