キミは素直で、そしてとても生真面目だ。
だから、たとえどんな結果になったとしても、キミは満足しなかったんじゃないかな?
だけどボクは違う。
キミはいつでもボクを見下していた。
確かにボクは知識もないし賢くもない。剣なんてぶら下げているだけで、使ったこともない。
だけどボクは、キミよりもずっと自分を理解している。
出来ることと出来ないことを知っている。
本当に大切なものと、いざとなれば捨ててもいいものを区別できる。
だからボクは、キミの選択に満足している。本当に嬉しく思う。
生き延びてくれてありがとう。
それから、ようこそ、ボクたちの国に。
* * *
ナガノリア城の東の城郭、そこから見える山々の美しさは、見る者に時間を忘れさせる。
風は冷たい。黄金の髪がさらさらと肩で揺れた。
「王女」
感情を押し殺した低い声。顔を向けると、白銀の甲冑を身に着けた長身の男が一人、おおよそ融通など利きそうにない顔をして立っていた。
バルナス・ザスアラス。ネイゲルディア王国きっての騎士である。
「何度も言いますが、ここは危険です。展望台ではありません。どうか、王城の屋上からご覧になってください」
「何度も言いますが」
視線を山の稜線に戻し、同じ口調で吐き捨てる。
「ここからの眺めが好きなの」
「好きなことをなんでもして良い立場ではありますまい。ましてや今は」
「……そうね」
浮かない顔で踵を返す。納得したわけではない。今日は引き下がるだけだ。
もっと優先させたい我が儘がある。言えば止められるに決まっているが、言わなければ大事になるかもしれない。
バルナスは五歩後ろをついてきた。偶然遭遇したわけではないようだ。
「明日から一週間、マトランダで祭りがあるわ」
目を見られたくない。真っ直ぐ前を見据えたまま、淡々と背中に語りかける。
「もちろん知っています。マトランダの秋の収穫祭は、ネイゲルディア一の祭りですから」
「明日から三日間、視察に行きます」
「なりません」
「止めても行くわ。毎年行ってるもの。とても楽しみなの」
思わず感情が高ぶった。しかし振り向かなかった。目を合わせたら、この熟練の騎士に言いくるめられそうな気がする。
「もう一度繰り返します、王女。貴女はもう我が儘を言ってはいけない。我々の誇り、ディアック王子は非業の死を遂げました。そして胸を患っていた王は、ショックのあまり病状が悪化し危篤です。ミスティル王子は恐らくあのままでしょうし、表向きにはともかく、この国は実質マリナ王女、貴女が支えているのです」
大きくため息をつく。
バルナスの言う通り、長兄ディアックが死に、障害を持って生まれた次兄ミスティルは著しく知恵が遅れている。表向きには王は健康なことになっているが、本当は自分で立つことすらままならない状態だ。
優しく逞しかった兄を思い出し、思わず目頭が熱くなった。
立ち止まって目を閉じると、目蓋の裏に子供のような青年のあどけない笑顔が浮かんだ。
「それでも行きます。私が数日いないだけで機能しなくなる国ではないでしょ?」
「失礼な言い方になったらすみません。確かに数日王女がいなくても機能します。ですが、完全にいなくなってしまったらこの国は終わります」
「三日で帰ってくるわ」
「ディアック王子と同じことにならないと言い切れますか?」
その問いには答えなかった。言い切れるはずがない。いついかなる時でも、あらゆる可能性を否定できない。
しかし、三日で帰ってこられる自信があった。
「ありがとう、心配してくれて」
曖昧に答える。
「貴女一人の心配をしているわけではありません。わたしは……」
「ありがとう、私の国も心配してくれて」
これ以上話し合う気はない。半ば王命であるというように強く言うと、もうバルナスはついてこなかった。
足音の代わりにため息が聞こえた。
* * *
限界?
いいえ、そう言うにはまだ少し早い。けれど、予言者でなくても容易に想像できる未来。
生活はゆっくりと、しかし確実に悪くなっている。
悪政ではない。国の偉い人たちはよく頑張っていると思う。
東の国々で戦争が始まった。火の手は直接は広がって来ないけれど、交易は途絶え、産業が駄目になった。
そして日照時間が異様に短かい上、降水量が極端に少ない夏が二年連続で続き、農業が後を追った。
税金が高くなったのも仕方がない。偉い人たちも豊かな生活をしているわけではない。
失業者が増え、治安が悪くなった。事件や犯罪が増え、法が機能しなくなってきた。
放火に略奪、窃盗、強盗、殺人、この家も、自分も、いつ巻き込まれるかわからない。比較的裕福だけれど、明日にはすべてを失うかもしれない。
知り合いが一人、蔵を失い、別の知り合いは生命を失った。
悪いのは誰?
「本当に悪くなる前に変えることが肝心だ。我々には気付くことができる知恵がある。後は、行動力の問題だ」
なるほど、いつか父が言っていた言葉は正しい。限界が訪れてからでは遅い。待っていても改善はされない。
「ねえ、フレッダ。これはとても勇気の要る決断だと思う。でも私たちはそうするべきだと思う。ねえ、フレッダ。隣の国に亡命しよう」
相思相愛なのにお互い言い出せない曖昧な関係を続けてきた幼馴染みを誘う。
彼は一日考えたいと言ったけれど、翌日いい返事を持ってきた。
お金を用意した。使えないけれど剣も買った。腰に帯びたら強くなれた気がした。
そしてある日の朝、駆け落ちするように街を飛び出した。
それはほんの数時間早かった。
その日の午後、城門の前に立て札が立てられた。
知っていれば、ネイゲルディアになんて向かわなかったのに。
* * *
山間の街路を、一人の少女を乗せた白馬が駆け抜ける。
胸に簡素な鉄のプレートを着けた少女は、美しく、そして精悍な顔をしていた。
「自由、というものに興味はないのか?」
「ないわけないわ。今私が最も欲しいものかもしれない」
「簡単なことだ。このまま城に戻らなければいい。腰には当面生活できる金がある。そして暮らしていけるだけの知恵もある」
「責任、というものを知らないの?」
「そんなものは投げ出してしまえばいい。他人のために自分を犠牲にするなど、愚かなことだ」
「残念ね。責任を果たすのも楽しみの一つなの。犠牲になんてなっていない。私は私の国の人たちのために働くことを誇りに思っている」
「だがお前は近い未来それを投げ出す。自らの意思でなく、否応なしに。だから、後悔する」
「生憎ね。あなたの望みはわかってるわ。だから、その手には乗らない」
「このまま城に戻らなければ良かったと、その時お前に後悔させる。それが俺の目的だ。目的は達成された」
「私は投げ出さないし、後悔もしない」
ピンと張った糸のように研ぎ澄ませた感覚が震えた。風を切る音がして、スッと身を屈める。
一本の矢が少女の背中の上を通り過ぎ、そのまま反対側の木に突き刺さった。
二撃目はない。白馬は一呼吸の間に何ヤードも駆け抜ける。
前方に曲刀を持った男が三人躍り出た。顔は髭で覆われ、汚れて破れた服からは太い手足が覗かせている。
少女は鞍の下に据え付けた槍を取った。先端に小刃のついた鉾槍だ。
片手でしっかり手綱を握り、狙いを定める。
雄叫びを上げて斬りかかってくる男たち。
少女の槍が一人の首を一閃し、別の一人は刀を振り上げたまま白馬に踏み潰された。もう一人の切っ先は空を切る。
少女はそのまま駆け去りはしなかった。馬首を返し、圧倒されている男を容赦なく斬り殺す。
さらにひらりと馬から下りると、槍を捨て、腰から剣を抜いた。特徴的な波打つ刃はフランベルジュという剣で、少女の身体に合わせて小さく片手で持てるように作られている。
森に飛び込むと、先程の射手が刀を振り回して襲いかかってきた。
狂ったように目を見開き、敵を威圧するように声を張り上げる。
だが構えは素人のそれだった。
少女は切っ先を男の首に突き立てると、大きく息を吐いてから汗を拭った。
「平和な国にしたいのに……。ユマナシュからどんどん人が流れてくる。どうすればいいんだろう……」
困ったように顔をしかめて、道に戻る。先に殺した三人の死体を森の中に移動させてから馬に飛び乗った。
道は南に続いている。ナガノリアからマトランダ、そしてさらに果てまで、どこまでも。
* * *
懐かしい記憶。
今ではもう、どこだったか思い出せない。周囲は暗く、何もかもが自分に襲いかかろうとしている悪魔に見えた。
鳥のさえずりも小川のせせらぎも、すべてが自分たちを嘲笑っているように聞こえた。
ただ怖かった。だから泣いていた。ずっと泣いていた。すると、ボクの手をしっかり握って前を歩く女の子が、足を止めて振り返った。
「泣かないで、テリス! 大丈夫よ!」
「大丈夫じゃないよ! ボクたち道に迷ったんだろ? もう帰れないよ!」
「大丈夫、アタシがついてるから!」
「大丈夫じゃないよ! キミについてきたからこんなことになったんだ! だからボクは嫌だって言ったのに! キミが無理矢理……」
「情けないこと言わないの! 大丈夫、帰れないはずがないわ! 帰れたら、これもきっといい思い出になるわ!」
その時ボクはどうしてか少しホッとした。
もちろん、なるはずがなかった。今でも暗闇が怖くてたまらないのは、あの時のトラウマだと信じている。
「あ、雨」
ボクたちは空を見上げた。何も見えなかった。光がなくなった。冷たい雨が降り注いだ。
「こっち! 手を放さないで!」
こっちなんて、道を知っているわけでもないのに。だけどとても逞しかった。
何度も転んで痛い思いをした。何度も泣いた。その度に笑われたり、怒られたりした。
彼女も何度もつまずいていたけど、一度だけ派手に転んだ。手が離れた。悲鳴と一緒に彼女が消えた。
なんでだろう。その時ボクは笑った。たぶん、今までさんざん大人ぶっていた彼女が無様に転んだのが可笑しかったんだ。
彼女は立ち上がってもう一度ボクの手を握った。
「良かった。少しは元気になった?」
彼女はもう走らなかった。転んだからだと思った。
だけど違った。その時彼女の足は血で真っ赤に染まっていたんだ。
ボクは暗くて気付かなかった。ただ、走らなくて済むのが嬉しかった。
曖昧な記憶。
そんなこと、本当にあったんだろうか。
* * *
周辺に集落が増えて、農村が現れ、とうとう前方に巨大な街壁が見えた。
ネイゲルディア王国第二の都市マトランダ。噂には聞いていたけれど、想像より遥かに大きい。コーファンの倍はある。
街門には思いの外多くの人が並んでいた。列の後ろにつき、周囲の会話に耳をそばだてると、どうやら今、マトランダで祭りをしているらしい。
順番が来た。念のためユマナシュのコーファンから来たことは隠して、ネイゲルディア南方の都市、イイダラントから来たことにした。
疑われることなく、荷物検査を受けた後、通行料を支払って中に入れた。
「良かった。心臓が止まるかと思った。ねえ、フレッダ」
「本当に。それにしてもドリスは度胸があるな。俺は口を開けばボロが出そうで」
「しょうがないわ、フレッダは鍛冶屋の息子。人と話すのは慣れてないでしょ? 私は商売人の娘、毎日色んな人の話を聞いて育ったからね」
「まったく頼もしいよ。さて、これからどうしようか。ここに定住する気なんだろ?」
大きく頷いた。
街は賑わっている。通りを、太い木で組まれた枠の上に金色の大きな飾りを乗せたものを担いだ人たちが、独特のかけ声を張り上げながら走っていった。
それを見物する人たち、笛を吹く人たち、手を叩く人たち。同じような光景が一つ、二つ、三つ。
出店もたくさん並んでいる。石細工、骨細工、木彫りの置物、工具、家具、実用品、食べ物に食材、飲料、ありとあらゆるものが売っている。
「いいところね」
「俺には少し賑やかすぎる」
「祭りの間だけよ。どこかお店に入ろう」
フレッダの手を引いて、『陽射しの丘』と書かれた小綺麗な飲食店に入った。
外から見た印象同様、空間を贅沢に使った綺麗な店内だった。けれど、今は人で溢れていて、内装に似つかわしくない品のない喧噪が埋め尽くしている。
空いている席に座ると、店員がやってきた。童顔で背も高くないから一瞬少年かと思ったけれど、子供ではない。十五、六歳だろうか。
「こんにちは」
声をかけたけれど、幼い顔の青年店員から返事はなかった。彼は目を見開いて立ち尽くしていた。
「どうしたの?」
怪訝に思って尋ねると、青年はようやく我に返ったように身を仰け反らせて、慌てて手を振った。
「すみません。知っている人によく似ていたから」
「そんなにも?」
「はい、そっくりです。とても綺麗です」
しどろもどろにそう言ってから、青年はさらに慌てて手を振って真っ赤になって俯いた。可愛い子。
「注文してもいい? お腹ペコペコなの。それから、少し街のことも聞いていいかな?」
「注文は歓迎です。だけど、ゆっくり話をするのは今日は無理かも。ごめんなさい」
確かに、この混み具合で引き留めるのは申し訳ない。
「わかったわ。この街には長くいるつもりなの。美味しかったらまた来るわ」
「味は大丈夫。美味しいものを食べ慣れている人が選んでくれた店だから」
「私に似てる人? お嬢様なの?」
「そ、それは秘密です!」
青年は首を横に振ったけれど、嬉しそうに綻ばせた顔がすべてを物語っていた。
サンドイッチと紅茶を注文する。しばらく待って出てきたそれは、確かにコーファンでは食べたこともないくらい美味しかった。
「また来るわ」
そう言ってから手を振って店を出た。青年は外まで見送ってくれた。
はぐれないようにフレッダと寄り添い合うように歩いていると、それは唐突に訪れた。いきなり鎧に身を包んだ城の衛兵に取り囲まれたのだ。
さすがに蒼白になった。フレッダも震えて、声が出ないみたい。
イイダラントから来たなんて言った嘘がばれた?
違った。衛兵の一人が小声で言った。
「お探ししました、王女。至急ナガノリアにお戻りください!」
「はぁ? 王女?」
思わず素っ頓狂な声を上げた。何かの冗談かと思ったけれど、相手は大真面目だった。
「バルナス様から早馬がありました。大至急お戻りくださいとのことです」
「バルナスって誰? ううん、その前に、人違いよ。私は王女じゃないし、ドリスって言う名前のただの旅人よ? こっちはフレッダ。今日は観光で来たの」
「冗談を言っている場合ではありません! それとも、もしや記憶を失くされているのですか?」
衛兵たちが心配そうな顔をして、互いに顔を見合わせた。
ああ、話が繋がった。こんなにも早く繋がるとは思わなかった。
さっきの店の青年が言っていたのは、この国の王女様だったんだ。そして彼は片想いをしているらしい。
「俺たちは本当に旅人です。イイダラントから来たんです」
さしものフレッダも危機感を抱いたらしく、震える声を絞り出した。
ただし、イイダラントから来たというのは出鱈目なので、本当に調べられたら困る。けれど王女様なんかに間違われるのはもっと困る。
口を開こうとしたけれど、本当に「大至急」らしく、衛兵たちはそれを許さなかった。
「申し訳ありません、王女。もし記憶を失くされているのなら、なおさら我々は早く王女をナガノリアにお連れしなければなりません。もし万が一、たぶんないでしょうが、人違いだったら、その時はその時でお詫びします。どうかここは我々についてきてください」
そこまで言われると、実は自分は十七年分の別の記憶を植え付けられた不幸な王女なのではないかという気すらしてきた。
「あきらめて行こうか、フレッダ。たぶんこの人たち、あまり王女を知らないのよ。いつも王女を見てるお城の人が見たら、人違いだってわかるわ」
ため息混じりに呟くと、フレッダは不安げな顔のまま、それでも力強く頷いた。
こうして私たちは、初めて訪れたマトランダから、あっという間に出て行くことになった。
* * *
外交のため、ディアックは五人の供を引き連れて城を出た。
五人の供はいずれもかなりの腕前を持ち、またディアック自身も武芸に優れていた。
「最後には頼れるのは自分だけだ。自分の身は自分で守らなくてはならない」
それが彼の信条で、妹にも幼い頃から武芸を強要した。
マトランダに到着すると、そこでマトランダの騎士エンファスと合流し、二十人ほどの隊で西方のティユマンへ向かった。
その日は雨が降っていた。かなりの雨だったが、先を急がなければならなかったので、一行は悪路の中を駆けていた。
ぬかるむ山間の道を進む最中、それは起こった。
土砂崩れだ。
どんなに腕っ節が強い戦士でも、自然の脅威には適わない。大量の土砂がディアックの一団を飲み込んだ。
ディアックと他の二人の亡骸が後日生き延びたエンファスらによってナガノリアに届けられた。他の三人の遺体は見つからなかったという。
城内の空気は凍り付き、誰もが悲しみに暮れた。
だから、誰もエンファスがもたらした報告を疑わなかった。ディアックの靴や鎧の内側に、ほとんど土砂が付着していないことにも気付かなかった。
最も冷静で聡明と言われる王女マリナでさえも、悲しみのフィルターによってぼやけた現実しか見ることができなかった。
* * *
華やかな祭りの見物、懐かしい友との語らい、頬も落ちる食事。
あっと言う間の楽しい時間を終えてナガノリアに戻る。街はいつも通りの賑わいだった。少し人の数が少なく見えるのは、未だに続いているマトランダの祭りを見物に行っているのかもしれない。
城が近付くと足取りが重たくなった。結局バルナスの制止を無視して逃げるように飛び出してきた。こっぴどく叱られるだろう。逆に何も言われないのも心苦しい。
城に入ると、重臣の一人であるサガンが近付いてきて、うやうやしく頭を下げた。まだ二十代だが老人のようにしわがれた声で囁く。
「王女、バルナス殿が至急第三塔に来て欲しいとのことです」
「第三塔?」
第三塔とは父王の妾が使っていた場所で、いつの頃からか妾はいなくなり、塔は使われないままになっている。
怪訝な顔で向かうと、バルナスはいつも通り厳粛な雰囲気をまとわせて待っていた。少しだけ顔色が悪い。やはりひどく怒られるらしい。
「お帰りなさいませ、王女」
「ええ。怒ってる?」
「いいえ。王女の決定に部下のわたしが反感を抱くのは不義というもの。意見はしても決定には反対しません」
なるほど。良くも悪くも頭が固い、真面目一辺倒な人間だ。
やや拍子抜けしつつも、安堵の息を漏らして尋ねる。
「じゃあ、こんなところに呼びつけてどうしたの?」
「早急に王女の耳に入れなければならない話があります」
「当ててみようか?」
「どうぞ」
「マトランダで私にそっくりな人がいたって聞いたわ。私の知り合いが見つけて、それで衛兵に連れて行かれるところまで見ていたって。そのことでしょう?」
いたずらっぽく言うと、バルナスは少し驚いた顔になった。
「なるほど、さすがはマリナ王女。わたしが極秘事項にしたその件を、すでにご存知とは」
「その人はどうしたの? ああ、今ここにいるのね?」
好奇心に声が弾んだ。自分にそっくりな女の子。あの子ですら見間違えそうになったと言うから、一体どれくらい似てるのか、楽しみじゃない?
けれど、バルナスは楽しそうではなかった。むしろ渋面になって押し殺した声で言った。
「結論から言うと、この塔に幽閉しています。コーファンから来たドリスという名の女性で、フレッダという若者と一緒です。彼女は自分は王女ではないと言い張っていたので、連れてきたマトランダの兵士には、間違いなく王女本人で、錯乱しているようだと言ってあります。即ち」
そこで言葉を切り、バルナスは一度深く目を閉じた。
「即ち、ユマナシュから来た王女そっくりな人間がいるという事実は、わたしと貴女、それから貴女のその知り合いの他にはいません。これは極秘事項です」
「どうして? その子、観光で来たって話よ? マトランダに長くいるつもりだったって。どうしてそんな扱いをするの? 可哀想よ!」
「王女、羽目を外して呆けましたか? いえ、失礼しました。けれど、聡明な貴女らしくない。何故わたしが王女を大至急呼び出したのか」
「ああ……!」
確かに。第三塔に呼び出した話ではない。マトランダから呼び出した話だ。それでドリスは間違われて連れて来られた。
「何があったの? ドリスを幽閉してることと関係あること?」
息を飲む。考えを巡らせても、あまり悪いことを思い付けない。
たぶん、一日考えても思い付けなかっただろう。
「ユマナシュが大軍を率いてスワマに攻め込んできました。正規兵全軍の上、その二倍にも三倍にも及ぶ市民兵には女性も子供も老人もいるそうです」
「い、移住……?」
「そう考えるのが妥当でしょう。ユマナシュの状況は悪化の一途を辿っていました。一年前から戦いの準備をしていたのは、東からの侵攻を防ぐ自衛のためではなかったのです。我々はまんまと騙されました。まだ交戦中とのことですが、恐らく次の報ではスワマは落ちているでしょう。そして彼らの目的を考えると……」
「言わないで! ええ、わかるわ。欲しいのは土地であって人じゃない。私の、私たちの民は……」
身体が震えた。膝に力が入らない。
ああ、ドリスはなんらかの目的を持って送り込まれたスパイかもしれない。
「どうかお気を確かに、王女。そして現実を受け止めてください。もう一つ悪い報せです。これはサガンらも知っていることですが、やはり極秘事項です」
「え、ええ、もういいわ。大丈夫。言って。何でも話して。まずは情報を全部出して」
「はい。王女が不在だったために……いえ、そのせいだという意味ではありません。だからそのことでは王女は気を……」
「早く言って!」
「わかりました。我々は止むを得ず病床の王に報告しました。どうか我々を責めないでください。報告する義務があるのです。報告を聞いた王はご無理をされて……」
「まさか……」
「亡くなりました。昨日のことです」
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