── リアルタイム乃絵美小説 ──

第4作 : もう一つの想い






 5月7日が私の誕生日だってこと、去年はお兄ちゃん、忘れてたけど、今年はちゃんと覚えててくれた。

 ゴールデンウィークの最後の日に、お兄ちゃんがお店のお手伝いをしていた私に、思い出したみたいにこう言った。

「おっ、そいえば乃絵美。お前たしか、7日が誕生日だったよな」

 本当は初めから覚えてたくせに、すごく自然にそう言ってくれて。照れ臭そうなお兄ちゃんの横顔が、何だかとても心に残った。

「うん、そうだよお兄ちゃん。覚えててくれたんだ」

「いや、今偶然思い出しただけ」

 ……嘘つき。

 でも、ありがとう。

「でよ、プレゼント、何がいい?」

 指で頬を掻きながら、天井とお話しするお兄ちゃん。私は、覚えててくれただけで嬉しかったから、

「ううん、そんなのいいよ。ありがとう、お兄ちゃん」

 って、なるべく丁寧に心を伝えた。

 でも、きっとお兄ちゃんのことだから、そう言っても何か買ってきてくれる。そんな気がしたから、私は最後に一言だけ付け加えた。

「あっ、でも、もし何か買ってくれるなら、なるべく質素なものがいいな。私、派手なの苦手だし」

「そうか……」

 お兄ちゃんは少し考えてから、

「よし、わかった。じゃあ、店頑張れよ」

 って、何か思い付いたような顔をして、部屋の方に戻っていった。

 ……優しいお兄ちゃん。

 私の、大好きなお兄ちゃん。

 今年はちょっと期待しちゃってもいいかな?

 当日を楽しみにしながら、私はお店のお手伝いに戻った。



 5月7日は木曜日。先生たちの職員会議があるから、いつもより1時間早く授業を終えて、私は図書館に行った。朝、お兄ちゃんが、「今日は一緒に帰るか?」って言ってくれて、すごく嬉しかったんだけど、私は委員があるからって断った。

 本に囲まれてるのは好きだし、図書館も大好きだから、委員を苦に思ったことはないけれど、今日だけは少しもどかしかった。

 6時頃、ようやく委員を終えて、私は家に帰った。今日は誕生日だから、店は手伝わなくていいって、朝お母さんに言われたけど、大丈夫かなぁ。

「ただいま」

 喫茶店のドアを開けて、ざっと店内を見回すと、喜んでいいのか悲しまなくちゃダメなのか、お客さんの数は少なかった。

「あっ、乃絵美」

「ただいま、お母さん」

 私の姿を見てやってきたお母さんに挨拶すると、お母さんは開口一番、

「乃絵美。正樹がね、アンタに、『帰ってきたら、俺の部屋に来るように』って。菜織ちゃんたちも一緒だったから、誕生日パーティーでもする気なんじゃないかしら」

 そう言って、また厨房の方に戻っていった。

「菜織ちゃんたちが……?」

 私は呟きながら、とりあえず自分の部屋に戻った。

 菜織ちゃんたちと誕生会。それはそれできっと面白いだろうけど、私は心のどこかでお兄ちゃんと二人っきりが良かったっていう思いがあったのか、ちょっとだけ残念な気持ちを隠せなかった。

 部屋で制服から私服に着替えて、私はお兄ちゃんの部屋のドアを叩いた。

「お兄ちゃん。私、乃絵美。入るね」

 そうっとドアを開けると、クラッカーでも飛んでくると思っていた私の予想に反して、中はすでに盛り上がっていた。お菓子もジュースも開けられていて、わいわいと賑やかしい。

「おう、乃絵美。遅かったな」

 そう言ったのはサエちゃん。後はお兄ちゃんと菜織ちゃんの他に、ミャーコちゃんもいる。

「うん。委員があったから……」

「にゃはは。お誕生日にまで委員だなんて、乃絵美ちゃんも大変だねぇ」

「誕生日と委員は関係ないでしょ?」

「そっかにゃ〜。お誕生日だよ。今日の主役!」

「まったく、ミャーコらしい論理展開……」

 みんなすごくハイテンション。私はとりあえずお兄ちゃんの横に座った。

「ただいま、お兄ちゃん」

「おう、お帰り」

「さぁぁぁああって、乃絵美ちゃんも帰ってきて、宴もいよいよクライマックスを迎えようとしております!」

「おい、ミャーコちゃん。勝手にクライマックスを迎えないでくれ。肝心な主役は、今帰ってきたばっかだぞ」

「ああ、そっかそっか」

「まったく、相変わらずミャーコだなぁ」

「ムッ! 何よ何よ。サエだってさっきまで、『早くケーキ食べたい〜』なんて言ってたくせに」

「言ってただけだ。それは乃絵美が早く帰って来ないかっていう意味で言っただけで、別にお前みたいに、主役を抜きにして勝手に食べようなんて考えてないぞ」

「それはどうかしら〜?」

「な、何だとぉ!!」

「ちょっと、二人ともやめなさいって。ほら、とにかくまずちゃんと乃絵美に」

「おお、そうそう。乃絵美、誕生日おめでとう」

「おめでとさんだにゃ。これで乃絵美ちゃんもオ・ト・ナの仲間入り」

「オトナぁ? なんだそりゃ?」

「ぐふふ。そりゃあ、サエ。あんなことやこんなことや」

「もう、ミャーコ。わけのわかんないこと言ってないで。まったく困ったコね。とりあえず私からも、お誕生日おめでとう、乃絵美」

「あ……うん。あ、ありがとう、みんな……」

 私は、みんなにペコリと頭を下げてから、ちらりとお兄ちゃんの顔を見上げた。

 お兄ちゃんも私の気持ちをわかってくれたのか、私を見て困ったように苦笑した。

 その……ノリについていけない……。

「ああ、腹減った。とりあえず乃絵美も帰ってきたことだし、そろそろケーキ食おうぜ」

「ケーキ?」

 私が聞き返すと、

「ああ。今日乃絵美が誕生日だって言ったら、みんながケーキ買うって言い出して。で、こうなったわけだ」

 って、お兄ちゃんが説明してくれた。

 それでみんながここにいるんだ。

「あの、ありがとう」

 私が言うと、菜織ちゃんが笑顔で首を振った。

「いいのいいの、乃絵美。全然気にしなくてもいいのよ」

「そうそう。あたしたち、ただ何か理由を付けて騒ぎたいだけだから」

「そういうこと。ほれ、ミャーコ。ケーキだケーキ」

「ああもう、サエの食いしんぼ。太るわよ」

「ああ、それ言われると私コワい」

「あたいは全然平気。じゃあ菜織の分もあたいが食ってやるぞ」

「もう、サエ。そんなにお腹空いてるの?」

「うんにゃ。ケーキが好きなだけ」

「まあいいわ。とにかくミャーコ、ケーキ出して」

「了解!」

 そう言ってミャーコちゃんが出してきたケーキは、結構大きな、2段のショートケーキだった。

「け、結構あるね」

 私が不安げに言うと、菜織ちゃんが明るく笑った。

「大丈夫よ、乃絵美。女の子が4人もいるんだから、これくらいペロリと平らげちゃうわよ」

「わ、私、そんなに入らないよ」

「あはは。大丈夫大丈夫。乃絵美ちゃんが食べれなかったら、ちゃんとサエが食べて帰るから。サエなら1段くらいは大丈夫でしょう」

「こら、ミャーコ。あたいは怪物か!?」

「えっ? 違うの?」

「て、てめぇ!」

「お、おいおい。今日の主役は乃絵美なんだから、お前ら、そんなに食うなよ」

「わかってるわよ。まったく妹思いのアニキねぇ」

 菜織ちゃんが苦笑しながらケーキを切り分けて、みんなのお皿の上に乗せた。

「そいじゃ、まっ、いただきますとしますか」

「じゃあ、いただきま〜す」

「いただきますっ」

 思い思いに、私たちはケーキに手を付け始めた。



 それから、やっぱりみんなでわいわい騒いで……。

 何だかよくわからない内に、誕生会は終わった。

 そして……。



「ああ、楽しかった。じゃね〜、乃絵美ちゃん、正樹君」

「じゃあな、乃絵美。悪かったな。なんか、肝心なお前抜きに騒いじまって」

「あっ、ううん、いいよ。楽しかったよ」

「そっか。じゃな」

「うん」

 私が喫茶店の入り口で手を振ると、サエちゃんとミャーコちゃんは、いつものように仲良く二人で帰っていった。

「さてと……」

 そんな二人を見送ってから、菜織ちゃんも私とお兄ちゃんの方を見る。

「じゃあ、私も帰るわ」

「おう。じゃあな」

「うん……」

 菜織ちゃんは、笑顔でお兄ちゃんに頷いた。

 けど……。

 その時の菜織ちゃんの様子が、どこかおかしいことに私はすぐに気が付いた。

 何かすごく思い詰めたような……。

 そしてそれは、決して私の気のせいじゃなかった。

「ねえ、乃絵美」

 顔を上げて、菜織ちゃんが私の方を見た。

「ちょっと話したいことがあるから、そこまで付き合ってよ」

 いつもの笑顔……。

 でも、すごく真剣な瞳。

「おい、俺は仲間外れか!?」

「アンタはいいの。ねっ、乃絵美、いいでしょ?」

 菜織ちゃんはいつもみたいにふざけてる素振りをしてたけど、目は、すごく真剣だった。

「い、いや……」

 思わずそう言いそうになって、私はぐっと言葉を呑み込んだ。

 怖かった。目の前の女の子が、とてもさっきまで一緒に騒いでたコとは、とても昔からいつも一緒にいるお姉さんのような人とは思えなかった。

「も、もちろんだよ……。菜織ちゃん……」

 ようやく喉からそれだけ言葉を絞り出して、

「良かった。じゃあ行きましょ」

 そして私は、菜織ちゃんと一緒に家を出た。



 外はもう真っ暗だったけど、まだ陽気に包まれていた。昨日は立夏。だから、暦の上ではもう夏なんだって、昨日現国の先生が言ってた。

 星が綺麗だった。本当なら、楽しい誕生会が終わった後で、菜織ちゃんとも話が弾むはずなんだけど……。

 私の一歩前を歩く菜織ちゃんは、さっきから一言も話をしようとせずに、ただ黙々と歩いていた。

 私の家から、菜織ちゃんの家の神社まではそんなに遠くない。どっちがいいのかはわからないけど、このまま行けば、菜織ちゃんとお話をせずに神社に着けるんじゃないかなって、私は思った。

 でも、やっぱりそんなふうにはいかなかった。

 丁度公園の横を通ったとき、菜織ちゃんが足を止めて私を振り返った。

「乃絵美。せっかくだし、ちょっと寄って行こ」

 返事も聞かずに、菜織ちゃんは公園の中に入っていった。

 私は何も言わずに、菜織ちゃんについていった。

 夜の公園は静かだった。後でもしお兄ちゃんが知ったら、「女の子二人で物騒だろ」って心配してくれるかも知れないけど、少なくとも今の時点では不安になるものは何もなかった。

 正確に言うと、今の私の中で、菜織ちゃんほど怖いものは何もなかった。

「ねえ、乃絵美」

 空を見上げたまま、菜織ちゃんが言った。すごく遠い目をしていた。顔は無表情で、声も淡々としていた。

「何? 菜織ちゃん」

 できるだけ冷静に答えたつもりだったけど、心の動揺は隠せなくて、声が少し震えた。

 それから菜織ちゃんはゆっくりと視線を落として、今まで私の見てきた中で、一番真剣な瞳で私を見据えた。

「単刀直入に聞くわ。あんまり時間取らせたくないし、回りくどいの嫌いだし」

「う、うん……」

 怒られるのかな?

 私は思った。

 でも私、怒られることなんて、何もしてない。

 一度大きく息を吸い込んでから、菜織ちゃんは厳かに、でもはっきりとこう言った。

「今、アイツ……正樹、誰か好きな人いる?」

「えっ?」

 それは、私がまったく予想もしなかった質問だった。

 でも……私は答えられなかった。

「さ、さあ……。そんなこと私、わからないよ」

 それは本当だったけど、もし知っていても私はやっぱり答えられなかったと思う。

 だって……。

「で、でも、何で急にそんなこと……」

「急にする必要が出てきたから」

 菜織ちゃんは私から視線を放さない。まるで私を咎めるように、じっと私を見つめ続ける。

「きゅ、急にする……必要?」

「そう。アイツを……奪われるかも知れないから……」

「奪われる……?」

 まだ、何のことを言ってるのかわからなかった。

 ううん。単に信じたくなかっただけかも知れない。

 でも、菜織ちゃんは、私の信じたくなかったそれを、はっきりと口にしてしまった。

「私、アイツが好きかも知んない。それを、乃絵美にだけは言っておこうと思って」

 ドクン、と大きく一度胸が鳴った。

「い、今……なんて?」

 自分でも驚くほど、かすれた声だった。

 菜織ちゃんは、やっぱり刺すような視線を私に向けたまま、もう一度はっきりと言った。

「私、正樹が好き。そう言ったの」

「な、何で……?」

 何でそんなこと、私に言うの?

 そう聞こうと思って、私は言葉を呑み込んだ。

 とうとう私は、菜織ちゃんから視線を逸らした。端から見たら、もう私が後ろめたいことをしてるってすぐにわかるくらい、不自然に。

「乃絵美は……応援してくれる?」

 菜織ちゃんの声が、ものすごく嫌らしく聞こえた。

 どんな顔をしてるんだろう。

 気になったけど、顔を上げることは出来なかった。

 喉がひどく渇いた。ここから逃げ出したかった。

 菜織ちゃんに、「もちろんだよ」って、そう言わなきゃいけないのに、でも言葉が出なかった。

「応援、してくれないの?」

 ……嫌な女。

 知ってて言ってるんだ……。

 胸が苦しくなって、膝ががくがく震えた。

 何で知ってるの?

 どうして……?

「あ……ああ……」

 口を開いても、声が出なかった。

 苦しくて、苦しくて……。

 お願い、もうやめて。

 助けて。

 助けて、お兄ちゃん……。

 頭の中が真っ白になって、私はついに堪え切れなくなって、膝を折って地面に手をついた。

「うう……」

 菜織ちゃんのスニーカーが目に入った。菜織ちゃんはじっと私を見下ろしていて、でも何もしてくれなかった。

「乃絵美……」

 ひどく遠くから声がした。

 私はただ苦しくて、胸を押さえて屈み込んでいた。

「私、アンタが私を応援してくれるって信じてるから」

 そして、菜織ちゃんの真っ白のスニーカーが、ゆっくりと公園の入り口の方に遠ざかっていった。

 一言だけ、言葉を残して。

「目を覚ましなさい、乃絵美……」

 私は、何も答えられなかった。

 やがて、菜織ちゃんは行ってしまって、公園には私一人が取り残された。

 菜織ちゃんの言葉が頭の中をぐるぐる回る。

『アイツを……奪われるかも知れないから……』

『乃絵美にだけは言っておこうと思って』

『応援、してくれないの?』

 菜織ちゃんは、知ってるんだ。

 私が、お兄ちゃんを好きなこと。

 お兄ちゃんを愛してること。

 実の兄に、本気で恋してること。

 だから……。

「でも……」

 わかってる。

「でもね、菜織ちゃん……」

 いけないことはわかってるけど……。

「好きなの。誰よりも」

 だから……。

「お兄ちゃん……」

 ごめんなさい……。



「おう、乃絵美。遅かったな」

 家に帰った私を、何も知らないお兄ちゃんが明るく出迎えてくれた。

『私、正樹が好き』

 菜織ちゃんの言葉が蘇る。

 私はなるべく明るく振る舞って見せた。

「うん。色々とお話してたから」

「ふ〜ん。で、何を話してたんだ?」

「た、大したことじゃないよ。つまんないこと」

「そっか……」

 それからお兄ちゃんは私の顔を見て、疲れたように笑った。

「しっかし、今日のアイツらすごかったな。乃絵美も疲れただろ」

「そ、そんなことないよ。楽しかった」

 それは本当。少なくとも、あの瞬間までは。

 お兄ちゃんは「そうか」と呟いた後、すごく温かな眼差しで私を見た。

「乃絵美」

「うん……」

「誕生日おめでとう。これ……」

 そう言って、お兄ちゃんは私にリボンのついた小さな箱を手渡した。

 やっぱり買ってくれたんだ。

 優しいお兄ちゃん。

「ありがとう」

 私は、そっとそれを受け取った。

「じゃあ、乃絵美。お休み」

「あっ、お兄ちゃん」

 部屋に戻ろうとしたお兄ちゃんを、私は思わず呼び止めた。

「何だ?」

 笑顔で振り返るお兄ちゃん。

 その笑顔を見て、私は何も言えなくなってしまった。

「ううん、なんでもない。お休みなさい」

「ああ、お休み」

 そしてお兄ちゃんは、部屋に戻っていった。

「お兄ちゃん……」

 誰もいなくなった廊下で、私はぽつりと呟いた。

 聞けるはずがない。

 お兄ちゃんは、菜織ちゃんのこと、好き?

 そんなこと、聞けるはずがない。

 部屋に戻って、私は箱を開けてみた。

 中には、小さく折り畳まれた、私がいつも髪を束ねているのと同じ種類のリボンが入っていた。

「……お兄ちゃん……」

 途端に、涙が溢れた。涙が溢れて止まらなかった。

「お兄ちゃん、好きだよ。大好き。誰よりも、誰よりも大好きだよ」

 私はそのリボンをしっかりと握りしめて、そのままベッドの上で泣いた。

 無性に悲しくて、情けなくて、悔しくて。

 どうして妹に生まれてしまったの?

 どうして菜織ちゃん、あんなことを言うの?

 どうして妹が兄を好きになってはいけないの?

 泣いて解決する問題じゃないってわかってたけど、私にはもう、泣く以外にどうしていいのかわからなかった。



 5月7日。

 私の誕生日。

 私にとっては特別な日。

 転機。

 だから菜織ちゃんは、今日を選んだんだ。

 今日から出直せって。

 でも……。



─── 完 ───  





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