鏡音リン小説 − 『 リンのうた 』 − ボーカロイド二次創作


 エピローグ

 開け放った窓から入ってくる風が、涼しくて気持ちいい。
 広いリビングの隅っこに置いてあるオルガンを、ミク姉さんが悦に浸った様子で弾いている。しっとりしたジャズ調のメロディー。
 わたしは足を投げ出すようにソファーに寝転がって、ぼんやりそれを聴いている。ソファーのすぐ脇には、さっきまで触っていたギターが置いてある。
 ミク姉さんと二人きりの、こんな静かな時間が好き。なんて、一人でモノローグを入れていたら、ドタドタとレンが入ってきて、感極まった声で言った。
「リン、今日の夕飯はオムライスが食べたい。ついさっきそういう気分になったから伝えにきた!」
「ヤだ」
 顔も上げずに一蹴すると、レンは呆気に取られたように一歩後ずさった。それからふと、似合わない優しい眼差しをわたしに向ける。
「こないだの仕事が終わってから、元気がないけど、嫌なことでもされたのか?」
「全然違うよ。大丈夫。話せないけど、心配してくれてありがとう」
 レンにそんな台詞を吐かせてしまうほど落ち込んで見えるんだと、少し反省した。
「それならいいけど。じゃあ今日はオレが固焼きオムライスを作ってご馳走するよ」
 そう言って、レンはまだちょっと心配そうな顔をしたままリビングを出て行った。
 どうでもいいけど、固焼きオムライスはまったく美味しくなさそう。そもそもレンの料理は美味しくない。
 でも、ルカさんはそれなりに好きらしいから、味覚の違いかもしれない。
 再びミク姉さんを見ると、レンが来る前も来た後も、変わらず楽しそうにオルガンを弾いている。こんな時は、大人なのか、大人ぶっているのか、はたまた音楽に浸って気付いていないのか、わたしに興味がないのかよくわからない。
 はぁ、と溜め息をつく。
 わたしとミク姉さんの路上ライブは大成功だった。
 10曲目、観衆がパッと見200人を超えたくらいで、街の治安を守る人たちが来て解散させられた。
 それっきりケイイチさんとは会ってないけれど、ノヒラさんからは一度だけ電話がかかってきた。そして、どうなったのか尋ねたわたしに、意地悪な声でこう言った。
「秘密です、話せません」
 仕事の後、依頼主のことなんて全然気にならなかったわたしだけれど、今回は気になってしょうがない。隠されたせいか、心境の変化かはわからない。
 今度こっそり見に行こう。
 顛末は気になるけれど、どっちに転がってもいいと思っている。どこかで歯車が噛み合えば、ケイイチさんは音楽でも食べていけるかもしれない。
 想定を超えたライブの盛り上がり。やっぱりあれは曲の力も大きかった気がする。
「この前の仕事の依頼人のことが気になってもやもやするの。これは、いいことだと思う? それとも、やっぱり良くないことだと思う?」
 仰向けからうつ伏せに体勢を変えて、ふとミク姉さんに問いかける。
 ミク姉さんはフェードアウトさせるようにオルガンを弾く手を止めて、体ごとわたしの方を向いた。今日は涼しげな白のワンピース。
「私はむしろ、リンがどうしていつも仕事の後、あんなに無関心、無感動でいられるんだろうって、そっちがの方が不思議で心配だったけど」
 可愛らしい微笑み浮かべて、あっさりとそんな、わたしの予想と正反対のことを言った。
「えっ!?」
 わたしは思わず飛び起きて、ソファーに座り直してミク姉さんと向かい合った。
「ミク姉さんは、仕事が終わってから、依頼人のことを考えたり、今どうしてるだろうって気になったり、心配したり、自分から会いに行ったり、別れが悲しかったりするの?」
 心底驚いてそう聞くと、ミク姉さんはさも当然というふうに頷いた。
「私にはそれが当たり前に思えるけど。だって、ひと月も一緒に過ごしてきた人だよ? 時間になりました、はいおしまいなんて、そんな簡単に割り切る方が、私には難しいけど」
 唖然となる。わたしは絶対にミク姉さんも同じだと思っていた。別れに対して淡泊で、依頼主のことなんて、仕事が終わったら忘れてしまうとばかり思っていた。
 でも、実はわたしとは全然違って、すごく感情的に、情熱的に人と向き合っていた。
「ひと月も本気で相手のことを想えばそれが恋にもなるし、情も移るし、逆に噛み合わない小さなズレが憎しみにもなるし、悲しみにもなるし。別れが寂しかったり、嬉しかったり、泣いちゃったり。そんな一つ一つが私の中で歌になって、みんなの心に届いていくと思うの」
 嬉しそうにそう言いながら、ミク姉さんはゆっくり立ち上がってわたしの傍に来た。そしてわたしの肩をポンと叩いて、いつもの穏やかな笑顔で言った。
「私が正しくて、リンが間違ってるってわけじゃないよ? それも個性だと思うし、ドライにやりたい人には、私よりリンの方が合うかもしれない。リンが自分の個性を気に入ってるなら、それを大事にすればいいし、変わりたければいつでも相談して。私はどんなリンだって好きだよ」
 冗談っぽくわたしを抱きしめ、頬に軽くキスをして、ミク姉さんは楽しそうに鼻歌を歌いながらリビングを出て行った。
 静寂。まったく意外な事実を知って、少し混乱しながらわたしは考える。
 単純で淡白で、喜怒哀楽の「怒」と「哀」なんて無縁だと思っていたミク姉さん。でも、本当はそうじゃなくて、わたしよりずっと激しくて熱い人だった。
 それでも、わたしはやっぱりミク姉さんのことが大好きだ。きっとミク姉さんの言った、どんなわたしでも好きっていうのも同じ意味。
 人も街もわたしたちも、何もかもが変わってもなお絶対に変わらない想いが、わたしとミク姉さん、ボーカロイドの仲間を繋いでいる。
 足元のギターを抱えた。
 時々ミク姉さんが歌っている、穏やかで優しい、わたしの大好きな歌。

  ねえ神様 お願い聞いて
  たった1つの わたしのお願い

  Twinkle Twinkle 歌の力は小さいけれど
  きっと心に届くから

  Twinkle Twinkle 歌で争いは消えないけれど
  あなた一人は幸せにしたい

 今、心から思う。
 二人が幸せになれますように。