── リアルタイム乃絵美小説 ──

第10作 : のちの月夜に






『それは、likeか? それともloveか?』



 お兄ちゃん……。



『私たちは兄妹だよ! loveなわけないじゃない。気持ち悪いこと言わないで!』



 あれは、嘘だよ……。



『もちろん、love……』



 それが、私のホントの気持ち。



『じゃあ、もう少しこうしてて。そしたら、それだけでいいから……』



 あれも、嘘……。

 もう少しなんて、そんなのイヤだ。

 ……ううん。

 あの時はそれだけで良かったのかも知れない。

 でも……でも今はダメ。



『諦めない。たとえ菜織ちゃんに嫌われたって、絶対にお兄ちゃんを振り向かせるから……』



 必ず……絶対に……。

 ちょっとくらいキラわれたって。

 ちょっとくらい怒られたって。

 乃絵美だって……。

 女の子だから。



 …………。

 ……。



 10月21日。

 2学期中間テストの全日程を終えた私は、お兄ちゃんと一緒に商店街を歩いていた。

 St.エルシア学園の学園東通りを真っ直ぐ南下した左手に私たちの家があって、その両側、西と東に商店街が広がっている。正確には、私たちの家の喫茶店も商店街の中にあるんだけれど、学校から最も近い位置にあるから、あんまり商店街に入ったっていう感じはしない。

 今日はそんな自分の家をスルッとそのまま通過して、お兄ちゃんと一緒にお買い物。今夜うちで開かれる宴会の買い出しである。

 「こんな時期に何の宴会?」って、学校の友達たちに良く聞かれる。私自身よくわかんないんだけど、今夜は十三夜らしい。十三夜って言うのは十五夜の親戚で、「いとこのはとこのまたいとこ」だから、「十五夜だけ祝うのは片月見でよろしくない」とのこと。そう、前にお父さんが言っていた。

 当時まだ子供だった私たちには、一体どういう意味なのかわかんなかったんだけど、最近ようやく見えてきた。

 要は、何でもいいから理由を付けて騒ぎたいだけなんだね。

 みんなでワイワイ騒ぐのは、大好きだけどちょっと苦手。結構大きな宴会で、近所の人たちもたくさん参加する。みんな今更気を遣う間柄でもないんだけれど、昔っから身体が弱くて、活気・熱気には縁のなかった私には時々辛いときがある。

 でも、今年はきっと平気かな?

 身体も少し強くなったし、それに、その……。

 こ、恋する乙女は強いんだ!

 な、な〜んて……。

 ……恥ずかしぃ〜。

「どうした? 乃絵美」

「えっ? あっ、な、何でもないよ。何でもない」

 バカなこと考えて赤くなっていた私を、お兄ちゃんの一言がさらに私を真っ赤にさせる。

 お兄ちゃんは、「不思議な乃絵美だ」って真摯な瞳で呟きながら、また前を見て歩き始めた。

 私は、今のお兄ちゃんの台詞の方がよっぽど不思議だと思ったけど、話を続けるときっと墓穴を掘るから敢えて聞き流した。耳がチョコレートになるような人だから、きっと思考パターンも常人のそれとは違うのだろう。

 お兄ちゃんは謎が多いからステキなのだ!

 …………。

 まあいいや。

 ついほんの1週間くらい前までは、それこそまだ半袖シャツで街を歩けるくらい暖かかったのに、たったのここ数日間で、もう寝るときに毛布が欲しいくらい冷え込むようになっていた。

 今日もすごく寒い。そんなに短いスカートは穿いてないのに、太股の辺りがスースーして、私は小さく一度身を震わせた。

 それを見てお兄ちゃんが心配そうに声をかけてくれた。

「乃絵美、寒いのか?」

「うん、少しだけ。でも大丈夫だよ」

 私が「大丈夫だよ」って言うと、お兄ちゃんはいつも困ったように笑う。きっと、大丈夫じゃないことがわかってるんだけど、大丈夫だって言ってる私にそう言うのもどうかと思って困ってるんだろうな。お兄ちゃん、優しいから。

 せっかくお兄ちゃんが心配してくれてるんだから、ちょっとだけ甘えちゃおう。妹の特権ってことで……。

「やっぱり、ちょっと寒い」

「そうか。じゃあお兄ちゃんが温めてやろうか?」

「えっ!?」

 びっくりして見上げたそこには、優しく微笑むお兄ちゃんの顔。

 私はお兄ちゃんから視線を逸らせて、ドキドキしながら辺りを見回した。

 昼下がりの商店街。人は夕方ほどはいないけれど、それなりにたくさんいて、昼間っから制服姿で歩いている不良な二人の男女を、物珍しげに眺めている。

 お兄ちゃん、こんなに人が多いところで、その、あっためてくれるのかな……?

 でも、恥ずかしいけど、思い切って、

「うん……」

 と、私は小さく頷いた。

「そうか……」

 穏やかなお兄ちゃんの声。

「じゃあ、肉まんでいいか?」

「へっ?」

「いや、乃絵美は密かにカレーまんが好きだっけ? お兄ちゃんがおごってやるから、欲しいの買っていいぞ」

「…………」

 お、お兄ちゃんは謎が多いからステキなの!

 えへへ。

 …………。

 ……ぐすっ。

「どうした? 乃絵美」

「何でもない。カレーまんがいい」

「そうか。じゃあ、たまには肉まんにしような。俺は肉まんの方が好きだし」

「…………」

 神様、乃絵美は好きになる人を間違っていたのでしょうか。教えて下さい。



 十三夜は豆名月や栗名月と呼ばれている。十五夜が里芋などを供えるから芋名月と呼ばれるのに対して、十三夜では枝豆や栗などを供えるからその名が付いたらしい。

 今お兄ちゃんの左手にある大量の枝豆は、そのお供え物。これから数時間後にお月様に供えられて、私のお父さん、及び近隣のおじさんたちのビールのおつまみとしておいしく食べられる。

 私が両手でしっかりと握りしめているのは、栗ご飯の材料。実は栗は苦手だったりするんだけど、しょうがない。

 さっき買い物のときに、お兄ちゃんに、「今日は芋ご飯にしよう。栗の代わりにお芋を買ってって、『間違えちゃった』って言えば、きっと通じるよ」って言ったら、お兄ちゃん、「乃絵美は、栗と芋を間違えるような不思議な女の子だと余所様に認識されても平気なんだな?」って、あっさり返されてしまった。

 不思議な兄に不思議な妹。それも悪くないって思う私は、たぶん不思議な女の子なんだろう。

 私の両手には後他に肉や野菜がそれなりに。名月だから月見酒、なんて風流なイメージはどこへやら、今夜はみんなでバーベキューだそうだ。

 お兄ちゃんは枝豆の他に、お酒なんかも持っている。一応、主催が伊藤家だから、食べ物なんかはみんなうちで用意するらしい。で、その買い出しはいつも子供の仕事。

 それにしても寒い。「本当にお昼なの?」って疑いたくなる。

 私は手に持っていたものを一旦全部左腕にかけて、右手を口の高さまで持ってくると、はぁっと息を吹きかけた。

 あったかい。

 そのとき、ふとお兄ちゃんと目が合った。

 お兄ちゃんは何も言わずに私と同じようにして、そっと私に右手を差し出した。

「お兄ちゃん……」

 私は少しだけ緊張して、ドキドキしながらその手を握った。

「へへ……」

 兄妹なのになんだか照れ臭い。ううん、きっと兄妹だから。

 恋人同士なら、たぶん、そんなことはないと思う。

 お兄ちゃんの手はポカポカしていて、そして、おっきかった。

「お兄ちゃん……」

「乃絵美……」

 互いに名前を呟き合う。でも、何となくお兄ちゃんの「乃絵美……」のイントネーションがおかしかった。

 私が不思議がってお兄ちゃんの顔を見上げると、お兄ちゃんは困ったような照れたような表情で、申し訳なさそうにこう言った。

「えっと、俺、乃絵美の荷物を持ってやろうかと……」

「えっ?」

「ほら、乃絵美、手を痛そうにしてたから……」

「…………」

 私は心の中で溜め息を吐いて、お兄ちゃんに突き付けるようにスーパーのビニル袋を一つ渡した。

「ん? 乃絵美、何怒ってるんだ?」

「別に……」

 あっ、私、今ちょっとだけイヤな女の子。

 お兄ちゃん、怒っちゃったかなって思ったそのとき、不意に私の左の頬に柔らかい感触がして、私は慌てて顔を上げた。

「さっ、行くぞ」

 何事もなかったかのように歩き出すお兄ちゃん。でも、顔が少しだけ赤かった。

 私は多少自由になった手で、軽く左の頬に触れてみた。

 お兄ちゃんの唇の感触。

 お兄ちゃんは恥ずかしさからか、私から逃げるような感じに、少しだけ速いスピードで歩いていた。

 私は何も言わずに、小走りでその背中を追いかけた。

 ちょっと疲れたけど、何となく心地よかった。



 十三夜の月は、左っ側が少しだけ欠けた形をしている。

 好天に恵まれた今日は、絶好のお月見日和で、日が沈むや否や、集まった人たちがワイワイと騒ぎ始めた。

 ……誰も月なんて見てないけど。

 毎年恒例のこの行事、今年はいつになく人が多くて、八百屋さんも酒屋さんもパン屋さんも床屋さんも、大袈裟な話、うちの喫茶店がいつもお世話になっている人たちのほとんどすべての人たちが参加していた。

 それに、菜織ちゃんやミャーコちゃん、サエちゃんもいる。たぶん、お兄ちゃんとお話をしに来たんだろうけど、生憎私とお兄ちゃんは雑務一般を任されてしまって、お酌だのおつまみの買い出しだので大忙しだった(って言っても、実際はみんなが自分たちのお店のものを持ってきてくれたから、それほどでもなかったけれど)。

 場所も今年はうちの庭ではなくて、北島公園に移した。人数の関係上、その方がいいという判断によるものだけれど、何だか元々4人でしていた宴会が、気が付くと本格的なものになっていてちょっとびっくり。

 あちらこちらから薪の燃える白い煙が立ち上っている。本当はこの公園、火の使用は禁止なんだけど、誰かがちゃんと許可をもらったらしい。まあ、これだけ商店街の人が集まっていれば、なんとなくそういうことも可能そうな気がする。

「乃絵美ちゃん。こっち、お肉なくなったよ〜」

「は〜い」

「正樹くん、こっちもこっちも!」

「あっ、はいはい」

「ああ、乃絵美ちゃん、ビールビール」

「酒はまだか〜」

「肉〜肉〜」

「乃絵美ちゃん、お酒」

「乃絵美ちゃん、ソーセージ取ってよ〜」

「乃絵美ちゃん、脱いで」

「乃絵美ちゃ〜〜ん」

「乃絵美ちゃん……」

 わ、私、死んじゃうかも知れない……。

 はぁはぁ喘ぎながら一息吐いて顔を上げると、向こうでお兄ちゃんも同じようにこき使われていた。でも、お兄ちゃんは私と違って身体が強いから、全然平気そう。

 ああ、お兄ちゃん。先立つ乃絵美をお許し下さい……。

 6時には始まっていた宴会が、気が付くとすでに7時を回っていた。

 私は騒ぎが一旦小康状態になったのを見て、宴会場から少し離れたベンチに腰を降ろした。

「ふみゃ〜」

 喉から良くわからない言葉を発して、だら〜っと肩の力を抜く。

 お兄ちゃんが見たら、「乃絵美らしくない」って言われそうだけど、どうあろうと私は私。女の子だって、たまにはだらしなくするときもあるんだよ。

 もちろん、人前じゃあんまりしないけど、今日は許してください。

 そんなことをしきりに考えながら、私がベンチでだらけていると、ふと遠くから、

「なんか、乃絵美っぽくないな〜。乃絵美度1」

 と、よくわからないことをぼやきながらお兄ちゃんが歩いてきた。手に何か持っている。湯気が出ているところを見ると、きっと食べ物だろう。

「お兄ちゃんの今の台詞、乃絵美的お兄ちゃん度10くらいだったよ。予想通り」

「ふぅ。意味不明な妹を持つと、お兄ちゃんは大変だよ」

 お互いに、ね。

 お兄ちゃんは私の許まで来ると、私の隣にどっかりと腰を降ろした。

「お疲れさん、乃絵美。はい、これ」

 そう言ってお兄ちゃんがくれたのは、さっきの湯気の元だった。

 白い紙皿の上に割り箸が添えられていて、お肉やら野菜やらが乗っている。一番上にはフランクフルトが乗っかっていて、私はそれだけを手に取ると、紙皿をベンチの上に置いた。

「ありがとう。じゃあいただきます」

 大きく口を開けて、フランクフルトにかぶり……つこうと思ったら、お兄ちゃんが隣でじぃぃっと私の方を見つめていて、私は慌ててフランクフルトを下げた。

「な、何? お兄ちゃん」

「いや、何となく乃絵美がそれにかぶりつく様を、しっかり見届けようかと思って」

「ど、どうして?」

「何となく」

「…………」

 私はもう一度口を開けて、フランクフルトを……。

「あの、お兄ちゃん」

「おう」

「すごく気になるんだけど」

「そうか」

「出来ればやめて欲しいな」

「……わかった」

 お兄ちゃんは激しく残念そうにしながら、私から目を逸らせた。

 う〜ん。男の子ってよくわかんない。

 いや、お兄ちゃんだけかな? フランクフルトを食べる女の子を見て悦ぶ人。

 私は首を傾げながら、フランクフルトを頬張った。

 自分で思っていた以上に空腹だったらしく、私は大好きなお兄ちゃんの前にも関わらず、一気に紙皿のものを平らげると、紙コップに注がれたジュースをごくごくと飲み干した。

「ぷはぁ〜っ」

 思わずそう言ってしまってから、はしたないなって自分で思ったけど、お兄ちゃんはまったくそんな私を気にかけることもなく、ひたすら自分の分を食べていた。

 複雑な気持ち。

 その内私たちは二人とも食べ終わって、肩をくっつけたまま月を見上げた。

 黒い空に少し金色がかった白い月がぽっかりと浮かんでいる。

 でも、別にいつもと同じ月だった。

「いや〜、今日の月は綺麗だな、乃絵美」

「う〜ん。いつもと一緒だと思う」

「乃絵美は風雅に欠ける」

「お兄ちゃんが特別だと思って見るから特別に見えるんだよ」

「だから乃絵美には、その『特別だと思って見る』っていう風雅に欠けるんだ」

「そっか……」

 空を見上げたまま、そんなくだんない会話を二言三言。私は、お兄ちゃんとのそんな時間が昔っから大好きだった。

「ねえ、お兄ちゃん」

「ん?」

「寒い」

 さっきまで駆け回っていたから気にならなかったけど、実は今日はものすごく寒い。

 私がお兄ちゃんに少しだけ擦り寄ると、お兄ちゃんはそっと私の肩を抱いてくれた。

「あったかいか? 乃絵美」

「……まだ寒い」

「…………」

 急に黙り込んでしまったお兄ちゃんを、私は不思議がって見上げる。

「どうしたの?」

 そう尋ねると、お兄ちゃんは困ったようにこう答えた。

「今のは、本当に寒いから寒いって言ったのか、それとも何か深い意味があったのか、どっちだ?」

 一瞬何のことだかわかんなかったけど、すぐに後者の意味に気が付いた。だから、わざとそう言ってみた。

「もちろん、深い意味あり……だよ」

 ちょっと大胆だったかな……。

 でも、今日は……。ううん、今は……。

「乃絵美……」

 ベンチに座ったまま、お兄ちゃんはふわっと優しく私の身体を抱き締めてくれた。私も、ぎゅっとしがみつくように、お兄ちゃんの背中に手を回す。

 それから、ひと月ぶりに、そっと唇を重ねた。

 ほんの一瞬。

 お兄ちゃんは私の唇と、それから身体を離してスクッと立ち上がった。

「お兄ちゃん?」

 名残惜しげに私が見上げると、お兄ちゃんは照れ臭そうにあらぬ方向を見ながら、

「一応、すぐ近くに親も知り合いもいるからな」

 そう言って、ぽりぽり頭をかきながら宴会場の方に戻っていった。

 私は心の中から温かいものに包み込まれるような感覚に、ふにゃ〜っと顔を綻ばせていた。

 でも、それもやっぱり一瞬のこと。私は気を引き締めて、一言、はっきりとこう口にした。

「もういいよ、菜織ちゃん。いつまでもそんなとこにいなくても」

「気が付いてたの? 乃絵美……」

 後ろから菜織ちゃんの声。

 菜織ちゃんは私の前に立つと、怒ったような悲しそうな、そんな複雑な表情で私の顔を見下ろした。

「一応言っておくけど、別に覗いてたわけじゃないわよ。アンタが疲れてやいないかと思って、ジュースを持ってきてやったら、たまたまね」

「わかってるよ」

 菜織ちゃんは溜め息を吐きながら私の隣に腰を降ろして、無言で空を見上げた。

 私も、つられて空を見る。

 闇に黄金色の月。二人の間を冷たい風が吹き抜けていって、静かに菜織ちゃんが話し始めた。

「乃絵美。さっきの、私に気が付いててやったの?」

「……うん」

「乃絵美がそんなことするなんて思わなかったわ」

「…………」

 菜織ちゃんも、お兄ちゃんと同じ。たぶん、商店街の人たちも、お父さんも、お母さんも、みんなそう。

 みんな、私を誤解している。

 私、みんなが思ってるような、そんないい子じゃないのに……。

「私も、菜織ちゃんがあんなことする人だなんて思わなかったよ」

「あんなこと?」

 菜織ちゃんが私を見る。

 私も菜織ちゃんの目をじっと見つめて答えた。

「……誕生日の日も、七夕も……。菜織ちゃん、あんな意地悪な人だなんて思わなかった」

「私はただ、アンタの目を覚まさせてあげようよ思っただけよ」

「じゃあ、そんなことしてくれなくてもいいよ。私、別に大丈夫だから」

「大丈夫って、アンタねぇ。アンタとアイツは兄妹なのよ! ソコんとこ、わかってんの!?」

「…………」

 声を荒立てた菜織ちゃんから視線を逸らせて、私はじっと地面を見つめた。そして、考えるよりも先に、呟いていた。

「どうして、兄妹じゃダメなの……?」

 声に出したら、涙が溢れてきた。

 どうしようもなく悲しくて、気が付いたら私は、声をあげて泣いていた。

 答えはわかっていた。ただ、どうしても納得できなかった。

 だから、菜織ちゃんもそこには触れてこなかった。

 やっぱり本当は優しい人だって思った。

 私が泣いている間、菜織ちゃんはずっとそこにいてくれた。そして、私が泣きやむと、ベンチから立ち上がって、真っ直ぐ私を見下ろして言った。

「わかった。じゃあ私は、アンタを一人の女の子として戦う。それなら、いい?」

「…………」

 声が出なくて、私はコクリと一つ頷くのが精一杯だった。

 菜織ちゃんはそれ以上は何も言わずに戻っていった。

 私は一人、ぼんやりする頭で空を見上げた。

 涙でぼやけた視界に、滲んだ月が写っていた。

 特別だと思って見ても、やっぱりいつもと同じ月だった。

 いつもと同じ、綺麗な月だった。

 私はただそれをずっと眺め続けていた。

 考えることが多すぎて、何も考えられなかった。

 だからただ、いつまでも、いつまでも……。

 その内、お兄ちゃんが心配して呼びに来てくれるまで……。

 私はただ。

 何も考えずに。

 十三夜の美しい月を。

 静かに眺め続けていた。



─── 完 ───  





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