自殺や交通事故死じゃない。殺されたんだ。
昨日の部活の帰り道。あいつはいつも一緒にいる中山と加藤、それから江崎の4人で歩いていた。
そこで、アホどもにからまれたんだ。
相手は2人だったらしい。今朝の新聞で知った。
金を出せと言ってきたそいつらに対して、その理不尽さに対する腹立たしさに加え、人数の利もあって、4人は抵抗を試みた。
僕は、それを悪いこととは思わない。ただ、賢いことではなかった。
もちろんそれは、結果的な話であることは言うまでもない。
「断られてカッとなった」
そんな、あまりにも短絡的な動機によって、吉川は殺された。江崎は無事だったが、中山は腕に軽傷を負い、加藤は足に20針縫う大怪我を負わされて入院している。
1時間目。朝のHR終了と同時に、僕たちは全員体育館に集められ、校長からその話を聞かされた。
もちろん、先にニュースや新聞で知っていた者もいたが、大半はそうではなく、生徒の間に衝撃が走った。
男子は怒り、ざわめき、女子は泣いた。
仲間の理不尽な死を悼み、憤り、嘆き悲しむ。そんな連帯感を、僕は綺麗だとは思わない。
そもそもこんなシーンが綺麗じゃないんだ。ない方がいい光景だ。
校長の話が終わると、僕たちはそれぞれ自分の教室に帰らされた。そして、授業の担当教師ではなく、クラスの担任がやってきて言った。
「今日は自宅学習になったから、みんな家に帰るように。くれぐれも気を付けて」
生徒の動揺を考えての学校の措置だったが、僕たちはしばらく教室に残って語り合った。
何がそうさせたのか。何故吉川は殺されなければならなかったのか。彼らは何故殺したのか。僕らは何ができるのか。
様々な意見が飛び交った。
「金を渡さなかったからだ」
「なら、金を要求されたら必ず渡さなければならないのか」
「抵抗するための武器を持ってなかったのがいけない」
「けれど、学校に刃物を持ってきてはいけないし、どちらにせよどちらかの負傷は免れない」
「彼らは何故殺したのか。殺す必要はあったのか」
「それはプライドを傷付けられたからだ」
「いや、何も考えてなかったんだ」
「命について学んでなかったからだ」
「自分が地球の中心だと思っているからだ」
「吉川を殺された今、俺たちは何ができる?」
「教訓にすることだ。吉川と同じ失敗を繰り返さないことだ」
「それじゃあ、俺たちはやられっ放しの負け犬だ。そいつらを殺してやればいい。吉川の仇討ちだ」
「それは国に任せるべきで、私たちは何もしない方がいい」
「何もできないの間違いだろう。それに、法律は犯罪者を守る。現に、朝刊にもそいつらの名前は出てなかった」
「僕たちが動かないといけない。直接何もできないなら、国に対して動くべきだ」
「いや、私たちが声を荒げたって、国は変わったりしない。それこそ無駄な努力よ」
議論は白熱した。まるで何かに追われるように、僕たちは立ち上がって怒鳴り声を上げた。
あたかもそうしなければ、追ってきているそいつに捕まって、殺されてしまうかのように。
そんな時、ふと誰かが呟くように言った。
「きっと時代のせいだ。彼らがどうのとか、法律がどうのとかいう問題じゃなくて、今の時代がそうさせるんだ」
北岡だった。日頃本ばかり読んでいてあまり喋らないヤツだ。
もちろん、だからと言ってクラスに馴染んでなかったわけじゃない。こうして家に帰らずに僕たちの議論に加わっているのがその証拠だ。
教室は水を打ったように静まり返った。
大人なら何か言えたのかも知れない。けれど、子供の僕たちには、北岡の発言の意味を理解できなかった。理解できなかったけれど、何か納得させられるものがあった。
「どういう意味だ……?」
誰かの問いかけに、北岡は小さく首を振った。
「僕もよくわからないけど、ただ、殺されるのは吉川君だけじゃなくて、殺すのはそいつらだけじゃなくて、逆に吉川君が誰かを殺したとしても不思議じゃないような……そんな時代なんだ」
そこで議論は終了した。
みんな、北岡に対して疑問や反論がなかったわけじゃない。ただ、僕たちは冷静になって彼の言葉を考える必要を感じたのだ。
帰り道、僕はクラスメイトであり、彼女である沙織と一緒に歩いていた。
沙織は快活で前向きな女の子だったが、さすがに吉川の死にショックを受けているらしく、俯きがちに歩いている。
僕の手を握る力は、舟を停める錨のように強く、まるで心をつなぎ止めるかのようだった。
僕たちは何一つ言葉を交わすことなく歩いていたが、やがて大きな公園に差し掛かると沙織が小さな声を出した。
「北岡君の言葉……」
「ん?」
ちらりと彼女を見ると、沙織はまったく無表情の、どこか青ざめた様子で言葉を続けた。
「今、こうしている瞬間にも、私たちが殺される可能性があるってことよね? 今の……この時代は……」
僕は何も答えずに前を向いた。
否定することはできなかったし、かといってわざわざ肯定する必要もないと思ったから。
昨日吉川たちがからまれたように、今突然僕たち二人がからまれる危険だってある。
金を要求されて渡して済めばいいが、もっと別の理由で殺されるかも知れない。
二人で手をつないで歩くという、たったそれだけの幸せが、まるで道端の花を気付かない内に踏むように、呆気なく奪い取られてしまうかも知れない。
沙織がギュッと僕の手を握りしめた。
隣のクラスという、あまりにも身近なところで起きた殺人事件に怯え、そんな理不尽な事件に対して為す術のない自らを嘆き、それでも僕たちは前を向いて生きていかなければならない。
それは恐怖だ。安全や平和なんてどこにも存在しない。
そんな、時代。
「あっ……」
ふと声を上げて、沙織が足を止めた。見ると彼女は、少し離れたところにある公園の花壇を指差していた。
「あのお花、綺麗な色だと思わない?」
見覚えはあったが、名前はわからない。ただ、薄紫のその花を、僕も綺麗だと思った。
「うん。綺麗だな」
そう答えた僕に、沙織は満足げに頷いた。
「こんな時代でも、綺麗なものは綺麗だって……。私たちの感じる幸せも、きっと嘘じゃなくて……うまく言えないんだけど、きっとこんな時代だからこそ、私たちは楽しく生きられるのかも知れない……」
俯き加減にそう言ってから、沙織は僕を見上げていつもの明るい顔で笑った。
「国語の教科書に出てきた『詭弁』って言葉、こういうことを言うのかも知れないけどね」
沙織の言葉は僕には少し難しかったけれど、一つだけわかったことがある。
それは、僕は今幸せだってこと。そして、僕と手をつないで歩いていることを、沙織も確かに幸せに感じてくれていること。
恐怖と不安に満ちているからこそ、ささやかな幸せが愛おしくて、大切に感じられる。
そしてそんな幸せを探して、守るために、僕たちは生きているのかも知れない。
そこら中に幸せのかけらが転がっている世界では、それは生き甲斐になり得ない。
「沙織は僕が守ってやるからな」
真っ直ぐ前を向いて、僕は言った。
もちろん、実際に刃物を持った大人にからまれたら、僕に沙織を守る術はない。
けれど、今この手を放さないでいることはできる。
「うん。期待してるね」
嬉しそうに、沙織は両手で僕の手を握った。
僕は照れくさくなって小さく笑った。
今はきっと、そういう些細なことがすごく幸せに感じられる時代なんだ。
それは、とても寂しいことかも知れないけれど……。
「さ、行こっ!」
沙織が笑顔で手を引いて、僕たちは再び歩き始めた。
Fin