林を抜けると赤茶けた山岳地帯になる。山の高さは様々で、木々が生えているものもあれば、丸裸のものもある。その山の一つに、もはや遺跡に近い崩れた小さな砦があり、盗賊たちはそこをアジトにしているらしい。それが、先の戦いで捕縛した盗賊から得ることができた情報だった。
一団の中枢はスデッソリの村人だったが、中にはならず者や、ストリアのような流れの傭兵もいるという。人数は70人ほどで、ストリアの教育もあり、全員がそれなりに剣を使えるとのこと。
「そんなものは数で押し切ればいいわ!」
会議の席でレミーナが声を荒げると、温厚で非好戦的な第三王子エーディスが優しい声音でたしなめた。
「部隊の人間を殺された君の無念はわかるけど、無茶な戦闘をしたら新しい悲しみが増えるだけだぞ? もちろん、勝てるには勝てるだろうけどね」
レミーナが口を噤むと、第二王子がレミーナの肩を持った。
「だがエーディス、連中は仲間が捕まったことを知っている。早急に手を打たねば、逃げられるかもしれない」
「力で攻め立てるにしても、少し戦略を練るだけで、その被害はかなり食い止められるでしょう。わたしはいくつかの戦略を持っています」
冷静にノグラムが言い、ツッグが地図の描かれた紙を広げた。
「砦の位置は正確です。中の構造も資料がありました。裏側には道があり、そこに行くためには東の峡谷を抜ける方法と、西の山岳地帯を迂回する方法があります。正面からも攻めることが可能ですが、坂がきつく、苦戦を強いられるのは間違いありません」
ツッグが周囲の状況をそう説明してから、ノグラムが紙の前に立って続けた。
「そこでまず、一隊を西から速やかに移動させます。東からでは見つかる可能性が高いですから。そして、同時に表と裏から攻め立てます」
「単純だな。作戦というほどでもないと思うが」
メラサルドが憮然としてそう言った。ノグラムは首を振って続けた。
「本体は表です。裏から攻め立てたら、一旦表の部隊を退けて、裏からの奇襲を本体に思わせます。そして、夜陰に乗じて表から総攻撃をかけます」
メラサルドは腕を組み、難しい顔で紙に描かれた図を睨み付けていた。そんな兄を見て、エーディスがゆったりとした口調で言った。
「わたしが言いたいのはそういうことじゃないんだ、ノグラムもレミーナも。相手がスデッソリの人たちなら、話し合いで解決しようと言ってるんだ。彼らはメイゼリスに住めて然るべき人たちだ」
「しかし……」
反論しかけたレミーナを、メラサルドが制止した。
「住めて然るべき人たちだった、と言ってほしいな。今は罪人だ。よしわかった。ノグラム、その戦略でやってみてくれ。たかが70人の野盗の群れ、ひねり潰してくれん!」
メラサルドが反論を許さない強い口調で言うと、一同は拳を胸に当てて敬礼をした。そして、すぐにでも計画に移さんと部屋を出て行く。
兄と二人きりになると、エーディスがため息混じりに言った。
「兄さんもレミーナたちも、みんな熱くなりすぎだよ。きっと甚大な被害が出る。そして、後悔するんだ」
「エーディス、お前は自分の臆病を正当化しているだけだ。人には、戦わねばならん時もある」
強く言い切る兄に、エーディスは何も言わなかった。そして、静かに部屋を出て、一言暗い瞳で呟いた。
「死ぬなよ、レミーナ」
ノグラム隊、レミーナ隊の他にも2つの部隊が編成されて、総勢600人ほどの部隊が結成された。たかが70人を蹴散らすには多すぎる数である。それだけ、威信を傷付けられたメラサルドの怒りが大きいということだろう。
その内の、レミーナ率いる200人が西から裏手に回り、100人が正面から攻め、ノグラム率いる300人が本体として待機することになった。
レミーナは約1日かけて砦の裏手に移動し、森の中に身を潜めた。砦には人がいるのかわからないが、静まり返っている。
夜になり、空に火矢が上げられると、表から一斉攻撃が始まった。盗賊たちは篝火を焚き、矢や石を持って反撃する。自然の砦は堅固で、確かにエーディスの言うとおり、真っ向から戦っては被害が大きかっただろう。
打ち合わせた時間が過ぎると、レミーナは森を飛び出して裏手の道を一気に駆け上った。盗賊たちも当然その程度のことは予測していたらしく、固く門を閉ざした壁の上から矢を放ってくる。
数人が矢に打たれて地面に倒れた。
「ひるむな! 所詮は70人の集まりだ。そこら中に縄をかけろ。一気に攻め立てろ!」
レミーナの声に、兵士たちが呼応する。そしてあっと言う間に20本近くの縄がかけられた。
レミーナは一瞬自分の隊だけで勝てるのではないかと思ったが、縄がかかってからしばらくしても、死者が増えるばかりで、誰一人として壁の上に到達できた者はなかった。
「これが攻城戦か!」
レミーナは親指の爪をかんでから、飛んできた矢を叩き落した。そして一旦兵を引かせると、被害を増やさないために矢による攻撃に切り替える。本体はこちらではないのだ。
壁の上には40人ほどの人影が見えた。全員が壁の上にいるとは思えないので、これで正面はかなり手薄になっているはずである。
そして数刻の後、ものすごい喚声が向こう側から響き渡って、壁の上の盗賊たちが慌てながら撤退して行った。裏手の城門が開かれ、メイゼリスの鎧を着けた兵士たちがレミーナ隊を中に導く。
レミーナは一気に攻め立てたが、砦の中はすでにもぬけの殻だった。
「どういうこと?」
正面から来たツッグに尋ねると、ツッグは興奮した様子で答えた。
「連中、東門から逃げたみたいだ! 今、ノグラム将軍が追いかけてる!」
「東門!? 聞いてないわ!」
「門はあっただろ? ただ、そこに行く方法がなかった。連中には魔法使いがいる。そこから逃げても不思議じゃない」
レミーナは舌打ちをした。そしてすぐに部隊を引き連れて砦の正面に向かうと、遥か眼下に峡谷の方へ逃げていくいくつかの灯りが見えた。
東門から戻ってきたノグラムがレミーナの隣で唸り声を上げ、すぐに正面の崖を駆け下りていく。兵士たちに混ざってレミーナも続いた。
野盗は20人ほどだが、メイゼリス軍の人間は鎧を着けていることもあり、身軽な彼らになかなか追いつけないでいた。それでも、矢によって5人を射止めたが、残りの十数人とは差が開くばかりである。
やがて、レミーナ以下約400人が完全に峡谷に入ったその時、突然峡谷の上に30ほどの人影が現れた。
「罠!?」
レミーナが青ざめて見上げると、月を背景にしてストリアが立っており、静かに手を上げた。
途端に、崖の上から無数の樹や岩が転がってきて、峡谷に兵士たちの絶叫が響き渡る。
「はめられた! 奴ら、初めから準備していた! 砦は元々捨てるつもりだったんだ!」
飛んでくる矢を叩き落し、ツッグが叫んだ。レミーナはツッグを促して駆け出した。
「とにかくここを抜け出さないと!」
いきなり目の前に大きな石が落ちてきて、レミーナは直撃は免れたが衝撃で地面に叩き付けられた。ツッグの手を握り、よろめきながら立ち上がると、右手の崖から岩が転がってくるのが見えた。
慌てて走り出すと、風を切って飛んできた矢が太ももに突き刺さった。
「うぐぁっ!」
痛みのあまり、再び地面に崩れ落ちる。直後、足元でツッグの絶叫が聞こえた。
レミーナは驚き、すぐに立ち上がってツッグの名を叫んだ。
「ツッグ!」
先ほど崖から転がってきた岩だろうか。振り返ったそこには、レミーナの腰ほどの高さの岩が無造作に転がり、その下から潰れた人間の足が覗かせていた。足は血で真っ赤に染まり、岩の下から新しい血がどんどんあふれてくる。
「あ……ああぁ……」
レミーナは青ざめ、立ち尽くした。そんなレミーナの肩当てに矢が突き刺さる。貫通はしなかったが、衝撃で腕を痺れた。
「うわあぁぁぁぁぁっ!」
レミーナは大声で叫び、地面を蹴った。走りながら振り返ると、岩と仲間の死体を乗り越えて、崖によじ登っていく兵士たちの姿が見えた。数人は登り切ったようで、崖の上で交戦している。
砂埃の中、雨のように矢が降り、血の匂いが充満する。仲間の死体を踏み越え、地獄のような峡谷をレミーナは一心に駆け続けた。
だんだん、喧噪が遠ざかっていった。
気が付くと、レミーナは一人で真っ暗な森の中を歩いていた。
身体中が痛みで痺れているが、歩けないほどではない。しかし、左手はずっと前から感覚がなく、まるで肩から先が千切れているようだった。
一度足を止めると、不気味な静寂がのしかかってきた。まるで世界中の人間が死に絶え、自分一人が世界の果てまで歩いてきたような気持ちになった。
左腕を見下ろすと、服の袖が濃密な黒い液体でぐっしょり濡れていることに気が付いた。すぐに血だとわかった。
袖をまくろうとすると、剣で斬られたような鋭い痛みが走り、激しい頭痛がして額から汗が噴き出した。
「折れてるな……」
ぽつりと呟くと、あまりの不安に涙が込み上げてきた。そしてふとツッグのことを思い出し、レミーナは小さく鼻をすすった。
足を引きずりながらしばらく歩くと、木々がまばらになり、向こう側に星空が見えた。そして、その下に二つの人影があり、白い光が彼らを照らしていた。一人はローブを着た中年の男で、もう一人は自分より少し年上の、剣士風の青年だった。
「ストリア……」
レミーナは呟き、唇をかんだ。ストリアとローブの男がレミーナを見る。ローブはどうやら魔法使いで、二人を照らす光は彼が出したものらしかった。
「無事だったんだな、レミーナ」
どこか安心したように、ストリアが息をついた。レミーナは何も答えずに右手で握った剣を構えた。そして最後の力を振り絞って地面を蹴り、斬りかかる。
もちろん、万全の状態でも勝敗のわからない相手に、そんな攻撃が通じるはずがない。呆気なく剣を払われると、その衝撃で地面に崩れ落ち、レミーナは全身に走った痛みに地面の上をのたうった。
「一勝一敗だな」
ストリアが明るい声でそう言って、レミーナは口元だけで笑って言い返した。
「な、何が……。こんな状態の私に勝って……嬉しい?」
「いいや、違うね」
ストリアは首を振ってから、倒れているレミーナの上に跨った。
「わ、私を辱める気か!?」
珍しく甲高い悲鳴を上げ、ストリアが驚いた顔をしてから笑った。
「考えもしなかったよ。俺も男だから、それもいいかもしれないな」
冗談を言う口調だった。
ストリアはレミーナの左の肩当てを外すと、ナイフで袖を切り裂き、それを一気に剥ぎ取った。凄まじい痛みが走り、レミーナが絶叫する。思わず身をよじったが、ストリアが跨っているので動かない。
汗だくの顔で左腕を見ると、骨が肉を破って突き出していた。レミーナは気持ち悪くなって目を逸らせた。
ストリアはしばらくその傷口を眺めていたが、やがてもう一人のローブを呼んだ。
「おい、アズナ。痛みを抑えることはできないか?」
アズナと呼ばれた魔法使いは、浮かべていた光をレミーナに近付け、それから静かに首を振った。
「そういう魔法は使えない。辛うじて傷を治すのが精一杯だ。俺の出番は、骨の位置を戻してからだな」
「じゃあ、少し我慢してもらうか」
ストリアはため息混じりにそう呟くや否や、レミーナの腕を取り、突き出していた骨を無理矢理元通りにした。
「ぎゃあぁあああぁぁぁっ!」
レミーナはあまりの痛みに獣のような叫び声を上げると、そのまま意識を失った。
一瞬の暗転。しばらくすると、身体中が熱くなって、真っ黒だった意識に光が差し込んできた。
穏やかな光が全身を包み込んでいる。うっすらと目を開けると、アズナが難しい顔をして魔法を使っており、彼の手から光が流れ込むたびに、傷の痛みがなくなっていった。
「魔法って便利ね。傷も治せるの?」
夢を見るように尋ねると、アズナは首を軽く横に振った。
「一部の人間だけだ。長く旅をしているが、治癒の魔法が使える奴は、2、3人しか見たことがない」
「じゃあ、あなたは優秀なのね」
「難しい魔法を使えるのが優秀というわけではない。エルクレンツで会った魔法使いの女は、治癒の魔法以外、大した魔法は使えなかったし、魔力も低かった。よし、もういいだろう」
アズナが魔法を止めると、レミーナは半身を起こした。いつの間にか鎧は脱がされており、上着も地面の上に置かれていた。
左腕を見ると、傷口は完全に塞がっていた。肘を曲げると、まだちくりと痛みが走った。
「どうして私を助けたの? あなたは、私を殺そうとしてたのに」
レミーナが詰問口調で問いかけると、ストリアはやや軽蔑気味に笑って答えた。
「あれで死ぬようなら、君は所詮それだけの人間だったってことさ。別にあれは君を殺すために張った罠じゃない。仕方なく君を巻き込んだだけで、俺は一度として君個人を憎んだことはない」
「私は憎んだわ。あなたには大切な人を何人も殺された」
「戦いは個人がするものじゃない。君が俺を恨むのは自由だが、俺はもしアズナを君に殺されたって、君個人を恨んだりはしない。それが戦いの最中ならな」
レミーナは憮然となった。ストリアの言い分があまりにもっともだったので、自分の感情がひどく子供じみたものに思えたのだ。
もちろん、それでロカルやツッグを失った悲しみを忘れるはずはなかったが、ストリアに対する恨みは薄れていた。実際、彼は自分を助けてくれたのだ。
レミーナは立ち上がり、剣を取った。そしてそれをぶんぶん振ってから、ストリアを見る。
「さっき、一勝一敗って言ったわよね。私は、あんなのをカウントされちゃ、たまらないんだけど」
その言葉に、ストリアは意外そうに目を見開いてから、顔を綻ばせた。
「君は案外、負けず嫌いなんだな」
「あなたこそ、卑怯なカウントで勝ちを稼ぐんだから、私以上でしょ?」
レミーナの皮肉を、ストリアは笑いを収めて否定した。
「いいや、違う。俺の言った一勝はこの戦いのことだ。君の剣は俺より上だ。もう一度戦っても、俺は勝てないと思う。だが、戦術は俺の方が上だった」
「私たちは負けていない! 今頃あなたの仲間は全員殺されたか、捕まったはずよ!」
「だろうね」
ストリアは飄々と返した。実際、レミーナが傷付いた身体で森の中を彷徨っている間に、メイゼリスが勝ちを収め、生き残ったスデッソリの人々は全員捕まったという。
「だけど、素人70人の集団が、あのメイゼリスの軍の人間を200人くらい屠った。しかも魔法を使わずにだ」
「魔法は使ったでしょ? 砦の東門から、魔法も使わずにどうやって峡谷への道に出たって言うの?」
「ああ、逃げるためには使った。だが、攻撃の魔法は使わなかった。アズナが本気で魔法を使えば、全滅させることもできた」
ストリアが言い終えると、アズナは魔力を集め、魔法を放った。レミーナの見たことのない、光の魔法である。強い光線が木々を焼いて森の中を真っ直ぐ迸った。圧倒的な力だ。
レミーナは怖くなって身震いした。アズナが笑った。
「俺は人を助けるためにしか魔法を使わないと決めてるんだ。だから、あの場面では村人を助けたし、今はお前を助けた」
レミーナは喉の渇きを覚えた。一度舌で唇を舐めると、低い声で尋ねた。
「あなたたち、何者なの? どうして彼らに味方して、メイゼリスと戦ったの?」
ストリアは一度暗い瞳を落としてから、あきらめたような口調で語り始めた。
「俺は、遥か西の国の王族だったんだ」
「えっ!? じゃあ、王子だって言うの?」
レミーナが驚いて聞き返すと、ストリアは眉間にしわを寄せ、深刻な面持ちで頷いた。
「そう。けれど、大国に攻め込まれて、国は滅んだ。ひどい戦いだった」
「それで……大国を恨んでるの? メイゼリスも同じだって?」
「スデッソリの一件は、ね。もちろん、メイゼリスが近隣の国々に友好的なのは知ってるよ。長く旅をしてるからね。だけど、それとこれとは話が別だ」
厳しい口調で言うと、レミーナは申し訳なさそうに項垂れた。
「メラサルド様は、本当に悪く思っていたわ。実際、嘆願書を取り下げた人間は処罰したし……」
「だけど、今回は戦いに踏み切った。どうして正体がわかった時点で、話し合いをしようとしなかったんだ? 君自身、俺に話し合いの必要性を訴えてただろう」
そう言われて、レミーナはエーディスの言葉を思い出した。彼の指摘は的確だった。だが、自分はロカルを殺されて冷静さを欠き、メラサルドも弟に反論されてムキになっていた。
「簡単じゃないのよ」
レミーナは言葉に詰まって、それだけ言った。ストリアは苦笑してから荷物を取った。
「話はそれくらいにしよう。俺たちはそろそろ行く。メイゼリスでは罪人になってしまったしな」
レミーナはじっとストリアを見つめ、それから小さく頭を下げた。
「色々、ありがとうございました、ストリア王子」
ロカルを始めとした、殺された隊員のこと。友人であるツッグのこと。色々なことが頭をよぎり、レミーナは思わず涙をこぼした。それでも、なぜかストリアには感謝していた。
ストリアは困ったようにレミーナの髪を見つめていたが、やがてぽつりと呟くように言った。
「レミーナ、ごめん。君がそんなにも真面目だとは思わなかった。王子だって話、冗談だから」
「えっ……?」
顔を上げると、ストリアはいたずらっぽく笑っており、アズナも笑いを堪えるようにして立っている。
呆然とするレミーナに手を振って、ストリアは駆け出した。
「じゃあな、レミーナ! きっとまたどこかで会おう!」
「あ、ちょっと……ストリア!」
レミーナは大きな声で呼び止めたが、二人は振り返らなかった。
やがて、森の向こうに彼らの背中は消えていき、虫の音が優しく彼女を包み込んだ。
レミーナが記録室で歴史を調べていると、通りがかったエーディスが驚いたように目を丸くした。
「珍しいな。君がここにいるなんて」
「私はそんなにも戦闘馬鹿に見えますか?」
紙束を机に置いて、さも心外という口調で問いかけると、エーディスは笑いながら謝った。
「ごめんごめん。そういう意味じゃなかったんだ。でも、学問好きには見えないな」
「ストリアのことを調べていたの」
先の戦いから数日が経っていた。
この数日は戦死した兵士たちの追悼式や捕らえた者への対応に追われ、ゆっくりする時間が取れなかった。
戦いによる死者は173名、負傷者212名。ノグラムは無事だったが、ツッグを始め優秀な部下の多くが命を落とした。
メラサルドは勝ちは勝ちだと、自らの失策を認めなかったが、レミーナは戦うべきではなかったと、素直に反省していた。
レミーナがストリアとの会話をすべて伝えると、エーディスは顎を撫でながら言った。
「嘘か本当か、難しいところだな。実際、遥か西ではもう何十年も戦乱が続いていて、小国が興っては滅んでいるらしい。今度の彼の作戦や、先導、農民たちの教育は、敵ながら見事だった。王子でなかったとしても、人を使う立場で戦争を経験してきたのは間違いないだろう」
「ストリア……」
レミーナは懐かしむように呟いた。剣では確かに勝ったが、その差はわずかだった。しかし、知識や統率力では圧倒的に負けていた。
「私はひたすら剣の腕を磨いてきた。それが認められて隊長にしていただいたけど、隊長としての素養はない。メイゼリスの誇りある隊の隊長として、ストリアのようになりたい」
彼の背中を思い出しながら決然とした眼差しでそう言うと、エーディスは微笑みながらそっとレミーナの肩を叩いた。
「彼は君にいい影響を与えたな。ツッグやロカル、勉強代はあまりにも高くついたけど、今度の経験は君を一回りも二回りも大きくしたはずだ。わたしは、君の今後に期待している」
「はい。ありがとうございます」
レミーナが深く頭を下げると、エーディスは優しい眼差しで頷き、用があるからと言って出て行った。
レミーナは紙束を元の場所に戻すと、椅子に座って壁を見つめた。仲間の顔が心の中をよぎり、目頭が熱くなる。
「たくさんの人が呆気なく死んだ。私も、アズナがいなければ死んでいた……」
レミーナは初めて戦いの恐ろしさを知った。いくら剣の腕が立っても、頭上から落ちてくる岩には勝てないとわかった。
しばらくしてから部屋を出て、渡りから空を見上げると、一面抜けるような青空が広がっていた。遠くの教会から哀悼の鐘の音が聞こえ、白い鳩が群れをなして飛んでいく。
静かに空を見つめるレミーナの瞳が陽の光に輝いて、強い春風が涙をさらって吹き抜けていった。
Fin