『 心通い合う空 』 〜From "魔法遣いに大切なこと"
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「なんで悠太がここにいるの? 家に帰ったんじゃなかったの?」
そこに魔法遣いの青年がいることも忘れたように、ユメが俺に責めるような眼差しを向けた。
確かに、先に「帰ろうか」と言ったのは俺であり、ユメはそれを信じていた。俺は後ろめたい気持ちになったけれど、本当のことなど言えるはずがない。
ユメに追いつきたかった。
そんなこと、口が裂けても言えない。俺は思わず視線を逸らせて怒鳴りつけた。
「ど、どうでもいいだろ、そんなこと」
なんでユメが相手だと、俺はこうなってしまうのだろう。後ろで青年が苦笑して、小さな声で言った。
「さっきの素直なお前はどこに行ったんだ?」
ユメは俺の言葉に露骨に怒った顔をした。状況が状況だけに、いつもみたいに「悠太はほんとに口が悪いね」では済まないらしい。
ユメは一度唇をかむと、俺を無視して青年を睨みつけた。
「西川、浩輔さん……ですね?」
ユメと俺との距離は5メートルくらい。青年は俺の斜め後ろ、数十センチのところに立っている。
青年は、自分が『西川浩輔』という名前の男であることを、大きく頷いて肯定した。
「そうだが、お前は?」
「私は菊池ユメです。この村の魔法遣いで、魔法局から正式にあなたを逮捕するよう依頼されました」
「そうか……」
青年があきらめたような口調で呟いて、俺は釈然としない疑問を抱いた。
何故今まで相手を傷付けても逃げ続けてきた青年が、目の前の小さな少女を「終点」と言ったのか。ユメが俺の愛する少女だから、敢えて抵抗せずに捕まろうと言うのか?
俺は青年にだけ聞こえる声で尋ねた。
「お前は、捕まる気なのか?」
青年は小さく「まさか」と笑ってから、低い声で囁いた。
「ただ、この足では、俺はあの子から逃げられない。あの子は強い魔法遣いだ。抵抗しても捕まるのなら、無駄な抵抗をしてお前の好きな子を傷付けたくない」
「ユメが……強い……?」
改めてユメを見ると、ユメは不愉快そうに俺を睨み付けていた。可愛い顔が台無しだ。
「悠太! 何をこそこそ話してるの!? なんでそっちにいるの!?」
俺には、ユメが少し泣いているように見えた。今この場所で、俺がユメの味方をしていないことがショックなのだろうか。
俺はユメを無視した。ユメのことは好きだけれど、「正しいこと」を誤りたくない。
「お前は、逃げたいのか?」
俺は再び囁いてから、小さく振り返った。
「お前が逃げたいって言うなら、俺はお前を逃がす。ユメに嫌われても、逃がす」
青年は真っ直ぐ俺を見て、それからちらりとユメを見た。
「悠太! 答えて!」
ユメがまるで悲鳴のように叫んだ。見ると、その黒い瞳に涙があふれている。
「本当に嫌われるかも知れないぞ?」
それが、青年の答えだった。
「……構わない」
ユメより青年を選んだわけじゃない。どっちが俺にとって大切な人かなんて、考えなくてもわかる。
けれど、大切な人の行動を、すべて無条件に肯定して受け入れるような、そんな男にはなりたくない。
それはつまらないプライドかも知れない。ユメには理解してもらえないかも知れない。
それでも、俺は自分の判断を信じたい!
「逃げろ!」
俺が叫ぶや否や、青年は踵を返して闇の中へ駆け出した。
「あっ! ま、待ちなさい!」
ユメが両手を突き出して素早く何かの魔法を遣う。
俺は素早く横に移動して、ユメと青年の間に入った。
刹那、全身にものすごい痛みが走った。まるで身体に雷が落ちたような衝撃だ。
「ぐあぁっ!」
身体中が痺れて、俺はがくりと膝を折った。
あのユメが、こんな魔法を人に対してに遣ったのか。恐らく怒りに駆られているせいだろうが、俺は信じられなかった。
「ゆ、悠太!」
ユメが泣きそうな声を上げて俺の方に駆けてきた。そして俺の肩を抱きしめるようにつかんで、涙声で叫ぶ。
「ど、どうして!」
俺は気力を振り絞って青年の逃げた方を見た。すると、彼はそこに立って毅然として俺を見つめていた。
「馬鹿野郎! なんで逃げない!」
「俺は……」
何か言いかけた青年に、俺はあらん限りの声で怒鳴った。
「逃げろ! そして、もしも叶うなら、別の終点を見つけてくれ。別の終点を探す努力をしてくれ!」
何か魔法を遣おうとしたユメの腕をグッとつかんで、俺はそのままユメを胸の中に抱き入れた。
「悠太、放して! 邪魔をしないで!」
「うるせぇ!」
俺はユメに怒鳴りつけ、懇願するように青年を見た。
「俺も、魔法は人を幸せにできる素晴らしい力だって信じてる。俺はこいつも、お前も、魔法も、全部信じたい!」
「わかった。すまない」
そう言って丁寧に頭を下げると、青年は今度こそ振り返らずに闇の中に駆けていった。
「ま、待って!」
俺の腕を振り解いて、ユメが素早く立ち上がって青年を追いかける。指輪がキラリと光ると、突然網のように、木々がうねうねと互いに絡みつき始めた。
ユメはあくまで彼を逃がさないつもりだ。余裕のない表情をしている。
「ユメ、やめてくれ!」
俺は痺れる身体を無理矢理起こすと、背中からユメの肩をつかみ、こっちを向かせてその腕を取った。
「ユメ、魔法を止めてくれ!」
俺がそう頼むと、ユメは俺を睨んで怒った声を上げた。
「どうして? どうして悠太、あの人の味方をするの? どうして悠太まで私の味方をしてくれないの!?」
「俺……まで?」
俺は思わず聞き返したけれど、今はそれどころではない。
「魔法を止めてくれ」
「嫌だ!」
「ユメ!」
もはやなりふり構っていられなかった。もし例の魔法遣いがどこかに待機していたら、こうしている間にも彼は捕えられているかも知れない。
俺はユメに背を向けると、そのまま彼の消えた方向に走り出した。
「悠太!」
ユメがすぐに追いかけてきたが、俺は構わなかった。
しかし、まるで生き物のようにうごめく木の枝葉を潜り抜けるのは無理だった。身体の痺れもまだ取れていない。
俺は呆気なく枝に捕まると、空に持ち上げられた。
「う、うわぁっ!」
情けない声を上げたところに、他の枝ががっしりと俺を巻き取り、締め上げる。
「うぐあぁぁぁぁぁっ!」
絶叫した途端、俺は圧迫感から解放された。ユメが魔法を解いたのだ。
俺は力なく地面に落ちた。身体に力が入らない。
なんとか首だけで見上げると、ユメが大きな瞳からぼろぼろと涙を零しながら俺を睨み付けていた。
「私の……遠野に戻ってからの、初めてのお仕事だったのに……」
「ユ……メ……」
ユメは涙を拭うと、大きく首を横に振って悲鳴じみた声を上げた。
「悠太なんて大っ嫌い! もう……もう悠太のこと、信じない!」
拳を握って叫ぶようにそう言うと、ユメは踵を返して走っていった。
俺はもうすっかり元に戻った木の一つにもたれたまま、しばらくユメの足音を聞いていた。
そして、ふと首を上げて空を見上げた。
木々の隙間に月が見える。大きな月だった。
「俺、間違ってねぇよな……?」
呟き声が虫の音に解けた。
涙があふれてきた。