『 心通い合う空 』 〜From "魔法遣いに大切なこと"



 7

 冷たい風が吹き込んで、俺は目を開けた。ぼんやりと照らし出された闇の中に、ついさっき会ったばかりの魔法遣いの青年の顔があり、申し訳なさそうに俺を見つめていた。
「悪かったな。辛いものを見せてしまったようだ」
 気が付くと俺は泣いていた。目の周りが熱く、頭が少し痛む。
 頬まで伝っていた涙を拭うと、俯きながら俺は尋ねた。
「お前も……あんな風になっちまうのか? 終点がわかっていて、歩いているのか?」
 陰を歩き、法から逃げ続け、最後は力の強い魔法遣いに捕まって牢に入れられるか、もしくは殺されて事故処理される。
 俺は頭を抱えて首を振った。
 青年はそんな俺に、優しい声音で語りかけた。
「お前が何を見たのか、細かいところまではわからない。だけど、道がそれしかないなら、決められた終点に向かって歩き続ける他に、何ができるんだ?」
 見上げると、青年は穏やかな瞳で笑っていた。
 ああ、こいつはもう、あきらめているんだ。受け入れるというのは、あきらめることなのかも知れない。
 もしも、もしもこの青年が俺の見た夢と同じ経緯でここに至っているとしたら、一体彼に何の罪があるというのか。
 ただ魔法遣いに生まれただけじゃないか。魔法遣いは、生まれながらにして罪を背負っているというのか。
「ユメ……」
 俺は頭を抱えてうわごとのように少女の名前を呟いた。
 青年は少し照れくさそうに笑いながら、そっと俺の肩に手を乗せた。
「魔法遣いがみんな同じ道を歩むわけじゃない。中には恵まれるヤツもいるし、俺みたいなのはむしろ少数だ。お前の好きな女は大丈夫だろう」
「違う!」
 俺は首を振った。そして真っ直ぐに彼を見据えた。
「俺は、そりゃ、ユメにはお前みたいになって欲しくない。だがな、じゃあ他の人間はどうでもいいのかって、そんなに俺は薄情じゃねぇぞ? お前は……お前はどうなんだよ!」
 青年は意外そうに目を丸くしてから、悲しげに笑った。
「そんな風に心配してもらえたのはどれくらいぶりだろうな……。ありがとう」
「道はないのか? 本当に、真っ直ぐ歩いて行くしかないのか?」
 駄々をこねる子供のようにすがりつくと、青年はふと自分の左足を見下ろした。
 つられて目を遣ると、いつの間にかそこには真っ白な包帯が巻かれており、薬品の匂いがほのかに漂っていた。
「さっき、窃盗の話をしてたよな?」
「あ、ああ……」
 突然先程の話を持ち出されて、俺は思わず背筋を正した。
 青年はそんな俺を見ながら、すっと手をかざしてそこに魔法で光を集めた。
「窃盗自体は大したことじゃないんだ。本当は、最も重い罪は、魔法を悪用することだ」
「魔法を……?」
「そうだ」
 青年は諭すように大きく頷いた。
「魔法はなんでもできる。物を出せる。金も盗れる。働かなくても生きていける。簡単に人を殺せるし、完全犯罪なんてのも容易にできる。だから、魔法の乱用、悪用は罪が重い」
「じゃあ……」
 蒼ざめながら、俺は息を呑んだ。
 青年は自虐的な笑みを浮かべた。
「もう、後には引けない。俺は物も盗ったし、金も盗った。追ってくる警察や魔法遣いに攻撃したこともある。もう、歩いていくしかないんだ」
「そんな……」
 何故、こんな真っ当な人間がこんな目に遭わなければならないのか。
 それは業だとでも言うのか。運命だと片付けられるのか。
「魔法遣いって、損だよな……」
 不意に、青年が穏やかな声で言った。
 見ると、彼は頭の後ろに手を組んで、木々の隙間から見える夜空の星を悲しげな目で見つめていた。
「魔法遣いに生まれると、多かれ少なかれ偏見を受ける。お前の好きな女だって、いじめられたことくらいあるはずだ」
 それは、俺も知っていた。ユメがいじめられているところや、泣いているところ、落ち込んでいるところ。
 何度も目にしてきた光景だ。その度に俺は自分の無力を呪い、何もできずに立ち尽くしてきた。
 青年は遠い目をしたまま続けた。
「法のせいで魔法は自由に遣えない。そのくせ偏見は受ける。何も利点がない。魔法遣いってのは、一種の障害者みたいなものかもな」
 俺はもう一度ユメの笑顔を思い出した。
 確かにいじめられ、何度となく泣かされていたユメだけれど、今は自分が魔法遣いであることに誇りを持っている。
 魔法は人を幸せにできる素晴らしい力だと、いつか瞳を輝かせて俺に語った。
 不意に、俺は青年の言葉を思い出した。
「恵まれた子なんだな」
 ユメは恵まれている。
 魔法遣いの両親と、祖母。魔法は使えないけれど優しい二人の姉。魔法を理解してくれる友達。魔法遣いとしてではなく、一人の女の子として見てくれる仲間たち。
 元々の性格は、きっとユメよりこの青年の方が前向きだったはずだ。けれど、環境がユメを生かし、青年を殺した。
 ああ、俺にはもう何一つ言葉がない。
 そう思ったら涙があふれてきた。俺はなんて無力なんだろう。
 いじめられて泣いているユメさえ助けられない俺が、この青年に何ができようか。
「ますます悠太じゃ釣り合わなくなっちゃったね」
 純子に言われた言葉。
 魔法遣いでもない一介の田舎の高校生が、一体彼らの何を理解できるだろう。
「ごめん……。俺、何もできなくて……」
 血を吐くように声を洩らすと、青年はそんな俺を心配そうに見つめて、明るいで言った。
「いや。俺は、こんな俺のために涙してくれるヤツがいるってだけで、本当に嬉しく思ってる。何もできないなんて、そんなことはない。俺は、ここでお前と出会えて良かった」
「……本当か? 俺みたいなガキが、少しでもお前の力になれたのか?」
 青年は大きく頷いて、ゆっくり立ち上がった。
「ああ。ずっと一人で溜め込んでいたものを吐き出すことができたんだ。感謝している」
「俺、なんかが……」
 半信半疑で呟くと、青年は歳に不釣合いな大人びた微笑みを浮かべた。
「魔法遣いだとか、そうでないとか、田舎育ちとか、都会生まれだとか、そんなことは関係ない。同じ人間じゃないか。もっと自分に自信を持て」
 俺ははっとなって呟いた。
「人であるということ……人の、心?」
 それがきっと、今日の帰り道に、ユメが俺に言ったことの答え。
 田舎でも東京でも変わらないこと。
 青年は頷いて続けた。
「自分が魔法遣いじゃないことに引け目を感じることはない。お前は、優しいから……。きっとその魔法遣いの子を幸せにしてやれる」
 俺は大きく首を振って、懇願するように青年を見上げた。
「お前は?」
 俺は、何もユメを幸せにしたいだけじゃない。もしも力になれるのなら、この青年にも幸せになって欲しい。
 心からそう思っていた。
 けれど、
「俺は……どうやらここが終点らしい……」
 あたかもその時を待っていたかのように、青年は深い溜め息をついた。
「えっ?」
 驚いて俺が振り返ると、そこに一人の女の子が立っていた。
「ユメ……」
「ゆ、悠太?」
 ユメが俺を見て、驚いた声を上げた。