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五宝剣物語

エピローグ

 見上げると、一面に抜けるような青空が広がっていた。遥か向こうには、廃坑になった山々が春の陽射しに輝いている。緩やかに続く丘は新緑の薫りを漂わせ、もう冬の残滓も残っていない。
「いい天気になったな」
 額に手をかざし、眩しそうに目を細めながらルシアが弾むような声を出した。彼女の短い黒髪が、穏やかな風にさらさらと流される。
 同じように風になびく髪を押さえながら、エリシアが瞳を輝かせた。
「本当に。新しい二人の始まりだもの。やっぱりいい天気でなくっちゃ」
 明るい笑顔で首を傾けると、隣で長身の青年が大きく頷くのが見えた。
 三人は今、イェスダンにいた。ティランの魔法陣からユアリを助けた、今回の旅の始まりの地でもある。
 小さなその町の中央を走る街道に、今町中の人間がいるのではないかというほどの人が集まり、賑わっている。皆一様に明るい顔で談笑を交わす。まるで祭りのような活気だ。
 三人は人混みから少しだけ離れた場所に立って、道の向こう側を見つめていた。中央の街道から左に折れた先に、町で唯一の教会がある。そしてその白い壁面の一番頂上にある大きな鐘が鳴り響いたとき、人々の歓声が上がった。
 そう。今日はユアリと幼なじみの青年シュナルの結婚式だ。また新しい夫婦の誕生に、市民は沸き返っている。
 こうして誰かの幸せを町ぐるみで祝福する風潮は、王都から遠ざかれば遠ざかるほど強い。もっとも、ニィエルとセフィンが結婚するとなれば、国中で祝われるだろうが。
 やがて、教会から新婚夫婦が手を取り合って歩いてきた。二人ともそれが正装なのだろうか、いつもとあまり変わらない格好をしている。ユアリなど、ドレスも着けず、もう少しスカートの裾を短くすれば、そのまま狩りに出かけられそうだ。シュナルの経済的な問題なのだろうか。
 けれど、当の二人はそんな外見などまったく気にした様子もなく、幸せそうに微笑んでいる。むしろ、その服装のために中身の笑顔が映えている印象さえ受けた。
「あ、リスターさーん!」
 不意に、ユアリのはしゃいだ声が轟いた。見るとユアリが三人に向かって大きく手を振っている。
「エリシアさん、ルシアさん!」
 花嫁が突然大きな声を出しながら手を振ったとあっては、人々が見るのも無理はない。
 何百という視線を浴びて、リスターとエリシアは恥ずかしそうに頭を掻いたが、ルシアは平然としながら手を振り返した。
「ユアリ、おめでとー! お幸せにっ!」
 少女の声に、二人はにっこりと笑って大きく頷いた。リスターはユアリの命の恩人であり、ユアリは彼らに心から感謝していた。その三人にこうしてわざわざ遠方の地まで足を運んでもらえたことが、本当に嬉しいのだろう。
 シュナルまでもが手を振ったので、リスターはこれ以上の視線は叶わないと、苦笑して手を振り返すと静かに踵を返した。元々どちらかというと人々の陰を生きる職業である。あまり人前には慣れてないのだ。
「久しぶりに恥ずかしい思いをしたわ」
 リスターの横を歩きながら、エリシアがまだ恥ずかしさに赤らんだ頬でそう言った。声が上ずっていて、思わずルシアは噴き出した。
「まあいいじゃんか。こんな仕事してるし、胸張れるときくらい精一杯威張った顔しないと、根暗な人間になっちまうぞ?」
 相変わらずの言葉遣いだが、言っている内容はなかなか筋が通っている。一昔前のルシアでは考えられない台詞だ。
 今こうしてすべてを終えて振り返ったとき、ユアリを助けたあの日のリスターの選択は正しかったと、エリシアは妹を見つめながら心から思った。
「な、なんだよ、姉貴。にやにやして気持ち悪いなぁ」
 じっと見つめられて、照れたようにルシアは俯いた。そしてそのまま歩いていると、いつの間に立ち止まっていたのか、前にいたエリシアの背中にぶつかって、鼻を打って顔をしかめた。何か、前にも同じようなことがあった気がする。
「だから、いきなり止まるなって……」
 批難の声を上げたルシアが、ふとその言葉を途切れさせた。立ち止まった二人が見つめる先。そこに、いるはずのない人物を見たからだ。
「セフィン!」
 銀色の髪を背中に束ね、上質の貫頭衣を革のベルトで締めた姿の王女が、いたずらっぽい笑みを浮かべて立っていた。
「ユアリ、綺麗でしたね」
 セフィンのような美人に言われてはユアリも素直に喜べないだろうが、幸いにも当の本人は群集の中だ。
「セフィン、来てたのか?」
 呆然となってルシアが尋ねた。もちろん、今ここにいるのでそんなことは確かなのだが、思わず聞かずにはいられなかったのだ。
 ライザレスでの一件の後、セフィンはニィエルの婚約者として、魔法の余波で大打撃を受けた街の復興に努めていた。王は息子であるニィエルの意見を支持し、魔法使い撲滅隊を廃止して、今までの法とは一転、魔法使いの保護を打ち立てた。
 もちろんそれは、依然市民には浸透しておらず、王国内には不満の声を少なくなかったが、幸いにも蜂起するような輩は現れてなかった。ニィエルは街の復旧を進めると同時に、魔法使いの保護政策に多忙な毎日を送っている。セフィンとの結婚は、魔法使い騒動が落ち着いてからということになっていた。
 それにしても、セフィンは渦中の人であり、立場的にも今こんなところに来られるほど自由の身ではないはずだ。
 ルシアがいつもの早口でそう言うと、セフィンは笑顔のまま、けれど真剣な眼差しで答えた。
「ユアリは一度は私の身代わりになりそうになった子だし、城ではニィエルを助けてくれたとも聞いてるわ。本当はあの人も来たがっていたけど、さすがにそうもいかないから、せめて私だけでもってことになったのよ」
「ユアリには会われたのですか?」
 せっかく来たのに、会っていないのだろうかと思ってエリシアが尋ねた。セフィンは小さく首を振った。
「さっきのルシアみたいに目立つわけにはいかないから」
「それもそうですが、せっかくですのに」
 残念そうに表情を崩したエリシアに、セフィンは優しい口調で言った。
「機会はいくらでもありますよ。また今度、落ち着いたらニィエルも連れてこっそりお祝いに来ます」
 その答えに、エリシアは王子とその妻が忍びで訪れる姿を思い浮かべ、一瞬顔色を青くしたが、何も言わずに頷いた。この際立場がどうというよりも、セフィンもニィエルもユアリも、そして自分たちも、みんな今回の一件で知り合った仲間であり、友達であると考えた方が良いのだろう。
 それが証拠に、リスターの言葉遣いは極めてぞんざいだった。
「それで、面倒は王子に押し付けて飛び出してきたのか?」
「リスター!」
 さすがにエリシアがたしなめたが、王女はまるで気にした様子もなく笑った。
「ニィエルが行ってこいって言ってくれたんです。私は断ったのですが……」
「そうか。てっきり王子が尻に敷かれるかと思ったら、案外そうでもないのか?」
 セフィンは可笑しそうに笑って答えた。
「私は彼を尊敬しています。今度も、きっと私のことを考えて外に出してくれたんでしょう」
「なるほどな」
 相槌を打ちながら、リスターは不思議そうな顔で彼女の格好を見た。
「それで、その家出してきたみたいな量の荷物はなんだ? 俺は一瞬、王子に耐え切れなくなって逃げ出してきたのかと思ったぞ?」
 もちろん、表現がオーバーであるのは言うまでもないが、彼女の足元に置かれた袋はルシアのそれと同じくらいの大きさがあり、ユアリの結婚式を見に来ただけにしては大仰だった。
 セフィンは一度足元に目を遣ってから、輝く瞳で答えた。
「実は私、王子に、正しい魔法の知識を国内に広めてくるよう言われて、旅に出ることになったんです」
「えっ!?」
 ルシアが驚いた顔でセフィンは見上げる。王女はにっこりと笑って頷いた。
「良かったら、これから私も一緒に連れて行ってくれませんか?」
「も、もちろんだよ!」
 自分でも無意識の内に、ルシアはセフィンに抱き付いていた。
 いつか彼女が自分ではなくニィエルを選んだとき、ルシアはもはや彼女と一緒に旅をする機会は永遠に来ないだろうとあきらめた。だから、今こうしてセフィンがわざわざ自分に会いに来てくれたのが途方もなく嬉しくて、ルシアは思わず涙を零した。
 セフィンは困ったように微笑みながら、黙ってその髪を撫でていた。困ったようにと言っても、その瞳は涙に潤み、むしろ同じように泣いて喜びたいのを強がっているようにも見える。
 エリシアはそんな二人を微笑ましく見つめていたが、ふと彼女の言葉を思い出して不安げに尋ねた。
「しかし王女、私たちと一緒に来て、そんな魔法の知識の流布なんてできるのでしょうか」
「ああ、それなら心配ありません」
 彼女の不安を取り払うように、きっぱりとセフィンが言った。
「それはあくまでも建前であって、本当は単にちょっと世界を見て来いっていうことなんです。街もだいぶ落ち着いてきたし、結婚してからではさすがにそんなに自由にはできないからって。正しい魔法の知識については、『お前は何もしなくても、ただ旅をしているだけで十分だ』って笑ってました」
 その言葉に、ルシアはふと港町バリャエンでの一件を思い出した。あのときもセフィンは、別にそれを目的としていたわけでもないのに、結果として町の人間すべてに自らの教えを説くことになった。ライザレスでの騒動にしてもそうだ。
 なるほど、ニィエルの言ったことは当を得ているとルシアは表情を綻ばせた。
「わかりました。それなら、これからよろしくお願いします」
 すっと差し出したエリシアの手を、セフィンがしっかりと握り返した。
 リスターは一応リーダーのつもりだったが、まったく自分が発言しない内に話が進んでいく状況に苦笑しながら、三人に向き直った。
「それじゃあ、そろそろ行くか」
「どこへ行くんですか?」
 本当にこれからの旅を楽しみにしているらしい。好奇心で輝く瞳をリスターに向けて、セフィンは明るい笑顔を浮かべた。
「ヴェリーンじゃなかったのか?」
 リスターが答えるより先にルシアが言う。ヴェリーンとはイェスダンからさらに鉱山の方へ向かって歩いたところにある町だ。今ではすっかり寂れてしまっているが、そこに町があれば、それだけで旅をする理由になる。それに、古い鉱山を見てみるのも面白いだろう。
 そういう予定だったのだが、リスターは静かに首を振った。
「いや、セフィンが一緒に来るならエルボーニに行こう」
「エルボーニ!」
 ルシアは驚いた顔をしたが、すぐに納得した顔付きになった。
 エルボーニはリューナと出会った街である。彼女はあの戦いの後、街に戻り、何事もなく子供たちに文字を教えている。いや、何事もなく、というのは嘘かも知れない。彼女はエルボーニで、魔法使いとして正しい魔法の知識の流布にも努めていた。
 ルシアとは相変わらず意地を張り合っているが、いつかのような刺々しさはない。むしろ喧嘩するほど仲が良いと言った感じではなかろうか。元々ルシアは、過去をいつまでも気にするような娘ではないのだ。リューナの方は、初めからルシアに敵意を抱いていない。
「そこに何があるんですか?」
 首を傾げたセフィンに、リスターは意地悪く、「会わせたい人がいる」とだけ答えた。
「後は、着いてからのお楽しみですか……」
 がっかりしたように拗ねるセフィンに、リスターは思わず声を出して笑った。こんな子供っぽさも彼女の魅力の一つだ。
「行ったばかりの街だからな。ルシアにはちょっと退屈かも知れんが、我慢してくれ」
 もちろん、ルシアがどう思おうがリスターは自分の決定をねじ曲げる気はなかったが、一応気を遣ってそう言った。けれど、今のルシアにそんな気遣いはまったく無用だった。
「セフィンとだったら、どこに行っても構わないよ。同じ街でも、行く人が違えば楽しみも違ってくるだろう。セフィンとならなおさらそうだ」
「ルシア……。ありがとう」
 小さく頭を下げたセフィンに、ルシアが慌てて手を振ってやめさせる。
 そんな仲の良い二人を見て、リスターとエリシアは顔を見合わせて苦笑した。
「じゃあ、行こう」
 振り返って仰いだ空は、やはり澄み切って広がっていた。
 今日ここから新たな一歩を踏み出すのは、何もユアリだけではない。一つの冒険を終え、また新しい旅立ちに四人は心を躍らせた。
 背後からは、依然人々の笑い声が続いている。この調子では、夜に近付くにつれて賑やかになっていくだろう。
 彼らは歩き始めた足を止め、一度だけ振り返って誰にともなく手を上げた。
 まるでそれに応えるように、すっかり春めいた穏やかな風が四人を間をすり抜けていった。
Fin
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