■ Novels


フレンズ

 それから数日が過ぎたある雨の木曜日、あたしは涼貴と二人で駅までの道を歩いていた。ちょうど鬱陶しい田岡先生の悪口で盛り上がってきた時、いきなり見覚えのある数人の女の子たちに囲まれて、あたしたちは足を止めて身を寄せ合った。
 それは、優ちゃんと同じソフトテニス部の子たちで、みんなものすごく怖い顔であたしたちを睨み付けていた。
「な、何?」
 涼貴は気丈に振る舞っていたけれど、怯えているのは明白だった。涼貴は一人で何かできる子ではない。もちろん、あたしはそれ以上にそうだったけど。
「ちょっと付き合いなよ」
 誰かがあたしの手を掴み、涼貴も同じように数人に掴まれて無理矢理引っ張られた。
「な、何すんのよ! やめてよ!」
 涼貴は大きな声をあげて抵抗していたけれど、その内口を塞がれて、あたしたちは近くの小さな広場に連れてこられた。
 女の子たちはあたしたちを強く押して、あたしたちはべちゃっと音を立てて泥にまみれた。
「い、いったいなぁ! 何すんのよ!」
 涼貴が服の袖で顔の泥を拭い、怖いほど鋭い目で睨み付ける。でも、女の子たちは人数がいるからか、余裕の表情で見下ろしていた。
「あんたたち、優希のこといじめるの、やめなよ」
 やっぱりそのことかと、あたしは思った。もちろん、涼貴だってわかっていただろう。
「そんなの、あたしたちの勝手じゃん。何これ? 報復のつもり?」
「そうよ。じゃあ、わたしたちがあんたたちをいじめるのも勝手ね」
「そんなことしたら、美好が黙っていないよ。帆崎が余計にいじめられるだけだ」
 涼貴は切り札を出すように強気に言ったけど、女の子たちは鼻で笑い飛ばした。
「そうしたら、わたしたちはまたあんたたちをいじめるだけよ。それに、しなくたってどうせ優希のこといじめるんでしょ?」
 女の子の一人が、閉じた傘で涼貴を肩を打った。
「い、痛っ!」
「もういじめないって言ったらやめてあげる」
 涼貴はちらりとあたしを見た。あたしはその時、怖くて震えるだけで、すがるように女の子たちを見つめていた。
 涼貴は立ち上がると、大きな声で言い放った。
「絶対にやめない! こんな脅しに屈するくらいなら、初めっからしない!」
「りょ、涼貴……」
 いっそ「やめる」と言って欲しかった。あたしがどうしていいのかわからずに、雨と泥にまみれたままでいると、油断なく涼貴を睨み付けていた一人が不意にあたしを見た。
「緋藤は? あんた、帆崎と同じ小学校だったんでしょ? もしそいつらに脅されていじめてるだけなら、もうやめてこっちに来なよ。優希の味方をしてくれるなら、今までのことは忘れてあげる」
 あたしは思わず青ざめた。優希と幼なじみだと涼貴に知られたこともだったし、目の前の子たちが、あたしが怖くて抜け出せないだけだと知っていることも。
 涼貴があたしを見た。軽く唇を噛み、悲しそうな瞳をしていた。
「あたしは……あたしは、いじめられる方の味方をしたい」
 喉の奥から搾り出すようにそう言うと、女の子たちは嬉しそうな顔をし、涼貴は今にも泣きそうな顔になった。
「優希の味方になるのね? じゃあ、こっちに来なよ」
 一人がすっと手を差し出す。あたしは大きく首を振り、勢いよく立ち上がって、しがみつくように涼貴の腕を掴んだ。
「違う! みんなが涼貴をいじめるなら、あたしは涼貴の味方になる!」
 足が震えているのが自分でもわかった。でも、その時涼貴が驚いた顔をしてから、嬉しそうに顔を綻ばせたのを見て、あたしは勇気が湧いてきた。
「滅茶苦茶じゃない! じゃあどうして優希をいじめるのよ!」
「そ、それは……」
「もういいわ! 実力でやめさせてやる!」
 誰かがそう言うと、女の子たちは一斉に襲いかかって来た。
 あたしは何がなんだかわからずに、ただ固く目を閉じて、闇雲に鞄を振り回した。でもすぐに誰かに掴まれて、地面に叩き付けられる。
「痛いっ!」
 うっすらと目を開けると、涼貴も同じように泥まみれになって、お腹を踏まれてもがいていた。
 あたしもすぐに背中や肩に痛みを感じた。
 女の子たちは何かわけのわからないことを叫んでいる。
「涼貴……」
 あたしは女の子たちに蹴られながら涼貴のところまではいずり、その身体を抱きしめた。そして、涼貴の温もりを感じながら、身体中に走る痛みに堪え続けた。

 美好さんは力の加減を知っているという点で、まだましなのかも知れない。ソフトテニス部の女の子たちの容赦ない攻撃に堪えながら、あたしはそう思った。
 いつの間にか、あたしは気を失っていたらしい。気が付くと涼貴がそばにいて、あたしを揺り起こしていた。
「大丈夫? しっかりして、ミカ……」
「りょう、き……」
「良かった。気が付いた?」
 あたしたちは雨の当たらない木の下のベンチに座って、お互いにもたれ合った。身体中が痛かったし、こんな格好では電車に乗れない。
 しばらくじっと降り続ける雨を見つめていたけれど、その内あたしは口を開いた。
「ねえ、涼貴。もうやめにしない? あたし、怖いの。いじめるのも、いじめられるのも……。あたしたち、出会った頃は、こんなことする性格じゃなかったよね?」
 涼貴は何も答えなかった。でもあたしが何も言わないでいると、その内ぽつりぽつりと話し始めた。
「あたし、ずっと友達がいなかったの……。なんでかよくわかんないんだけど、全然友達ができなくて。ミカは、あたしが初めて波長が合うなって思った」
「あたしも……あの頃の江野っちは好きだったよ?」
 涼貴は小さく笑った。
「サッキーと美好も……ミカほどじゃないけど、大切な友達。二人とも、あたしのことを仲間だって思ってくれてるからね。あたし、嬉しかったんだ。今風に染められるのは別に嫌じゃなかったし、むしろそういうことを教えてくれる子が友達になってくれたのが」
「咲ちゃんのこと?」
「そう。サッキーもね……きっと寂しいんだよ。あの子は弾けすぎてて、やっぱり友達がいなかった。美好も……あの子は、昔いじめられていたんだ」
「えっ?」
 あたしは思わず声を出した。あの美好さんがいじめられていた?
 驚いた顔でいると、涼貴は小さく笑った。
「そんなに意外? いじめられていた子が、反動でいじめるようになるなんてよくあることじゃん。あたしたち、みんなどこかおかしいんだよ」
「いじめ続けることで、自分を保っているってこと?」
「美好はそうかも知れない。あたしは、帆崎をいじめる理由は前言ったとおりよ。まさか小学校からの友達だとは知らなかったけど、ミカと帆崎が仲がいいのはわかってた。だから、怖かったの……ミカがあたしのそばからいなくなることが……。もちろん、帆崎をいじめれば、逆にどんどんミカの心があたしから離れていくこともわかってるんだよ?」
「涼貴……」
 涼貴はあたしの肩に顔を乗せ、目を閉じて自虐的に笑った。
「それに、美好やサッキーに嫌われるのも怖い。ミカはいじめられるのが怖いみたいだけど、あたしはあいつらと友達じゃなくなるのが怖いんだ。あいつらと一緒にいられるなら、帆崎をいじめるのは苦痛じゃない」
 あたしは、何も言えなかった。
 あたしは美好さんや咲ちゃんとは友達じゃなくていい。でも、涼貴とは友達でいたい。もちろん、優ちゃんはいじめたくないし、誰よりも大切だけど、いじめるのをやめて自分がいじめられるのは怖い。
 涼貴の言い分にも納得できた。もちろん、あたしのことを取られるからとか、そんなことは絶対にないけど、美好さんと友達でいたいから、一緒になっていじめるのは理解できなくもない。
「美好さんが考え方を変えてくれたら……。あたしは、別に優ちゃんと友達になっても、涼貴と友達じゃなくなるなんてこと、ないよ? だから、美好さんさえ……」
 思わず呟くと、涼貴はそっとあたしの身体を抱きしめて、小さく首を振った。
「そんな簡単じゃない。恵理は本当に帆崎を嫌っていて、恵理と美好は友達なんだ。よく喧嘩もするけどね」
「小島さん?」
「そう。サッキーも、あの子もずっと友達がいなかったから、帆崎みたいな可愛くて人気のある子が憎たらしくてしょうがないの。あたしだって、別に帆崎のこと、好きじゃないよ? ミカのことがなくてもね。サッキーは、あの子はあんまり楽しみがないし、あれで結構内に溜め込むタイプなのよ。だから、その捌け口を欲しがってる」
 あたしは優ちゃんが大好きだから、どうしてあの子が嫌われるのかわからない。でもあたしにも嫌いな子はいて、その子にはその子のグループがあるのだから、やっぱり好き嫌いは人それぞれなんだろう。
「どうすればいいのかな……。あたしにはもう、わからない……」
「あたしもよ。今回のことで、確執は前より深まる。あの子たち、きっと美好たちも襲ったんだと思うけど……それでいじめがなくなるなんて、大間違いよ。絶対に帆崎は前よりいじめられるようになるし……きっと、全体的にエスカレートするよ」
 涼貴の予想は、恐らく正しい。このことできっと、美好さんは優ちゃんに脅しかけるだろう。そうなれば、ソフトテニス部の子たちはさらに美好さんに圧力をかけるようになる。
 一番可哀想なのは優ちゃんだ……。
 あたしは思わず涙が込み上げてきて、両手で顔を覆った。
「優ちゃんが……いっそ、先生に言っちゃえば……。あの子が、ずっと我慢してるから……」
 もちろん、そうなればあたしもいじめられていた仲間として、罰を受けることになる。きっと学校側は事実をもみ消すだろうけど、最悪新聞に載ったり、退学になるかも知れない。
 でも、もしも優ちゃんがいじめられなくなる道がそれしかないのなら……。
 あたしが思い詰めた顔をしていたからか、涼貴はふっとあたしを抱きしめる手を緩めて、真剣な目であたしを見つめた。そして、そっと視線を逸らすと、濡れた地面を見つめながら、大きく溜め息をついて呟いた。
「帆崎は、絶対に言わないよ。悔しいけどね……」
「悔しい?」
 あたしは思わず聞き返したけれど、涼貴は何も答えなかった。
 涼貴が優ちゃんが暴露してくれるのを望んでいる?
 一瞬そう思ったけど、今までの話から考えて、とてもそうとは思えなかった。
 どうして悔しいのかはわからないけど、たぶん優ちゃんは学校に訴えたりしない。優ちゃんは本当に強い子だし、プライドもある。だから、大人の力を頼ったりはしないだろうし、自分がいじめられているという事実を公表するようなこともないだろう。
 美好さんも、それをわかっていていじめ続けているのだろうか……。
「どんどん、エスカレートするかな……」
 あたしは泣きそうになりながら、静かにそう呟いた。

 事態は急変した。まさか、あたしも涼貴も予想だにしなかったことになったのだ。
 通学路でのこと、突然小島さんがあたしと涼貴の前に現れて、滅多に出さない甲高い声でそのニュースを伝えた。
「昨日のこと、もう聞いた? ソフトテニスの連中が美好と金浦を襲った現場をセンコーが見つけて、帆崎も呼び出されたんだって」
「え……?」
 あたしも涼貴も、驚きのあまり言葉が出なかった。
 小島さんの話だと、昨日、涼貴の予想とおり、ソフトテニス部の子たちは美好さんと咲ちゃんも襲っていた。けれどそれを教師が見つけて、全員職員室に連れて行かれたらしい。
 そこで、ソフトテニス部の子たちは、美好さんが優ちゃんをいじめていることを話し、優ちゃんはもう家に帰っていたけれど、呼び出されて学校に行ったという。
「じゃ、じゃあ、あたしたちがいじめていたの、バレたってこと?」
 涼貴が青ざめた顔で尋ねると、小島さんは意外そうに首を振って、怪訝な顔をした。
「それが、言わなかったんだ、帆崎。『いじめられていません』って言ったもんだから……もちろん、センコーたちもそれを鵜呑みにしたわけじゃないらしいけど、本人がされてないって言うのを否定もできないだろ? だから、結局ソフトテニスの連中だけが罰を受けて、美好たちは釈放さ」
「言わなかった……? どうして? 言わなかったら、今度は優ちゃんとソフトテニス部の子たちの間に溝ができるんじゃない?」
 あたしは興奮していて、思わず「優ちゃん」と言ってしまったけれど、小島さんはそれ以上に興奮していたからか、あまり気にしてないようだった。
「そう。なんでもその後、連中、帆崎と思い切りもめて、帆崎がソフトテニス部を辞める話も出てるらしいよ」
「優ちゃんが……美好さんたちをかばった?」
 あたしが呆然と呟くと、小島さんは腕を組んで小さく唸った。
「でも、確かにそのせいで、美好はもう帆崎をいじめるのをやめるかも知れないって、昨日あたしに電話してきた。実際、しばらくはセンコーたちの監視も厳しくなるだろうしな。帆崎は、そこまで計算した上で美好をかばったのかも知れない」
 ちらりと横を見ると、涼貴はなんとなく不愉快そうにしていた。じっと地面を睨みつける目は、少し涙で潤んで見える。
「どうしたの?」
 心配になってあたしが聞くと、涼貴ははっと顔を上げてから、曖昧な笑みを浮かべた。
「ううん。ほら、言ったとおり、あいつは言わなかっただろ? いじめのこと」
「悔しい……けど?」
 あたしは、昨日の涼貴を思い出して、そう聞き返した。
 涼貴はあきれたように笑って、小島さんには聞こえないように小さな声で囁いた。
「そろそろ気付けよ。あたしの口から言わせるな」
 それっきり、涼貴はあたしの方を見なかった。あたしはいつまでも興奮気味に話し続ける小島さんの声を聞きながら、ずっと涼貴の言葉の意味を考えていた。

 昼食は、大抵あたしは同じクラスの美好さんと咲ちゃんと一緒に食べた。別に望んでそうしていたわけではなかったけれど、初めに咲ちゃんから誘ってくれたから、以来ずっとそうしている。美好さんはともかく、咲ちゃんはあたしに悪い印象を持っていないようだった。
 教室の隅の方で持参の弁当を広げながら、しばらく無言で食べていたけれど、その内不意に美好さんが口を開いた。
「実夏は、帆崎のことどう思う?」
「え?」
 いきなり話しかけられて驚いたけれど、努めて冷静に返した。
「どうって、言わなかったこと?」
「そう。わたしたちをかばったのか? だけど、あいつが……少なくともわたしをかばう理由なんてないだろ?」
「あの子は……きっと、もうこれ以上いじめがエスカレートするのが嫌だったのよ。きっと、あそこでああ言えば、もうあたしたちが何もしなくなるって思ったんじゃないのかな」
 あたしは、小島さんの言ったことをそのまま自分の言葉として伝えた。
 咲ちゃんが口を挟んだ。
「でも、今度は部活の子たちに睨まれるじゃんね。あのまま部活の全員で団結した方が、いくらエスカレートしても、帆崎にとっては都合が良かったんじゃない?」
 それは、あたしもそう思った。美好さんをかばったことで、優ちゃんは今度はソフトテニス部の子たちにいじめられるかも知れない。いや、きっとそうなるだろう。
 あたしが何も言わずにいると、美好さんはしばらくあたしを見つめてから、静かにこう言った。
「なあ、実夏。こうなった今、もう怒らないから教えて。お前は、帆崎と仲がいいんじゃないの?」
「ど、どうして?」
 あたしは驚いて顔を上げた。そんなこと、あるはずがない。あの日優ちゃんは、はっきりとあたしとは友達でないと言った。
 だけど……。
「わたしは、帆崎が今まで誰にも言わなかったのも、部活の連中に睨まれてまで事実を隠したのも、全部お前をかばったんじゃないかって思うんだ」
「そ、そんなこと……」
 あたしは思わず箸を落として、震えを鎮めるために左手でぎゅっと右腕を掴んだ。
 美好さんの言うとおり、優ちゃんがずっとあたしをかばい続けて来たと考えると、すべてに辻褄が合う。涼貴が「悔しい」と言ったことにさえ。
 静かに美好さんが言った。
「別に怒らないよ。そのおかげで、わたしたちはチクられずに済んだんだ。お前が誰と友達になろうがわたしたちとの仲は変わらないし、もう帆崎をいじめるのはやめようと思ってる」
 あたしはじっと机を見つめながら、ただ頷くしかできなかった。

10

 放課後、あたしは優ちゃんのところに行くことにした。
 あれだけ美好さんたちと一緒にさんざんいじめてきた今、もう優ちゃんと友達に戻れるとは思ってなかったけれど、それでもちゃんと話し合わなくてはいけないと思ったのだ。それに、今ならもう、美好さんや小島さんを気にせずに話しかけられる。
 そう思って優ちゃんの教室へ行くと、ちょうど優ちゃんは部活の子に連れられて外へ出て行くところだった。
(あれは、昨日の子……)
 あたしは思わず陰に隠れた。優ちゃんの手を掴んで引っ張っているのは、昨日あたしと涼貴を襲った子で、周りにいるのもその仲間の子ばかりだった。
 こっそり後をつけると、優ちゃんは部室に連れ込まれて、ドアが勢いよく閉められた。ドアのところまで行くと、中から女の子の怒った声がした。
「どういうこと!? どうしてあいつらをかばったの!? おかげで、みっちゃんも英子もゆんも、みんな親呼び出されたのよ!」
 窓も閉まっていたから中の様子は見えないけれど、さっき見ただけで中には5人くらい女の子がいる。それに、他にもまだ来るかもしれない。あたしはびくびくしながら辺りを窺った。
 中から、威勢のよい優ちゃんの声がした。
「わたしはそんなことしてなんて言ってないじゃない! わたしはいじめられていることを知られたくなかった。だから今まで誰にも言ってこなかった。あいつらをかばったんじゃなくて、元々してたとおりにしただけじゃない!」
「だけど、ああなったら言ってくれなくちゃ、みっちゃんたちが怒られるの、わからなかった?」
「だから、頼んでないって言ってるでしょ!? 全部あんたたちが勝手にやったことじゃない! どうしてわたしが言いたくないことを言わなくちゃいけないの?」
「優希のためを思ってしたのよ? それわかってる?」
「大きなお世話よ」
「な、何よその言い方!」
 女の子の怒鳴り声がしてから、机か何かが倒れる音がした。あたしは思わず固く目を閉じて、身をすくめた。
「わたしたちも、痛い思いして江野や緋藤とケンカしたのよ! ケンカなんてしたこともなかったのに!」
「ひ、緋藤……。あんたたち、緋藤に何したの!?」
「お前はどっちの味方なんだ!」
 叫び声とともに、椅子か机かが壁を打つ大きな音がして、同時に優ちゃんの悲鳴がした。
「もう許さない! あんたなんかのことを思ったわたしたちがバカだったわ!」
「や、やめて! 痛いっ! い、いやあぁっ!」
 優ちゃんの悲鳴を聞いて、あたしは思わず座り込んで両耳を塞いだ。
 やっぱりこうなった。優ちゃんが……あの優しい優ちゃんがまたいじめられている……。
 あたしは涙が止まらなかった。
 ドアに背をつけ、両手を組んで震えていたけれど、次に優ちゃんのものすごい悲鳴を聞いたとき、あたしはいても立ってもいられなくなった。
「優ちゃんっ!」
 ドアを開けて中に飛び込むと、中はまるで地震でもあった後のように椅子や机が散らばり、ロッカーは倒れ、ラケットやボールが散乱していた。そして、部屋の真ん中くらいに優ちゃんが倒れていて、床に小さな血溜まりがあった。
「緋藤!」
 女の子の誰かが叫ぶと、優ちゃんがうつ伏せに倒れたまま顔を上げた。額がざっくりと切れていて、そこから流れる血で顔が真っ赤に染まっていた。
「優ちゃん!」
 あたしは他の子を突き飛ばして優ちゃんに駆け寄り、その身体を思い切り強く抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね優ちゃん。ごめんね……」
「実夏ちゃん……」
 優ちゃんが、震える手をあたしの腰に回して、ぎゅっとあたしの身体を引き寄せる。あたしは自分の服が血で汚れるのも気にせずに、優ちゃんを抱き上げて胸の中で抱きしめた。
「そう。そういうことだったの……」
 ラケットを握っていた女の子が、これ以上怒りを抑えられないというような低い声で言った。
「優希、緋藤とお友達だったってわけね……」
 一瞬、優ちゃんの身体が震えて、それから優ちゃんは顔を上げて何か言おうとした。
 どうせまた、あたしをかばおうとしたに決まっている。あたしはそんな優ちゃんの顔を無理矢理自分の胸に埋めさせると、その子を睨んではっきりと言った。
「そうよ、友達よ。いけない? 言ったでしょ? あたしはいじめられてる方の味方だって。もうこれ以上、優ちゃんはいじめさせない!」
「元々お前らがこいつをいじめてたんだろ!」
 女の子がラケットを振り上げて、次の瞬間、あたしは頭にものすごい衝撃を受けた。
「実夏ちゃん!」
「あんたもよ、優希。二人とも、絶対に許さないんだから!」
 誰かが振り上げた椅子が優ちゃんの肩を打ち付けて、優ちゃんはあまりの痛みに絶叫して床に倒れた。半狂乱の子がその背中をさらに何度も椅子で殴りつけ、最後に思い切り踏みつける。
 その隣であたしも何度も蹴られ、無理矢理起こされてまたお腹を蹴られた。
「もうやめて! 実夏ちゃんには手を出さないで!」
「二人ともって言ってるでしょ!」
 立ち上がってあたしをかばおうとした優ちゃんの髪を、誰かが後ろから掴んだ。そしてそのまま頭を持って、顔を鉄製のボール入れの四角い角に打ちつけようとする。
「や、やめて! 優ちゃんが死んじゃう!」
 あたしは絶叫した。だけど、もう正気を失っているその子は、鬼のような形相で「うるさい!」と怒鳴っただけで、やめようとはしなかった。
 さしもの優ちゃんも青ざめ、あたしがもうダメだと思ったその時、ドアの方から低い、大きな声がした。
「なあ、それくらいにしなよ!」
「み、美好さん……」
 声の主を確認すると、あたしは思わず安堵の声をもらして、ヘナヘナと床に座りこんだ。

11

 美好さんと小島さん、それから咲ちゃんと涼貴。
 4人が部室に入ってくると、ラケットを持った子が一歩後ずさって、忌々しそうに言った。
「まさか、今まで優希をいじめていたあんたたちが、今さら優希をかばおうって言うんじゃないでしょうね」
 美好さんは静かに息を吐くと、髪を離されてあたしのそばでうずくまっている優ちゃんを見た。それからあたしと目が合って、もう一度ラケットの子を見てはっきりと言った。
「あたしは帆崎が嫌いだ。だけど、実夏は友達だ」
「だったら、緋藤だけ返すよ。あたしたちは、こいつに裏切られたんだ。こんなくらいじゃ気が済まない」
「こんなくらい? 顔も身体も血塗れじゃない。あたしたちだって、そんなにひどくやったことはないぜ」
 皮肉めいて咲ちゃんが言うと、美好さんも不敵な笑みを見せた。
「実夏をこれだけ痛め付けてくれたお礼もしたいし、昨日のお礼もしなくちゃね。別に帆崎が嫌いでも、あんたたちとケンカする理由は十分あるさ」
 美好さんが一歩前に踏み出すと、小島さんがあたしを見て言った。
「緋藤、お前は帆崎を保健室に連れていきな。センコーに何聞かれても、余計なことは言うなよ」
「は、はい」
 あたしは少しでも早くここから逃げ出したかったから、すぐに立ち上がって優ちゃんの手を引いた。
 ドアから出るとき、涼貴がものすごく寂しそうな目であたしを見た。あたしは一度だけ立ち止まって、それからなるべく明るく大きな声で言った。
「あたしは涼貴のことも大好きだよ。みんなで仲良くなろう」
 返事は聞かずに、あたしは外に飛び出した。優ちゃんは一言も口を利かなかった。
 保健室では、案の定先生に色々聞かれたけれど、あたしも優ちゃんも本当のことは何も言わなかった。
「帆崎さん、よく怪我をしてここに来るけど、こんなあからさまに誰かにやられた跡を作って来ても、何もなかったって言うの?」
 先生が額の手当てをしながら、怒ったようにそう言うと、優ちゃんははっきりと頷いて答えた。
「自分たちの力で解決できないと思ったら言います。だから、それまでは何も聞かないでください」
 手当てを終えて外に出ると、あたしたちは並んで歩き始めた。駅に着いても電車に乗っていても、あたしたちは一言も口を利かなかった。
 でも、その間中ずっと手をつないでいて、あたしは言葉以上の信頼を感じていた。同時に、申し訳なさも……。
 小学校の近くの公園に自転車をとめて、優ちゃんがブランコの近くまで歩いてから言った。
「わたし、実夏ちゃんに嫌われてると思ってた」
「そ、そんな……」
 あたしは思わず何か言いかけたけど、その後言葉が出なかった。あれだけひどくいじめ続けてきたのだ。誤解されてもしょうがない。
 優ちゃんは寂しそうに笑った。
「高校に入ったとき、実夏ちゃん、髪の毛も染めてたし、あんな怖い子たちと付き合ってたから……もうわたしのことなんかどうでもいいんだなって思った。わたし、ずっと実夏ちゃんのことかばってたけど、最近はちょっとくじけかけてたの……」
 あたしは何も言えずに、じっと優ちゃんを見つめていた。優ちゃんは低い柵にお尻をつけて、暮れかけの空を見上げた。
「わたし、昨日学校に呼び出されて、その時もやっぱり実夏ちゃんをかばったわ。でも、その後で部活の子たちに文句を言われて、叩かれて……。すごく悲しくて、昨日の夜はずっと泣いてたの。わたしは、一体なんのために実夏ちゃんをかばってるんだろうって……。振り向いてもくれないのに……」
「優ちゃん……」
「ねえ、どうしてだと思う?」
 優ちゃんは立ち上がってあたしの前に立った。そして、あたしが答えるより先に言った。
「実夏ちゃんが好きだからよ。小学校のときからずっと」
「優ちゃん……」
 あたしは思わず涙が溢れてきた。あたしも優ちゃんが誰よりも好きなのだ。憧れていたし、涼貴と天秤にかけても、やっぱり優ちゃんが好きだった。
「でも、あたしは優ちゃんにひどいことをしてきた……。特に……トイレで……あの時、優ちゃん、あたしのこと名前で呼んでくれた。美好さんたちの前じゃ、いつも『緋藤』って言ってたのに。本当に助けて欲しいんだってわかったのに、あたし、あたし、雑巾を、優ちゃんに……」
 あたしは後が続けられずに、泣き出してうずくまった。優ちゃんはしばらく何も言わなかったけれど、その内そっとあたしを背中から抱きしめて、優しい声で言った。
「あのことは……もう忘れよう。わたしも、あの日は本当に絶望して……ずっと泣き続けて、もう学校も辞めようって思ったの……。もう、実夏ちゃんは絶対にわたしの味方はしてくれないんだって思ったから……」
「ごめんね、ごめんね! あたし、あの時だって優ちゃんのことが好きだったの! でも、怖くて……いじめられるのが怖くて……」
「わかってる、わかってるよ。実夏ちゃん、ずっといじめられてたもんね。カメラ……今ならはっきり、あれを止めてくれたのはわたしのためだったってわかるから。実夏ちゃん、わたしのことちゃんとかばってくれたんだなって。わたし、嬉しいよ」
「優ちゃん! 優ちゃん!」
 大声で泣き続けるあたしを、優ちゃんは優しく抱きしめていた。そして、髪を撫でながら、耳元で静かにこう言った。
「ずっと、お友達でいてね」
 あたしは大きく頷いて、もう一度泣いた。

エピローグ

 ある日の学校からの帰り道、あたしは涼貴と二人で少し寄り道をして、ぶらぶら歩いていた。
「結局、ミカにとって一番いい形で落ち着いたんじゃない?」
 いたずらっぽく言った涼貴に、あたしは曖昧な笑みで返した。
「優ちゃんとも涼貴とも友達のままでいるし、美好さんたちにも嫌われずに済んだからね。でも、優ちゃんには……やっぱりいじめてたことが申し訳なくて……」
「じゃあ、あたしの方が上? 友達レベル」
「何それ?」
 あたしはひとしきり笑ってから、直接的には答えずに言葉を返した。
「でも、こうして涼貴とも昔みたいにお話できるようになったのは、本当に嬉しいよ。ううん、涼貴はずっと同じだったって、今ならわかるんだけど、あたしはどんどん変わっていく涼貴を見て、なんだか遠くなっていくなって思ってたから」
「まあ、終わりよければってヤツね」
 涼貴はあまり深く突っ込まずに、笑ってそう言った。
 あれから、優ちゃんはソフトテニス部を辞めた。しばらく部活には入らないと言っていたけれど、元々人気のある子だ。すぐに別の友達から誘いがあって、今度はバドミントン部に入った。身体を動かすのが好きなのだ。
 美好さんは剣道部に入った。攻撃的な力をスポーツで発散したらどうかと優ちゃんに言われたのだ。咲ちゃんも何か新しいことを見つけたいからと言って、陸上部に入った。元々小学生の時は陸上部だったらしい。二人とも、相変わらず優ちゃんとは仲が悪かったけれど、昔みたいに憎んでいるということはないみたいだった。
 実際、ソフトテニス部の子たちが優ちゃんにちょっかいかけようとすると、美好さんや小島さんが率先して優ちゃんを守っていた。「緋藤の友達だから」と言っているけれど、心のどこかでは優ちゃんを認め始めたのかも知れない。そうだったら嬉しい。
 あたしは相変わらず部活には入らずに、こうして涼貴と一緒に、なんでもない時間を過ごしている。でも、あたしや涼貴には、こういう時間が合っているのだ。
「ねえ涼貴。変なこと聞くかも知れないけど、涼貴はあたしなんかのどこがいいの? 内気だし暗いし」
「ほんとに変なこと聞くのね」
 あたしは真剣だったのに、涼貴はさも可笑しいと言わんばかりに笑った。実際、その質問は滑稽だったとすぐにわかった。
「好き嫌いに理由なんているの? じゃあ、ミカはあたしなんかのどこがいいの? 出会ったときの面影はないし、友達の友達を平気でいじめるし、陰湿で最低だと思わない?」
「うーん……」
 本気で悩むあたしを見て、涼貴はもう一度笑った。
「帆崎はあんたのどこが好きだって? あたしたちは、まだダメ人間同士って感じがするけど、あたしにはそっちの方がさっぱりよ」
 ダメ人間と言われても、怒れるどころか、むしろしっくり来る感じがした。そんな自他も認めるダメ人間のあたしを、優ちゃんはどうしてあんなにも好きになってくれるんだろう。
「優ちゃんは……きっと物好きなのね」
 理由が思いつかなかったから、あたしはそう言って、また涼貴が笑った。それから、前方にいる同じ制服を着た集団の中に小島さんの姿を見つけて声をあげた。
「あれ、恵理じゃない? 合流しよっか」
 昔のあたしなら、きっと小島さんや、あまり話したこともない子たちの中になんて、入らなかったに決まっている。
「うん、いいよ。みんなでカラオケでも行こう」
 そんな言葉が心から出るようになったのも、涼貴や、それに咲ちゃんや美好さんのおかげだ。優ちゃんも「明るくなったね」と言ってくれた。
 あたしは、優ちゃんは昔の暗いままのあたしの方が好きだったんじゃないかって思ったけど、優ちゃんは楽しそうに笑って否定した。
「最初に見たときはびっくりしたけど、明るい実夏ちゃんの方が好きだよ。わたしも髪染めようかなぁ」
 もちろん、優ちゃんは黒髪のままのスポーツ少女でいる。優ちゃんはあたしと違って、髪なんて染めなくても明るくて元気だ。
 涼貴が大きな声で呼んで手を振ると、小島さんはあたしたちに気が付いて立ち止まった。
 あたしは涼貴と手をつないで、小島さんたちのいる場所に駆けて行った。
Fin
←前のページへ