ぷるるるる……。ぷるるるる……。
おっ、電話だ。
「もしもし。伊藤ですけど」
俺が電話を取ると、受話器の向こうの声は妙にハイテンションで、
「あっ、正樹君? St.エルシア3年生のミャーコちゃんだよ〜ん」
と、実に親切な自己紹介をしてきた。
よって、説明は略。
「どうしたの? ミャーコちゃん。えらく楽しそうだけど?」
「そう? そう? ミャーコちゃん、いっつもこんな感じだよ」
あっ、そうかも……。
「あのね、正樹君。今日、何の日か知ってる?」
言われて俺はカレンダーを見た。
8月18日。
8月18日……。
「う〜ん……。何だっけ?」
覚えがない。
何か大切な日だったかもと心配したが、ミャーコちゃんは全然気にしてないようで、いつもみたいに元気に笑った後、
「今日は桜美納涼花火大会だよん」
と、はしゃぎながらそう言った。
「ああ、そうか」
言われてはたと思い出す。
桜美納涼花火大会とは、毎年8月の18日、19日に行われるもので、数千発の色とりどりの花火が7時から9時までのおよそ2時間、桜美港の空に打ち上げられる。
毎年これには菜織やミャーコちゃんたちと一緒に行っているのだが、今年も恐らくその誘いだろう。
俺がそんなことを考えていると、すぐにミャーコちゃんがそれを言葉にして言った。
「それでね、今年もいつもみたいにみんなで行こってことで、正樹君はもちろん参加だよね?」
「当然」
俺は即答してから、聞き返した。
「他は?」
「いつも通りだよ。菜織ちゃんとサエ。もっちろん乃絵美ちゃんも来るよね?」
その口調は、尋ねると言うよりむしろ確認だった。
俺と乃絵美、菜織、冴子、そしてミャーコちゃん。この5人が欠けたことなど一度もない。
「当然参加だろう。一応後で確認とっておくよ」
「うん、お願い。じゃああたしとサエはもう場所取りに行くから、正樹君たちも適当な時間に川下公園に来てね。場所は大体いつもの場所にいるから。わかんなかったらピッチにかけて」
「ああ。それはいいけど、まだ昼前だぜ?」
呆れながら俺が聞く。
「いくらなんでも早すぎるんじゃないのか?」
するとミャーコちゃんは、
「にゃはは。大丈夫だよん。あたしもサエも暇だから」
そう言って笑い声を上げた。
「ってことでぇ、心配はご無用。もし心配してくれるなら、早く来てね。あっ、あと、来るときに菜織ちゃんも捕獲してきて。話は付けてあるから。じゃね〜」
「ああ、じゃあまた後で」
最初から最後までミャーコちゃんのペースのまま、電話が切られた。まあ、もういい加減慣れたからどうってことはないけれど。
俺が受話器を置くと、間髪入れずに背中から声がかかった。
「お兄ちゃん。誰から?」
「『ああ、乃絵美か』そう言いながら振り返ると、階段の2段目くらいから、覗き込むようにして俺を見つめる儚げな美少女が立っていた……」
「……だ、誰に言ってるの? お兄ちゃん」
「気にするな」
乃絵美はてくてくと俺の隣まで歩いてくると、無表情で俺を見上げた。
現在のえみん可愛さ7。
「電話だっけ? ミャーコちゃんからだよ」
「ミャーコちゃん? じゃあ花火大会のことだね?」
「おお、さすがは聡明な俺の妹。よく覚えていたな!」
俺がそう言って両手を広げると、乃絵美はじと目で俺を見つめて聞いてきた。
「お兄ちゃん。今の『聡明な』は『俺』にかかるの? それとも『妹』にかかるの?」
「もちろん、『妹』。俺は忘れてた」
「はぁ……」
呆れたような溜め息を吐くマイ・シスター。乃絵美度4と言ったところだ(謎)。
「で、もちろん乃絵美も来るよな?」
俺が聞くと、意外なことに乃絵美は即答を避け、無表情のまま俺に聞いてきた。
「今回も、メンバーはいつもと一緒?」
「あ、ああ。ミャーコちゃんと冴子と菜織だけど……」
「…………」
乃絵美は無言のまま、視線を斜め下に傾けた。それから何やら考え込んでいるらしく、ピクリとも動かなくなった。
「お〜い、乃絵美?」
呼びかけるも反応はなし。
「のえみんってばぁ」
おどけて言っても心ここにあらず。
「乃絵美……」
……ついに、乃絵美は壊れてしまったのだ。
いや、嘘だけど。
乃絵美はじっと床を見つめたまま小さく腕を組み、結局2分くらい長々と思案に耽った後、ふっと顔を上げて俺を見つめた。そして呟くようにこう告げた。
「お兄ちゃん。私、今年はパスする」
「ど、どうしてだ?」
「うん。具合が悪いから……」
「嘘付け」
そう言いながら思わずでこピンを一発。
「痛っ!」
どうやらまともにクリったらしく、乃絵美は涙まじりに俺を見上げた。
「な、何? お兄ちゃん」
「いや、お前があからさまな嘘をつくから……」
「嘘じゃないよ」
乃絵美はしきりにそう言うが、それはあまりにも説得力に乏しかった。
「だったら初めからそう言えばいいだろ? それに、ならどうしてわざわざ今回のメンバーを確認したんだ。それに、今2分くらい、何を考えてたんだ」
俺はちょっと強めの口調でそう言った。
せっかくみんなが誘ってくれているのに、嘘をつく乃絵美が許せなかった。ここは兄としてきちんと叱るべきだ。
乃絵美は俺が少しだけマジなことを悟ってか、困ったように視線を逸らした。
「べ、別に……」
「別にじゃない。乃絵美、ちゃんと理由を言わないと、無理矢理でも連れていくぞ」
「…………」
乃絵美は何も言わずに俯いた。
俺は溜め息を一つ吐き、そっと乃絵美の頭に手を置いた。
「なあ、乃絵美。俺、最近お前が何を考えてるのかわからない。何かあるのなら、遠慮せずに言ってくれよ」
できるだけ優しく言ったつもりだったが、乃絵美は黙ったままだった。
俺はそっと手を離し、やれやれと首を振った。
「わかったよ。じゃあ今回はいい。でも、俺は行くからな」
「……うん」
乃絵美は頷いてから、蚊の泣くような小さな声で呟いた。
「仕方ないよ。菜織ちゃん、来るもんね……」
「…………」
それがどういう意味なのか、一体乃絵美の来る来ないと菜織に何の関係があるのか、俺にはさっぱりわからなかった。
だから、俺はそれは聞こえなかったフリをした。
そのまま俺は乃絵美と別れた。
「菜織! 覚悟!」
大きな声でそう言いながら、俺は目の前の巫女さんに背後から襲いかかった。
「きゃあっ!」
驚く巫女さんを背後から羽交い締めにすると、そのままぐっと自分の方に引き寄せる。
「く、くぉら、正樹! アンタ何考えてんのよ!?」
声とともに肘鉄が飛ぶ。
これに当たればまるでマンガだ。
俺はそう思って必死にそれをよけた。
「へっ?」
情けない菜織の声。
よけた拍子に俺は菜織ともつれ合い、そのまま地面に転がった。
「あててて……」
打った頭をさすりながら菜織を見ると……。
「うわっ!」
目の前に上半身のはだけた菜織がいて、下着の白が目に焼き付いた。
「ちょ、ちょっとぉ!」
菜織は慌てて巫女服をただすと、きつい目で俺を睨み付けた。
「ア、アンタねぇ。いきなり何すんのよ!」
「い、いや、ミャーコちゃんに、菜織を『捕獲』するよう言われたから」
「こ、こんバカはぁ!!」
ゲシッ!
と、ほうきが俺の頭にヒットした。
「もっと普通に来なさい! まったくもう」
「い、いや、悪い悪い」
俺がふざけながらもそう謝ると、菜織は疲れたような顔をしてから、
「花火大会でしょ? もう行くの?」
と、俺にそう聞いてきた。
「あ、ああ」
「ふ〜ん。ねえ、乃絵美は?」
「えっ!?」
菜織の言葉に、俺は思わず菜織の顔を凝視した。
「な、何よ」
怪訝そうな菜織。俺はしかし、驚きを隠せなかった。
まさか菜織から乃絵美のことを言ってくるとは思わなかったからだ。
「い、いや、乃絵美は今回来ないって」
「来ないの? どうして?」
「いや、具合が悪いからって」
「そう……。残念ね……」
菜織は心底心配そうな顔をして、それからまた先程と同じような笑顔を見せた。
「でもそれなら仕方ないわね。じゃあ、今回は4人で楽しみましょう」
「あ、ああ……」
「じゃあ私、着替えてくるから」
言うが早いか、菜織は家の方に走って行ってしまった。
一人取り残された俺は、どうにも納得いかずに腕を組んだ。
『仕方ないよ。菜織ちゃん、来るもんね……』
一体、乃絵美のあれは何だったのだろう。あまりにも普通の菜織。乃絵美は何を気にして一緒に来なかったのだろう。
菜織が私服で駆け戻ってくるまでの数分間、俺はただそれだけを考え続けたが、結局答えは出なかった。
昼過ぎ、すでにミャーコちゃんと冴子は川下公園に来ていて、シートの上でトランプのカードを並べていた。
「よっ、ミャーコ、サエ」
「あっ、菜織ちゃん、正樹君。早かったね」
「まあ、色々あってな」
言いながら、俺と菜織がシートに腰かけると、冴子がふと気が付いたように、
「おい、正樹。乃絵美は?」
と聞いてきた。
「ああ、乃絵美、今回は来れないってさ。ちょっとここんとこ具合が悪くてな」
「ふ〜ん。そうなんだ。残念だにゃ〜」
あんまり残念そうに見えないミャーコちゃん。でも、たぶん残念なのは本当なのだろう。
というような内容のことを、言わなくてもいいのに冴子が口にした。
「ミャーコ。お前が言うと全然残念そうに聞こえないな」
「ええっ!? そんなことないよ。それはサエの気のせいだよ。だって乃絵美ちゃん、とっても美味しいし」
「何っ!?」
は、俺。
「乃絵美が美味しいって、どういう意味だ?」
妙にドキドキしながら俺が聞くと、やっぱり顔を赤らめながら冴子が言った。
「の、乃絵美って、美味しいのか?」
「ちょっと、サエまで何言ってんのよ」
バカらしそうに菜織が呆れ返る。
「あはっ、ごめんごめん。間に『のお弁当』を付けるの忘れてた」
「な、なんだ、そういうことか……」
安心したように冴子。一体何を想像していたのか。
ま、まさか噂は本当なのか!?
「まったく、ミャーコの言葉は信憑性に欠けるぜ」
冴子の一言に、ミャーコちゃんが唇を尖らせる。
「むっ。そんなのわかんないわよぅ。乃絵美ちゃんも美味しいかもしれないにゃ。ねえ、正樹君もそう思うでしょ?」
「えっ? あ、ま、まあ、乃絵美のことだから、たぶん美味しいんじゃないのか?」
言ってから、俺はとんでもないことを言ってしまったことに気が付いた。
「ア、アンタねぇ……」
プルプルと菜織。
「何スケベなこと言ってんのよ!? まして、兄妹で気持ち悪いこと言わないの!」
「ええっ!? 別に気持ち悪くないよ。兄妹の禁断の愛! ミャーコちゃん、憧れるぅ!」
「ミャ、ミャーコ!?」
「それにそれに。ミャーコちゃん、別に『美味しい』って言っただけで、全然Hなこと言ってないよ。菜織ちゃん、一体何を想像したのかなぁ?」
「そ、それは……」
「菜織って、意外とスケベなんだな」
妙に冷静に冴子が言って、菜織は困ったように顔をゆがめた。
「サ、サエまで。もう、やめてよ」
「で、正樹君。乃絵美ちゃんのことだから美味しいんだね?」
あっ、聞かれてた。
「さ、さあ。食べたことないから」
「に、人間が美味しいわけないでしょ!」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあどういう意味?」
菜織の言葉にミャーコちゃんは、
「それはもちろん……」
と、不気味な笑みを浮かべてから、何やらイヤらしい指遣いをで、宙を揉むような手つきをした。
あんまりあからさまなことをされてたじろいだのか、菜織が真っ赤になってミャーコに言い放った。
「ほ、ほらみなさい。Hなこと考えてるんじゃない!」
「ぐふふふふっ!」
「ミャ、ミャーコ……怖いって……」
それから俺たちは、結局夜までそうして4人でだべり続けていた。
7時。
1発目の花火が上がったとき、川下公園は人で埋め尽くされていた。
丁度湾沿いにあるこの公園は、絶好の花火の見物場所で、周りは無数の家族連れやカップルで賑わっていた。
赤、黄、青、緑、華やかな花火がいくつも上がり、空を彩っては消えていく。
一発上がるごとに、その震動が低く公園内を駆け抜ける。
「いいわね〜」
うっとりと菜織が言った。
他の二人はあんまり花火に集中しておらず、呑んで食って寝っ転がっている。
ふと、鼻腔を柔らかい香りがくすぐって、ふわりと目の前で長い黒髪がなびいた。
「乃絵美も……来れば良かったのにね……」
そう言いながら、菜織はそっと俺の肩に頭を乗せた。
俺は二人に気付かれやしないかとドキドキしたが、そう思って振り向くより先に、
「ああ! 菜織ちゃん、正樹君とラブラブぅぅ」
ミャーコちゃんがそう言って、俺はがっくりと肩を落とした。
バレバレじゃん。
しかし二人が酔っぱらっているからだろうか。菜織は全然気にした様子はなく、
「羨ましい?」
などと、むしろ挑発するようにミャーコちゃんに言ってから、俺の脇に腕を回してきた。
「ふんっだ。いいもんいいもん。だったらミャーコちゃん、サエといちゃつくもん!」
ミャーコちゃんは拗ねたようにそう言って、いきなり冴子に飛びかかっていった。
「お、おい、ミャーコ。やめろって。気持ち悪い」
「ふふふ。今夜は放さないわよん」
二人はそうして自分たちの世界に堕ちていった。
俺が呆れながらそんな二人を見ていると、菜織がふてくされたように、
「ちょっと正樹ー!」
と、俺の頬を引っ張った。
「いでで。な、何だ!?」
「何だ、じゃないわよ。まったくもう。肩くらい抱けないの? ムードのない男ねぇ〜」
……どうやら菜織も少し酔っているらしい。
「抱くったって、お前が腕組んで放さないんだろうが!」
「ああ、そっかそっか。じゃあ放す」
「はぁ……」
仕方なく俺は菜織の肩を抱いた。
「んふふ」
嬉しそうに菜織は俺の肩に顔を埋めた。
俺はそんな菜織を見ながら、何故か頭に乃絵美の姿がよぎった。
もしこれが乃絵美だったら……。
「……そうだな。乃絵美も来れば良かったのにな……」
呟くように俺が言うと、ふわっと菜織が俺の唇に自分の唇を重ねてきた。
「えっ?」
驚く俺を、菜織が優しく包み込む。
「そうね……」
「…………」
……やっぱり、菜織は何も変わっていないような気がする。
もちろん、俺の彼女になったことを除けば、であるが。
『仕方ないよ。菜織ちゃん、来るもんね……』
乃絵美のあれは、本当に何だったのだろう……。
この日、この疑問がいつまでも頭の中を巡り続けた。
気が付くと、シートの上で冴子とミャーコちゃんが、俺の肩で菜織が気持ちよさそうに眠りこけ、俺は一人で花火を見ていた。
いや、花火はひっきりなしに打ち上げられていたはずだったが、途中から俺の記憶からなくなっていた。
来年はまた5人で来たい。皆が進学するなり就職するなりしてバラバラになっても、またここで集まって、今まで通り5人で仲良く花火を見たい。
俺は心からそう思ったが、どうしてもそれは叶えられない気がしてならなかった。
もちろんそれは、皆が春にはバラバラになってしまうからではない。
来年は、きっと……。
少しだけビールを呑んだせいだろうか。
花火の腹に響く心地よい震動の中で、いつの間にか俺も眠ってしまっていた。
─── 完 ───