『 心通い合う空 』 〜From "魔法遣いに大切なこと"



 5

 木造校舎の小さな学校だ。学年全体の人数も、都会の学校の一クラスやニクラス分くらいしかいないだろう。
 クラスメイトは全員親ぐるみの知り合いで、学校という枠より広い、地域という枠内での仲間たちである。
 田舎の中学なんてそんなもんだ。
 帰宅間際、西の空は赤く夕焼けが広がっている。
 眩しい西陽の突き刺さるとあるクラスを、不穏が空気が包み込んでいた。
 すでにHRが終わり、掃除の最中である。数人の生徒が一人の女子生徒を取り囲んでいた。生徒たちは男子も女子もいたが、皆怒りに肩を震わせたり、不快そうに眉をしかめている。
 取り囲まれているのは、菊池ユメだ。この学校で、いや、この村でたった一人の魔法遣いであり、俺が密かに思いを寄せている子でもある。
 ユメは今にも泣き出しそうな顔で、震える身体を両腕で抱きしめていた。
「お前がやったんだろ! 正直に言えよ!」
 バンッと、男子の一人が箒を近くの机に叩きつけた。痛々しいまでに鳴り響いた音に、ユメの瞳から涙が零れ落ちる。
「わ、私じゃない! 私だって悲しいのに、私がそんなことするはずない!」
 泣きながら懸命に弁解するユメに、女子生徒がヒステリックに怒鳴りつけた。
「あんた以外に誰ができるのよ! あんたに決まってる!」
「そうだ! この人殺し魔法遣い!」
 男子が声を荒げて、ユメは頭を抱えて大きく首を振った。
 事の次第はこうである。
 クラスメイトの一人が大怪我をした。階段から転げ落ちたのだ。
 その生徒は病院で、「何かに足をつかまれた」という、不可解なことを話した。けれどその時そこにはその生徒の他に誰もいなかった。
 結果、ユメが何か個人的な恨みで魔法を遣ったのではないかということになったのだ。
「私、そんな、誰かに魔法を遣ったりしない! 魔法で人を傷付けちゃいけないんだ!」
 拳を握って必死に訴えるユメを、ついに男子の一人が殴りつけた。
「なんで謝らないんだよ、お前は!」
「きゃっ!」
 なんとか手で受け止めたが、所詮は女の力である。ユメは敢えなく床に倒れ込み、ぶつけた肩を押さえて痛そうに顔をしかめた。
「魔法遣いは出て行け!」
 誰かがユメを箒で叩く。
「そうよ! あんたがいると怖いのよ! いつ何されるかわかんないから!」
 女子の爪先が背中に食い込んで、ユメは身を仰け反らせて咳き込んだ。
 よってたかって、彼らはユメを蹴りつけた。まるでそうしなければ、自分たちがいじめられるかのように。
「や、やめて! やめてよ!」
 ユメは必死になって泣き叫んだが、半狂乱になっている彼らがそれでやめるはずがない。ユメは意識を失うまで蹴られ続けた。
 ぽつりぽつりと点在する電灯が照らし出す夜道を、ユメは足を引きずりながら歩いていた。頬や額には青く痣が残り、唇やまぶたは切れて血が滲んでいた。
 制服は埃まみれで、ところどころが裂けている。
「こんな格好で帰ったら……」
 ユメは呟いて、それから皮肉めいた笑みを浮かべた。
「少しは心配してくれるかな……」
 ユメは祖母、両親、そして二人の姉と一緒に暮らしている。けれど、魔法遣いはユメ一人だった。
 祖父母よりずっと前に魔法遣いがいて、その血が残っていたのか、それはわからなかったが、ユメは家族にあまり好感を抱かれていなかった。いや、はっきりと嫌われていた。
 ただ産まれて来たから、寝る場所と食べるもの、衣料品、そして必要最小限のお金と教育が与えられている。
「ただいま……」
 ユメが家に帰ると、まず母親と目が合った。けれど、彼女は娘の姿を一瞥し、
「ご飯は置いてあるから」
 ぽつりとそれだけ言って、奥へ行ってしまった。
 ユメは思わず零れそうになった涙を拭って、自分の部屋に駆け込んだ。
 そして椅子に座って机に突っ伏すと、声を洩らさないように泣いた。
『ユメ……』
 俺は思わず彼女の名を呼び、そっと手を伸ばしたけれど、それが彼女に届くことはなかった。
 ユメは泣き続けていた。


 翌日、学校の下駄箱で靴を取った瞬間、ユメは痛そうに顔をしかめて、手にした上履きを落とした。
「痛っ……」
 指先を見ると、針で刺したような跡があり、血がぷっくりと球になっている。
 ユメはそれを一度舌先で舐めてから、落とした上履きを取った。踵の内側にセロテープで画鋲が貼ってある。
「ひどいな……」
 ユメは小さく呟くと、それをはがした。その時、誰かが彼女を呼んだ。
「ユメ、それは?」
 ユメが振り返ると、そこに一人の男子生徒が立っていた。
 『俺』だ。
「悠太……」
「あいつらがやったのか?」
 『俺』はユメの手から画鋲を取ると、怒りに満ちた声で問いかけた。昨日のことは、もちろん『俺』は知っていた。
 『俺』は、クラスでユメに味方する数少ない友達だった。小学校時代からの幼なじみで、密かにユメのことを好きでいる。
 それはもちろん、彼女が魔法遣いだからではない。『俺』は菊池ユメという一人の女の子が好きだったのだ。
 ユメは一瞬泣き笑いのような顔で『俺』を見ると、すっと指先で『俺』の手の甲に触れた。途端に『俺』の手から画鋲が消えて、『俺』は驚いてユメを見た。
 ユメは微かに笑った。
「なんでもないよ、悠太。ありがとう」
「な、なんでもないことないだろ!」
 『俺』は思わず声を荒げてユメに食ってかかった。
 自分の好きな女の子がいじめられているのが堪えられなかったし、そもそも弱い者いじめは許せない。正義感が強いつもりはなかったけれど、せめて好きな女の子の前では潔癖でありたかった。
 ユメは嬉しそうに微笑みながら、それでも寂しそうに首を横に振った。
「悠太、私に構わないで。でないと、悠太までいじめられる……」
「お、俺は……」
「悠太!」
 語調を強めたユメに、『俺』はたじろいで言葉を切った。
 ユメは零れ落ちた涙を拭うと、儚げに笑った。
「ありがとう、悠太。本当に嬉しい。でも……ううん。だから、もう私には構わないで」
 ユメはそう言って『俺』に背を向けると、一人で教室へ歩いていった。
 『俺』はかける言葉もなく、下駄箱の前で立ち尽くした。