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悲しみの風使いたち

第3部 混沌の風の姫

第6話 『崩壊』 1

 ホーファス陥落の報は、翌日の昼、逃げ延びた兵士の一人によってエルフィレムの許に届けられた。
 突然のことに、彼女は初め何かの冗談かと思ったが、気迫にせまる兵士の説明に次第に渋面になっていった。そして、それを言葉には出さなかったが、もう一つの理由でホーファス陥落を事実だと受け止めた。
 つまり、カザルフォートが戻らないことによって……。
 手下の一人に良からぬ噂を耳打ちされたのは、まだ記憶に新しい、ほんの二週間前のことだった。
 曰く、ノラカニモの街で謀反を企てている輩がいる。
 ノラカニモというのは、ホーファスから東に数日の位置にある、比較的大きな街だった。王都からさほど離れていないため、ホーファス同様カザルフォートの支配を強く受けた街だったが、市民たちはその輩の言葉に従い、裏で着々と謀反の準備をしているというのだ。
 その輩がアレイという名前で、王都に近いホーファスの街に向かって旅立ったという連絡を受けた時、エルフィレムはその真偽を確認し、さらに真実だったときはその者を殺害して計画を止めるべくカザルフォートを差し向けた。
 そのカザルフォートが二週間経った今なお戻らず、代わりに飛び込んできたのがホーファス陥落の報。考えられるのは、カザルフォートが返り討ちにあったことしかなかった。
 エルフィレムは舌打ちしたい心境だった。
 彼女は何も、初めにもたらされた報告を軽く受け止めていたわけではなかった。いや、むしろ深刻に受け止めていた。
 だからこそ、仮にも盗賊たちを束ねる長、カザルフォート本人を遣わせたのだ。
 そのカザルフォートが返り討ちに合うなど、予想だにしなかった。
 カザルフォートを過信しすぎたのか、それともそのアレイという男が想像以上に強いのか、それはわからない。ただ彼女は報告を聞いて、自分が行くべきだったと後悔した。
 アレイにホーファスを落とさせたのはもちろん、カザルフォートを失ったのはあまりにも大きな痛手だった。
 彼女には巨大化した盗賊連合をまとめあげる自信はなかった。それはアルハイトをもってしても無理だろう。
 報告を聞き、王座で難しい顔でしたまま黙り込んでしまったエルフィレムに、恐る恐る兵士が尋ねた。
「それで、エルフィレムさん。これからどうしますか?」
 突然思考に入り込んできた声にはっとなり、彼女は弾かれたように顔を上げた。
 今王の間にはアルハイトとリーリスを含めた30人ほどの者がいたが、皆が一様に彼女を見つめていた。
 その瞳には、ある者は不安を、ある者は期待を浮かべ、様々な思いが入り混じっていたが、ただ一つだけ確かなのは、すべての者が彼女の次の一言を待っているということだった。
 カザルフォートのいない今、頼れるのはエルフィレムしかいない。そんな想いを一身に受けて、彼女はそこにわずかな希望を見出だした。
 まだ末端はもちろん、幹部クラスの者にすらカザルフォートのことは知られていない。ならば、アルハイトと二人で一時的に盗賊連合を指揮するのは可能だし、この反乱さえ鎮圧してしまえば、カザルフォートの一件による内部混乱はさほど怖いものではない。
 それにもしアレイらの革命が成功してしまえば、自分たちの居場所がなくなってしまうのは末端の盗賊たちにも明らかである。窮地に追い込まれて初めて、今のバラバラした盗賊連合に、エルフィレムにも統率できるだけの団結力が出るのではないだろうか。
 彼女はそう考えてから、なるべく自信に満ちた声で言った。
「アルハイト。兵はどれくらいの数が、どれくらいの時間で出せる?」
 ここで支配者が弱気になってしまえば、部下に強い悪影響を及ぼすだろう。
 彼女の思惑に感化されてか、もしくは自分で彼女と同じことを考えたのか、アルハイトも強気な口調で答えた。
「今まで通り、いつどこで反乱が起きてもすぐに鎮圧できるよう準備してあります。ホーファスとノラカニモに出撃するくらいなら、物資の調達も含めて1週間あれば大丈夫でしょう」
「そう」
 その言葉を聞いて彼女は満足げに頷いた。1週間という短期間では、アレイがホーファスの街を安定させるのは難しいだろうし、自分が出れば勝つ自信が十分にあった。
「じゃあすぐに準備して。1週間後にホーファスを落とす!」
 力強く宣言すると、一斉に周囲が湧いた。
 この2年の間に何度も大きな反乱を鎮圧している。今回も彼女の絶対政権に揺るぎはないだろう。
 誰も彼女の、そして自分たちの勝利を疑わなかった。
 しかし、皆が準備のために王の間から退出していく中で、ただ一人だけ神妙な表情をしている者がいた。
 他でもない。先程まで全身に自信に漲らせていたアルハイトである。
 彼は鋭い目でしばらく床を凝視した後、彼女に気付かれないようにちらりとリーリスの顔を盗み見た。
 それに気が付いたリーリスが不思議そうに首を傾げたが、彼は何も言わなかった。
 そしてすぐに元の表情に戻ると、他の幹部らと同じよう、何事もなかったかのように王の間を出た。
 そんなアルハイトの背中を、リーリスは憂いを帯びた瞳でじっと見つめていた。
 彼の姿が見えなくなるまで、ずっとそうして立ち尽くしていた。

 エルフィレムの誤算は、翌日飛び込んできた報告によって明らかになった。
 ノラカニモだけでなく、ホーファスとノラカニモとで丁度三角形を描く位置にあるケランテスの街でも同じように反乱が起き、盗賊たちが一掃されたというのだ。
 彼女はすぐに会議を招集し、一日中議論を重ねたが、現状を打破できるような策は一つとして出なかった。
 翌日はさらに多くの反乱報告が入り、彼女はアレイの行った革命の規模を知った。
 中には市民を鎮圧できた街もあったが、全体として見たらわずかだったし、壊滅的な被害を被ったことに違いはなかった。
 次々と陥落の報穀が寄せられる中、兵士の準備は着々と進められていたが、一体その兵士をどこに向かわせれば良いのか、彼女にはわからなかった。
 もちろん、2年前のまだ世の中が平和だった頃の状態に戻っただけと考え、一からやり直すという方法もあった。
 けれどそれには兵士の士気が落ちすぎているし、逆に世界中の市民たちの抵抗力が強すぎるだろう。
 2年前に彼らの支配に成功したのは、上手く世界の不意をついたことと、彼女の力、そして盗賊たちの士気にあった。
 こうなってしまった今、彼女個人の力はあまりにも無力だった。
 彼女は考えあぐねていた。
 世界中で起きている革命。アレイたちの目的を考えれば、世界中の市民が団結してこの王都に攻め寄せてくるのはもはや時間の問題だろう。
 そうなればこの城はとても護り切れないし、仮に抵抗できたところで、持久戦になれば敗北は必至だった。というのは、ウェインクライトが統治していた頃と違って、今この街の食糧の大半は他の街から供給していたからである。
 いずれにせよ時間の問題でここは落ち、カザルフォートを失った盗賊連合は壊滅するだろう。
 そして実際にそう考えている者も多く、すでに街から逃げ出す者も出ている。
 まさに風前の灯火だった。
 夜、エルフィレムは一人の部屋で考えていた。
 今までの自分と、今の自分と、そしてこれからの自分を。
 人間を恨みフォーネスを殺した後、彼女は自分の居場所をなくしてしまった。
 行動の原動力はフォーネスの死とともに失われ、帰る場所も住むべき場所もない。
 残されていたのは、人間全体に対する恨み。フォーネスに限らず、フォーネスの館から逃げ出した後、親切にする振りをして襲いかかってきたカルレスという男や、血走った目で自分を追い回したあの街の住民たち。
 他に生きていく希望のなかった彼女は、人間全体を恐怖に陥れることを考え、カザルフォートを使ってそれを実現した。
 同時にその傍らで、彼女はセリスという少女を愛した。人間界で初めて出会った同年代の心優しい少女に、殺された友人の姿を思い出したのかも知れない。
 初めて会ったときはそれほど気にならなかったのだが、何度も遊びに行く内にエルフィレムは彼女が好きなのだと気付き、そして何よりも大切だと感じていた。
 セリスがいれば、あるいは生きていけるかも知れない。人間に対する恨みなどなくても、もう一度やり直せるかも知れない。
 エルフィレムはひどく穏やかな心境でそう考えた。
 しかし、彼女と二人で逃げ出したところで、一体その後どうすればいいのだろう。
 世間知らずの自分と、もっと何も知らない病気がちな王女。ここを出たところで生きていけるかはわからなかったし、生きていくためには汚いこともしなければならないだろう。
 彼女はセリスにだけはそんなところを見せたくなかった。
 それに罪人になれば、捕まる捕まらないは別にして常に追われる身となるのも必至である。
 ここを出たところで、とてもではないが穏やかな暮らしは望めそうになかった。
 抜け道のない闇の迷路に身を投じた気分だった。
 誰かに助けを求めたくてもそんな相手はいない。セリスに聞くなど論外だ。あの少女はエルフィレムを慕っており、彼女に頼る以外の術は何一つ持たないだろう。彼女が弱気なところを見せてもセリスを不安がらせるだけで、状況が進展することはない。
 ここから逃げ出して二人での生活を試みるか、それとも死力を尽くしてこの街を守り抜くか。
 どちらも絶望的な成功率だったが、彼女はほんのわずかながら後者の方が現実的だと思った。
 それはきっと、仲間の存在。悔しいことだが、かつてフォーネスに教わったことは真実らしい。
 人は一人では何も出来ない。
 仲間がいる内は戦えるだけ戦い抜いて、逃げ出すのはそれからでも遅くない。
 もう彼女に迷いはなかった。
 能力も命すら惜しまず戦い、セリスだけは守り抜こうと……。

 それから3日後、王都の周囲をアレイたちの第一陣が埋め尽くした。

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